運命
「まずはこちら側、という話からかな」
祥真は柏木をついて部屋を出た後、そのまま事務所の地下駐車場に連れられ、柏木の私用であろう赤のスポーツカーに言われるがまま乗車した。
そのまま緩やかに発進した車は地上に出ると、どこかへ向かって走っているようだった。
「君はさ、願いを叶える薬があったら欲しいって思う?」
「願いを叶える薬、ですか? 単純に願いを叶えてくれるのなら是非ともって思いますけど、どうせそんな上手くはいかないでしょうね」
「夢が無いねぇ。でも正解。そんなに世界は上手く回っていない。その願いを叶える薬には叶えた願いに対等な代償がある」
まるでその薬を知っているように話す柏木は冗談を話しているようには見えなかった。
「ちょっと待ってください。それって本当に存在するんですか?」
「……する。恐らくだけど、君のそのノイズも代償の一つだと思う」
「えっ?」
まさか自分自身もその薬を飲んでいたということだろうか。
全く身に覚えの無い事実に祥真は驚愕する。
「まあそれが願いなのか、代償なのかはわからないけど、そのノイズが聞こえる人物はきっとみんな薬の服用者。俺もマネージャーもその願いを叶える薬を飲んでいる。芸能人に多いというのも頷けるし、それに以前、君と同じような代償を負った人に会ったことがあるからね」
「じゃあ、柏木さんも何か願って……」
そう言って慌てて口をつぐむ。
まだ出会ったばかりの高校生にそんなプライベートなことは聞かれたくなかっただろう。
「まー、それはおいおいね。……とりあえず、君が薬の服用者であると色々と辻褄が合うんだよね。麻酔が効かなかったことや、記憶がハッキリと残ってたこと。なにより君が服用者であってくれた方が俺はお咎めナシだから、上にはこれで突き通そうと思ってるんだけど」
しれっと零れた柏木の自らの利益を優先した考えに、彼の人間性が見える。
俳優を職業にするだけあって、人の懐に入りやすい性格をしているようだ。
「そこで、こちら側の君に相談がある。俺達の仕事に協力してくれないか?」
「協力、ですか?」
「ああ。こっちにも色々あってね、君の能力を借りたいんだ」
「ノイズを? でも何に……」
「それは、この後教えてあげるよ」
そもそも柏木のもう一つの仕事も知らぬまま、祥真は車に揺られ目的地へ到着するのを待った。
柏木が車を止めたのは、どこかのビルの駐車場だった。
そのまま建物に入り、階段を上ると角の部屋に連れて行かれ、机と椅子だけの置かれた無機質な空間で数分待たされた。
よくある敵のアジトみたいで少し心がくすぐられる。
「さ、行こう」
祥真を迎えに現れた柏木は、あの事件の日と同じ黒いマントに身を包んでいた。
今から何をするのだろう。
全く想像が付かないまま、今度はなにやら重厚感のある二枚扉の前で立ち止まる。
「今から変わるけど、気にしないでね」
「え、どういう――」
「入るぞ」
柏木の手で開けられたその部屋には、先客がいた。一人の女性が座ってこちらを見つめている。ただし、両足、両腕を縛られた状態で。
窓も壁紙も貼られていない、牢獄のそれよりも劣悪な環境に椅子が一つに女性が一人。扉は閉められ、外からは一切中の様子が見えない。
祥真は驚きを隠せないまま、柏木の顔を伺った。
かろうじてフードの影から見える柏木の顔は至極冷静で、先程の比較的温厚な様子は微塵も感じ取れなかった。
その豹変ぶりが恐ろしく、何も尋ねることが出来ないまま時間は過ぎる。
「お前にいくつか質問がある。いいな?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私何も知らないんです、街を歩いていたら急に車に押し込まれて――」
甲高い声に、少し混じるノイズ。この女性もおそらくは薬の服用者なのだろう。
女性の必死の訴えは続くが、その最中に柏木が小声で何かを呟くのが耳に入った。
「どうだ?」
「えっ?」
「ノイズはあいつから聞こえるか」
「えっと、はい。聞こえます」
そうか、と一言。もう十分だと言うように、柏木は冷酷に告げた。
「続きは他の者に任せる。その時に詳しく聞こう」
「えっ、あ、ちょっと待って下さい!」
女性の声を背後に扉が閉まる。
祥真達のことを待っていたのか、いつの間にか立っていた柏木と同じような服装をした人物が、柏木と二言三言話した後に先程の部屋へと入っていった。
柏木が話しかけるまでは何かを質問する気にはなれず、無言のまま廊下を歩く。祥真達は一番最初に入った角の部屋へと戻った。
「戻る」
お互いを向き合いながら椅子に座ったところでそれだけ呟いた柏木は、すうっと息を吸った。
数秒が経ち、今度はゆっくりと息を吐くと、何事も無かったかのように気さくな声がした。
もしかして柏木さんの代償は……、と思うこともあったが今は口にしない出置くことにした。
「よし、じゃあ今の説明をしようか」
「今のって、あの女性ですか?」
「そう。あー、でもその前に俺の仕事についてだな。俺は、願いを叶える薬の服用者で規則違反を犯した人を取り締まっている」
規則違反。そもそも願いを叶えるなんて魔法のようなことを行っているのだ、利用規約があってもおかしくはないだろう。
祥真は聞いたことも、そもそも薬のことさえも知らなかったが。
「つまり、薬を配る立場にいるってことですか?」
「そう、前までは売り込むのもしてたよ。でも今は薬を作ってはいない、薬を作っていた中心人物が亡くなってしまったからね。だから今は取り締まりだけしてる」
「じゃあ、あの日も取り締まりをしていた……」
「その通り。でも事件は起きてしまったし、被害者も出してしまった」
被害者に関しては訊く気になれなかった。
自販機の下に血溜まりをつくっていたほどの出血だ、どうなったかは想像がついている。
「そこで彼女だ。実はあの彼女が先の事件の犯人なんだよ」
「えっ?」
衝撃事実だった。
まさかあの女性が犯人?
にわかには信じられない。
「彼女は知らず知らずして、どうやら人を襲う化け物になる代償を背負ってしまった。でも彼女はそれを知らない」
「どうして?」
「彼女は薬を服用しているが、実は願いを叶えていないんだ。それ故に今まで服用者リストには書かれておらず、その代償がいかなるものか把握できていなかった」
規約違反を取り締まるのだから、服用者のリストとその代償は常々把握していて当然ということか。
「利用規約に色々条件はあるんだけど、その中でとびきりに大事な条件がある。それは、叶えたい願いは服用者本人の願いにすること。願いなんて個人のちょっとした尺度でその意味合いが変わってしまう。普通の薬と同じオーダーメイドでなくちゃならない。でも、最近その規約が破られている事案が出てきてしまっている」
「それがあの女性」
「そう。でも幸い、彼女の親が利用規約に違反していたことを知り、ここへ連絡をしてくれた。そのお陰でこうやって話を聞くことが出来ている。今回はまだラッキーだったよ。あの時の被害者も俺達の仲間だったからね」
全く良かったとは思えないが、下手に被害者を出してしまうとそれこそ警察沙汰になってしまう。それを柏木達は避けようとしていた。
祥真のスマホが飛ばされた理由がはっきりとする。あと一瞬遅ければ、楓に連絡を取っているところだったから間一髪といえるだろう。
「つまり、服用者のリストに載っていない人物が、何かしらの代償を負ってしまっている。そのため誰が服用したかがわからず取り締まりが出来ない。だから俺のノイズが必要――ってことで合ってますか?」
「そう、完璧。どう、協力してくれる気にはなった?」
にこやかに笑う柏木に、祥真は必要とされているという嬉しさをかみ殺しながら、真剣な面持ちで尋ねる。
「その仕事ですけど、警察を避けるということはつまり、そういうことですよね」
祥真の言葉に、瞬驚くも、流石だねと呟いた柏木は素直に全てを洗いざらいに話す決意をしたようだ。
「ああ。そもそもこの薬自体、違法薬物そのものに違いない。それが警察を避ける一番の理由。だが他にも、規約に秘匿とはされているが、願いを得た者の能力が公に出ることを避けるために極力国に関わる団体には近づかないようにしている。あとはちょっと違法なこともしてたりするからね」
付け加えるように話した、ちょっと違法なことがとても気になるのだが、にこにこと笑う柏木は教えてくれないだろう。
事件を起こしたあの女性もきっとちょこっと違法なことをして全て無かったことにするに違いない。
「でも安心して、絶対にバレないから」
これは闇バイトの謳い文句だろう。
だが、少なからず本当にバレはしないのだろうと思う節はいくつかある。
なぜならこちらには無かったことにできる人物が存在する時点で、彼か彼女かは分からないが、ほぼ裏工作がバレるようなことは無い。
そしておそらくは、この薬のことを警察は既に知っている。そして黙認しているに違いないだろう。もしくは何か取り付けごとでもしているのかもしれない。
漫画やアニメの見過ぎだろうか?
この前見た映画もこういった話に近いようなストーリーだから影響されているのかもしれない。それくらい非現実的なことなのだ。
「……タダ働きですか?」
決心はついていた。
「いや、それ相応の何かは用意できるはずだよ」
ここで止めると言えば、このまま今度こそ記憶を消されてこの世界とは一切関わらないことになるのだろう。
「じゃあ、バイトということでお願いします」
それだけは勿体ないと思ってしまった。
「オーケー! それじゃ、これからよろしくな月城くん」
「よろしくお願いします、柏木さん」
好奇心は猫をも殺す。
そうであったとしても、知らぬ間にこちらの世界に足を踏み入れていたのは、もはや運命としか思えなかった。
その通りなのだとしたら、身を滅ぼしてもいいと思ってしまう青さが祥真にはあった。
「俺のデータもきっとあるんでしょう? ちゃんと仕事をするようになったら見せて下さいね、誰が俺に薬を飲ませたのか」
「別に、君の名前で登録されているわけじゃないんだから相当骨が折れる作業だと思うよ?」
「それでも探しますよ。俺も取締班になるんですから」
「そうだな」
この日から、月城祥真は裏の世界に関わる人間として歩み出す。
その持った能力を安寧のためだけに使うことを望んで。
「ええ。あなたの弟さんは協力すると言ってくれましたよ。――ええ、よかったですね、違反に加え法を犯していたという事実はこれで帳消しとさせて頂きます。それでは」
これは、祥真が無事に家へと送り届けられた後の、とある電話。
Voise ねむり凌 @0nemu_kkym
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