好奇心
某芸能事務所、とある一室。事件に遭遇した日から数日後。
私服姿の祥真は、この事務所の関係者であるという証拠のタグを首から下げ、パイプ椅子に座り、とある人物を待っていた。
有名事務所であることもあって、廊下を歩く足音は止むことが無い。その中でこの部屋の扉の前に人が立ち止まったのを微かに感じ取った祥真は、部屋にあった雑誌を読む手を止め立ち上がった。
金属の重たいドアノブが回転し、扉が開かれる。
中に入ってきた人物は祥真に気付き、その顔見るなり酷く驚いた顔をした。
「君、なんでここに居るの?!」
「柏木さんのマネージャーさんがここまで連れてきてくれました」
「え、どういうこと……」
目を瞬かせつつ、片手で扉を閉めた人物はこの事務所に所属する俳優、
***
事件の日、意識を失った後、祥真は気がつくと自室のベッドの上にいた。
倒れてから数時間が経っている。
起き上がりリビングに向かうと、テレビを見ていた家族はいたって普通に声をかけてきた。
「疲れて帰ってすぐに玄関で寝ちゃってたんだから、はしゃぎすぎないようにね」
母はそう言って食べ損なっていた夕飯を出してくれた。
何事もなかったように、いつも通りの我が家であった。
夕飯を食べ終え、風呂に入り、自室に向かう。祥真はベッドの上で寝転がりながら、ついさっき自分の身に起きたことを丁寧に思い出すことにした。
今日映画を見終わった後に起きた事は、全て夢とでもいうのだろうか。これではちょっとした神隠しではないか。
にわかにも信じられない祥真は、何か証拠は無いのだろうかと試しにあの時持っていた持ち物を確認する。
映画のパンフレット、リュック、投げ飛ばされたスマホも無傷だった。クローゼットに掛かる制服もまだ数日しか着ていないこともあり新品同様。
血溜まりを踏んでいれば少しくらいズボンの裾に血痕が付いていてもおかしくないというのに、だ。
あいにく電子マネーは残高を覚えてないので判別が付かなかったが、炭酸飲料の購入履歴はどこにもなかった。
本当に夢だったのか……。
不思議なこともあるのだなと再度ベッドに寝転がり、頭の後ろで手を組む。
その時に右手の甲に違和感を感じ、祥真は勢いよく起き上がった。
「これ、麻酔の跡だ」
人差し指の中手骨のあたりにぽつ、と虫に刺されたような跡が残っていた。
ほんの少し小さな跡だが、祥真の記憶の麻酔が刺さった位置と同じだから確かである。
偶然、同じ位置に虫に刺されていたという可能性が無いわけではないが、そうなれば良く出来た偶然であろう。
これは本当にあった出来事だった。
祥真はそう確信した。
そして好奇心の赴くままに本当のことを知りたいと強く思った。
次の日、昨夜事件のあった場所である公園に向かった。
まず公園の入り口に警察の規制が張られていない。持ち物が元通りになっていたことから、薄々気づいていたが、現場と言えるお気に入りの自販機はホラーテイストな血飛沫など付けておらず、地面も茶色統一の整備されたアスファルトそのままだった。
意を決して自販機の裏も覗いたが、やはり何も残されてはいなかった。
証拠は祥真の右手にしか存在しない。
だが、まだ手がかりは残っていた。
「柏木衛さんに会わせて下さい」
少々、いや相当強引であるが、祥真は柏木の所属する芸能事務所に直接会いに行った。受付の女性には丁重に断られたが、それでも何度もお願いした。
しかし、この日は結局柏木に会うことが出来なかった。
この結果になることは祥真自身分かっていたことだ。
この結果は祥真にとって計画通りだった。
祥真は事件の日、家からの記憶しか無いことから、何者かが祥真を家に届けたということになる。それはつまり、その何者かは祥真を月城祥真であると知っているということだ。そしてその何者かは、あの日自らを『猛獣を狩る獣』と名乗ったあの男である可能性が高い。
祥真はこの日、受付に自分が月城祥真であることと自分への連絡先を伝えその場を去ったのだ。
数日後、柏木のマネージャーを名乗る人物からの連絡が祥真に届いた。
詳しく話を聞きたいので今すぐにでも会いたいという内容だった。
これでやっとあの日何があったのかが分かる。
夢にも紛う所業をこなした何かを知ることが出来る。
天にも昇る心地で日時を決め、その日を待ち望んだ。
「そして今、ここにいます。もちろん正規ルートで中に入ってますよ」
「いや、まあ……。君が俺に会いに来たことは分かった。その様子だとあの日のこと覚えてるんだよね」
「そうですね。その様子だと、俺が覚えていることがおかしいみたいですね」
持ち物が全て綺麗さっぱり元通りにしておいて、自分自身が事件の事を覚えていたら意味が無い。
この人にとっておかしいのは祥真自身だったということだ。
部屋の机に向かい合って座る柏木は、祥真の説明になるほど、とため息をついた。
「あー、それはこちらの不手際だな……。でも、どうやって俺までたどり着いた? 俺はあの時顔も隠していたし、君も酷く動転していたように見えたから記憶も曖昧かと……」
「記憶はともかく、俺は耳が良いんです」
「……というと?」
「柏木さんは特殊な声をしているので、覚えやすかったんです」
祥真は物心ついた頃から人の声に時々ノイズが混ざって聞こえることがあった。
耳心地の悪い、低音のザーというノイズ音。小学校に上がるまでは、祥真は皆がそういった経験をしていると思っていた。ふとしたタイミングでノイズのことを両親に伝えると、両親は何かの病気を疑い、すぐに病院に連れて行かれ、色々と検査を受けることになった。しかし結果は問題なし。原因は分からずじまいだった。
高校生になった今、人によって聞こえたり聞こえなかったり、その法則性は未だ分かっていない。
「じゃあ、俺はそのノイズが聞こえる、と」
「はい」
「だからあの黒マントの男が俺だと分かったんだ。なるほど、面白いね」
「そのノイズが聞こえる人は、俺の周りには滅多に居なくて、そのほとんどが芸能人とかのテレビに出てる人達なんです。だからついつい覚えちゃうっていうか。それと俺、元々声優さんの声とか聞き分けるの得意なので、耳が良いってのもあながち間違ってないのかなって」
祥真の説明に、何か思うことのあった柏木は含みのある言いぶりで尋ねた。
「……因みにだけど、今日ここに来るまでに出会ったりすれ違った人で誰かノイズが聞こえた人はいた?」
柏木の質問に、思わず目を丸くする。
ここまで素直に自分のことを信じてくれているとは思っていなかった。
祥真は柏木を面白い人だと思いつつ、来たときを思い出した。
「えっ、確か何人かいましたね。――あ、マネージャーさんも聞こえました」
柏木が面白いものを見たというふうにニヤリと笑った。
「――なるほど。どうして彼女が君をここに通したか分かったよ。君はこちら側の人間だったってことだね?」
「こちら側?」
どちら側?
そもそも何の側だ?
いや、そんなことどうだって良い。
未だ事件の詳細を聞けずにいたが、それ以上に自分の聞こえる、このノイズの正体を、いま目の前の人物が教えてくれるかも知れないということに胸が高鳴っていた。
「それはここじゃ話せないから場所を移動しよう。もう今日は仕事も終わりだしね。ついてきて」
立ち上がった柏木の後をぴったりとついて、祥真は部屋を出た。
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