ビルの屋上は銀河

つくも せんぺい

ドア舟での夜釣り

 星空……ううん、もっと深くて暗い星の海に向けて、僕はキミと今日も糸を垂らしている。

 空より暗い宇宙の黒に、今夜もキミが外した屋上のドアを浮かべて、ぷかぷか銀河の夜釣り。

 ドアの向こう側にも、屋上から下にも、宇宙は溢れていかずに留まっていた。

 不思議だけど、僕がここで分かっていることは二つだけ。


 一人でここに来たらダメ。

 正座かあぐらじゃないとダメ。


 キミが貸してくれた釣り竿は、糸の中を光が走っているように動いていて、なんだか持ち手は温かい。

 初めて見た時、水族館でこんなクラゲを見たことがあると僕が言うと、人間からすれば一緒だろうねと、笑った顔がなんだか寂しそうだったことを覚えている。


「毎晩言ってる気がするんだけど、足がしびれてきたよ」

「なら立って。足を伸ばして下に出したら吸い込まれるわ」

「ドアが硬いから……。キミの船はふかふかだったの?」

「ふかふかってよく分からない。てふんてふんしていたわ」


 ……てふん?

 僕が首をかしげていると、キミも首をかしげる。


 言葉が通じるのは、この星で初めて出会ったのが僕だったから。

 姿が人間に近いのもそう。ネコかキツネかの耳付きパーカーのフードをいつも目深に被る姿、絵の具でベタ塗りしたような白い肌、左右違う瞳の色。

 うん、僕が好きなネットアイドルのスキンそのものだ。


「てふん……アナタの星では、水のベッド? こんにゃく? みたいなもの」

「こんにゃくかぁ、鉄のドアよりは座り心地が良いかも知れないね」


 浮かぶドア舟は、ただの屋上入り口の鉄扉で、とっても硬い。痺れをほぐすために立っても、バランスが崩れることがないことだけが良いところだ。

 どうでも良いような話をしながら、二人で夜釣りに勤しむ目的は、キミの乗ってきた宇宙船だった。


 あの夜キミが説明してくれたことは、何度考えても意味が分からない。

 キミの船は、切り出した銀河ごと宇宙を走っていて、それがたまたまあの日、僕が居た屋上にぶつかって、キミは船から投げ出された。

 船はそのぶつかって屋上に溢れた銀河の中にあって、見つけて釣り上げないといけない。


 屋上から溢れず収まっているのに広い?

 釣り竿で宇宙船を釣るの?


 疑問符ばかりが浮かぶけど、つまらないと思っていた毎日にドキドキが生まれたのはキミのおかげだった。


「宇宙船、もうすぐ見つかるかな?」

「わからない。けど、あなたとの会話の翻訳や、見た目の友好化は出来ているから、すぐ近くにあるはずなの」

「そっか。見つかると良いね」


 この言葉は、本心だ。


「すぐ、行ってしまうの?」


 そしてこの言葉も。


 たくさん高いビルはあったのに、キミはなぜか八階しかないこのビルにやってきた。

 理由を教えてくれたのは、次の日の夜。

 決まり事が生まれた日だ。


 僕が屋上に来ると、扉の前にキミはいなくて、一人で屋上に入って、僕は銀河に落ちた。

 たまたますぐにキミが戻ってきて、そのことに気づいて飛び込んで僕を見つけてくれた。

 そのまま僕を抱きしめて、飛び込む時に投げた釣り糸の光を辿って戻ったんだ。


 空気がないとか、真空だと人は膨らむとか、宇宙には色々あるけれど、ただ光が遠くて暗く、寒かった。

 一人でここに入ったらダメ。

 キミはホッとした後、怒った。


 ──落ちることが怖いのは、もう分かったでしょう?


 そして、僕の目をジッと見つめてそう言ったんだ。

 その目を見て、その声を聞いて、僕はキミがただこのビルの屋上に落ちたんじゃなくて、来てくれたんだとハッキリ分かった。


「あ、アナタの竿引いてる」

「ホントだ、見つけたのかな?」

「そのために投げてたから、きっとそう」

「そっか、なら釣り上げたら行っちゃうんだね」


 一緒に来る?

 そう聞いてくれたキミに、僕は首を横に振った。

 もう大丈夫だよ、そう伝える。


「キミも、飛び立ったら一人なの?」

「厳密には違うわ」


 またよく分からない返事。でも、寂しくないなら良いのかなと思う。


「この星は、とっても賑やかよ。アナタが海のクラゲに似てるって前に言ったけど、この星の外は海と違ってとっても静か」


 ジッと銀河を見つめるキミは、拗ねたように僕を見る。


「だから、せっかく会えたアナタが、全然寂しくない星で、寂しそうにしているのは嫌。もう、落ちないでね」

「……うん、分かったよ」


 それから引き上げた宇宙船は、嘘みたいに軽くて、こんにゃくみたいに弾力があった。

 てふんてふんだ! そう驚くと、キミは嬉しそうに笑ってくれた。



 次の日の夜。

 あの屋上の扉を開けても、星の海はなく、キミももう居なかった。

 出会ったあの日、ふわふわとしていた僕の足元には、屋上のコンクリートの硬い感触がしっかりと伝わってくる。


 空を見上げても、明るくてあまり星は見えなかった。そのどこかに居るはずのキミを探す。

 しばらく夜空を眺めて、僕は地面を踏み締めて階段で降りることにした。


 もう、ここに来ることはないだろう。

 会いたくなったら、宇宙に行けば良いのだから。


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ビルの屋上は銀河 つくも せんぺい @tukumo-senpei

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