第17話 恐ろしい婚約者



 ナイジェル=ナドヴォルニクは、毎日、憂鬱で仕方がなかった。



 ナイジェルはこのナドヴォルニク王国の第一王子として生まれた。


 美しさの代名詞ともいわれる金髪に青い瞳に、眉目秀麗と評価される端正な容姿。

 蝶よ花よと育てられ、血筋からくる優秀さもあり、順風満帆に育っていったが、しかしそれは八歳までのことだった。


 キャンベル家の長女キャロラインが、ナイジェルの婚約者となったのである。



「ふん、お前が僕の婚約者か。公爵令嬢ごときが調子に乗るなよ。僕の方が強いんだからな! ぶす!」



 青くなる国王夫妻、青筋を立てる公爵夫人、青ざめるキャロラインの妹カリナ。

 初対面で居丈高にそう述べたナイジェルは、誰の目から見ても、まさにクソガキであった。


 一応、ナイジェルがこういう態度をとったことにも理由がある。

 今まで、何もかも「ナイジェル様が一番です」と言われてきたというのに、このキャロラインの噂が王宮に広まり始めると、その誉め言葉がついぞ言われることはなくなった。

 何をするにつけ、「キャンベル公爵令嬢が」「キャロライン様はいとも簡単に」という話が出てくるので、幼いナイジェルは完全に拗ねていたのだ。


 しかも、噂に名高いその女が、よりにもよって婚約者になるのだという。


 ナイジェルは、最初が肝心だと言わんばかりに、甘やかされた坊ちゃん特有の、考え無しな行動に出たのである。



 そしてそれが、不幸の始まりであった。



「つまり、容赦しなくていいということですわね」



 その場で天使のように微笑んだキャロライン。

 彼女はそれからというもの、ナイジェルにとっての目の上のたんこぶから、悪魔へと変貌した。



****


「ほら、まだヒョロヒョロですわよ、王子様」


 スパルタトレーナーに豹変したキャロラインは、ナイジェルに筋トレを要求した。

 豊かな食生活は健康志向のものに一変し、毎日四時間程度だった勉強の時間も六時間に変更となった。


 ナイジェルはキャロラインの婚約者として、彼女の好みである、ムキムキの筋肉をまとった頭のいい男になるよう、育成されようとしているのだ。


 ヘトヘトになるまで王城の中庭を周回し、へたり込んだナイジェルに、金色の鬼は言った。


「全然、筋肉がつきませんわねぇ」

「ふっざけるな、なんだそのガッカリした顔は! お、王族は細身が多いんだ! お前が好きな騎士団長みたいになんかなれるもんか!」

「あら、王子様。諦めるんですの?」

「待て! 待った早まるなその手を下ろせ!!!!」


 つまらなさそうに右手を上げるキャロラインに、ナイジェルは青ざめる。



 ナイジェルは当初、当然ながら、こんな生活をするつもりはなかった。

 なので、キャロラインの言うことを無視していた。

 するとある日、こう、ずばーーーーーん!!と、髪の毛を吹き飛ばされたのだ。


「わぁあああーーーーっ!!? か、髪! 俺の髪が!!!!」


 つるりと輝く、毛根すらない頭頂部。

 パニックになるナイジェルが、三分ほど叫び散らし、キャロラインにくってかかったところで、髪の毛は戻ってきた。


「えっ……え?」

「王子様」


 ビクッと体を震わせて、ナイジェルが声のした方を見ると、そこには氷のような絶対零度の表情を浮かべた人形のような婚約者が佇んでいた。


「今の……皆様の目の前で起きたら、大変ですわね?」


 その日から、ナイジェルはキャロラインの奴隷であった。


 目に見えて反抗すると、髪を消し飛ばされ、服を消し飛ばされる。

 ナイジェルは諦めが悪いので、なんだかんだキャロラインに抵抗してしまい、誰にも見えない透明人間にされたこともある。


 しかも、王城には防御魔法が張ってあり、許可のない魔法は使用できないはずなのに、誰もキャロラインの仕業に気が付かないのだ。


(この女は、俺の手に余る……!)


 万能感の塊であったナイジェルは、初めて己の無力さを感じ、親兄弟に助けを求めた。


「父上母上、一生のお願いです! キャロラインとの婚約を解消してください!」

「それはだめだな」

「それはだめね」

「何故です!?」

「あなたの評判がよくなったからよ」


 ナイジェルは頭を殴られたような衝撃を覚えた。

 僕の評判がなんだと?


「兄さん、居丈高でうざかったもんね」


 弟ネイサンの言葉は、情け容赦なくナイジェルを抉った。


 ナイジェルは泣いた。

 その自尊心は、粉々に砕け散った。

 そして、虎視眈々と、機会を狙った。


 キャロラインとの婚約から逃げるそのときを、ずっと待っていた。


 そして、その機会がやってきたのだ。


 借金だらけの辺境伯。


 数ヶ月単位で国を離れる国王夫妻に、キャンベル公爵夫妻。


 そして、ナイジェルの状況を理解してくれる、


 これを得たナイジェルは、後先考えずに、計画を実行した。


 こうして、ナイジェルは自由を手に入れた。




 ――――――はずだった。


「あら、おかえりなさいませ、王子様」

「なんっでお前は毎日毎日ここに居るんだよ!!!!!」


 半泣きで叫ぶナイジェル。

 王城の自室に帰ってきた彼を、ソファでくつろぎながら出迎えたのは、キャロライン=ゴールウェイ辺境伯夫人。

 ナイジェルが王都から追い出したはずの元婚約者である。


「おま、おま、お前はゴールウェイ辺境伯に行ったはずだろうが!!!」

「だから言っているじゃありませんの。毎日運動がてら、ここまでランニングをしているのです」

「もうお前が何を言っているのか、僕には分っかんないんだよもう!!!!!」


 ナイジェルは地団駄を踏みながら、目の前の現実を拒絶する。

 ナイジェルがキャロラインを王都から追い出してからというもの、キャロラインは毎日毎日、ナイジェルの自室に現れては、十五分ほどナイジェルに絡んで去っていくのだ。


「まあ、王城の中庭程度で息を切らしているヘタレ王子様には長い距離に思えるかもしれませんわねぇ」

「ここからお前の家まで馬車で二ヶ月の距離だろうが距離感ぶっ壊れだぞ!!!?」

「ところで、明日うちに向けて出発ですよね? お土産は王都饅頭がいいです」

「今そこに置いてあるのを持って帰れよ僕が持って行ったら腐るわ!!!」

「あら、ありがとうございます。きっとギルが喜ぶわ」

「……!」


 ニコニコ笑いながら、机の上の王都饅頭を手にするキャロラインに、ナイジェルは歯噛みする。


 この女、見た目だけは可愛いのだ。

 正直、実は、こっそり、好みだったのだ。

 しかも、ちょっとナイジェルが物をやるだけで、本当に嬉しそうに笑う。それがまた可愛い。

 でも、なんだか悔しいので、ナイジェルは一度もキャロラインの容姿を褒めたことはなかった。


 というか、ギルとは誰のことだ。


「ギルって誰だよ。お前、ゴードンとはどうなっているんだ」

「ギルは新しくできた甥っ子ですわ。旦那様とは毎日とっても仲良くしていますわよ?」


 キャロラインの華やぐような笑みに、ナイジェルはムカムカと苛立ちを募らせる。

 仲良くやっているのか。

 ナイジェルには、変な訓練しかさせなかったくせに。

 細い体だとがっかりし、色んなものを吹き飛ばす嫌がらせをしたくせに!


「ふ、ふん。お前みたいな可愛くない女は、どうせすぐ捨てられるに決まってるさ」

 

 髪を吹き飛ばされた。


「おま、おまおまおま、だからそういうところだぞ!!!」

「うちの旦那様達に、迷惑だけはかけないでくださいませ」


 淡い水色の氷の視線に、ナイジェルは「ひっ」と声を上げる。


 固まるナイジェルに近づいたキャロラインは、その頬をつう、と撫でた。


「ぷよぷよになってますわよ」

「うるさい帰れーーーー!!!」


 くすくす笑いながら窓から姿を消した悪魔に、ナイジェルは机に突っ伏した。

 腕に髪の感触がない。

 しかしナイジェルは、(ああ、時間差で戻る系か……)と、訓練された落ち着きぶりを見せる。


 ナイジェルは正直、本当に、筋トレが嫌いだった。

 勉強が嫌いだった。

 甘いものが大好きだった。

 評判など知らん。ぷよぷよ上等。これでいいのだ。


「兄さーん」

「はぁあああおま、お前、勝手に入ってくるなよ!!」

「キャロライン姉さんの人払い魔法が張ってあったから、いるのかと思って」

「お前も払いのけられろ!」

「やだなぁハゲ兄さん。僕とキャロライン姉さんの仲だよ?」

「この世から消え去れ腹黒野郎!!!!」

「残念だね、消え去ったのは傲慢兄さんの毛根さ」


 兄が立ち上がってソファにあるクッションを投げつけると、弟は華麗にそれを避ける。


 キャロラインは、何故かナイジェルに嫌がらせをする際、その場に人払い魔法をかけ、人にバレないように配慮する。

 配慮すべきはそこではないのだが、ないよりマシである。

 そして、ナイジェルの弟であるネイサン第二王子は、キャロラインの配慮により、人払い魔法の対象外とされている。

 配慮すべきはそこではない。

 だがもう、何も言う気力がない。


「髪の色なんて、本当、瑣末なことだよね。この世には全てを根っこから失った人もいるのにさ」

「お前さ、僕の頭を見ながらそれを口に出すのに、心に躊躇いとか生まれないの」

「それ、本当に時間差なの?」


 戻るのかな?

 目線で言われたことに、ナイジェルは青ざめる。


 もう一つクッションを投げると、弟はそれを華麗に受け止めた。


「せいぜい、うまく振られてきなよ」

「うるさい!」


 弟は部屋を去り、兄は苛立ちをぶつけるべく、別のクッションを壁に当てて殴る。


 婚約者キャロライン=キャンベルを、国王夫妻及びキャンベル公爵夫妻不在の間に無理やりゴールウェイ辺境伯に嫁がせた鬼畜王子ナイジェル=ナドヴォルニク。


 彼は、先週帰国した国王以下四名に、キャロラインを離婚させてでも連れ戻せと、怒髪天で命じられているのである。


「キャロルのあの様子だと白い結婚じゃなさそうだし、まあ大丈夫だろう」


 未だ白い結婚なら、国王以下四人の強権力で、即日婚姻無効によりキャロラインが婚約者に戻ってくる可能性がある。

 しかし、どうやらあの脳みそまで筋肉な辺境伯は、キャロラインの好みだったようだ。

 協力者のリサーチ力に唸りながら、ナイジェルは髪のない頭をうんうんと縦に振る。


 程よく振られて、程よく罰を受けるのならば、なんの問題ない。

 王子として、スパルタな日々を送るより、子爵辺りに身を落として快適に過ごしたい。


 まさかキャロラインが未だ純潔を保っていると知らないナイジェルは、なんだかんだウキウキしながら、ゴールウェイ辺境伯領への旅の準備をするのだった。




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婚約破棄後に無粋な辺境伯に嫁がされた不遇令嬢ですが、筋肉好きの元魔王なので恋活に励みます 黒猫かりん@「訳あり伯爵様」コミカライズ @kuroneko-rinrin

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