ロマネスクを愛して

夜 魚署

第1話

 彼女とは入学式に向かう途中で出逢った。同じ新学生やその家族でごった返すプラットホームの中で、その制服はやけに目立って見えた。

 目線を上げると、丁度向こうも僕に気付いたようで、まるで数秒前の僕を真似るみたいにゆっくりと眼球を動かす。必然に視線がすれ違って、その先には互いの笑顔が在った。

 隔たりと好奇が混ざった奇妙な笑みだった。

 僕らの関係について母親が不可解に問うたのを、背中越しに聞いた。


「お友達?」

「……うん」


 振り返りもせずにただ喉を鳴らした。たぶん、そこに逡巡しゅんじゅんなどという過程は介在しなかった。

 思えば、15歳で初めての嘘だった。

 僕らは再び見合った。視線が、思慮しりょが、僕らの間で交錯する。

 知性に溢れた、人の眼だった。

 

「あぇ、そっちも稲野辺高校イノコ―なん? 知らんかったー」

「あ、言ってなかった、っけ」

「うん。初耳よ」

「……」

 

 どうやら彼女は相当機転の利く人間であるらしい。僕はというと、挙動不審を全身で演じるような残念極まりない人間だった。

 そのとき、僕は(良く言うと)内向的な性質に我ながら困惑さえしていた。

 今はまだ、僅かな沈黙。しかし、それは時間と共に肥大してゆく。

 取返しのつかないサイズまで成長してしまわぬうちに何とかしようと、言葉を紡ごうとした。内容なんてのは二の次で、第一、僕らがふるい知り合いであるのなら会話に意味なんて求められやしないだろう。そう勇んで、口を開いたときだった。

 

 伸びた前髪の内側から、僕は青く澄んだ虹彩を見る。

 

虹彩異色症オッドアイ――」

「生まれつきなんだ。どう、かっこいっしょ」

「……うん」


 本心だった。僕の拙い語彙では海や深淵といった味気無い比喩になってしまうけれど、その左目は本当に美しく、どこか妖艶でさえあった。

 それと同時に彼女自身はどう向き合っているのか、ふと疑問に思った。

 妖しい光の奥底で、何か痛々しい記憶をとざしているような、言語化に難い印象を覚えたからだった。

 勝手に人の過去を推すのは酷く不躾な行為だ。しかし、さしあたってはその美しさがいかに儚げなものか、その片鱗だけでも伝わるだろうか。


「ね、貴方達。もしかしなくても時間、大変なんじゃないの?」

「「あ」」


 駅から学校まで、徒歩なら15分は要すはずだった。開式まで半刻を切る。諸々の準備なんかを鑑みれば確実に緊迫した状況だ。

 とはいえ、ここから彼女と共に向かうのはなんだか気が引ける。なんて考えは全くの杞憂のようで、やばい、終わったなぞと喚きながら、彼女は一人駆けていってしまう。

 彼女の背中を人混みが一瞬隠して、次にはもう、消えていた。

 最後まで彼女は殆ど旧知のように言葉を交わした。溌剌とした印象の声だった。当事者の僕だけが、咄嗟に話を合わせてくれた彼女の孤独な動揺を汲んでいた。

 今更ながらも、心臓は大きく脈打っていた。あるいは、そんなことにも気が付かないほどに、自分は何かに没頭していたのだろうか。

 擽ったくて、不快でさえあり、しかし忘れ難い。

 この感情の名前を、僕は知らない。

 可愛らしい子ね、と話す母の能天気が、今だけは羨ましかった。

 

 

 


 

 

 

 

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ロマネスクを愛して 夜 魚署 @yorushi_ra

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