④
◆◆◆
目の前で繰り広げられる母と娘のバトルは、加熱する一方だった。
「いい加減になさい! いつまでこんなことばかりしてるつもりなの!
「そんなに言うなら年上のおじさんと無理矢理結婚させようなんて話を取り下げろって言ってるでしょうが!!」
既に両者共に冷静さは失われているようである。
いやー、最初はもっとおとなしい争いだったんだけどなぁ。
オレも最初は席を外そうとしたわけですよ。ココは親子水入らず(と言っていいかは知らんが)でしっかり話してもらうため、余計な野郎はいない方がいいんじゃないかなーと。ほら、女同士の方が話せる話もあると思うじゃん?
そしたらさー。
「ちょっと晴兎は私の味方なんだからココに居てよ」
「あなたも関係ある話をするのにどこへ行こうというのですか」
親子揃って引き留めてきたわけだよ。
じゃあ仕方ない、いざとなれば助け舟を出すつもりで待機してるかって判断したわけさ。
――したら、ものの十分も経たずにコレですよ。
かんっぜんにオレなんか眼中ない勢いで飛び交う飛び交う言い合いが! 女同士の親子ゲンカを間近で見るのは初めてかもしらんが、世間ではコレが一般的なんだろうか。もうなんつーかすっげえのよコレが。
落ち着きそうな気配が微塵も感じられん。
「そもそもお母さんはどうしてココに居るわけ!? まさかお付きの人を使って調べさせたわけじゃないでしょうね? ううん、調べただけじゃなくて尾行させてないと無理だわ」
「家出した娘がどこにいるか気にならない親がいるはずないでしょう」
「やっぱり尾行させたんじゃない! 一体いつから……ま、まさか私の行動を逐一記録して映像で確認してたりしないでしょうね?」
「していません。する必要もないですし……まあ、緊急事態であれば助けるようには伝えてありましたが」
「緊急事態って何よ」
「世間知らずのあなたが犯罪に巻き込まれそうになった時です。いいですか真里那? あなたが思う以上に、都会には弱者を食い物にする不埒な輩であふれていて――」
「カビの生えそうな古臭くて傲慢な本家のバカみたいな話を実行に移すのも似たようなもんじゃないかしらね」
「カッ!?」
おおー……真里那の本家罵倒に叔母さんの顔が引きつってる引きつってる。
麻衣子さんの立場じゃそうもなるわな。
「由緒正しいと言いなさい。お爺様が今の言葉を聞いたらお怒りになるどころでは済みませんよ」
「ふん! この場にいない人に届くわけないんだからどうでもいいわよ! 勝手に怒ればいいじゃない、その勢いで私から興味を失ってくれればなお良いわね!」
「真里那ちゃん……? あなた、それがどういう意味かわかってるの?」
麻衣子叔母さんの娘に対する呼び方が変わった。
この流れは知ってるぞ。叔母さんが真里那をああやって呼ぶときっていうのは、お怒りモード突入の前兆だ。
「わかってるわよ。だからお母さんはさっさと九州に帰って、あの傲慢オヤジに伝えてきて。とりあえず無理矢理な結婚の話が消えない限り、戻る気はないってね」
「…………ふ、ふふ」
あ、着火されたわこりゃ。
「ロクに生きていく術も持たない子供が、生意気なことを言うんじゃありません!!」
テーブルの上に乗っていたお茶碗をぶっとばしそうな勢いで、麻衣子さんが一喝した。子供時代に何度も怒られた時の記憶が蘇って、思わずビビッてしまうオレ。
だが、真里那には一切怯んだ様子はない。
「私はもう子供じゃないわよこの分からず屋!!」
「いいえ子供です!! 自分の軽はずみな行動がどれだけ周りに影響を与えるかが分かっていない。分からず屋は真里菜ちゃんの方です!!」
「な、なんですって!!?」
「大体なんですか! 幾ら強引な結婚話が持ち上がったからといっていきなり家出!? 行動が突飛すぎるでしょう!! そんなに嫌なら『嫌だ』と訴える方が先ではないですか!? お母さんやお父さん、それに美希も……真里菜ちゃんが消えてどれだけ心配したと思ってるんです!!」
「そうさせたのはお母さんの方でしょうが!! 大体訴える方が先って何!? 今まで私が訴えてこなかったとでも言うの?! そんなの嘘よ! 何度も何度も、結婚話よりずっと前から私は「嫌だ」って言ってきたのに……我慢しなさい、頑張ってって……いつもいつも繰り返してきてッ。もううんざりなのよ!!」
「……汐凪家に生まれたからにはそうするのが当然です」
「そんな当然なんて、早く捨てちゃえ!!」
「捨てちゃえとはなんですか!!」
「捨てちゃえは捨てちゃえよ。この際、本家の時代錯誤甚だしいバカな部分は全部くるくるまとめてポイしちゃえばいいの。そうすれば皆我慢しなくて済むでしょ!!」
「そんな気軽に捨てられるなら苦労はしません! 何がくるくるまとめてポイですか、子供じみてますッ。そんなんじゃどこかの誰かさんのようにあなたがポイされて終いになりますよ!」
いやー、誰だろうな。
そのどこかの誰かさんっていうのは。
とりあえずアレだ。いい加減、ヒートアップしすぎなのでもう少し冷静になってもらうとしよう。そう思って、オレは耳を塞いでいた手を外して事前に作っていた冷たいお茶を湯呑に注いだ。
「まあまあ、オレが言うのもなんだけどさ。二人共少しは落ち着いたら? ほら、喉も渇いたろうから冷たいお茶でも飲んで――――」
「晴兎くんは口を挟まないでください! コレは親子の話です!!」
「ちょっと晴兎に八つ当たりしないでよみっともない!!」
めっちゃ文句を垂れているが、両者はタイミングを計ったかのように湯呑を受け取り、冷たいお茶を一気に煽って飲み干した。
「「おかわり!!」」
「はいはい、只今」
こんなんで息ピッタリじゃなくてもいいだろうに。
合わせるべきところは他にいっぱいあるのになー、というのが外野の意見である。
「晴兎くん? さっきから何を関係ない人みたいにしているのですか? 言ってしまえば、今こんなことになってるのはあなたが原因ですよ」
きたきたぁ! 遂に矛先がコッチに!!
「いや、口を挟むなと言われたんで」
「そんなものはどうでもよろしい!」
理不尽すぎねえ!?
「この際、ハッキリさせましょう。晴兎くんは何をどうしてそこまで真里那ちゃんの味方をするのですか! この子がそんなに好きですか!? 愛しているのですか!?」
「ちょっ、お母さん!? 今はそういう話をしてるんじゃ――」
「大事なことです!!!」
バンバン! とテーブルを叩きまくる麻衣子さん。
オレの脳裏には以前経験した酔っ払って絡み酒してくるめんどくさい人が浮かんでいた。おかしい、麻衣子さんはお茶しか飲んでないはずなんだが。
「…………じー」
さらに、なんでオレは真里那から期待の眼差しを向けられているのか。
そんなキラキラした瞳で見られたら変に緊張してしまうだろうが! ここはお見合い会場でもご両親に挨拶する場でもないんだぞおい!
……だんまりは悪い方向にしか捉えられないだろうから、言うしかないか。
「好きですよ。じゃなきゃ匿ったりしませんって」
この気持ちが単純な恋愛感情とは思わない。もっと複雑で、色んな気持ちが混ざり合っているのだから。
だが、好きか嫌いかで問われたのなら答えは一択だ。
「晴兎……」
「……そうですかそうですか。どうやら思ったよりも意志は固いようですね」
「そうっすね」
「分かりました。残念ですね、こちらも本腰を入れて真里那ちゃんを引き戻さないといけないようです」
「お母さん!?」
うわぁ……少しはこっちの気持ちを理解してもらえたかなって雰囲気だったはずなのにコレだよ。汐凪家のくそじじばばに比べればマシなのに、麻衣子さんも相当拗らせてんな。
「先に言っておくけど、晴兎に変なことしたら許さないから」
「それはあなたたち次第でしょう。大人しく実家に戻ればその必要はないんですから」
麻衣子さんが溜息をひとつ吐いて、立ち上がる。
「今日はもう止しましょう、頭が痛くてたまりません。このまま怒鳴り合っていたら倒れてしまいそうです」
「そりゃ大変だ。お大事にしてくださいね」
オレの皮肉な発言にムカついたのだろう。
ギロリと睨まれた。
「……はぁ、真里那ちゃん? こんな家から逃げ出して都会でちゃらちゃらしてそうな悪い男と一緒にいたらロクなことがありませんよ。口は悪くなるし恥知らずになるし、お金にも困って社会から弾かれます。堕落し続ける一方です」
淡々とディスられまくるオレ。かわいそう。
「悪い事は言わないから、こんなダメ男との関わりはスッパリ断って、もっといい相手を見つけるのが吉です。あなたの人生とはいえ、棒に振ることはないでしょう。本当に、よりにもよってなんで晴兎くんと……」
ねちねちと続くディスリ。
まだ終わんないのかー話がなげえよーと、オレは右から左に聞き流していたのだが。横にいる従妹様にそんな芸当は無理なようで。
ぷっちーん、と。
何かがキレたような幻聴が聴こえた。
「えーと……真里那、さん?」
振り返るとそこには、怒り狂う
◆◆◆
「いい加減にして、このクソババア!!」
怒りが暴風となり部屋の中を荒れ狂わせる真里那(※イメージ映像)。
背後には真っ赤なオーラが立ち昇っており、綺麗な髪が天を衝く勢いで逆立ってゆく(※イメージ映像です)。
「く、くそ……?」
おそらく今までの人生で一度も娘から言われたことがないヒドイ呼び方に、ねちねち麻衣子さんもポカーン顔である。
「真里那ちゃん、そんな口汚い言葉を親に向かって――」
「親でもなんでもクソババアにクソババアと言って何が悪いの!! それとももっと言って欲しい!?」
「あ、ああ…………あなたのせいですよ晴兎くん! あ、あの品行方正な真里那が、いつの間にこんなッッ」
「なんでもかんでも晴兎のせいにしないで! 私の言葉遣いが汚くなった原因があるとしたら、それは汐凪家のせいよ!!」
「ま、真里那。その辺で一旦すとっ――」
「コレが止められるわけあるかーーーーーーー!! というか晴兎は私の味方でしょうが! なんで止めようとするのよココは私に加勢してがなり立てるトコじゃないの!? そうでしょう!!」
「いやまあ、そういう見方もあるかもしらんが」
この状態で加勢とか、いる?
麻衣子おばさんが完全にたじろいじゃってるんだが?
「お母さん! ううん、もう知らないどっかの叔母さんでいい!」
「どっかの知らないって……あなた、何を」
「もう我慢なんて無理よ! 少しは私の気持ちが届いてたのかと思えば、とにかく人はなじるわ貶すわばっかり! そこの封筒に入ってるのはお金でしょ? どうせ私が来る前に晴兎に『手切れ金』とか言って手を引かせようとしたんでしょうけどッ」
すげえ。
あの時その場にいなかったのに、真里那は見事に起きた出来事を的中させてるわ。
「お生憎様ね。晴兎はそんなのでなびかないわよ!」
「そうだそうだ、お金で人を釣れると思うな――」
「もっととんでもない大金だったら、わからないけどッ」
「そこはどんな額でも無駄だって言ってくれんか?」
オレの立つ瀬がないだろ。
「とにかく、ハッキリしたわ! 私の味方は晴兎だけ、私の話をちゃんと聞いて、気持ちを汲んでくれるのも晴兎だけ!!」
「そ、そんなことないわ真里那ちゃん。お母さんはあなたを想って」
「じゃあ今すぐ本家の連中に結婚話は無しにしろって言ってきてよ! 無理でしょう? お母さんにはそんなこと!!」
「それは…………」
「ふん、いいのよ別に。どうせ知らない叔母さんだものね? だったらせめてこう言ってきて」
真里那が大きく息を吸う。
その一瞬だけ、目が合い、視線と彼女の唇が何かを伝えるために動く。
『先に謝っとく、利用してごめん』
何やらどでかい一撃をかまそうとしている様子に、オレは一度だけ頷いた。
もういっそここまで来たら行くとこまで行けと、伝えるために。
『ありがと』
その結果、繰り出されたトドメはこんな感じだ。
「私のすべて、大事な物も初めても、ぜーーーーーんぶ晴兎にあげちゃったから! 政略結婚の身綺麗な駒にはなれませんご愁傷さまでした!! 今後は彼と一緒に駆け落ちする第二の人生を歩むつもりだからそのつもりで!!!」
ドーーーンと、麻衣子さんには強烈な衝撃が走ったに違いない。
ちなみに。
オレにも走った。
身に覚えは……あったり、なかったり。
「……ひょ?」
とんでもなく大きなショックを受けた際、人は大変シンプルな反応をする時もあるらしい。怒りまくっていた麻衣子さんの表情から激しさが消え、すっとんきょうな声だけが漏れる。
その状態でオレの方をちらりと見られたのだが、正直言ってどうしたらいいのか正解はオレにも分からん。なので適当に返すことにした。
「まあ、そういう事らしいんで」
次の瞬間。
麻衣子さんがフラフラとよろめき、バターンと倒れてしまった。
言葉だけで親殺しを達成するとは、真里那恐るべし――――。
◆◆◆
翌朝。
汐凪麻衣子は、普段より少し遅く目を覚ました。
「ふぅ…………んっ」
その動作は重くゆっくりしている。
昨晩勃発した言い争いのショックが後を引きずっているから。時計を確認した彼女は軟弱な自分を反省しながらも、すぐに身支度を整えて部屋を出た。
向かった先は、晴兎達の部屋だ。
しずしずと旅館の廊下を歩く麻衣子の足取りは決して軽いものではないが、一分でも早く事態の解決を図りたいには違いない。
見張りにつけておいた部下に挨拶と状況の確認をすると。
「お二人共、昨日から中に閉じこもったままでした」
そう報告された。
麻衣子からすれば、意地っ張りと化した娘の予想通りの行動だ。
我儘に付き合うハメにはなるが、変な行動されるよりはずっといい。
母としての顔を作りながら、麻衣子は玄関ドアをコンコンとノックする。
「真里那さん、晴兎さん。おはようございます」
返事はない。
麻衣子は再びノックしながら、声をかけた。
「まずは顔を見せてください。お話は後でも結構ですから、朝食に行きましょう」
少し待ったが、やはり返事は無かった。
さすがに無視され続ければ次の行動に出ないわけにもいかず、麻衣子は部屋の中へ入ろうとドアノブを回す――が、鍵がかかってて入れない。
こんなのは時間稼ぎにもならない。
部下にお願いして、フロントから鍵を取ってきてもらい、強引に室内へと踏みこむ。
すると、部屋の奥から熱気と湿度をたっぷり含んだむわっとした空気が流れてきた。冷房で適温が保たれていたのであればそうはならないし、吹き込んでくるそよ風も感じるはずがない。
「…………なんてことッ」
母親の怒りと困惑を滲ませた声が、もぬけの空になった室内に空しく響く。
晴兎と真里那の姿はどこにもない。
残っていたのは開け放たれた三階の窓と、繋ぎ合わされたシーツやカーテンで出来た脱出用ロープだけだった。
◆◆◆
オレと真里那は箱根湯本駅へ続く道を、駆け足で移動していた。
「……今更だけど、少しやりすぎちゃったかしら?」
「大丈夫だろ。倒れた麻衣子さんは外で待機してたお付きの人に任せたし」
昨夜ばたんきゅー状態になった麻衣子さんは待機してた黒服さん達に渡したのだが、「あんたらも大変だね」と挨拶したら、驚いてたなぁ。あの顔はオレも見覚えがあるから昔から仕えてる人なんだろうけど、さぞ心労は多かろう。
「ふふふっ」
「どしたいきなり笑いだして」
「遂に言ってやったなーって思ってね。同じくらい、ああ言っちゃったなーとも思うけど」
「やってみてどうだ?」
「んんー、とりあえず多少はスッキリしたわ」
言葉通りの表情をしている従妹様に対して、悪巧みが成功したヴィランのようにニヤリと笑ってみせる。
もちろん決して正しい行ないではないだろう。昨夜の騒動だけを切り取ってみれば、聞き分けの無い娘が親に対して辛辣な言葉を吐いた挙句ショックで倒れさせたとも取れるだろう。
けど、そんなよろしくない行動が彼女には必要だったのだ。
「まったく人をダシにして、とんでもない発言しやがって。嘘も方便とはいえ、誤解を解くのは簡単じゃないぞ?」
「あら、いつかの従兄様が言ったのよ? お母さんと話す時はオレをダシにしていいから上手く収めろよってね」
「そりゃ言ったけどさぁ……アレで上手く収めたというのかね」
「ちゃんと収めるのは先の話でしょうね。あること無いことぶちまけちゃったから」
「……先が思いやられるな」
「それなら――」
一足先に走っていった真里那がクルッとターンをキメる。
「いっそ全部あったことにしちゃうのはどう? 悩みが片方に絞れて楽になるかもしれないわ」
「そりゃあなんとも魅力的なお話で」
ゆっくり立ち止まりながら、携帯の時計を確認する。
オレ達がどこかへ行かないように見張っていた連中を巻くため、宿の窓からシーツやらカーテンやらを繋げたロープで逃走してからココまでかかった時間。それから目的の電車が発車するまでの時間を比べてみれば、ドンピシャで間に合うぐらいになるだろうか。
「ちょっと、少しは真面目に考えなさいよ」
「失礼な、考えてるっつーの」
「ふふっ、じゃあ答えはすぐに聞けるのかしら」
「とりあえず真里那が、どうやって大事な物や初めてを全部くれるんだろうかってドキドキしてる」
「すけべ」
「おんやー? オレはただお前が口にした言葉を繰り返しただけだぞー? 誰もすけべな発想だなんて言ってないのに、そういう風に考えてしまう方がすけべなんじゃないかー?」
「うわぁ……最低な返しね」
「今夜は寝かさないぜ☆ の方がイイか?」
「最低レベルが二乗にしたわ」
「そりゃよかった。マイナスにマイナスを賭けたらプラスになる」
大した意味もないトークが楽しく感じる。
こんな時間はそう簡単に味わえるもんじゃないのだが、真里那が相手であればこの先幾らでも楽しめるのではないか。
そんな期待をしてしまうぐらいには、オレは今の状況を悲観していないようだ。
「ねえ晴兎」
「ん?」
チャージしたICカードで液の改札口を抜けるのではなく、あえて切符を購入する。今日という日の始まりに関するスタート記念として。
「プランはあるから任せておけって話だけど、これからどうするの? 一旦家に戻る感じ?」
「んー、簡単な準備くらいはしておきたいとこだが……あえて無視しよう。麻衣子さんだってオレらが居なくなったと分かれば、真っ先に家に戻ったと考えるだろうし」
電車で移動している間に、向こうが何らかの手段で先回りなんてのは面倒だ。
しっかり追跡なんてされたら目も当てられない。
「それなら、どこへ――――」
「北」
「北? なんで北?」
「そりゃあお前アレだよ」
何故かと問われれば、定番でありお約束だからに決まっている。
「駆け落ちするんだろ? オレと一緒にさ」
「ッ」
珍しく素直な照れ顔が拝めて、嬉しい限りだ。
これから無茶をやる甲斐があるという者じゃないか。
「ほ、本気で言ってる?」
「本気も本気。マジもマジだ。いやー楽しみだなぁ駆け落ち! パートナーの真里那さんは一体どんな大胆な行動に出てくれるのか、辛抱たまらんね」
「か……身体で払えって?」
「期待してる」
「そこは否定しなさいよ」
「すまんな、生まれた時から嘘がつけない体質なんだ」
「それ自体がもう嘘じゃない。嘘がつけないじゃなくて、嘘ばかりつくの間違いよ」
「失礼な! オレほど正直者な男は他にいないぞ?」
「あ、あの電車ね。急いで乗りましょ」
「おいこら待て、ボケに対してツッコミがないのはとても辛いぞ!」
電車の乗車口に足を踏み入れた真里菜の顔がひょっこり外に出る。
「ほら、色ボケさん。早くしないと乗り遅れるわよ」
「そんな冷たい事いうなよぉ~っと」
「なんで抱き着く!?」
「駆け落ち相手として親睦を深める一環が必要じゃないかと愚行して――あいだぁ?!」
太ももの後ろあたりをギュウウウウッとつねられた痛みにで、目の前に星が飛んだ。
「ダーリン、目が覚めた? ダメよ寝起きだからって寝ぼけてちゃ」
「おおーいてぇ。でもそんな風にボクを起こしてくれるキミも好きだぞハニー☆」
最高の笑顔(※自称)を披露すると、今度は脛に強めのつまさきが飛んできた。
ハッハッハッ! 今日のハニーの照れ隠しは一段とバイオレンスだ。
「…………ねえ、ほんとにいいの? 今ならまだ……」
「いいんだ」
席に座った後。
真里那が不安げに、念を押すように訊いてくる。
「……」
「いいんだよ。オレがそうしたいんだから」
頭をポンポンしてやると、肩にこてんと頭が預けられた。
てっきりチョップの一発や二発は飛んでくると予想してたのだが、大いに外れてしまったみたいだ。
「まっ! 今は駆け落ちという名の逃避行を楽しもうぜ。まずはアレだな、霧のせいで中断になった海水浴に繰り出そう。太平洋と日本海、どっちがいいかね」
「両方いけばいいんじゃないかしら」
「たっは―! 両取りとはいやしんぼだなおいぃ。けど面白いから、それでいくか! 他にはどうだ? なんかリクエストはあるか?」
「んー……夏っぽい場所に行ってみる、とか」
「夏祭りか! 花火も見れるしな!!」
「贅沢ね」
「上手く行けば豪華列車……いや、船にも乗れるかもな。大海原に繰り出すようなヤツだ」
あれだこれだ。
ああしたい、こーしたい。
とても逃げてるとは思えない、呑気な話を繰り返す。
そんな感じで。
俺達は――箱根を出発したのだった。
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