第五記
銃を向けていた兵士の体に電流が走るようだった。
その声を聞けば絶対に逆らえない、そんな重さが含まれていたのだ。
「大尉、彼らは銃でもてなされる方々ではない、それじゃあなんとも勿体ないじゃあないか。」
そう言って待避部屋から出てきた男は、この兵達を指揮していた大尉を見た。
「護国卿、しかし、この老人は明らかに敵意を我々に向けてきました。それは、それは、ここで殺しておかなければ駄目だ、と直感的に考えるような…」
そして彼はハッとして聞き返すのだった。
「卿、すると彼らは貴方と同じ境遇、と言う訳ですか…」
護国卿と呼ばれた男は、ああと頷き、俺たちに、いやチャーチルに話しかけた。
「チャーチル、と言ったかな。あなたは元英国首相と言うじゃないか。しかし、私は君を知らない。君は私を知っているのかね?」
古くさい薄い甲冑を身にまとい、汚れた上着を羽織っている彼の姿は正に、近世ヨーロッパの騎士、政治家、いや、護国卿だった。
「お前、名前は?」
チャーチルが彼に聞き返す。
わしはお前を知っているぞ、と含みを持たせた声で。
そして、その中世に取り残された彼は、名乗ったのだ。
「イングランド共和国初代護国卿、オリバー・クロムウェル、それが私の名だ。」
英国史上もっともよく知られ、もっとも理解し難い男。
後世の歴史家は彼をそう評価した。
清教徒革命を行い、王を殺し、そして大英帝国の礎を築いた張本人。
それが彼だ。
「ははははは、クロムウェルか、そうか、面白いなぁ。」
なあケマル、と嬉々として聞いてくる。
「クロムウェル、わしは君らが生きたイングランド王国からやってきたのではない。実に300年後の大英帝国から今ここにいるのだ。」
1644年7月、マーストン=ムーアの戦いでクロムウェル率いる議会軍が長い内乱を終わらせた、その丁度300年後に、チャーチルら連合国がノルマンディーに上陸し、先の大戦の勝利を決定付けたことをケマルはまだ知らなかったのだが。
「ほお、300年後、なのか。さっきから気になっていたんだが、なぜ君はイングランド王国のことを大英帝国と呼ぶのだ?300年後の国王陛下はローマ皇帝にでもなったつもりなのか?」
チャーチルが300年後の人間と知り、驚きを隠せないでいるが、もっともな質問をしてきた。
『帝国主義』
18世紀からの大英帝国はこの一言に尽きる。
世界一の工業力と土地、民族を有した唯一の超大国。
そして我が祖国の
「ああ、ただ大きな戦争を二度経験した英国に、かつての光栄はなく没落していく一方だがな。」
俺は二次大戦を知らないから、衰退していく英国のことは分からないが。
確かに彼の国はヴェルサイユから、ずっと何かを引きずっていた。
そんな状況でもう一度大戦を戦い抜いたのだとすると、経済的にも精神的にも相当な負荷が国全体にのしかかったのだろう。
「まあなんだ、君らも色々苦労してそうだな。立ち話もなんだ、ちょっと着いてきてくれ。」
そう誘われて、塹壕の中を歩いて行った。
よく整備された塹壕だった。西部戦線はこんな感じだったのだろうか。
うずくまり、座り込む兵士もちらほら見られる。連日連夜、砲撃に白兵戦が続いているのだろう、かなり疲労が溜まっているようだ。
塹壕戦で最悪なのは何か?
かつてあの半島で、司令に就任したすぐ、兵士達に聞いたことがある。
彼らは口を揃えて『雨だ』と答えた。
「すみませんな、昨日の雨水がまだ溜まっている。足元には気をつけて付いてきてくれ。」
そうクロムウェルは言うが、俺たちからすれば慣れたもんだった。
そういえば彼はこの世界にかなり順応しているようだが、どのくらいの期間こっちの世界に居たのだろうか。
塹壕戦や砲撃戦、少なくとも大戦までの戦争に彼は追いついている。
泥沼になった地面を避けながら、彼について行くと、司令室のような少し丈夫そうな建物に着いた。
「さあ着いた」
彼は振り返って俺たちに言う。
「ようこそ、ミケーニア王国前線司令部に。」
禿げと国父の異世界放浪記 広島あみ @Amihsorih
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