第2話 悪役令嬢はお風呂に入る。
教会から同じ敷地内にある伯爵邸へと移った私を待っていたのは、窓のない狭い部屋でもなく、地下室にある独房でもなく、旦那様に蹂躙されるための(つまりいやらしいことをする為の目的の部屋?)でもなく、普通の可愛らしいお部屋だったわ。
部屋には侍女が3名。
お辞儀の角度といい、目見良い姿といい、おそらくそれなりの貴族の女性と見たわ。
つまりこの中の誰かが旦那様の愛人で(もしかしたら全員かしら?)、これから私はこの人達に熱湯をかけられたり、見えない所を殴られたり、虫の入った食事を与えれたりして、虐められるのね。
でも虫の入ったスープは飲めるし、栄養価たっぷりでご馳走だと思っているから、虐めには入らないわね。
「湯船のご用意ができております」
侍女のひとりが無表情のまま、かわいい部屋の奥にある扉へと視線を移したわ。どうやらあちらに湯船があるのね。つまりその湯船に、あっつい熱湯が張られているのね。
でもどうしましょう。私は王都にある自宅からここまで、馬車を走らせて真っ直ぐ来たの。その工程は5日間。
つまり5日もお風呂に入ってないの。臭いわよね?きっと臭いはずよ。そうなるとまずはお風呂に入りたいわ。そうなると熱湯は嫌よね?私は悪役令嬢であって、お笑い芸人にではないもの。となるとひとりで入った方が良いのかしら?だってひとりで入るんだったら、熱湯風呂に魔法で氷をつくって、ぼちゃんと入れて、それでちょうど良い温度にしちゃえば良いものね。うん、そうしましょう!
なんて考えている間に、すぽーんと簡易的なドレスを脱がされたわ。やだびっくり。うちの侯爵家の侍女だってここまで手際が良くないわ。
そうそう、私は旅をするための簡易的なドレスを着ていたの。結婚式はこれでしたのよ。さすが悪役令嬢への対応よね?容赦も、愛も、優しさもないわ。
なんて思っていたら、そのまま、湯船にぽちゃんと優しく
やだ、快適な温度だわ。しかも薔薇の花びらが浮いているわ。さらに侍女の一人が油でべったりの私の髪を、丁寧に洗ってくれるわ。すごい上手。気持ち良いわ。
他のふたりも私の身体を綺麗に洗ってくれる。きっと臭いわよね?絶対臭いはずよ。なのに嫌な顔ひとつしないで洗ってくれているわ。すごいプロ意識ね。
「アドリアナ様、湯加減はどうでしょうか?」
「アドリアナ様、こちらの香油で宜しいでしょうか?」
「アドリアナ様、喉が渇いていらっしゃるのでは?冷たいお飲み物をご用意致します」
悪役令嬢である私に至れり尽せりね。奥様とは呼んでくれないけれど……。
そう考えると、この方々は愛人じゃないのかしら?本当にただの侍女さん?虐めないのかしら?それとも初日は様子見かしら?きっとそうよ!今日は油断させておいて、明日からがっつりいじめるのよ。そうに決まってるわ!納得。
薔薇の花びらの入ったお湯にゆったり浸かっていると、身体の疲れも取れるわ。「ひとりにして下さい」と言ったら、軽くお辞儀をして浴室から出て行ってくれたわ。侍女兼愛人さん達は思ったより礼儀正しいわね。
ふぅっとため息をついて、のんびりしていると、ここに来るまでのことを思い出すわ。
私はヴィドラ王国の貴族、ノヴァーク侯爵家の長女として産まれたわ。
今世の名前はアドリアナ・ノヴァーク。
前世の名前は三ツ谷真美。
どうも私は殺されてしまったらしいわ。そして恋愛小説『ふたつの月が輝く時』の悪役令嬢に転生(憑依?)してしまったようなの。
それに気がついたのは3歳のとき。風邪を引き、熱にうなされ、起きた時に前世を思い出したわ。鉄板よね?
前世の私は、まぁ人より波瀾万丈な人生だったと思うけれど、そこはざっくり割愛するわ。だってもう死んじゃってるんだもの。
前世の私は27歳のバリキャリで、もうすぐ手がけていたプロジェクトが終わる!、って時に殺されたの。それだけは、残念ね。頑張ったプロジェクトだっただけに少しだけ悔しいし、あの子のことも気になるわ。
話を戻して、私は確かに恋愛小説『ふたつの月が輝く時』を読んだわ。友達が萌える!って言って貸してくれたから、それこそ暇つぶしに読んだの。
物語の内容ざっくり説明すると、王太子ミハル・ヴィドラ様が、男爵令嬢のヒロイン、リリアと出会って恋に落ちる話。
いわゆる、
そんなふたりの仲を阻むのが、王太子ミハル様の婚約者アドリアナ・ノヴァーク侯爵令嬢。つまり私。
悪役令嬢と位置付けられているアドリアナは王太子とヒロインとの仲を、あの手この手を使って裂こうとするわ。そしてその罪で断罪されてしまうの。
物語の最後は王宮内の広間でアドリアナがふたりに断罪されることで終わるわ。そして最後の一文は定例文のように『王子とヒロインは仲良く暮らしました』ちゃん、ちゃんっとなるわけ。
内容も薄ければ、テーマもなく、更に教訓もないこの物語のどこが良いか友達に聞いたら、「王太子のヒロインに対する態度にキュン死しちゃうから!」と意味の分からないことを言ってやがったわ。
確かに王太子の
どちらにしろ物語の悪役令嬢に生まれ変わった事だけは分かったわけだけど、ひとつ問題があったわ
悪役令嬢は断罪されるのだけど、その後どうなったかまるで分からないの。断罪っていうくらいだから、よっぽど酷い処刑をされるのかしら?それは嫌よね?しかも何の罪もない両親や領民を巻き添えにするなんてできないわ!と思ったので、物語の結末を変えようと努力したわ。
でもミハル・ヴィドラ王太子との婚約は、私が生まれて女の子だと分かった時点で結ばれたものだったので、不可避。
王太子に嫌われようとしたけど、それも無理だったわ。意外なことに好かれてしまったの。
それならヒロインと王太子の出会いを阻止しようと思ったのだけど、そもそも王太子の砂を吐くような甘ったるい台詞を生理的に受け付けなかったので、そこは阻止しないことにしたわ。こんなカロリー過多の甘味王太子と結婚するくらいなら、ヒロインに引き取ってもらおうと思ったの。
だからふたりが出会ってからというもの、邪魔をしないように極めて大人しくしていたのよ。いじめなんて幼稚なことはしないし、むしろヒロインを周囲から庇ったわ。私なりにとてもがんばったのよ。
なのになぜか私が悪者になって断罪されてしまったの。不思議よね?
物語のように王宮にある大広間で、冤罪の数々を並べられ、婚約破棄されてしまったの。意味が分からないと呆然としていると、我が家の騎士達がどこかから現れて、私を実家へと連れて帰ってくれたわ。
実家で待っていたのは、険しい顔をした両親。そのふたりに手紙を持たされ、着の身着のままで馬車に乗り、そしてここに辿り着いたの。
手紙にはこう書かれていたわ。
『ベドナジーク辺境伯の妻になりなさい』
つまりこれが私への断罪なんだと思ったの。
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