溺愛宣言されました。
清水柚木
第1話 悪役令嬢は結婚式をする。
「あなたを溺愛することにする!」
神父と執事のみが見守る寂しい結婚式の直後に、夫から突きつけられた激白に、そこは『あなたを愛すことはない!』じゃないかしら?と突っ込みそうになったけれど、一旦深呼吸をすることにより飲み込むことにしたわ。
だって、聞き間違えの可能性があるでしょう?
旦那様(もう結婚式を挙げたから旦那様で良いわよね?)と私は初めて会ったのよ?それなのに溺愛宣言っておかしくない?おかしいわよね。うん、おかしいわ。
しかも物語として、それは駄目だと思うの。だって私は嫌われ者の悪役令嬢。溺愛はないわ。あり得ない。きっと、絶対、間違いなく、聞き間違いね。うん、きっとそうだわ!
頭の中で結論が出たので、軽く息を飲み込み、しっかりと目の前の旦那様を見る。
「なんと……仰いました?」
それにしても私の旦那様になる人は、なんて大きいのかしら。首が痛いわ。首が。
王都で噂されていた事は本当だったみたいね。ベドナジーク領の伯爵は一族全て大きくて、厳つくて、そしてデカい。あら同じ事を言ってしまったわ。
「あ……その、ち――違う!間違えた!あ――あああ、あなたを愛す――」
あらやだ、旦那様ったら、愛す――と言ったのちにフリーズしてしまったわ。
さすが田舎者と揶揄され、本来の伯爵という地位を貶すようにつけられた、ベドナジーク辺境伯なだけはあるわね。電波が悪いわ。電波が。田舎に出張へ行った際に、スマホの電波が悪くて会社に報告ができなくて苦労したことを思い出すわね。
まぁ、ここは異世界で、目の前の人は画像ではなく本物で、更にスマホはないけれど。
「愛す――愛し……愛され――ああ――」
何かしら?何が言いたのか分からないわ。前世で習った四段活用……じゃないわね。私の旦那様は何がしたいのかしら?分からないわ。
でもライトノベルにおける悪役令嬢の役なんて、最終的に断罪されて終わりよね?つまり、目の前で耳まで真っ赤になって、いかつい顔にもっさり生えた顎髭までも大きな手で隠して、こちらを見ようともせず背中を震わせている私の旦那様、ラデク・ベドナジーク辺境伯爵の家で、意地悪な姑にいびられまくって、満足に食事も与えられず餓死してしまったり、このいかつく、いかにも精力絶倫そうな旦那様にヤられまくって腹上死したりするのが物語における悪役令嬢の役目というわけね。
もしくは旦那様に実は愛人がいて、それでもって怒った愛人に殺されてしまう、とか?
それともそれとも、ボロボロの服を着せられて、一年中奴隷のように働かされて過労死、とか?
あらあら、こうしてみると悪役令嬢の死に方としては寂しいわね。
やっぱり断罪って言うからには、王都の真ん中の処刑代に引っ立てられて、剣でチョキーンっと首を落として欲しいものだわ。聴衆に悪女!死ね!とか罵られながらね。でも痛いのも苦しいのも嫌だから、そこはギロチンでスパッと首を落として欲しいものだわ。剣は下手くそだと中々死ねないって言うしね。
なんて私がこんなにいっぱい考え事をしているのに、旦那様は続きを仰ってくださらないわ。困ったものね。
仕方ないわ。私から切り出してみましょう。
「旦那様……何を仰りたいのですか?」
旦那様の大きな体がぴょんと跳ねたわ!
びっくりしたわ。こんなに大きな身体が跳ねたのに、足音ひとつたてずに、ふわりと着陸なさるのだもの。
「だ……だ、だ、旦那様だなんて――」
あら?お嫌だったかしら。そうね、悪役令嬢の夫に無理矢理なったのですもの。旦那様なんて言われたくないわよね?
しかも相変わらず視線を合わせて頂けないのね。
あ、今、手の隙間から潤んだ目と、目があったわ。そしてあっと言う間に隠してしまわれたわ。ざんねん。潤んだ瞳がキュンとするくらい可愛かったのに。まぁ、ちっとも微塵もまったくもってキュンとはしてないけれど。
「では、改めてラデク伯爵様、わたくしを……?……どうなさいましたか?」
何かしら。その大型犬がキュウンっと声を出すような、悲しそうな瞳は。人に尻尾はないはずなのに、尻尾が垂れた幻影まで見えてしまいそうだわ。
「ああ、いや――なんでもない、それで、何を言いたいんだ?」
私が訝しげな視線を送るのに気がついたようね。旦那様はコホンと咳をし、やっと私とちゃんと視線を合わせてくださった。顔が赤いわね。暑いのかしら?
それにしても本当に大きいわ。私だって女性の中では小さい方でなく、むしろ大きい方だけど、旦那様は見上げてしまうわ。
新品らしいカチッとした伯爵衣の上からでも分かるほど、筋肉隆々な体つき。後ろに撫でつけた灰色の髪。そして同じ色の立派な顎髭。そういえば……結婚式をしたのに、挙式では宣誓のみで、口付けがなかったわね。サインもしてないわ。若年性向けの小説だから、日本の結婚式とは違うのかもしれないわね。うん、納得。
「何を仰りたいのか聞いております」
「そ……それは……だな、なんと言うか……その…あ――ああ、愛し……」
旦那様が肩を震わせて、床を見つめ出したわ。
床には……何もないわね。埃ひとつないわ。しかもピカピカ。悪役令嬢の私はもしかしたら、奴隷のような扱いをされて掃除をすることになるかもしれないのよね?ズボラな私にこのクオリティの掃除ができるかしら?これは困ったわ。
「あ――――ああああ――愛すつもりは――な――いんだからね!」
ツンデレか?と頭の中で突っ込んでいるうちに、旦那様は凄まじい勢いで、走って教会を出て行ってしまった。
何かしら?意味が分からないわ。
私と旦那様の茶番劇をじっと黙って見てくださっていた神父様が、ふかく、ふか〜くため息をついていらっしゃるわ。
そうね、確かに旦那様の行動は意味不明だわ。バグかしら?
首を傾げていると、結婚式に参列していた老齢な執事が私に近づき深く頭を下げるわ。
あら鋭い目つきね。背中がゾクゾク……私はしないけど、普通の令嬢だと泣き出してしまうわよ。私は泣かないけど。
「我が主人が失礼いたしました。アドリアナ・
まぁ、盛大な嫌味だわ。これこそ悪役令嬢に相応しい扱いよね。
私と旦那様は神前で結婚式を挙げたのに、実家の苗字をわざと強調して言うことで、認めないと言ってるのね。
執事のこの態度から察するに、きっと私はベドナジーク伯爵邸に仕えている者達に虐められて、死んでしまうのね。あまり長く虐めないで欲しいわ。死ぬまでの間辛いのは嫌だから、サクッと殺して欲しかったのにとても残念。
まぁ仕方ないわね。これが悪役令嬢の役どころなんでしょう。
私は侯爵令嬢らしい笑みを顔に浮かべ、「よろしく」と儀礼的に言ったわ。
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