第7話 お出かけいたしましょう

「セフィ、お出かけしようか」


 初夏を思わせる陽射しがおだやかに降り注ぐ、とある休日の朝早く。

 シグニス侯爵邸の中庭で薬草の手入れに勤しんでいたセフィーナにリデッドから声がかかったのはそんな時だった。


「お出かけですか?」

「うん。ほら、夜会のご褒美の話は覚えてる? 街に探しに行くのはどうかな」

「いえそんな、ご褒美は結構です」


 セフィーナは立ち上がり、頭を横に振る。

 その拍子に被っていた帽子がずれてしまった。眼鏡にかかって視界が制限されるが両手に雑草を持っているためどうすることもできない。

 困っていたらリデッドがそっとずれた帽子を直してくれた。


「まぁそう言わずにさ。屋敷と職場の往復だけじゃ味気ないだろう? たまには外で羽を伸ばしてみると思って」

「しつ、……リデッド様も一緒に、ですか?」

「もちろん。セフィが嫌じゃなければ、一緒に行きたいな」


 あ、眩しい。

 屈託のない笑顔で見つめられてしまっては断ることなんてできなかった。



***



 お出かけと言いつつ、これはいわゆるデートなんじゃないだろうか。


 そんなことが頭をよぎったのはカミラをはじめとした使用人たちにめかしこまれてしまってからだった。

 ドレスとまではいかないが上質なよそゆきの服に着替え、髪を結い、化粧を施される。

 シグニス邸に来てから一番変わったのは身なりだとセフィーナは思う。

 嫁いだ時に用意されていた服はまるでセフィーナのためにしつらえたかのようにぴったりだった。生地は上質そのもので、動きを妨げない仕立ての良さも相まって袖を通すだけで自然と背筋が伸びる。

 何度目かの湯浴み時に垢すりをされた時はそれはもう恥ずかしかったが、言葉通り一皮むけたら肌に透明感が生まれた気がした。湯浴み後にはオイルをなじませ、丁寧に櫛で梳かれることによってただ長いだけだった髪に艶が生まれたことには驚いたものだ。伸ばしっぱなしで傷んでいた部分は切り揃えられ、今では出勤前に髪結いが趣味だという使用人に髪を結われるのが定番になっていた。


 それにしても、リデッドと街――王都へ出かけると聞いた使用人たちはいつも以上に気合が入っていたような気がする。

 そこまで入念にしなくてもいいのではと思ったが、いざ王都に着き、馬車を降りたところで着飾らせてくれた真意を悟った。


(……ちゃんとおしゃれしてきて正解だった)


 すっかり見慣れてしまっていたが、リデッドは美形だ。

 陽射しを浴びてきらめく白金の髪に、澄んだ湖を思わせる紺碧の瞳。すっと通った鼻筋に加え、歯並びだって良い。柔和な態度から綺麗という表現がぴったりだが中性的というわけではなく、背丈だってある。

 着飾った貴族の姿が多く見られる王都であっても、リデッドは人目を引いていた。


 オリガの言っていた『おしゃれは武装』という言葉の意味がよく分かる。

 非の打ち所がないリデッドの隣に並ぶには、念には念を。使用人たちの心遣いに内心ものすごく感謝した。


 どこへ行こうかという話題になり、互いに希望がなかったので午前中は貴族街を馬車で散策することになった。

 王都は王宮を中心に据え、放射状に広がっている。王宮にほど近いところに貴族街、その外側に庶民の暮らす市井があり、郊外へと続いていた。

 貴族街は道幅も広く、馬車同士が悠々とすれ違うことができる。建物だけでなく道も立派で、行き交う人々もまた洗練された姿に見えた。


「あ……」


 窓の外を眺めていたセフィーナが声を上げたのはとある店の前。

 佇まいは趣があると言えば聞こえがいいが実際のところはややくたびれた感のある、質流れ品や古物を主に扱うような宝飾店だった。その軒先に飾られたレトロ感のあるペンダントにセフィーナの視線が留まる。


「それが気になる?」

「あ、……その、祖母が似たような物を持っていたなと懐かしくなりまして」

「セフィのおばあ様というと、前アルゴー子爵か。そういえばセフィって宝飾品をまったく持ってなかったけど、おばあ様から引き継いだ物はなかったの?」

「あー……」


 とうとうその質問が来てしまったとセフィーナは内心冷や汗をかいた。


 アルゴー家は世襲の貴族ではあるが、一度は失われた家でもある。

 何代か前に跡取りがいなくなり途絶えたのだが、他国へ嫁いでいた娘がいたのだ。その娘の孫がセフィーナの祖母にあたり、祖父と結婚するためにトレミー王国に戻ってくることになった。

 そこで問題となったのが祖父が庶民であることだった。

 元を辿れば貴族の上に、他国でも貴族であった祖母を迎えるにあたり、そのままでは無作法にあたると爵位を賜ったのだという。

 他国へ嫁ぐ娘のためにと祖母に持たされた宝飾品はかなりの数があった。あったのだが、流行りのものを買うために母と妹の手によってデザインが古臭いものとして売られてしまったというのが実情だった。


「わたしは見たことがあるだけで、ほとんど手放してしまっていて。祖母から貰ったものといえば、この眼鏡くらいです」

「そう。……うん、ちょっと中に入って見ていこうか」


 言葉を濁したセフィーナを見てもリデッドは深追いしてこない。

 多くを語らずとも理解してくれるのはありがたいが、家の恥をさらすようでいたたまれなくもあった。


 リデッドに誘われるまま入った店内は外観のイメージと違わず、照明はどことなく薄暗くてレトロな雰囲気をかもし出している。宝飾品だけでなく装身具全般を扱っているようで、装飾が施された文具もちらほらといったところ。

 カウンターの向こうに座る店主は二人を一瞥するだけですぐさま視線は手元の新聞へ戻った。


 物珍しさに店内をぐるり一周して、セフィーナが気になったのはやはりあの軒先に飾られたペンダントだ。年代物でデザインは流行りではないかもしれないが、精緻な細工が施され、使われている石も確かな輝きを放っている。

 売られた祖母のペンダントに似たような物というか、そのものかも知れない。

 そんな気がするが、値段が付いていないことからあれはおそらく客寄せであり、売り物ではないのだろう。


(値段が付いていたとしても、わたしが買える額か分からないし……)


 人知れず肩を落としたセフィーナに、リデッドが「そうだ」となにかを閃いたかのように声をかける。


「セフィ、ご褒美の話なんだけど。互いに贈りあうのはどうかな?」

「互いに、ですか? ……そうですね、いいと思います」


 与えてもらってばかりで心苦しくもあったので、リデッドの提案はありがたかった。

 少しでも日頃の感謝を伝えたい。その機会が来たのだとセフィーナはぱっと顔をほころばせた。


「そうだな、給料の範囲で無理なく買える物、という条件でいこうか」

「分かりました」


 頷いたセフィーナはぐるりと店内をもう一周した。

 装身具はいくらでも持っていそうなリデッドを相手に贈り物を選ぶのはなかなかに難しい。

 手が出ないお値段の物も多く、その中でセフィーナが選んだのはガラスペンだった。

 羽根を思わせる装飾が施されたそれは実用的なだけでなく美しい。給料の範囲にも収まる値段で、セフィーナ自身が使いたいくらいだ。

 互いに買った物が分からないように包んでもらい、店を後にした。



***



 午後からはセフィーナが普段行っていたお店を見てみたいとリデッドにお願いされた。


貴族街こちらではなく市井の方になりますが……」


 市井は道幅が狭いため馬車で散策するのは難しいだろう。

 歩きでよければ行くのは構わないのだが、リデッドを連れていくにはいささか不釣り合いではないだろうか。


 そんなセフィーナの考えなどお見通しなのか、リデッドはくすりと笑った。


シグニス侯爵邸うちは郊外にあるんだから、市井の方が身近だよ? 小さい頃はよく一人で勝手に出かけて、ステファンに連れ戻されたりもしたな」

「リデッド様が?」

「うん。セフィはどうも僕のことを過大評価しがちだけど、年相応にやんちゃだった時期もあるよ。恥ずかしいから言わないだけでね」

「そう、なんですね。……あの、でしたらリデッド様が行っていたというお店にも行ってみたいです」

「いいよ、もちろん」


 セフィーナのささやかな願いは一も二もなく聞き入れられる。


 貴族が護衛もつけずに市井を歩くだなんてと眉をしかめられそうなものだが、ことリデッドに関しては従僕や護衛は不要。なんせ宮廷魔術師団に所属し、指折りの術者として名を馳せていたくらいなのだ。守り守られる立場が交代しかねないと普段から御者以外の従者はいなかった。


 馬車を降りてしまえば、リデッドと正真正銘二人でのお出かけだ。

 ちらちらと周囲の視線を集めてしまうのはさておき、リデッドと並んで歩くのは嫌いではなかった。涼やかな声は耳に心地良いし、顔を上げればいつだって目線が合う。歩く速度をセフィーナに合わせてくれる気遣いが嬉しかった。


 セフィーナが通っている貸本屋、リデッドが幼い頃に匂いに釣られていたというパン屋を巡って、貴族街にほど近い広場まで戻って来たところで少し休憩することにした。

 ここまで来れば二人の他にもお忍びらしき身なりのよい者もちらほらいてそう浮くこともない。

 広場には親子連れが多く、噴水では小さな子どもたちが水遊びをしている。初夏らしい雲ひとつない青空の下、着ている服をびしゃびしゃにして笑い、はしゃぐ姿はなんとも微笑ましかった。


「――あ」


 子どもたちを見守る親の手に握られたものを見て、セフィーナはきょろきょろと辺りを見回す。入ってきた方向とは別の入り口付近に目当てのものを見つけた。


「セフィ、どうかした?」

「少し待っていてくださいね」


 リデッドをベンチに残してセフィーナは目的の場所へと向かう。

 戻ってきたセフィーナの手の中を見てリデッドは目を丸くした。


氷菓子シャーベット?」

「はい。おひとつどうぞ」


 ワッフルを薄く伸ばした器に盛られた氷菓子シャーベットは器ごと食べられると市井で流行っているらしい。流行り物に目がないオリガがお忍びで食べに行ったと漏らしていたことが頭をよぎり、探してみたら狙いが当たった。


「甘い物お好きですよね?」

「そう、だけど……あれ、甘い物が好きってセフィに言ったことあるかな」


 戸惑いつつもリデッドは氷菓子シャーベットを受け取る。

 セフィーナは眼鏡の奥の瞳を細めながらリデッドの隣に腰を下ろした。


「だってリデッド様、デザートは欠かさずお食べになるじゃないですか。家で出される紅茶には必ず砂糖が入っていますし……」


 シグニス侯爵邸の食事で驚いたのは毎食必ずデザートがつくことだ。

 当初はセフィーナのために用意してくれているのかと思ったのだが、上機嫌に平らげるリデッドを見てそれが勘違いであることを悟った。


「室長室にも飴玉を常備されていますよね。それに以前、苦いかもしれないから回復薬ポーションは飲まないって仰っていたなと」

「……言ったような気がするなぁ……」


 いたずらがばれた子どものようにリデッドは苦い顔だ。

 セフィーナ自身はリデッドが甘い物好きだとしても”そういうもの”というだけで何とも思わないが、どうやら気恥ずかしいものらしい。

 いつもにこやかなリデッドの意外な一面を見た気がしてセフィーナは無意識に目尻を下げていた。


 苺とミルクの氷菓子シャーベットを口に運べばほのかな酸味にまろやかな甘味が舌の上で溶けて広がっていく。

 おだやかな陽射しの下で、時間はあっという間に過ぎていった。




 互いに贈り合うと決めたご褒美のお披露目は帰りの馬車ですることになった。

 揺れる馬車の中、先に渡したのはセフィーナから。

 嬉々として受け取ったリデッドは羽根をモチーフにしたようなガラスペンを見てさらに顔をほころばせた。


「これは……ガラスのペン?」

「はい。仕事でも使うことができるかなと……」

「実用的な物を選ぶあたり、セフィっぽいね。うん。もったいなくて使えるかな」

「そんなに高い物ではないので、遠慮なく使ってくださいね」

「ありがとう、セフィ。大切にするよ」

「とんでもないです」


 リデッドが思った以上に喜んでくれたものだからなんだか鼻が高い。

 自然と頬が緩んでいたセフィーナに、「僕からはこれ」と細長い小箱が手渡された。


「――え、これって……」


 中に入っていたのは軒先に飾られていたペンダントだった。

 セフィーナは驚くあまりに何度も手元のペンダントと正面に座るリデッドを見比べてしまった。


「お給料の範囲ってことでしたよね?」

「そうだよ。これは僕が今まで薬務室で働いていた分から出してる。全然使ってなかったから結構貯まっていてね」


 リデッドはさらりとなんでもないことのように言うが、一体いくらしたのだろうか。

 聞いていいものか悩ましい上に、これでは圧倒的にセフィーナが選んだ物が見劣りしてしまう。


「あの、」

「――受け取らない、はナシだよ?」

「……」


 言いたいことを先に言われてしまい、セフィーナは開けた口をそのまま閉じた。

 俯き、指先でペンダントにそっと触れる。

 まろやかな黄色の中に、虹のように複雑な色合いがゆらめく。神秘的な輝きは遊色効果によるものだ。角度によって異なる表情を見せる様は幼い頃に祖母の胸元で見た物と変わらない。


(……おばあ様……)


 甘やかすだけでなく、厳しい祖母だった。

 貴族としての振る舞いはすべて祖母から教わったもの。常日頃から己を律するように諭してくる祖母を妹は煙たがって近寄りもしなかったが、セフィーナにとっては姉妹に分け隔てなく接してくれる祖母は唯一と言っていい存在だった。

 そんな祖母はセフィーナが在学中に亡くなってしまった。


「……嬉しくなかった?」


 ペンダントを凝視したまま動かないセフィーナにリデッドから声がかかる。

 薄くかかった涙の膜を悟られないように何度かまばたきをして、セフィーナは顔を上げた。


「いえ…………嬉しい、です。とても。……おばあ様の物はもう、ほとんどなくなってしまっていたので」


 処分をするか、もしくは古物商に売ってしまった物ばかりの中、こうして手元に戻る日がくるとは思いもよらなかった。


「本当にありがとうございます。大事にします」


 感謝を伝えようにも胸がいっぱいでありきたりな言葉しか出てこない。

 それでも気持ちは伝わったのか、リデッドはどこかほっとしたように相好を崩した。



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