第7話 二つの薬

 六月に入って制服の衣替えをすませると汗ばむ陽気の日も増えてきた。

 仕事中はその上に白衣を着るので窓を開けたいところではあったが、風によって細かな試料が飛ぶこともままあるため残念ながら開放厳禁。そうなると当然のように昼過ぎからは作業効率が落ちる。やる気を保っているのは南方出身だというオリガとちょうど研究が山だという者くらいで、北方出身だという者は夏期は長期休暇を取って不在という始末だ。

 このあたりは働きたいから働くのであって、生活のためではない貴族特有の余裕や怠慢さが如実に現れる。第二支部から道楽と揶揄されても仕方のない部分であり、感覚が庶民なセフィーナにとっては歯がゆくもあった。


「セフィーナ、お客様だよ。騎士団の人だって」


 額ににじむ汗をぬぐい、ふうと一息ついたところで同僚からそう声がかかった。

 騎士団と言われて心当たりは一人しかいない。なんだろうかと薬務室の建物を出ると、警備の者とアレクセイが並んで談笑していた。


「やっぱりアレクね。久しぶり。薬務室ここに来るなんて珍しいね」

「夜会ぶりだな、セフィ。ちょっと見てもらいたいものがあって」


 陽射しを避けるように建物の陰まで移動したところで、アレクセイが懐から小瓶を二つ取り出した。何の変哲もないそれは宮廷内で出回っており、騎士団に広く支給されているものだ。


回復薬ポーションがどうかしたの?」

「どちらも第二支部製だって支給されたものなんだけど。……これ、片方はセフィが作ったものじゃないか?」

「え?」

「いや、味が美味しくてさ。当たり引いたやったーって思ってたら、皆美味しいって言うもんだから。第二支部製にしてはおかしいなと」

「んん? 味? どういうこと?」


 確かにその回復薬ポーションは飲む薬ではあるが、味に当たりもはずれもないだろう。


 首を傾げるセフィーナにアレクセイは「ちょうどセフィが結婚したあたりかな」と事情を語り出した。


「これまで定期で支給されていた回復薬ポーションが第二支部製のものに変わったんだ。ぶっちゃけ第二支部製のものって当たりはずれがあって、特に味がさ。まずいものはまずいんだ。その点、第一支部製のものは安定していて、はずれがない」


 それゆえにアレクセイが所属する騎士団第一小隊では飲み薬については第一支部名指しで依頼していたらしい。にも関わらず、納品されてきたものが第二支部製ということで当初は非難轟々だったが、味に問題がなかったため大事にはならなかったという。


「前回支給されたのがこっちで、今回支給されたのがこれ」


 まずいかもしれないものは口に入れたくないと飲まずに保管していた同僚に貰い受けたという、二つの小瓶。


 片方は透き通った液体でよどみなく、瓶を持つ手がはっきりと透けて見える。

 もう片方も透き通ってはいるが、傾けてみればわずかに不純物が浮き上がって見えた。


「俺はまだ飲んでないけど、今回分を飲んだ同僚からするとはずれにもほどがあるそうだ」


 そしてあまりのはずれ率の高さに不満が高まっているという。


「……そんなに味って大事?」

「大事」


 さも当然のようにアレクセイは頷く。


「なんたって士気に関わるからさ。疲れた時にまずいものなんて誰だって飲みたくないだろ?」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「で、本題に戻るけど。これ、セフィが作ったものだよな?」


 前回支給分の小瓶を手渡される。

 薬は薬、誰が作ったかなんて知る由もないはずだが、セフィーナには知る術があった。

 そのことをもちろんアレクセイに言ったことはない。けれどこうも迷いなく聞いてくるということは、アレクセイはおそらく知っている。


「……はっきりしたことは言えないけど。保管庫からわたしが作った薬がなくなったのは確かよ」

「なるほど? となると、あとは誰がやったかだな」

「ちょっとそんな、まだ決まったわけじゃ……たまたま前回出来が良くて、今回いまいちだったということもあるじゃない」

「セフィはそんなことないだろ? 昔は薬なんて当たりはずれがあって当たり前だったらしいけど。セフィが勤め始めた頃からはずれが減って、どこ製だって気にするようになったって聞く」

「……」


 自らの仕事振りを褒められるのは嬉しい。嬉しいのだが、素直に喜んでいいかは微妙な状況だった。


「ちなみにこのこと、薬務室に報告したりした?」

「まだだと思うが、時間の問題だな」

「そう……ね、その小瓶、借りてもいいかな。わたしの方から室長に話してみる」


 そちらの方が事が大きくならない気がする。

 アレクセイから二つの小瓶を受け取った。


「アレク、教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。それじゃセフィ、任せたよ」

「うん。……あ、ちょっと待って」


 踵を返すアレクセイを呼び止める。


「その、前言ってた……」


『星の船の力』とは何? ――そう問いかけようとしてはたと思い留まったのは、振り返ったアレクセイの瞳に光がなかったためだ。

 夜のように深い濃藍の瞳はセフィーナを見ているようで見ていない。


 ――これ以上口に出せば、大切な友人を失うかもしれない。


 そんな思いに駆られて、セフィーナは「……なんでもない」と言葉を飲み込んだ。

 アレクセイはふうと息をついたかと思うと、がしがしと頭をかく。


「あー……くそ、ごめんなセフィ。俺からは何も言えない、ということしか言えないんだ」

「うん」

「でも俺はさ、……セフィのそういう思慮深いところに救われてるんだ」


 ぽつりと零された言葉の真意は分からない。

 ただ分かるのは、アレクセイから悪意は感じられないということだけ。


「……わたしも、ベロニカの件から立ち直れたのはアレクのおかげだから」


 ともすれば自暴自棄になりかねなかったセフィーナを支えてくれたのはアレクセイで、そこに他意はないのだと信じたかった。


 笑顔を作ったつもりだったがうまく笑えていたかは自信がない。

 そんなセフィーナを見下ろしながら、アレクセイはつとめて明るく笑う。


「それじゃ、仕事に戻るか」

「うん、またね」


 去り際に一言、アレクセイが付け加えた。


「これからはリデッド様が守ってくれるだろうから大丈夫だと思うけど、友人として一つだけ。――セルペンスの者がアルゴー家に接触している。それもここ最近、頻繁にな」

「え」


 なんだそれは。


 聞き捨てならないことをさらりと告げて、アレクセイは「じゃあなー」と去っていった。




 話をするとは言ったものの、今日に限ってリデッドは薬務室を空けていた。

 月に一度の議会の日でシグニス侯爵代理として朝から王宮に詰めていて、終わりの時間は未定のため、先に帰っていてと言われている状況だ。

 とっくに縁が切れたはずのセルペンス子爵家と実家がやり取りしているというのも気にかかる。


 薬務室に戻ってからずっとため息がちなセフィーナに、帰り支度をはじめたオリガが声をかけてきた。


「セフィどしたの? 昼間に騎士団の友達と会ってから元気ないじゃん」

「や、別に……」

「ふーん? 男友達と会ってそんな顔してたら、室長、やきもち焼いちゃうかもよ〜?」

「もう、室長に限ってそれはないってば」


 強く言い切ったセフィーナにオリガがそんなことはないと詰め寄ってくる。


「も〜セフィは鈍感なんだから。室長がどんだけ……」

「オリガ、それ以上はやめておけ。セフィーナが自分で気付かないと意味がない」


 大げさに嘆く素振りを見せるオリガを止めたのはセルゲイで、ふるふると首を横に振っていた。


「そうかもしれないけどさぁ、付き合わされる身にもなってよ」

「一番面白がっている人間が何を言うかな」

「それはそれ、これはこれっしょ」


 けらけらと笑って、オリガはセフィーナの肩を軽く叩く。


「ま、セフィはセフィでもうちょっと素直になったらいいと思うなぁ〜。ね、今日は室長遅いんでしょ? 久しぶりに一緒にご飯食べに行こ?」


 そして色々と聞かせなさいと心の声がダダ漏れなお誘いにセフィーナはくすりと笑った。


「行きたいところだけど、ごめん、今日は室長を待とうと思って」

「そなの? 残念、振られちゃった」

「また今度行こ? ご飯いらないって先に伝えておかないとだし」

「おっけ。約束ね〜」


 終業の鐘を合図に、オリガをはじめ第一支部の面々は続々と帰宅していった。


 薬務室に一人残されたセフィーナは制服のスカートのポケットから小瓶を取り出す。見た目はよく似た二つの小瓶を机の上に並べ、そっと眼鏡を外した。


(…………確かに、わたしが作ったものだわ)


 薬の精製はただの素材の調合に思われがちだが、精製する際には魔術を用いている。

 素材の純度を見極めて量を調整し、魔力を練り込みつつ混ぜ合わせるという繊細な作業の上で成り立っていた。


 目の前の薬のひとつに残された、精製者の魔力の残滓。

 それは紛れもなくセフィーナのものだった。


「どうして……?」


 セフィーナが精製した薬を第二支部製と偽って騎士団へ納品した。

 そうとしか考えられないのだが、誰が何のためにそんなことをしたのかがさっぱり分からない。


「それに、これ、この感じは……」


 気がかりはもうひとつの薬に残された魔力だ。

 この魔力には見覚えがある。それこそ高等学校時代、何度も目にしていたものだ。


「……ベロニカ……?」

「――セフィーナ、ここにいたのね」


 つぶやいた拍子に名を呼ばれ、セフィーナの肩がびくりと跳ねた。

 あわてて小瓶をポケットにしまい、眼鏡をかけて振り返れば、まさにそのベロニカが扉のところにいて息が止まるかと思った。


 窓から射し込む夕陽がベロニカの赤毛を更に赤く染め、足元に長い影を作っている。


「なあにそんなに驚いて。ちゃんとノックしたわよ?」

「ご、ごめん……ちょっと考え事してて」

「ふうん? 残っているのはあなただけ? 第一支部ってほんと道楽で働いている人たちばかりなのね」

「そんなことない。皆、やることはちゃんとやってるよ」


 セフィーナの知る限り、研究開発も成果を上げているし納期に遅れたこともない。文句を言われる筋合いはなかった。


 流れるように嫌味を飛ばしてくるベロニカはいつも通りといえばいつも通りだ。

 薬について問いかけようかと一瞬頭をよぎるが、この『眼』については誰にも明かしていない。

 信じてもらえるか怪しく、鼻で笑われる可能性も高いと一旦は胸に飲み込んだ。


「それより、何の用? 室長なら不在だし、この通り皆帰っちゃったけど」

「そうそう、あなたの妹が通用門のところにいたわよ」

「ナターシャが? なんでまた?」

「知らないわよ。この制服を見て『お姉様の同僚の方、お姉様を呼んできてくださらない』って声をかけられたからこうして来てあげたってわけ」

「えぇ……?」


 妹が何の用だろうか。最後に別れた時の様子から、不満を抱えているだろうことは分かるのだがそれにしたって再び宮廷に押しかけて来るとは。


 困った人ではあるが妹で、身内の恥は放っておけない。


 頭を抱えつつセフィーナは急いで通用門へ向かった。




「あっ、お姉様!」


 通用門に行けば、ベロニカの言葉通り妹が待ち受けていた。

 先日の騒ぎでシグニス侯爵令息の義妹だと知られているのか、警備の者が左右に付いているという状況にめまいがする。


「ナターシャ……ここに来てはだめよ」

「お姉様、お話があるんです」


 セフィーナの言葉を遮るようにナターシャはぐいぐいと来る。


「ね、一旦お家に帰ってお話しましょう?」

「そんな急に言われても……」

「だってお姉様、全然家に帰って来てくださらないじゃない。お父様もお母様も寂しく思っておいでです。だからこうしてわざわざ迎えに来てあげたのよ」

「だから急に来られても困るんだってば」


 誰も迎えに来いだなんて頼んじゃいないし、もしこのまま実家に行ってしまえばこの後迎えに来るであろう侯爵邸の馬車の人が困ってしまうだろう。


 今日のところは帰ってと突っぱねるが、ナターシャは譲らない。

 押し問答を繰り返す二人に割り込んだのはいつの間にか付いてきていたベロニカだった。


「あのさ、姉妹喧嘩なら家に帰ってからすれば? 侯爵の馬車の人には私から伝えておくわよ。セフィーナは今日は実家に帰ったって言えばいいんでしょ?」

「…………悪いけどお願いできる? 白鳥の紋様が入った馬車だから」

「それくらい分かるわ」

「あと部屋の施錠も。ほんとごめん、よろしくね」


 何度も頭を下げ、ベロニカに第一支部の鍵を手渡す。

 仕方ないわねぇと困ったように笑うベロニカに、ふと、高等学校時代の面影が重なった。


(……なんだかんだ言っても、ベロニカはわたしの初めての友達だった)


 初等教育は家でという貴族ばかりの中、セフィーナは地域の学校へ行っていた。庶民ばかりの中で名ばかりとはいえ貴族のセフィーナは当然のように浮いていて、誰からも遠巻きにされていた。


 貴族同士の繋がりがあるわけでもないし、高等学校でも一人だったらどうしよう。


 そんな不安を吹き飛ばしてくれたのがベロニカだった。

 セフィーナが貴族だと知っても態度が変わらないだけでなく、地域の学校に行っていたことを貴族から馬鹿にされるセフィーナをかばってくれた。


『貴族とか庶民とか、ましてどこの学校に通っていようが、そんなこと高等学校ここでは関係ないでしょう?』



 高等学校は貴族であろうと庶民であろうと同じものさしではかられる世界だ。

 けれど身分差はどうしたってつきまとうもので、そんな中、自分の意見を口にできるベロニカはセフィーナの憧れだった。

 人の目を気にして、俯きがちなセフィーナの背中をいつだって押してくれる――そんなベロニカが、薬について偽るはずがない。

 きっと何かの手違いだろうと思考に沈むあまり、馬車の向かう先がアルゴー子爵家でないことにセフィーナは気付かなかった。

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