第6話 招かれざる客

 宮廷薬剤師として勤めて七年目、仕事はすっかり慣れたものだが時に想定外の事もある。

 夜会の余韻がようやく抜けてきた週明けの出勤日、薬務室に入って早々にセルゲイから伝えられた内容にセフィーナは目を丸くした。


「保管庫に置いてあった薬がなくなった?」

「そうなんだ。ほら、この間セフィーナが過剰に作った薬。あれがごっそりなくなっていてね」

「持ち出し記録は? 誰かが誤って、という可能性もある」


 そう口を挟んだのは共に出勤したリデッドだ。


「それが記録にもなくて。いつなくなったかというのもはっきりしないのが正直なところです」


 なんでも週末に施錠を確認した者が今朝解錠したところ、箱の配置が変わっていることに違和感を覚えて中を調べたら薬が消えていたことに気付いたらしい。


「部屋の施錠はされていたんだね?」

「はい。窓が開いていたということもなかったそうです」

「そうか……報告ありがとう。あとは僕の方で調べるから、セフィもセルゲイも仕事に戻って」


 そう指示を出して、リデッドは踵を返して薬務室を出ていった。


「おっはよー! って、なになに、どしたの?」


 入れ違いで入ってきたのはオリガで、どこか張り詰めた空気を感じ取って小首を傾げる。

 かいつまんで事情を説明すると「ふうん」といかにも興味がなさそうな相槌を打った。


「誰かが間違って持ち出して、記録書くのも忘れてましたってところじゃないの〜?」

「俺もそう思うな」

「害のあるものだったら一大事だけど、なくなったのも回復薬ポーションの原液だしね」


 週末、施錠されている時にというのが引っかかるが、施錠時になくなったと断定できる状況でもない。誰かの勘違いが重なって、というのが無難なところだろうと頭の片隅に置いておいた。


 セフィーナの主な仕事は薬の精製と薬草園の管理だ。

 まずはその前者、精製する薬を依頼書を片手にリストアップしていく。

 必要な素材を取りに行くついでに薬草園に足を運ぶと、入り口のところでベロニカと鉢合わせしてしまった。


「おはよう。ベロニカも素材の採集?」

「……ごきげんよう」


 嫌味のひとつでももらうことを覚悟して話しかけたが、帰ってきたのはそっけない言葉だけ。

 露骨に嫌な顔をされはしたが、そのまま小脇に薬草を抱えたベロニカとすれ違う。


 なにも言われないだなんて珍しいこともあるものだと首を傾げつつ水やりの準備を進めていると、しばらくしてガリーナがやってきた。


「あ、セフィーナさん……おはようございます」

「おはよう、ガリーナ」


 薬草園の管理は第一支部と第二支部共同で行われている。

 第一支部はセフィーナが一手に引き受けているが、第二支部は当番制と聞く。もっとも先輩や上司の代打という形で年若いガリーナが来ることが多いことにセフィーナは気付いているが、他の部署について口出しするのは無用だろう。


 並んで水やりをしていたらガリーナが「あの」と気まずそうに話しかけてきた。


「ベロニカさんって、学生時代とても優秀だったとうかがったんですけど」

「うん、そうだよ」


 高等学校で二人は医術・薬学科に通っており、薬学コースにおいてベロニカは主席、ペアを組んでいたセフィーナは次席だった。


「それにしては精製が苦手というか……」

「そう? 精製は基本中の基本だからできると思うよ。学校でも実技の最初にやるじゃない」

「それはそうなんですけど」

「んー、まぁペアを組むようになってからはわたしが作ることが多かったかな。調合の比率や組み合わせを考えるのはベロニカって役割分担してね」

「そうなんですね……それで……」

「? なにかあったの?」

「い、いえ。大したことじゃないです」


 ぶんぶんと首を横に振るガリーナ。それきり沈黙してしまったため深追いもできない。

 ガリーナは寡黙で、これでも出会った当初に比べれば随分と話せるようになったが、いまだに見えない壁を感じることがある。


 第一支部と第二支部は貴族と庶民で分かれているということもあって正直仲はよろしくない。

 ライバル同士というわけでもないが、第二支部の室長からリデッドがやっかみを受けている場面を目撃したことは何度もある。さらりと受け流していたリデッドの姿は凛としていて素敵だったなと脳内で記憶をなぞりつつ、薬草園の手入れに励んだ。



***



 終業を告げる鐘が鳴れば第一支部からは人がほとんどいなくなる。

 貴族だからというわけでもないだろうが残業に価値を見出さない人が多く、明日できることは明日やればいいと皆帰ってしまう。

 セフィーナ自身も突発的なことさえなければ定時内に仕事を終え、空いた時間でオリガの研究の手伝いをしたりセルゲイから最近読んだ薬学書の話を聞いたりして過ごしていた。


 結婚してから変わったのはリデッドの終業を待つようになったこと。

 一緒に馬車で帰るのだから当然といえば当然だが、この状況になって初めてリデッドの帰りが誰よりも遅いことを知った。なんでも終業時刻ともなれば通用門は宮廷に勤める主人を出迎える馬車でごった返すため、あえて時間をずらしているのだという。


 空いた時間で読み物もできるしとリデッドが目を落としているのは薬学書だ。室長室には歴代の室長が置いていったありとあらゆる本があり、読むものには困らないという。


「僕はセフィたちと違って薬学科を出ていないからね。薬の知識なんてあって困るものじゃないだろう?」


 かたわらに置いた小瓶から飴玉を取り出し、口に含みながらリデッドはおどけたように笑う。

 こうして糖分補給をしながら、門外漢であったはずの薬学の知識を吸収していったのだろう。

 今では信頼の置ける上司であるリデッドではあるが、当初は『畑違いの魔術師団から転属してきた世間知らずのお坊ちゃま』扱いで、皆遠巻きにしていた。そんな前評判をあっという間に覆した理由の一端を垣間見た気がした。


「もうそろそろ帰ろうか」


 日も暮れてきた頃、本を閉じ、施錠を確認して薬務室を後にする。


 通用門のほど近くまで来ると、なにやら人が集まっていることに気付いた。

 見れば警備の数がいつもよりも多い。人だかりの隙間からちらちらとドレスらしきものが見えることからどこかの令嬢が迷い込んだのだろうか。


「――あっ! お姉様! お義兄にい様!」

「…………ナターシャ?」


 聞き間違いようのない、声の主はナターシャだ。

 深緑の瞳にうっすらと涙を浮かべ、ゆるやかに波打つ金髪を風に揺らしながらナターシャがこちらに駆け寄ってきた。


「こっ、これは、本当にシグニス侯爵の……?」

「すみません、こちらの令嬢が閣下に会わせろと急に来たものですから……」


 警備の者から口々に頭を下げられる。


「……なんとなく事情は分かった。手間を取らせたようで申し訳ないね」

「い、いえっ。こちらこそ閣下の妹君とは知らず……」

「義理の、だけどね。彼女はこちらで引き取るから、持ち場に戻って」

「はいっ」


 リデッドに敬礼して警備の者は散り散りに去っていった。


「お姉様、遅いですわ。お仕事かなにか知らないけど、リデッド様をお待たせするなんて」


 セフィーナが待たせたのだと決めつけてナターシャは非難めいた声をあげる。


「遅いもなにも、あなたが来るなんて知らないもの」

「実の姉に会いに来るのに許可がいるの?」

「そういうわけじゃないけど……宮廷は誰でも入れるところじゃないから」

「だから通用門で待っていたんじゃない。遅いから待ちくたびれちゃったわ」

「ともかく、何の用?」

「ここではちょっと……」


 ちらりとナターシャはリデッドへ視線を移す。


 ――この子、家まで来る気だ。


 嫌な気配をびんびんに感じてセフィーナもまた隣に立つリデッドを見上げた。


「……うん。まぁ、とりあえず帰ろうか。ナターシャ嬢、ご実家には遅くなると連絡を入れておくよ」


 セフィーナの願いもむなしく、三人で馬車に乗り込む。

 馬車の中ではナターシャがしきりにリデッドを褒め称えていた。リデッドはにこやかな笑みを浮かべていたが、あれは第二室長に嫌味を言われていた時の表情とまるきり同じ。右から左へ受け流しているのだなと分かってセフィーナは不思議と胸がすく思いがした。




 突然の来客に驚くことも嫌な顔ひとつせず、使用人たちはナターシャを出迎えてくれた。

 ナターシャはまるで夢でも見るようなうっとりとした顔で侯爵邸の内部を見渡している。

 実家と大違いなのは分かるのだが、あまりきょろきょろしないで欲しい。これは? あれは? とリデッドへ質問するのもだ。

 本来ならばリデッドは話しかけるのもおこがましいほどの人なのに、気軽に腕を触ろうとする妹を見てセフィーナは顔から火が出そうだった。


「――それで、ナターシャ嬢。話とはなにかな?」


 応接室で食事を取り、一息ついたタイミングでリデッドが本題に入った。

 勧められるままにデザートまで食べ、食後の紅茶を飲んでいたナターシャは「話と言いますか……」と悩ましげにカップをソーサーへ置く。かちゃんと音がなり、カップに残った紅茶が揺れた。


「お姉様がご迷惑をかけていないか、気が気でなくて、それで……」

「ほう。それはまたどうして?」

「お姉様、お仕事をされていますでしょう? 本来ならすぐにでも辞めて、侯爵夫人としてしかるべきことをしないといけないのに、申し訳なくて……」

「僕は仕事を続けることを問題なんて思っていないよ? それにセフィは、今で十分よくやってくれている。先日の夜会だって評判は上々だったしね」

「聡明なセフィーナ様とまたお会いしたいとお茶会の招待状が早速届いております。お名前だけでなく出身地やそこの名産といったものまでご存知で、感激されたとのことで」


 ナターシャの言葉を真っ向から否定するリデッドに加え、執事のステファンがにこにこと補足をする。


「セフィーナ様は私共使用人に対しても丁寧で慈悲深く、好感の持てる方です」


 あのカミラですらフォローをしてくれた。

 慈悲深い、とはあれか。手荒れに悩んでいるという使用人へ軟膏を渡したことだろうか。

 嫁いで早々に中庭の薬草を自由に触っていいという許可を取り付けたので、そこにあるもので作れそうだったから作って渡したことがあった。


 好感が持てるというのは社交辞令な気がしたが、この場で口に出す程度には認めてくれている。その事実に胸が詰まった。


「そ、そうなんですね……それは良かったです」


 そう言うものの、ナターシャは不満げな様子を隠しきれていない。


「でもやっぱり、心配なんです。お姉様は幼い頃、ありもしないものが見えると騒いで人の注目を浴びようとすることがあったってお母様から聞いて……」

「――ナターシャ嬢。君はセフィを貶めに来たのかな?」


 リデッドの紺碧の瞳が細められ、ナターシャを射抜く。

 先程までの優しげな雰囲気は鳴りを潜め、いつになく低い声色に体感温度がひやりと下がったような気がした。


「そっ、そんな、わたしはただ、心配で……」

「それならば心配ご無用。セフィは僕の妻として何の問題もない」

「……」


 ぐっと口をつぐんだナターシャの深緑の瞳にうっすらと涙の膜がかかる。


 気に食わないことがあればナターシャはいつもこうだ。泣けば許され、母が助けてくれる。そして姉であるセフィーナが責められるのだ。例え原因がナターシャであっても。


 けれどここにはナターシャの絶対的な味方である母も、母の言いなり状態の父もいない。


「もう遅いし、そろそろ帰りの馬車を」

「はい、準備はできております」


 これ以上聞くことはないと話を切り上げ、リデッドがステファンに目配せすると間髪入れずに返ってきた。


「……ナターシャ、馬車まで送るわ」


 俯いたままの妹に声をかけ、立ち上がる手助けにと手を差し出す。

 その手を掴むことなくナターシャは立ち上がった。顔を上げ、にこりと微笑めば涙が一筋、頬を流れ落ちる。


「ごきげんよう、リデッド様」


 馬車に乗り込む時にセフィーナを見据えた妹の瞳には、けしておだやかでない光が宿っていた。



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