第16話 焔の夢②
仕事が終わり、尊は急いで『ななつ星』へ向かった。
正直なところ、今日は一日うわの空で、全く仕事に集中できず、先輩に何度も怒られた。気付けば久我のことばかり考えてしまっていた。
多分、まぁ当たり前だけど、あの行為は久我にとって愛とか恋とかそういう感情は含まれていなくて。
お互いの身体の都合というか……そういうものだ、と理解はしている。
……だが自分の気持ちが、まだよく分からなかった。
どうして受け入れてしまったんだろう。
(全然嫌じゃなかったんだよな……)
あの男に触れられるだけで、身体が熱くなった。
むしろ心地良くて――
心も身体も戸惑っている。
これまで誰にも抱いたことがない感覚だ。
会って、自分の気持ちを確かめたい。
それが今の正直な思いだった。
「あれ、臨時休業…?」
店の扉には休みを知らせる札が掛かっている。
どうしたものかと思いつつ取手に手をかけると、何の抵抗もなく扉は開いた。
奥のカウンターの方に明かりが点いているのが見えた。
「今晩は。櫻井さん、待っていましたよ」
今朝話しをした千秋清和と名乗る店のオーナーが、一人カウンターの中で待っている。
ダウンライトに照らされて、そこだけスポットライトが当たっているように見えた。
久我がいない、ということに尊は動揺した。やはり避けられているのだろうか。
「遅くなりました。今日はお休みなんですか?……もしかして、オレのせいだったり?」
「気にしないでください、こちらの都合ですから。とにかく座って……飲みたい物を何でもお出ししますよ」
カウンター席に収まり、誘われるままジンフィズを頼んだ。
千秋さんの手捌きも慣れていて味も申し分なかったが、尊は何故か物足りなさを感じてしまった。
多分この人はバーテンダーじゃないから、久我のようなパフォーマンスを期待するのが間違ってるよなと思いながら。
「あの、久我さんはどうしたんですか?オレ、あの人と話したいんですけど」
「………」
店に入った時から気になっていたことを、我慢出来ずに自分から聞いた。だが、千秋さんは静かに微笑むだけですぐに応えてはくれなかった。
「……櫻井さん」
「はい?」
相手の声色が硬くなるのが分かった。
何を言われるのかと、思わず身構える。
「彼と――何か取引きをしましたか」
「取引き…?」
「契約、と言いかえてもいいかもしれません」
「いえ、何も…それってどういう意味ですか」
聞きたいことの真意が分からなかった。
「はっきり言ってしまえば、ここに、この店に『彼』はもういないんです」
「え…っ?」
その言葉の意味が、すぐには理解出来なかった。
どういうことなのか。
「いない、って、辞めたってことですか」
「……どこから話せばいいものか、迷うんですけど」
はぁ、と千秋さんは小さな溜息を吐く。
彼は落ち着いているが、尊は頭の中が真っ白になっている。
鈍器で殴られたようなショックを受けていた。
つまりは、どうしても自分に会いたくないということなのか。
どうして?何も無かったことにしたがってる?
「この店が特殊な店だっていうのは、聞いてますか?」
「え、まぁ…アイツが除霊ができて、そういうことのプロだっていう話なら」
「そう、昨日はその為に…予約のお客様の為に閉店していたんです。普通の人なら、この店に入れなかったはず、なんですよね。結界を張っていましたから」
「!?」
結界、などと言われ、ますます頭が混乱してきた。思っていたのとは違う方向に話が展開していく。
「あの日、予約の方は結局キャンセルになりました。『久我蒼真』が貴方を喚んだのか、貴方が彼を求めたのか……それは分かりませんが、不思議な縁ですよね。
とにかく、彼は貴方に憑いたモノを除霊すると言った。そこまでは私も把握してます。貴方が来た時は店にいたので。でも、その後に何があったのか、私にも分からない。どうして彼が消えたのか――」
千秋さんはどうしても腑に落ちない、という顔をして、一度、言葉を切った。
「私の弟の式神である彼が、何故、突然消えてしまったのか」
「…………えっ………」
この人、何を言ってるんだろう。
全く意味が分からない。
ふざけてるのか、揶揄われてるのか。
何かのドッキリ?
尊は完全にフリーズしてしまった。
「私…いえ、この店を経営している千秋家は、荏柄天神社の奥にある北辰妙見神社の神職を代々務めています。ここは、その出張所と考えてもらっても構いません」
相変わらず雰囲気は柔らかいが――目が笑っていない。よくよく見れば、久我と同一の鋭さをこの人も持っていると、尊は今になって気付いた。
「彼は、我々千秋家の人間に調伏され代々受け継がれてきた式神です。式、といってもかなり神格が高くて、その辺の使い魔とは性質が違いました。意思もあるし、会話もできる。自我のある式神だったんです。元々は人間だったという記録も残ってます。――生きていた時の真名は、使役者であり後継者である弟しか知りませんが」
………式神?
元は人間だった?
「貴方が、アレの欲しかったモノを与えた。だから消えたんだと、我々は思っています。……一体、何をしたんです?」
何を言われても頭に入ってこなかった。
――嘘だ、と。
尊の頭の中では、ただその言葉だけが繰り返されていた。
そんなこと信じられない。
信じられる訳が、なかった。
* * *
暗い道を一人、駅に向かって歩いている。
『ななつ星』を出てからほとんど無意識のままに、足だけが勝手に動く。
何度考えても、信じられないし、理解できない。
何より感情が追いついてこない。
久我が、生きた人間じゃなかったとか。
そりゃあオレは、生きてる人間も幽霊も同じように視えるけど。
だからって……式神?
あんなに自由に動いて喋ってたのに?
千秋さんが嘘を言っているんだと思った。久我と二人で、オレを揶揄っているんだと。
けれど、彼の態度はとてもそんな風には見えなかった。
責められこそしなかったけど、久我を喪ったことは彼らにとって痛手なんだという強い気持ちが、ひしひしと伝わってきた。
『久我蒼真』という名前と、設定を与えられた式神――
あの姿の時、彼にはその役割と記憶だけが全てで、あくまで人間として振舞うようにと『命令』が与えられている。
視える人間にしか視えないバーテンダー。
それが除霊の仕事をこなしていた。
………そんな現実、あるのかよ?
確かに、触られた時に少し不思議な感じはした、けれど。
まだ受け入れられずにいる。
アイツに何をしたと訊かれて――
うまく答えられなかった。
正直、最後までやったかどうかは覚えてない。求められて、応えたことは確かだが、どう説明したらいいのか分からなかった。
――アレが消えた原因だって言うのか?
もうひとつショックだったのは、元々の久我は平安時代に調伏された怨霊だと言われたことだ。
怨霊。強い恨みを残して死んだ霊。
それからずっと、何百年も千秋家に仕える式神のひと柱として、使役される神様として、現代まできたらしい。
……そんなの辛すぎないか?と、オレは思ってしまった。
たとえ神様として、大切にされていたとしても。
一体、どんな気持ちだったんだろう。
でもバーテンダーの仕事をしている久我は楽しそうに見えた。
案外、現代の任務を面白がってこなしてたんだろうか。
……アイツがオレに触れてきたのは、オレが、霊を引き寄せる体質だから。
多分、それに影響されただけ――
これまでの話を総合すると、そういうことになるのかなと思う。
――でも。
この身体に触れた指の感触も、
唇の温もりも、
全部憶えているのに。
オレを求めて。
オレの名を呼んだ声も。
全部、全部。
あんなに熱くて、お互いの温度を確かに感じ合っていたのに。
それも全て、実体のない夢みたいなこと、だって言うのか?
……ちゃんと顔を見て、もう一度話しがしたかった。
聞きたいことは、山程ある。
調伏された式神が消えるのは、その中にある消えない執着や業、怨霊と化した理由そのものが浄化された時だと、千秋さんは言った。
オレに触れて――それが叶った、ってこと?
自分には引き寄せるしか能がないと思ってたけど――オレはアンタの役に立てたのかな。
それとも――…
『お前の中に入りたい』
そう言った久我の言葉が甦る。
尊は足を止めた。
目の前に、営業を終えた店のショーウィンドウがある。
暗いガラスに、自分の姿が映っている。
(オレは、自分に取り憑いている霊の姿を視ることは出来ない)
「久我――本当に、消えたのか…?」
ガラスの向こうの自分に問いかける。
もしかしてオレの中に、隠れていたりしないのか。
なぁ、答えてくれ。
指定された客じゃないオレの除霊をするのは、命令の範疇から外れたことだって聞いたけど。
どうして、そんなことしたんだ?
ガラスに映る自分の姿がボヤけていく。
理由が分からない涙が、頬を伝った。
どうして涙が出るのか。
たった一晩一緒に過ごしただけだ。
……だけど。
オレはアンタのことが、案外嫌いじゃなかった。
危なくて横柄で自分勝手だったけど、結局はオレのために何とかしようとしてくれていたし。
触れる手は優しかった。
もっとアンタを知りたいと思った。
だから受け入れたのに。
……こんな気持ちにさせられて、オレはどうしたらいいんだ?
今度こそ、本当に責任取れよって、
もう一度、面と向かって文句を言ってやりたい。
オレの願いは、ただそれだけなのに。
それは永遠に叶わない。
どうしようもない気持ちを抱いて、尊はその場に立ち尽くした。
幻のような蒼い焔を求めて、視線は夜の闇を彷徨う。
自分しか映し出さないガラスの壁を、いつまでもただ見詰めていた――
【END】
午前0時のバーテンダー 草陰の射手 @sagitarius
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