第15話 焔の夢①
「…もしもし?すみませんそこの人、生きてますか?」
柔らかい声が呼び掛けてくる。肩に誰かの手が触れる感触がして、尊は目を覚ました。
「んん…」
シルバーフレームの眼鏡をかけた三十代くらいの男性。穏やかそうな顔をした見覚えのない人物がこちらを覗き込んでいる。
「あれ…?」
尊と目が合うと、ホッとしたような表情になる。
「ああ、良かった。ちゃんと生きてましたね」
隣に居るはずの男はいない。
ベッドの上で寝ていたのは尊だけだ。
寝ぼけた頭がだんだんと覚醒してきて、昨夜の情事を思い出し顔が熱くなる。
ハッとして自分の身体を確認した。
もしかして全裸なのではと思ったが、一応上半身はシャツを着ている。掛けられた布団をそっとめくると、下着だけ身に付けていた。自分で履いたのかどうかは謎だ。
「ああ、本当に良かった。一瞬、死んでいるのかと思いましたよ」
「ええっ?」
落ち着いた見た目のわりに発想が少々物騒だ。
「……えっと、貴方はこの店の方、ですか?」
「ええ、僕はオーナーの千秋清和と言います。あの――昨夜はここに久我と泊まったってこと、ですよね?」
明らかに不審がっている様子で、こちらをじっと見詰めてくる。当前の反応だろう。久我は雇われ店長のような感じでここに寝泊まりしていたのかもしれないが、肝心の部屋の主は姿が見えなくて、オーナーに断りもなく見知らぬ若い男が半裸で寝ていたら、普通にちょっとびっくりすると思う。女性ならともかく、だ。
「あ、あの、オレは怪しい者ではなくて、久我さんに連れて来られたというか――今、あの人、ここにいないんですか?」
「ええ、まぁ…今というか何というか。すみません、お名前を伺っても?」
「あ、はい。櫻井尊と言います。材木座にある『プティ・エトワール』というパティスリーの見習いパティシエです。えっと、自分の財布の中にショップカードがあるんですが…」
「ああ!そのお店なら知ってます。老舗ですよね。僕も時々買いに行きますよ。成程、お勤め先はすぐ近くな訳ですね」
この近辺では割りと有名なお店が勤め先で良かった。こちらの素性を伝えると相手の雰囲気も少し和んだように見える。
だが、今は落ち着いて話をしている場合ではない気がした。
窓から見える外の明るさに、尊はどきりとする。
「すみません、今何時ですか?」
「五時半ですね」
「!」
そろそろ出勤しなければならない時間だった。
尊は店で一番の若手なので、朝の開店準備は自分の仕事だった。
いつも六時には店に入っている。
もう店に向かわなければならないが――
それにしても、どうして久我はいないのだろう。
あんなことをした後なので気まずいのは確かだが、色々話したいことがあるのに。
「あのすみません、千秋さん。オレ、ちゃんと状況を説明したいしゆっくりあの人と話もしたいんですけど、時間がなくて。今日、仕事が終わったらまたこの店に来るってことで今はお暇していいですか?」
「分かりました。…また後程、ゆっくりお話ししましょう」
お気を付けて、とオーナーは静かに微笑んで送り出してくれた。
久我さえ戻って来てきちんと話をしてくれれば、色々な問題はすぐに解決するのになと、この時、尊は思っていた――
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