始まりの終わり ③
彼女もまたまっすぐと
「どうしたの?」
「僕は……」
病室のカーテンが揺れる。
風が少女の髪を揺らした。
「——赤色生徒会に入ろうと思う」
衿狭が目を瞬かせた。
構わず先達は続ける。
「いままで僕は戦うのが怖かった。何だかんだ言って、雑用やってた方がいいとか、戦っても何にもならないとか、いろいろ考えてたけど全部違うんだ。本当は戦うのが怖かった。それに言い訳してただけなんだ。でもいろいろあって気付いた。そのままじゃ駄目だって。勇気を出さなきゃ駄目だって」
「沙垣君はじゅうぶん——」
「いいや。気付いたんだ」
衿狭の言葉を遮って首を振る。
「いままで僕は一度も勇気を出しちゃいない。図書室に行ったときも、青色生徒会から逃げようとしたときも。あの日、殺人バットの恰好をさせられた荻納さんを守ろうとしたのも。その後も全部……」
全部。
そこにきみがいたから。
衿狭がくれた勇気だから。
だから、彼女がいないと駄目だ。自分はすぐにおかしくなってしまう。
また、あのときのように——自分を見失って、ナイフを振り翳してしまうかもしれない。
そうなるときっともう引き返せない。
あの日ナイフを持って鬼頭を追った自分を、いま思い出しただけでも身震いする。まるで得体の知れない化物を見ている気分になる。
けど、きっと僕たちはみんなそうなんだ。
化物は思ったよりすぐそこにいる。
霧のなかから、いつでもこっちを狙っている。
先達は掴んだ彼女の手を強く握りしめた。
「……そんなこと言わないで」
衿狭が宥めるような、諭すような声で言った。
その声色が湿り気を帯びる。
彼女の目の端も濡れていた。
「沙垣君は何も変えてないなんてことない。図書室のときも、沙垣君が来なきゃ私が先にマガネに襲われてた。沙垣君が青色から逃がそうとしてくれたから先生に会えて、青色は引き返していった。沙垣君が飛び掛かってくれたから鬼頭のナイフは逸れて私は死ななかった。……ね? 全部全部、沙垣君のお蔭なんだよ」
先達は答えられなかった。
俯いて涙が溢れるのを堪えた。
——そうか。
見ていてくれていたんだな。彼女は。自分のことを。
「ありがとう」
やっとのことでそれだけ言った。
涙を振り払い、声を張る。
「でも、それだけじゃ駄目なんだ。僕はもっと強くならなきゃ。このままじゃ駄目だ。僕が嫌なんだ。好きな人を——護れるくらいになりたいんだ」
握った衿狭の手にぐっと力を込めた。
「荻納さんを、護れるようになりたいんだ」
それは決して今日言おうと思っていたことではなかった。
それでも。
先達の思いに動揺も後悔もなかった。
できれば、もっと格好のついた顔で、いい雰囲気のなかで言いたかったけど。
「沙垣君……」
衿狭の目尻から涙が流れた。そうして目を瞑る。
「荻納さん? ごめん、そんなつもりじゃ……」
「ううん。そうじゃなくて」
衿狭は辛そうに眉を寄せた。
「ごめんね。その気持ちはとっても嬉しい。でも私……いまはその気持ちに応えられない。ごめん。ナナが……」
その名前に、先達も思わず息を呑む。
黙って彼女が涙混じりに話すのに耳を傾けた。
「ナナがあんなことになってるって知らずに、ずっと意味のないことをしてた。ナナはずっと苦しんでたのに。あいつに騙されて、あの子がどんな気持ちで最後いたかを思うと……」
「荻納さん……」
「私ね、ナナが殺人バットならいいのにって思ってた」
「え?」
「だって聞いた話では殺人バットとナナの背格好が似てたから、もしかしたらそうじゃないかって。そうならいいのに。あの子が生きててくれるなら、たとえ人殺しでもいい」
そう言った衿狭の声はいつになく鋭く重い。
だが先達は特別驚きも戸惑いもしなかった。
「それに、ナナを追い詰めた奴らは赦せなかった。私でもバットで殴り殺してやりたいと思った。……これが私なの。私は沙垣君が思ってるほどいい子じゃないから」
『沙垣君は人のいいところを見過ぎ。私はそこまでいい人じゃないよ』
青色生徒会に追いかけられていたとき、彼女は言っていた。
それはそういう意味だったのかもしれない。
それでも。
「……僕もそんな荻納さんが思ってるほどいい人じゃないよ」
先達は呟いた。
「荻納さん、あのとき言ったよね。『本当に気付いてない?』って。あれは殺人バットのふりした偽物のことだろ? 僕がマガネに襲われたとき、助けてくれた殺人バットの正体のことを言ってたんだよね?」
衿狭は黙っている。
構わず先達は続けた。
「知ってたよ」
そよ風がカーテンを揺らす。
「会長——
殺人バットが
だから誰もが彼を本気で捕まってほしいなんて思ってなかった。
あの人殺しの怪物は。正体不明の化物は。
この学園みんなで作ったも同然だ。
「……沙垣くんはいい人だよ、やっぱり」
しばらくして衿狭が薄く笑った。
「そうかな……」
「うん。——なれるよ。沙垣君なら。赤色生徒会に」
励ますように衿狭は握った先達の手に力を込めた。
気丈な笑みを浮かべて言う。
「沙垣君なんだから」
「荻納さん……」
そのとき、先達の胸元の無線が鳴った。
——何だろう?
こんなときに。
「ごめん、荻納さん」
そう断って耳に無線を近づけた。「もしもし?」
『沙垣先達か。済まない。取り込み中だったか?』
聞こえてきたのは赤色生徒会会長、紅緋絽纐纈紗綺の声だった。
いまも島の復旧作業に尽力しているはずの彼女の声はいつもと変わらず元気だった。ただでさえ怪我をしているはずだというのに。
「い、いえ! どうかしました?」
『お前の力が必要だ。いま病院に来られるか?』
「病院ならいまいますけど……」
『そうか、それはよかった。では
紗綺の声がいつになく弾んだ。
『先生が意識を取り戻した』
「ええっ⁉」
思わず衿狭が驚くほどの声が出てしまう。
「よかった。どうなることかと……えっと、それで僕の力が必要っていうのは?」
『それが、先生が起きるなり「もうこの仕事辞める」と言って聞かないんだ。私が説得しても一向に耳を貸してくれない。いま村雲と竜巻に代わってもらっているがやはりこういうことは沙垣先達が得意だろう、ということで連絡させてもらった』
「ぇえ……あの先生、またなんで……?」
『ふむ、いろいろやったり言ったりしたが、冷静になるとこんな命がけの職場はやっぱり御免だそうだ。そうは言っても先生にはここにいてもらわないと困る。先生は私たちに必要な人だ』
先達は思わず小さく笑う。
ベッドのうえで駄々を捏ねる康峰の姿が目に浮かぶようだった。
きっと村雲や竜巻相手に悪態をついてはまた咳込んでいることだろう。
あの厄介な人を、僕が説得できるとは思わないけど——
「分かりました。すぐに向かいます」
『ああ。頼む』
無線を切って衿狭に向き合った。
「ごめん、騒がせて。先生が目覚めたって」
「そうなの?」
先達は頷く。少し言い辛そうにするのを、衿狭が微笑んだ。
「行ってきて。私は大丈夫だから。いっぱい話して泣いて、疲れちゃったし」
「……うん。ごめんね」
「また謝ってる」
先達は笑った。
病室を出ながら彼女を振り返る。
「また来るから」
彼女は扉が閉まるまで穏やかな笑みをこちらに向けていた。
はぁっ——
どさくさに紛れて告白してしまった。
いや、こんなときにこんなことを言っている場合ではないけれど。
とにかくいろんなことがいっぺんに起き過ぎた。整理が追い付かない。だけどそれもいい。
先達は護身用の鉄刀を握り直す。軍帽を被り直す。
康峰のいる別の階の病室に急ぎ足で向かいつつ、窓の外を見た。
今日も四方闇島は薄ぼんやりした霧に覆われている。一歩踏み出せば何が待ち受けているか分からない、得体の知れない気味の悪い霧の孤島。
それでも時折太陽が覗くこともある。
ここは四方闇島の鴉羽学園。
ここが僕たちの戦場。
そして僕たちの家だ。
開け放たれた窓から風が吹く。
その風に背中を押されるように、先達は駆けた。
窓硝子に映ったその顔には、不思議と笑みが浮かんでいた。
どこかでトラツグミが鳴いている。
どこまでも透明な、美しい音色で。
まるで恐ろしい何かがすぐそこまで迫っているのを告げるように。
——或いは。
静かに寄り添い、悲しみを分かち合おうとするかのように——
『アポカリスト ―終焉の学園―』《完》
アポカリスト ―終焉の学園― 志島余生 @shijima_yosei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます