5章(1)

 なぜ、アウストルは生きているのか。なぜ、愛していないはずのメルフェリーゼを迎えに来たのか。なぜ、カイリエンと一緒に住んでいる家の場所を知っていたのか。そしてこの馬車は、どこに向かっているのか。


 聞きたいことはたくさんあるものの、メルフェリーゼは口も聞けずに馬車に揺られていた。隣に座るアウストルからじんわりと体温が伝わり、彼が生きているという実感が増していく。

 幻覚でも、幻聴でもない。たしかにアウストルは生きている。馬車に乗せられた時、アウストルはユルハ王国内ではアウストルもメルフェリーゼも亡くなったことになっていること、城には帰れないこと、メルフェリーゼが大人しくユルハに帰るならカイリエンを処罰するつもりはないことなどを報告書を読み上げるように話した。


 カイリエンに処罰が下ることを望むわけがない。メルフェリーゼはアウストルに言われた通りに、大人しく馬車に乗り、彼に従った。

 なにから尋ねるべきかも分からずに、メルフェリーゼは沈黙を守っている。そもそも、アウストルと二人きりで過ごしたことさえ、数えるほどしかない。いつもは距離を置いて座る彼が、ぴったりと太ももを寄せるようにして隣に座っていることも、メルフェリーゼが落ち着かない要因のひとつだった。


「あの……」


 勇気を出して絞り出した声は、少し震えている。けれど、アウストルはメルフェリーゼの顔を一瞥しただけで先を促すように黙っている。


「この馬車は、どこに向かっているのですか」


 ユルハ城へ帰れないのなら、自分は一体どこへ連れて行かれるのか。国葬まで行われて死んだことになっているアウストルは、今までどこに身を潜めていたのか。

 アウストルの目が、なにかを思い出すように遠くへ向けられる。


「俺の母が住んでいた館に向かっている」

「お母様が?」

「俺とマーリンドは、腹違いだ。あいつの母親は王妃だが、俺の母は王の妾だった」


 アウストルの冷え冷えとした視線が、メルフェリーゼの顔に注がれる。


「王は妾から男児を取り上げて、王位継承者として育てることにした。妾は子どもを取り上げられて、出生の秘密を漏らさぬように王の建てた館に死ぬまで幽閉された」

「そんな……」

「母は所詮、王にとってはただの玩具のようなものだったのだろうな」


 アウストルはずっと、母親に会うことも叶わずに城で育てられたという。妾の子どもというだけで王妃からは疎まれ、兄であるマーリンドには蔑まれ、実の父親であるドゥアオロも、アウストルを「娼婦の子」と罵った。

 幼い頃から味方のいないユルハ城で育ったがために、アウストルはこんなにも厭世的な顔をする人間になってしまったのだろうか。

 あんなに遠かったアウストルが、今は少しだけ近くに感じる。だからといって、結婚してからの二年間を許せるはずはない。彼の事情を汲んだとしても、メルフェリーゼがアウストルの行いで傷ついたことはたしかなのだから。


「まだ着くまで時間がある。眠っておくといい」


 アウストルが腕を回し、メルフェリーゼの肩を抱く。奇妙な優しさに、メルフェリーゼはざわざわと胸騒ぎがした。

 アウストルに急に優しくされて、メルフェリーゼは彼への疑いを止められない。なにか裏があるのではないか。カイリエンの元から連れ出すために今は優しくしているだけで、目的地に着いたらメルフェリーゼは捨てられるのではないか。アウストルに捨てられてもおかしくないことを、メルフェリーゼはやったのだ。メルフェリーゼに優しく接している今のアウストルのほうが異常なのだ。


 肩にアウストルの体温を感じながら、目をつむる。暗闇に浮かび上がってくるのは、あの日の赤黒く変色したアウストルの顔だ。眠れるわけがない。目を開けて、動悸を抑えるように深呼吸をする。

 肩を抱くアウストルの手に、力がこもる。そっと視線を上げると、アウストルは見たこともないような表情でメルフェリーゼを見下ろしていた。

 まるで迷子になった子どものような頼りない顔つきのアウストルを、メルフェリーゼはまじまじと見つめる。どうして彼が、そんな顔をするのか。

 メルフェリーゼはこわごわとアウストルの肩に頭を寄せた。びくっとアウストルの身体が震える。顔を上げると、アウストルは戸惑うように視線をさまよわせる。


「すみません、離れますね」


 離れようとしたメルフェリーゼの身体を、アウストルが引き寄せる。


「……いや、このままでいい」


 沈黙の中に、馬車のガタガタとした揺れだけが響く。馬車の揺れとアウストルの体温に身を任せていると、ぼんやりと眠気が襲ってくるが、また悪夢を見るのではという恐れが、メルフェリーゼを引き止める。

 アウストルに頭を預けたまま、メルフェリーゼは呟く。


「何度も、アウストル様の夢を見ました」

「……」

「当然の報いだと思いますが、苦しむアウストル様の顔が頭に焼きついて離れないのです」

「お前は、誰も殺してなどいない」


 メルフェリーゼに調子を合わせるように、アウストルも呟いた。慰めにそんなことを言っているのだと分かっている。

 メルフェリーゼの唇がゆるく弧を描く。


「それはアウストル様が生き返ったから、ということでしょうか? たとえ生き返ったのだとしても、私のしたことは消えない――」

「そうじゃない」


 存外に強い口調で、アウストルはメルフェリーゼの懺悔を断ち切った。


「お前が見たのは、特殊な化粧を施した舞台役者だ。あれは俺じゃないし、そもそも毒も飲んでいない。苦しんでいるように見せる化粧と、演技をしただけだ」

「なぜ……」


 メルフェリーゼの頭を新たな衝撃が襲う。なぜ、そこまで用意ができたのか。身代わりを立てて、毒を盛りに来たメルフェリーゼを逆に騙して――。


「いつかお前に殺されるだろうと、思っていた。殺されてもおかしくないことを、俺はお前にしてきたのだから」

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