5章(2)
アウストルの言葉の真意を聞けないまま、メルフェリーゼは馬車に揺られて眠った。
目が覚めると、辺りはとっぷりと日が暮れて薄闇に包まれている。メルフェリーゼが起きたことに気づいたアウストルが、わずかに身じろぎをする。馬車はすでに目的地に着いているようで、動きはなかった。
ぼんやりとした薄闇の中で、翡翠色の瞳がきらりと光を反射する。
「起きたか」
メルフェリーゼはこっくりとうなずきながら、頭を持ち上げた。ずっとアウストルに寄りかかって眠っていたのに、彼は一言も文句を言わない。まさか馬車が止まってからもずっと、メルフェリーゼを起こさないように動かずにいてくれたのだろうか。
アウストルが手櫛でメルフェリーゼの乱れた前髪を整えてくれる。人が変わってしまったかのような優しさに、メルフェリーゼは寒気を覚えずにはいられなかった。
アウストルの一声で従者が動き、馬車の扉が開け放たれる。春の夜風はひんやりと涼しく、メルフェリーゼはアウストルに手を引かれて馬車を降りた。
目の前に広がる光景に息を飲む。暗闇の中で向こう岸が見渡せないほどの大きな湖を、ざわざわと風に揺れる木々が取り囲んでいる。湖のそばには三階建ての屋敷が建っており、玄関から淡い明かりが漏れていた。
「母は結局、二十年前に流行病で亡くなった。改装や修繕をして、俺だけが使っている」
アウストルはそれだけ言うと、屋敷に向かって足を踏み出した。メルフェリーゼも後に続き、石畳で舗装された道を歩く。
建てられたのはだいぶ昔のはずであるが、近くで見ても傷みはほとんど見られなかった。庭もあるようだが、闇に沈んでしまってなにも見えない。明日、明るくなったらまた外を見て回ろうと決めた時、メルフェリーゼは自分がすでにこの生活に順応しようとしていることに気づいて戦慄した。
思えば、半ば拐かされるようにしてアウストルにここへ連れて来られたにも関わらず、カイリエンのことも思ったり、彼に助けを求めようとも思わなかった。
アウストルが現れたあの瞬間から、メルフェリーゼは心のどこかでもうユルハ城での生活にも、カイリエンとの暮らしにも戻れないことを察していたのだ。
夫を殺そうとしたのだから、当然の報いを受けているだけ。メルフェリーゼの心は勝手にそう結論づけて、カイリエンとは二度と会えないだろうと決めつけた。そして彼と過ごした温かく美しい日々を、胸の奥底に閉じ込めることにしたのだ。これからの生活に耐えられなくなった時に、そっと取り出して眺めるために。
屋敷の中は明るくランプが灯っていたが、人の姿はなかった。アウストルは今や亡くなった身だ。国葬も行われている。ずっとここに、一人で住んで身を隠していたというのだろうか。
くるりと振り返ったアウストルが、メルフェリーゼの頭から爪先までを眺め回して袖のボタンを外す。
「まずは湯浴みをしたほうがよさそうだ」
たしかにメルフェリーゼはここ数日、絶えず悪夢や幻覚に苛まれていたせいで食事も身を清めることもおろそかになっていた。長いブロンドの髪も、ところどころがもつれて絡まり合っている。
しかし。メルフェリーゼはちらりとアウストルを見る。なぜ彼が腕まくりをしているのだろうか。
◇ ◇ ◇
許して、と言ったところで許されるはずがなかった。メルフェリーゼはあまりにも弱い。力も、立場も、アウストルに勝てるはずがない。
たっぷりと泡立てられた石鹸をまとったアウストルの手のひらが、メルフェリーゼの身体の上を滑る。メルフェリーゼを後ろから抱えるように自身の膝の間に座らせ、足の指の一本に至るまで丁寧な手つきで洗っていく。
くすぐったさと羞恥、浴室の熱気でメルフェリーゼの頬は上気し、早く終わらせて欲しいと願うようにぎゅっと目をつむる。
「な、なぜ、アウストル様が……」
なるべく身をかがめて隠してはいるが、アウストルのほうが座高が高い。上から見下されてしまえば、隠している意味などない。それにメルフェリーゼは一糸まとわぬ姿に剥かれているにも関わらず、アウストルはきっちりと服を着込んでいる。シャツの袖をまくっただけの状態で、服が濡れるのも構わずに泡まみれのメルフェリーゼを抱いているのだ。
「それは先ほど言っただろう。侍女を入れるわけにはいかないから、俺がお前の世話をすると」
「ひ、一人でできます! 湯浴みも着替えも……っ!」
内ももをするりと撫でられて、息が詰まる。素肌にアウストルの濡れたシャツが触れ合い、自分がなにかよくないことをしているのではないかという錯覚に陥る。
ぴったりと閉じられたメルフェリーゼの脚の隙間に、アウストルは手を滑り込ませた。メルフェリーゼが驚いた一瞬の隙をついて、もう片方の手も差し込み、片脚を腕で抱え込んで開かせる。
秘部が晒され、アウストルの腕を引き離そうともがいてもびくともしない。メルフェリーゼが羞恥で滲ませた涙は、汗とともに顎先を伝う。
「ここは」
アウストルの指先が、ひたりと秘部に押しつけられる。
「あの男に使わせたのか」
メルフェリーゼはアウストルの腕にしがみつきながら、ふるふると首を振った。
カイリエンとそういった雰囲気になることは、何度かあった。生活が落ち着いたら子が欲しいと言われたこともある。けれど、そのたびにメルフェリーゼは怖くなり、留まってきた。カイリエンも無理強いはしないと言って、メルフェリーゼの意思を尊重してくれた。
その結果、彼とは一度も結ばれずにアウストルの元へ帰って来ることになってしまった。
アウストルは何度か秘部を撫でてから、指を離した。抱え込まれていた片脚も下ろされ、メルフェリーゼはうつむいて脚を閉じる。両腕できつく自分の肩を抱き、羞恥に耐える。
これが夫を殺し、他の男と逃げようとした罰なのか。
後ろからアウストルに抱きすくめられて、涙で濡れた頬を指先で拭われる。
「メルフェリーゼ」
この二年間、決してメルフェリーゼの名を呼ぶことのなかったアウストルが、優しさすら滲ませて彼女の名前を呼ぶ。
「もう二度と、俺の元を離れるな」
懇願に近い声色に、メルフェリーゼはただ狼狽えて黙り込むしかなかった。
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