4章(1)

 季節の移ろいがこんなにも早く感じることは、ユルハ城に来てからはじめてだった。いつもは時間の流れも遅く、一年が過ぎるのをじりじりと待つだけだったのが、今年の冬は早すぎる。

 すでに雪は解け、カイリエンがツリシャへ帰る日も間近に迫ってきている。


 メルフェリーゼは焦っていた。アウストルに毒を盛る機会がないまま、冬は終わってしまったのである。

 人目につくところでは、絶対にできない。ならばアウストルが日中に使っている執務室か、寝室ということになるが、そのどちらへもメルフェリーゼは気軽に入っていけるような仲ではない。

 腐っても夫婦なのだから、寝室くらい簡単に出入りできると思っていたのだが、実際はアウストルの寝室の両脇には護衛の兵士が詰めており、妻であるメルフェリーゼですら用事がなければ入ることは許されなかった。


 いよいよ、手段を選んでいる場合ではなくなる。カイリエンに自分がやると宣言した以上、必ずやり遂げなければならない。彼の手を借りるわけにはいかない。

 それに、ツリシャの兵士であるカイリエンよりは、ユルハの王族であるメルフェリーゼのほうが自由に城中を動ける。やはり、自分以上の適任はいない。

 メルフェリーゼは気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸をすると、扉をノックした。


「開いてるわよ」


 艶っぽい、くぐもった声が部屋の中から聞こえる。

 メルフェリーゼはもう一度、呼吸を整えると扉を開けた。

 大きな天蓋つきのベッドに腰かけ、ロワディナがゆるく微笑んでいる。彼女のたっぷりと生地を使った紅いドレスは腰元までたくし上げられ、開いた股の間に若い男が顔を埋めていた。

 ロワディナが片手で男の頭を押さえつけたまま、立ち尽くすメルフェリーゼの頭から爪先まで眺め回す。


「立ったままで終わる話じゃないでしょう? お座りになったら?」


 ロワディナが布張りのソファーを顎で示す。メルフェリーゼは言われるままに、ソファーに浅く腰かけたが、思いのほか身体が沈み込んだ。いつも座っている木製の椅子とは勝手が違う。

 尻の場所を上手く決められずにもぞもぞと動きながら、メルフェリーゼは早速、本題を切り出した。


「ロワディナは、その、マーリンド様の寝室へ入る時って……」


 メルフェリーゼが恥ずかしさから言葉を切ると、ロワディナの股に顔を埋めた男の元からぴちゃぴちゃと水音が響く。ロワディナは恥ずかしくないのだろうか。不浄な場所を男に舐めさせ、それを他人に見せつけるなんて。

 メルフェリーゼはなるべくロワディナと目を合わせないようにうつむくが、そうすると一心不乱に動き続ける男の姿が目に入ってしまう。ならばと顔を上げると、やはり唇の端から甘い吐息を漏らすロワディナと目が合ってしまう。

 メルフェリーゼは絶えず視線を動かして、必死に目の前の光景から目を逸らした。


「夜這いの方法を、あたくしにお尋ねになっているんですの?」


 夜這いとはっきり口にされて、メルフェリーゼの顔がさっと赤くなる。妻である自分が、アウストルの寝室を訪ねるのは、そういうことだ。他人から見れば、夜這い以外のなにものでもない。

 メルフェリーゼはあらかじめ用意していた文句をロワディナに向かって吐き出した。


「部屋の前に護衛の兵士がいますよね? あの方たちに部屋へ入って行くところを見られるのが、恥ずかしくて」

「たしかに、これから王子と肌を重ねるのだと想像されるのは気持ちのいいものではありませんものね」


 言葉の合間にも、ロワディナはうっとりと甘い喘ぎを漏らし、男の髪をくしゃくしゃに握る。メルフェリーゼの前で平然と男を侍らせているロワディナにそんな羞恥心があるとは思えないが、彼女に同意するように重々しくうなずく。

 ロワディナはひときわ大きな喘ぎを漏らし、男の頭を太ももにきつく挟み込んで、ぶるぶると身を震わせた。窒息しかけているのか、男の耳が真っ赤に染まり、その場から逃げ出したいというように足がバタバタと動く。

 ロワディナがひとしきり余韻を堪能した後、男はやっと解放された。男は汗でじっとりと濡れたロワディナの太ももを丹念に舐めてから、一言も喋らずに部屋を出ていく。


 悪い夢を見ているようだった。メルフェリーゼの身体は意識の外で熱くなっている。誰にも咎められずにアウストルの寝室へ入る方法を尋ねておきながら、彼女の心はカイリエンのことを考えていた。正確には、カイリエンの熱い肉厚な舌が、自分の身体を這う様を。

 メルフェリーゼの表情の変化を、ロワディナは目ざとく見つける。


「なあに? そんな物欲しそうな顔をしても、あの男はあたくしのものですわよ」


 ロワディナは乱れたドレスを適当に直すと、立ち上がってメルフェリーゼのそばまでやってくる。着飾ったロワディナからは、むせ返るような濃く甘い花の香りがした。


「一度だけよ」

「え……?」


 ロワディナが身をかがめ、いたずらっ子のように微笑む。その笑顔は、彼女を少女のように幼く見せた。


「今夜、あたくしがあの者たちの相手をしてあげる。いい? あたくしが誰にも見咎められず二人を引き止めておけるのはせいぜい一時間が限界。その間にあなたはアウストル様の寝室へ行って、やることやったらさっさと出てくるの」


 メルフェリーゼはどう答えてよいものか、困惑する。まさか、ロワディナがここまで協力してくれるとは思っていなかったのだ。メルフェリーゼとしては夫の寝室へ入ることのできる、なにかいい理由を求めてロワディナから助言を得ようとしただけである。

 それが人払いまでしてくれるなんて。メルフェリーゼの頭はぐるぐると考えを巡らせる。失礼だが、ロワディナがなんの見返りも求めずにそこまでしてくれるとは思えない。なにか裏があるのではないか。

 そう思っても、ロワディナを頼る以外にいい方法は思いつかなかった。これがなにかの罠だったとしても、どうせ全容が分からなければ対処のしようがない。

 メルフェリーゼはロワディナの気が変わらないうちに、と何度もうなずいた。


「ロワディナ様に相談してよかったです」

「あたくしだって、アウストル様に見向きもされないあなたを、同じ女として多少は可哀想に思っているんですのよ」


「だからメルフェリーゼ様も……」とロワディナが唇の端を吊り上げる。


「あたくしのことを爺に嫁がされた可哀想な女だと思って、ここで見たことは黙っていてくださいましね」

「え、ええ。それはもちろん」

「女同士の秘密ですわ」


 そう言ってロワディナはメルフェリーゼの頬をするりと撫でた。ロワディナの指はしっとりとして、すべすべで、吸いつくような弾力があった。

 逃げるように席を立ったメルフェリーゼの背中を、ロワディナの軽やかな声が追いかけてくる。


「はじめてなら香油を用意したほうがいいですわよ!」

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