3章(6)

「ありゃそのうち消されるな」


 ミハイは誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。

 ハナに依頼の品を持たせて送り出した後、ミハイは食堂でカチコチに乾燥した黒パンをかじっていた。ミライも小さな椅子に巨躯を押し込み、ミハイの目の前で黙々と食事を平らげている。


 ハナは毒師の館へ遣いに出されたというのに、自分の主が求めているのは薬なのだと信じて疑わなかった。ミハイも多くは語らず、ただ中身を見たりせずに主へ差し出すこと、と言い含めてハナを帰した。

 もちろん、ミハイが渡したのは薬なんてものではない。効能はともかく、れっきとした毒だ。服用すればただではすまない。

 そんなことをしても、彼女の命を救うことができないことは、ミハイも分かっている。依頼人が徹底的に証拠の隠滅を図るなら、毒師の館から品を運ぶ大役を負ったハナを生かしておくわけがないからだ。


「問題は、あいつが誰の遣いかってことだ」


 思考する時の癖で、ミハイの口から独り言が漏れる。

 ハナは一体、誰に指示をされて毒を受け取りに来たのだろうか。封書の筆跡に見覚えはなく、代筆の可能性もある。

 依頼の品は希少なもので、庶民がおいそれと払える金額のものではない。確実に、王族が絡んでいることは間違いないのだ。


「マーリンド派の可能性が高いと思う」


 むぐむぐとパンを頬張っていたミライが口を開く。その顔つきは真剣で、情報屋としてなにかを掴んでいるようにも見える。


「なんでさ」

「アウストル王子は、今のところ王位に興味はなさそうだ。世継ぎの話も聞かない。だとすれば、アウストル王子がマーリンド王子を排しようとしているとは考えられない。マーリンド派が勝手にアウストル王子を王位争いから引きずり下ろそうとしているだけだろう」

「世継ぎの話が、ない?」


 ミハイは耳を疑った。アウストルの元にメルフェリーゼが嫁いだのは、もう二年も前の話になる。普通なら、すでに世継ぎが産まれていてもおかしくはない。


「密偵の話だと、アウストル王子はメルを避けているようだ。夜をともにするどころか、目も合わせやしないらしい」


 ミライは仕事の話をする時だけ、饒舌になる。それがメルフェリーゼに関わることならば、なおさらだ。

 世継ぎがいらないのなら、なぜアウストルはわざわざ貧民の女を娶ったりしたのか。

 なぜ、ミハイとミライは、メルフェリーゼを奪われたのか。


 心の奥底で、なにかがふつふつと滾る音がする。それはアウストルへの憎しみか、それとも千載一遇のチャンスを手にした興奮か。

 どちらからともなく視線を合わせ、ミハイとミライは見つめ合う。

 もし、ハナに持たせたものがメルフェリーゼに使われたとしたら。マーリンド派ならやりかねない。アウストルに近づくことが難しいなら、次に命を狙われるのは王位継承者を産む可能性のあるメルフェリーゼだ。

 手の中の黒パンを握りしめる。依頼人について、自分の作ったものが使われる先について深く詮索しないのが美学だった。しかし、そんなことも言っていられない。


「ミライ、密偵にハナの周辺を探らせろ。俺の毒がどこへ行き着くのか、確かめないといけない」

「言われなくてもそのつもりだ」


 ミライは残りの料理をさっさと胃に流し込むと、立ち上がった。早速、仕事に取りかかるつもりらしい。

 ミハイも残りのパンをすべて口に押し込むと、外出の準備をはじめた。ここで一人、黙っているわけにはいかない。


「待ってろ、メル……今度は俺らが、君を救ってみせる」


 左腕に残る大きな傷跡をなぞる。十年前の、あの日を思い出して。

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