第10話


 主の様子を、赤城は壁際から見ていた。黒田が由岐治の鞄を下げて、隣にやってきた。


「やあ。すごいな、やっぱり碓井君は」

「はい」


 由岐治を見ながら、黒田は感心したように赤城に囁いた。赤城もまた、主を見たまま、答える。その様子に黒田は笑った。


「夢中だね」

「坊っちゃんは剣道がお好きですから」

「そっち!?」


 あはは、と黒田は笑い声を上げる。赤城はそんな黒田を見た。黒田は赤城に、ぐっと距離をつめてきた。背丈の同じくらいの二人は、身を寄せると顔が近くなる。


「あのさ、赤城さんってさ 」


 黒田の次の言葉が発しようとしたときだった。


「ソウちゃん……」


 背後から、か細い声が届いた。見れば、中目木が、開け放しの用具室の扉から、体を半分だけ出して、二人の様子を窺っていた。


「ツバサ。何やってんだよ、もう休憩も終わっちまったぞ」

「あうう……」


 中目木は顔をくしゃりと歪めた。「そうなんだけど、」と泣きそうな顔には焦りと恐怖が浮かんでいた。じっと赤城を見て、それから黒田を見て、黒田を手で、わたわたとしゃくった。


「どうしたんだよ」

「ん! ん!」


 焦れたように、ぴょんぴょんと身をはねさせながら、中目木は黒田を呼ぶ。黒田は首を傾げると、赤城に向き直る。


「ごめん赤城さん、俺ちょっと行ってくるね」

「どうぞ」

「ソウちゃん、早く……!」

「わかったって!」


 急かす中目木に、大声で返すと、黒田は赤城に由岐治の鞄を渡した。


「悪いんだけど、持っててもらっていいかな。用具室、これで入れないからさ」

「わかりました」


 赤城は鞄を受け取ると、先まで黒田がしていたように、肩に背負った。彼女の主が聞くと、「ふざけんな、元々お前の仕事だろ」と怒り出しそうなやりとりであるが、彼女たちには悪気はなかった。

 黒田は満足げに、にっと笑うと、足早に中目木の待つ用具室へ向かった。赤城はその背を見送ると、また、由岐治へと視線を戻した。すると、先まで部員と打ち合っていた主は、肩を怒らせて赤城のもとへ歩いてくるところであった。


「坊っちゃん」

「お前、だらだらと良いご身分だな!」


 細い声ではげしく怒鳴りながら、由岐治は赤城に、にゅっと握りこぶしを差し出した。


「これは」

「紐が切れた。お前持ってろ!」


 そう言って赤城の手のひらに押しつけるなり、由岐治は元いたところへ戻っていった。「すみません、お待たせしました!」甘さの残る、澄んだ声が道場内に響く――赤城は主に渡されたものを確認すると、そっとしまった。


「お待たせ、赤城さん」


 黒田が戻ってきたのは、それから少し経った後だった。後についてきた中目木を促し、「こいつ遅くなってすみません」と、先輩たちに頭を下げる。丁度、久能と由岐治の激しい打ち合いを見ていた先輩たちは、「おう」と中目木を横目に受け入れた。黒田がこちらに来るのを、赤城は打ち合いから目を上げ、見る。黒田は赤城の隣に並ぶと、彼女の顔をあえて見ないといった素振りで、由岐治と久能の攻防を見やった。


「すごいなあ。あの久能とここまで打ち合えるなんて、やはり碓井君は逸材だ」

「そうですか」

「解決したあとも、ぜひ部に残ってほしいよ」


 黒田は思わず……と言った風に、竹刀を構え振る動作をした。その動きを見て、赤城は尋ねる。


「黒田さんは、何故マネージャーを?」

「えっ?」

「あなたも相当お強いでしょう」


 黒田は一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐに「あはは」と笑った。


「昔やってただけで、もうやってないんだ。本当、たいしたことないよ」

「そうですか」


 赤城は、黒田の顔を見ていた。見つめる、でもない、映すに近い彼女の視線に、黒田はしばし口ごもる。


「怪我しちゃったんだ」


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