第9話

 ――っていうか、本当にいじめられてるのか?

 由岐治は、打ち合いながら、思案する。予定調和の動きすぎて、思考が容易だった。

 こんなになるい部活で、『嫉妬』もくそもないと思うのだが。何より由岐治は、中目木が気に入らなかった。あんなへにゃへにゃした奴をかばうのはごめんだった。由岐治は開け放しの用具室を見る。ここからだと見えないが、どうせまだ着替えているのであろう、まだ稽古に参加もしていない。

 いくらなるくたってなめすぎだろ。そんなんだからいじめられるんじゃないのか? そもそもいじめが本当にあったらの話だが……思いつく限りの罵倒を竹刀にのせ、くり出しながら、由岐治は視野を広く持ち、道場内を見渡す。


「ナカ、おせーなぁ?」

「トイレか?」

「いや、俺もそう思ったけどまだ着替えてたぜ」

「大丈夫かな?」


 中目木を咎める声もないようだ。むしろ過保護すぎると言っていい。

 

「大会近いもんな〜俺も、腹痛い」

「大丈夫かよ?」

「お前なら大丈夫だって! 皆ついてるし、信じろ」


 信じてないで練習しろよ。ぬるま湯も熱く感じるほどの周囲の温度に、由岐治はとことん白けてきた。ここから、どうやって犯人を見つけ出せと言うんだ。

 休憩に入り、由岐治は汗を拭った。馬鹿みたいな稽古でも、今は夏。どうしていたって汗はにじみ出た。


「お前、さっきどこ行ってた?」

「いや、ちょっと給水がてら涼んできてた」

「そっか〜バテてるかと思ってた」

「そう言えばお前もさっきさ……」


 どうだっていいだろ、どこで誰が何をしてようが! 由岐治は首を力ませ喉をぎゅーっとしぼった。とにかくここの人間は、他の人間が何をしてるか四六時中気を配っているらしい。『仲間意識』というやつなのかもしれないが、涙が出るほど息苦しい。

 こんな状況でいじめができたら猛者だが、しかし、こんな状況だからこそいじめが起こるのかもしれない。

 心底面倒なことになった。こちらは一刻も早く帰りたいのに、しかしそれを依頼主に告げるわけにもいかない。このベタベタした部活の筆頭といえるようなベタベタ男だ。下手なことを言おうものなら、「碓井はいじめを容認する」と騒ぎ立てるかもしれない。いや、絶対やる。今も当人は、由岐治の鞄を下げたまま、あちこち目を配って走っていた。


「先輩、さっき手首大丈夫っすか! 冷やしてくださいっ」

「あぁ? べつに平気だって」

「駄目っすよ! 怪我をナメちゃ!」

「聞いとけよ、心配してんだから」

「おお……つーかクロ、その鞄どうした?」

「ああ、碓井君のっす!」

「あー、てっきり……」

「クロは面倒見いいよなー」

「へへつ」


 何が面倒見いいよな、だ! 頼んでないんだよ! ていうか僕の鞄持ちながらあちこち動くなよ、汚れるだろ!勝手に地面においたら殺すからな!

 由岐治は不安と不満を胸の内で殴りつけまくった。それを散らすように、竹刀を振るった。


 神様くそったれ、何だってこんなに面倒くさいことが起こることをあなたは教えてくれないんです? 人間というものは何故、起こったあとにしか動けないのだろう。


 ※※


「碓井君、やるな!」


 部長が颯爽と歩いてきた。隣に並び際に、思い切り背を叩かれる。仮にも年長の相手だが、馴れ馴れしいとしか思えない。何だってここの人間は、こんなにスキンシップが好きなんだ。今しがたあったばかりで、友達になったつもりか?

 由岐治がぎこちなく笑みを浮かべていると、部長は照れ隠しと取ったのか、「謙虚だな」と笑った。部長の肩の向こうで、久能が汗を拭っているのが見えた。休憩が入ったあともしばらく竹刀を振っていたが、満足したらしい。乱雑、猥雑な気配の中で、ぴたりと凪いだようにそこだけ静かだった。常人なら、その気配に圧されてしまうのだろう。皆、久能のことは遠巻きにしていた。

 好かれている、という感じじゃないな。

 由岐治は思う。この人が怪我をさせられたからと、義憤に燃えるような人間はいるのだろうかとさえ思う。

 久能もまた、周囲のことは気に留めた様子もなく、ひとしきり汗を拭うとまた竹刀を手に、動きを確かめていた。

 うん、明らかに浮いてる。

 由岐治は結論づける。まあ、こんなゆるい部活に本気の奴が飛び込めば当たり前か……納得したが、これでまた問題がややこしくなった。くそめ。

 

「君と切磋琢磨できたら嬉しいな」

「はは、光栄です……」

 

 部長の笑みに笑みを返しながら、由岐治はひとりごちた。


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