第8話

 用具室を出ると、久能は未だそこに瞑想していた。たっぷりとした黒髪が、射し込む光に照らされ、湖面のように光っている。まだやってたのか、わりに長いな。

 その静かな様子に、由岐治も少々、心を落ち着ける。


「おつかれさまぇす」


 そのとき、丁度ひとりの生徒が、武道場に入ってきた。長身だが細身で、体のつくりから上級生ではないとわかる。


「おせーぞ、ツバサ。もう皆来てるし」

「あぁうぅ。ホームルーム長引いちゃって……先輩たち、怒ってる?」

「いや、怒ってないけどさ」

「どうしよう……」


 黒田のフォローも聞かず、おろおろと鞄の肩紐を握りさすっている。


「ただでさえ俺、あれなのに……遅刻なんてしたら、最悪だよね……っ」

「なら急いで行って来いっ!大丈夫、怒るような人たちじゃねえだろ?」

「うぅ……俺ひとりで……?」


 ちろ、と黒田を上目に見やる。自分のほうがずっと背も高いのに、慣らしたものだった。


「俺ちょっと用事あるから!」

「えぇー……いつ終わる?」

「当分無理! ほら、早く行け! 遅くなるほど行きづらくなっちまうぞっ」


 黒田の発破も聞かず、もじもじうじうじ、身をくねらせながら、用具室に行くのを渋っている。由岐治は目の前のこの少年を、思い切り張りとばしたい衝動にかられた。黒田も大概だが、こいつは規格外だ。

 そして何より最悪なことが、もう自分の中で予想づいていた。


「碓井君、赤城さん。こいつが中目木。俺の弟分です」

「えぇ、えっ? 誰? なにか話してたの? やだ……」


 こっちが嫌だよ。由岐治は隕石レベルの予想的中に、もはや感嘆を禁じえなかった。


中目木翼沙なかめぎつばさです。よろしく……」


 目線も合わせず、きょどきょどと体を揺らす、目の前のこの少年が、今回の依頼の要なのだ。

 腐った犬みたいなやつだな。

 もう、今すぐ用事を思い出して帰りたかった。


 ※※


 それからしばらく、わらわらと話しながら着替えてやってきたかと思えば、おもむろに練習が始まった。あちらこちらから、気合の声がまばらに上がる。

 たっるい部活だな。虚無の眼で由岐治は、竹刀を振りながら思った。

 武道場の壁にびしりと貼られている『不撓不屈』『精神統一』などといった書初めの言葉などが悲しく思えてくるレベルだった。そういえばそれでここの部活、眼中になかったんだっけ、という気さえしてきた。

 まあいいや、自分のすること終えてとっとと帰ろう。由岐治は、気を取り直す。構えて、踏み込んだ。

 しかし。

 いじめ問題とか、本当に面倒だ。これで、自分が今日中に犯人を見つけられなかったらどうなるんだろう。僕が悪いことになるのか? 無能って扱いされるのか?

 ――冗談じゃない!

 由岐治は、相手の面を思い切り打った。通りすがりながら、身震いする。いじめを解決するだなんて、そんな約束、一度だってしていないぞ。こんな複雑で難しい問題、まして今日初めてここに立ち入った自分が解決するだと? どう考えても一日で解ける問題でもない上に、できなかったら無能扱いだと? そんなの罰ゲームではないか。

 まだ無能扱いされると決まった訳では無いが、由岐治の中ではそう決まったもので、ひたすら焦りに苛立っていた。

 別に『主従探偵』なんて浮ついた呼び名、機会がいればいつだって返上してやるつもりだが、こんな形ではない、断じて。苛々と由岐治は向こうの竹刀を受けながら思う。決まりの動きだが、理不尽に腹が立った。

 何としても自分に一切損がないように、この件から手を引かなくては。

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