第18話
周囲がざわめく。
「あなたはバーをすり替え――そして事故が起こった。そこであなたは、相羽先輩を『事件』の犯人としたのです」
「つまり滝口先輩! 犯人はあなたです!」
赤城の言葉をつぎ、由岐治は高らかに宣言した。滝口へ、大きく手をのべてみせる。周囲から、「おお」と雄叫びがあがった。
「そんな……」
「まさか!」
滝口と、理紗の友人たちが声をあげた。そして、気遣わしげに滝口を見る。まさか、そんな――言いながらも、その顔にわずかに困惑の色を浮かべている。
滝口は、表情を変えなかった。周囲のどよめきの中、ただ目を険しくする。
「ありえない」
滝口はきっぱり吐き捨てた。その表情は、まさに呆れかえる、と言うにふさわしかった。
「俺が犯人? それもただ、ジャケットに触ったからって理由で」
冷たい怒りの声が、周囲の熱気に冷水をかけた。その迫力に、由岐治の顔も強ばる。のべた手を、おめおめおろす訳にも行かず、頭にやった。
「だいたい、何で俺がそんなことをしなきゃならないんだ? 何の得がある?」
「そ、それは――」
「それはわかりません」
弱った声に、赤城の声がとんと重なった。ぐるんと由岐治は首を回し、赤城を見る。赤城は、一切動じていなかった。
「坊っちゃんと私は、あなたではありませんから」
おい、赤城の頭をつかみたくなるのを抑えた。不利になることを言うんじゃない。
「そんな調子で、人を犯人扱いしたの? よくできるね」
やはりと言うべきか、滝口はそこを突いてきた。当然のことながら、由岐治はぐっとつまる。周囲は困惑しきっている。この重い緊張から、赤城に助けを求めたいが、しかし赤城の意図がつかめないのだ。
「そ、そうだ!」
「滝口先輩がそんなことするはずありません!」
「あんまりです……!」
滝口の友人、理紗の友人たちも口々に滝口を擁護する。相羽はというと、じっと呆然としていた。ただ口を半開きにして、この成り行きを見ている。赤城は静かに滝口を見つめ、黙っている。何とか言え、由岐治は心中叫ぶ。
「でも、状況から、あなたしかあり得ないんです!」
しかし何も言わないので、由岐治は代わりに叫んだ。己を奮い立たせ、推理を繰り返す。滝口は由岐治を見つめる。激しい怒りの目に、由岐治はすくみ上がる。
「あり得ないって何? よく言えるよ」
「だってそうでしょう! あなた以外、ジャケットに触っていないんです」
由岐治はふるえる心を叱咤して、必死に言い募った。滝口が浮かべたのは嘲りだった。
「何でそんなこと言えるの?」
「僕の使用人が見てました!」
「ふうん。――赤城ちゃん」
「はい」
「『誰も触っていないみたいだった』って言ったよね」
「はい」
滝口が、赤城を見据えた。その目には、笑みさえ含まれていた。赤城はやはり静かに、滝口を見つめ返す。
「それ憶測だよね? だって君は一度、碓井君を迎えにホールを出て、ジャケットから目を離してるんだから」
あたりがざわつく。
「た、たしかにそうです!」
「それは私たちも見ていました!」
理紗の友人たちが、口々に声をあげる。由岐治は、完全に虚を突かれて狼狽する。どうするんだよ、何か考えがあるはずだろうな――赤城をすがるように見つめた。
「おっしゃるとおりです。私は目を離しました」
赤城は、あっさりと肯定した。あたりから、「ええ」と声があがった。由岐治は、目玉がこぼれ落ちんばかりに、目を見開いた。はぉ、と息を飲む。
「どういうこと」
「じゃあ駄目じゃない」
周囲も、にわかにざわつく。落胆、失望、困惑――そんな感じの声だ。由岐治は、とりあえず赤城をののしった。馬鹿、役立たず――原因の一端は自分であるため、なおさら認めるわけにはいかなかった。しかしこんな状況でも、赤城はゆるがず、平然と立っている。
「じゃあ、何も証拠にならないよ。誰だってすり替えられたさ」
由岐治は頬の内側をかみしめた。滝口は、ため息をつき、さらにたたみかけた。
「それにさ。そのすり替えってやつは、亮丞がジャケットを脱いで置いてあったからできることでしょ?」
「え、」
「でも、赤城ちゃんが亮丞にジュースかけちゃって、亮丞がジャケットを椅子に置いたのは偶然じゃないか。俺が予想できたとでも?」
「それは……」
「そんな偶然の産物から、推測されても困るよ」
由岐治は、言葉をつごうとして、黙り込んだ。滝口への反論は、おぼろげに浮かんでいる。しかし、下手なことは言えない。周囲からも「たしかにそうだな」という声があがる。
「滝口先輩」
赤城の声が、直線に滝口らに向かった。
「私が、私による不測の事態のため相羽先輩がジャケットを脱いだことを話したのは、相羽先輩のアリバイの証明のためです。あなたがすり替えたタイミングを示すためではありません」
周囲がざわつく。何が言いたいんだ? という空気に満ちた。
「ですから、あなたのさっきの疑問については、説明できます」
皆の視線が、また赤城に集まる。由岐治もまた、ぐるんと顔を向けて赤城に問う。
「どういうことだ?」
「サプライズイベントで、相羽先輩は、バスケットをしましたよね」
その場を代表する由岐治の問いに、赤城は答える。赤城の言わんとする事がわかり、由岐治は、「なるほど」と呟いた。
「動きやすいように、たいていの人はまずジャケットを脱ぐでしょう」
「なるほど、つまり――」
「つまり、ゲームをすることを知っていた人物なら、可能となります」
「滝口先輩! あなたは知っていましたよね!」
また、周囲から「おお」と声が上がる。現金なやつらめ――と毒づきたい気持ちと、「よし」という気持ちが、由岐治の中でせめぎ合っていた。
滝口は、顔をしかめ、息をついた。
「だから何? それを知っていたのは俺だけじゃないじゃない」
滝口の友人たちが、目を見開き、焦りの表情で滝口を見る。彼らもまた、サプライズイベントにかんでいたからだ。
信じられないこいつ、由岐治は唖然とした。友人まで巻き込みやがった。
「俺だけ言う理由がない。それに何より、こいつらがそんなことやるはずない」
「滝口……」
滝口が、熱い目で友人たちをかえりみる。友人たちの顔が安堵に満ちた。由岐治は、馬鹿かこいつらと思った。しかし、まずい空気になっていることに、由岐治は焦る。
「そんな穴だらけの推測で、俺たちを疑ってほしくない」
「でも、かなり容疑者は絞られるでしょう? 皆から証言を取れば……」
「まだやるの?」
それでも由岐治は食い下がった。それに滝口は、心底あきれた風に言った。その目に、はっきりと侮蔑の色を滲ませていた。
「君は、そこまでして俺を犯人扱いしたいんだ」
滝口の声音や目に悲しみが滲んだ。皆、それにはっとなる。友人たちは彼に寄り添い、周囲も同情の目線を向け始める。由岐治は、完全に自陣の形勢不利を感じた。そして、足下が冷たくなる。
「何でこんなことができるんだ」
滝口はうなだれる。
「俺だけじゃない。俺の友達まで巻き込んで……そんなに犯人探しが大事?」
友人たちは胸を痛め、また、滝口の自分たちを思う言葉に喜びの顔を見せた。そして、由岐治と赤城をにらんだ。
「そうです」
「滝口君は、本当に友人思いなんですよ。こんなこと、もうやめてください」
由岐治は一瞬、ぽかんとなった。確かに言いたいことはわかる。しかしそこに感じる違和に、かっとなった。焦りの気持ちもたぶんに手伝い、叫ぶ。
「あんただって、相羽先輩を犯人扱いしただろ! 自分だけ被害者ぶるなよ! まして友達を巻き込んだのはあんただ!」
その言葉に、友人たちは一瞬、戸惑いの色を浮かべたが――すぐに強い目で由岐治をにらみ返してきた。
「失礼なことを言うな!」
「滝口は、俺たちを庇ってくれた!」
「それがこいつの手口だろ!? あんたたちおかしいよ! 何でこいつだけ庇うんだよ!」
叫んでから、由岐治は自らの失態に気づいた。しかしもう言葉は出てしまっていた。彼らのまなじりがつり上がったのを見る。
「手口って……!」
「よくもそんな、最低な言い方……!」
彼らは一斉に由岐治に食ってかかった。由岐治は、痛いところを突かれ、胸の奥が不安定になる。周囲からも、非難めいた視線を向けられる。滝口は悲しみに、うなだれた。
「あんまりだよ、碓井君。それが君の『手口』なの?」
「それは……」
「君にとっては、自分が勝つために人を責めることは簡単なことなんだね」
「それは、あんただって同じでしょ!?」
由岐治は咄嗟に叫んだ。滝口は、由岐治を心底軽蔑しきった顔で、叫んだ。
「俺が平気だったと思うのか! どんな気持ちで、亮丞に怒ったか……!」
叫びは悲痛に響き、彼の友人たちの気持ちもかき立てた。
「そうだ! さっきから何でそんなこと言うんだ! 関係ないくせに……!」
「私たちのことばかり悪人扱いして……」
「私たちは相羽先輩のことも庇いました!」
「お前に、僕らの気持ちがわかってたまるか!」
彼らの悲痛な叫びは、周囲にいっそう、由岐治への非難の気持ちをかき立てた。由岐治はとっさに言葉を詰まらせる。目に涙が盛り上がるのを、必死にたえた。
「そんな風に言えるってことは、君は俺たちをどうでもいいって思ってるってことだ! そんな奴に、どうこう言われたくない!」
滝口の叫びに、由岐治は言い返してやりたかった。しかし、もう何も言えなかった。こいつらはおかしい、しかし上手くそれを言葉に表せない。よしんば表せたとして、もう何を言っても自分が悪いことになるのがわかった。
それに、口を開けば、しゃくりあげてしまいそうだった。うつむくのを必死にこらえるのが、最後の矜持だった。
その時、由岐治のおなかにあたたかいものがふれる。
それが、赤城の腕だと理解するより早く、彼女は言葉を紡いでいた。
「皆さんのお気持ちはよくわかりました」
赤城の声は、おそろしいほど動じていなかった。この空気の中で、その穏やかさは異質に響く。激していたものが、思わずたじろぐほど。
「滝口先輩」
赤城は、滝口を見る。その、不思議な目つきで、滝口を見据える。そして、言葉を発する。
「坊ちゃんのおっしゃる通りです」
はっきりとした物言いだった。周囲が、息をのんで、赤城を見る。赤城はまっすぐにそこに立って、皆を見ていた。
「あなたが相羽先輩を犯人と呼ぶ行為と、坊ちゃんと私があなたを犯人と呼ぶ行為は等しく同じ行為です」
赤城の手を、おなかに感じる。フォローが遅いんだよこの馬鹿、と由岐治は鼻水をすすった。
「本気でそう言ってる?」
「はい」
「だとしたら君はおかしいよ。友人とデバガメを同列に並べるなんて」
「何故おかしいのですか」
滝口は、首を振った。赤城は不思議そうに問い返した。
「心が違う! こっちには、悲しみや思いやりがある! けど、君たちは愉快犯だろ」
「違います」
「何が違う? 亮丞には証拠があった。それを俺は、事実として言わざるを得なかった! けど君たちは、曖昧な理由で、俺を犯人にでっちあげただけじゃないか!」
滝口の声は、ひどく皆の情に訴えかけた。「そうだよな」と声があがる。滝口は腕を広げ、悲痛に叫んだ。
「君たちに、俺たちほどの苦痛や思いやりがあるっていうのか!」
「関係ありません」
赤城は、この空気の中で、いっさい揺らされていなかった。
「行為に心は関係ありません。同じ重さが伴います」
皆、あまりのことに唖然としていた。そんなことを言い切るなんて、ありえない。しかし、赤城の堂々とした様子に、誰も何も言い募れなかった。
「だから行為をした人の心を思って、悲しんだりかばったりするのではありませんか」
あたりが静まりかえる。赤城の無情な言葉は、不思議なあたたかさをもって皆の心にしみていった。何か、自らの善の部分だけでなく、悪の部分まで慰撫された気がしたのだ。
「行為の重さが違うように見えるのは、周囲のもたらすものなのです」
赤城は、胸に手を置き静かに唱えた。その声はいっそ優しく、聞く人の心を穏やかにした。この人の言うことが悪いはずはない、というように。
「……仮にそうだとして」
滝口は、苦い声で言葉を吐きだした。この空気で、言葉を発するのは、相当な勇気が必要だろう。この隙に顔をぬぐいながら、由岐治は思った。
「俺は事実を指してる。君のは憶測だよ。等しい行為じゃない」
「いいえ。今のところ同じ行為です」
「なっ」
「双方ある事実を元に、不確かな推測を立てているのですから」
ようよう絞り出した答えを、赤城はあっさりと返した。他人事――しかも敵――ながらも、由岐治は少し胸が痛かった。残念だったな、この女に人間的な忖度を求めるのは間違ってる。
「ですが私の推測が正しければ、別の行為となるでしょう」
周囲が、大きく騒ぎ出す。まさか、つまり――声が活気づいた。
赤城は続ける。このような時でも、等間隔のペースで、穏やかに。
「ポケットの中身を見せてください」
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