第17話

「すり替え……!?」

「はい」


 理紗の友人が、驚きの声を上げた。赤城は静かに頷いた、緊迫した話の最中だというのに、いっそう穏やかな返事だった。


「誰かが相羽先輩のチョコレートバーを、ピーナッツバーにすり替えたのです」

「ふうん。そして、そんなこと当然知らない先輩はバーを食べ、江那さんにキスをしてしまった、というわけだな」

「はい」


 由岐治は言葉を引き継ぎ、赤城の意図を確認する。言葉にするだけで、胸くその悪い事態だなと思った。その嫌悪が声音にも苛立ちとして滲んでいた。赤城は、ゆったりと頷いた。


「そんな……」


 理紗の友人たちが、おびえた声をあげる。想定していたより、もっと恐ろしいところへ、話が運んでいる――そのことへの恐怖だった。

 相羽が愕然とし、後ろでふるえ出したのを、由岐治は肩越しに感じた。


「でも、チョコレートバーとピーナッツバーですよ? 気づきませんか?」

「はい」


 滝口の友人が、おずおずと疑問をていする。由岐治は、「またか」と不快に思った。赤城は、一切動じず、ピーナッツバーを掲げて見せた。見えやすいように、もう一方の手をバーの後ろにかざす。


「見てください。ここにピーナッツバターと書かれています。中身も確認しましたが、このバーに入っているのはピーナッツバターであり、固形のナッツは入っていませんでした」

 

 皆が、赤城の手元のバーを、しげしげと眺めた。赤城は続ける。


「また、私はここのチョコレートバーを食べたことがありますが、チョコレートバーには、キャラメルが入っているんです」


 赤城はそこで、息継ぎをした。皆、じっと赤城の言葉を待った。考えるというより聞きたい、そんな顔をしていた。


「ピーナッツバターとキャラメルなら、食感にそこまで差異はないでしょう。相羽先輩は一度に少ししか食べませんし、ゲームに集中していました。まして、チョコレートバーだと思っているのです」


 まあ間抜けの馬鹿舌だと、僕は思うけどな。ささやかな相羽への毒を、由岐治は心の内におさめた。ささいな失言が、こちらの不利になっては大変だからだ。


「あと、チョコレートバーとピーナッツバーは包装もよく似ていますから、暗がりでわからなくても無理ありません」

「なるほど。ありがとう赤城さん。よくわかった」


 滝口たちの友人である少年は、納得したように、頷いた。赤城は目で頷き返す。


「では、これがいつすり替えられたか、ということをお話ししましょう」


 赤城は話を進める。由岐治は、赤城に皆の視線が集中しているのを、少々おもしろくないような気持ちで眺めていた。


「すり替えられたのは、おそらく江那さんとの庭園でのキスの後から、サプライズイベントのゲームでのキスまでの間と考えられます」


 赤城は続ける。


「相羽さんとのキスで江那さんがアナフィラキシーショックを起こしたのなら、タイミングはそこでなければなりません」

「なるほど。すり替えたのが、庭園でのキスの前なら、江那さんはその時ショックを起こしているし、逆にゲームでのキスの後なら、江那さんはそもそもショックを起こしていないことになるからだな」

「はい」


 由岐治が、ずずいと赤城の話を補足する。自分に注目が集まったのを少し得意となった。しかし、思ったより視線が気になり、すぐに気分のよさは消えたので、目線をうろつかせた。


「バカバカしい。すり替えられる期間が長すぎるよ。それなら容疑者はごまんといるし、そもそも亮丞がその間、食べなかったとは限らないだろ」

「おい、滝口――」

「俺はこんな風に、何でもうがって考えるやり方が嫌いなんだ」


 友人たちが焦ったように滝口を止める。滝口と相羽、共通の友人である彼らは、滝口のあまりの言いように、戸惑っている様子だった。滝口は強い言葉で返す。その目には、義憤が燃えていた。


「だからこの際だ。徹底的に議論して、すべての疑問をはらす。その方が結局、亮丞の為になるだろ」


 滝口はまっすぐな目で、訴えかける。友人たちは、ハッとした顔になり、黙り込む。

 

「そうだな」


 そして、結局、頷いた。「亮丞のため」という言葉に、押さえ込まれたのだ。周囲も「そうかな?」という空気になっている。由岐治は、舌打ちを必死にこらえた。とんだ偽善者どもの集まりだな、ただ信じてやりゃいいだけの話なのに、せめて自分の頭で考えろよ。


「相羽先輩が、この間、バーを食べなかったというアリバイはあります」


 赤城は落ち着いていた。押されず、平素の調子を崩さず、ゆったりと言葉を返す。そして告げた言葉は、皆に衝撃を与えた。滝口たちは目を見開き、周囲は安心したように頬をゆるめた。


「相羽先輩は、私たちを出迎えてくれた時、食べていたチョコバーをジャケットのポケットにしまいました」


 皆、固唾をのんで赤城の言葉を待つ。ただの聴衆でいられる人々などは、見るからに赤城に期待のまなざしを向けていた。


「そして、相羽先輩でのパーティーでの姿を覚えていらっしゃいますか」


 赤城はそこで一度黙った。その間、皆は記憶を呼び起こす。そして、「あっ」と声をあげた。由岐治が皆の気づきを包括するように、口を開いた。


「シャツにサスペンダーだな」

「はい。相羽先輩は、ジャケットを脱ぎ、ずっと椅子にたたみかけていたのです。私が相羽先輩のジャケットに、誤ってジュースをかけてしまったために」

「――それ、覚えてるよ!」


 誰かが。声をあげた。その場にそぐわぬ、明るい響きであった。それを皮切りに、他の者も、口々に言い出した。


「相羽先輩、笑って許してあげてて、寛大だなって思ったから」

「ああ、そういえば、ずっとシャツだなって思ってた」


 話す者たちは皆、得心のいった顔で頷きあう。知っていることがあるというのは、少なからず人を安堵させる。赤城は頷き、話を続ける。


「先輩が江那さんと庭園でキスをしていたのは、私がジュースをかけ、ジャケットを脱いでからです」

「つまり先輩のアリバイは立証されるってわけだな。チョコレートバーは、ジャケットにあったんだから」


 大きな歓声があがった。意味をくんだ者も、まだくめていない者も、一緒くたに叫んでいる――そんな声音だった。皆、この推理ショーを楽しみだしている。滝口は不愉快そうに、彼らを眺める。彼の友人たちも「静かに」と叫んだ。


「椅子にかけてあったからって、何で食べてないって言える?」

「相羽先輩は、ジャケットを丁寧にたたんで椅子にかけてありました。先輩が食べたなら、まず、ジャケットを取り上げチョコレートバーを取り出し、それを食べてしまい、そしてまた丁寧にジャケットをたたみ、椅子にかけることになります――となると、誰かがその姿を目撃するはずです」

「相羽先輩がそうしているのを、誰か見ましたか!」


 滝口の詰問に、赤城は答える。由岐治がついで、皆に確認の声をあげた。皆、口々に確認し出す。


「見た?」

「いや、見てないと思う」

「どうだろう」


 どうだったかわからないが、「たぶん見ていないと思う」という空気が優勢だった。よし、と由岐治は安堵する。聞いておいてなんだが、これで「見た気がする」が多かったら赤っ恥だ。赤城は、「また」と続けた。


「私は相羽先輩のジャケットをたびたび確認していたのです。私が汚してしまったものですから気になって。私の見る限り、相羽先輩含め、誰もジャケットに近づいていませんでした」


 先にそれを言えよ馬鹿、余計なことしちゃっただろ――由岐治は思った。冷や汗が背中に伝うが、したり顔で微笑し、言葉を引きついだ。


「つまり、相羽先輩どころか誰も容易に触れる状況じゃなかったってことだな。相羽先輩のジャケットは目立つから、なおさら印象に残るだろうし」

「はい。ある時をのぞいて」


 あたりがざわつく。大きなざわめきが、やがて言葉を待つように静まりかえる。緊迫感は、最高潮に達していた。


「誰にも不可解に思われることなく、自然にすり替えることができるタイミングが一度だけ、ありました」


 水の中にいるような、息苦しい静けさの中、赤城は続けた。


「ゲームの時です」


「あっ」と誰かの声があがる。小さな、息を飲むような声だった。あわてて口をつぐんだ気配まで感じる。


「相羽先輩に頼まれ、ジャケットからチョコレートバーを取り出し渡す、一瞬」


 皆、言葉の意味をはかり、そして予感を紡ぎ出し、息をのんだ。


「滝口先輩」


 視線が集中する。彼の友人たちが、目を見開き、彼を見つめた。


「あなたがバーをすり替えたのは、その時ですね」

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