第16話

 相羽が目を見開いた。周囲がざわつく。その声には、自分たちが他人の密接なスキンシップをのぞきこんでいる、それを改めて確認する羞恥が混じっていた。

 そして彼らは、赤城の言葉の意図をはかり出す。同じ方向への思考により、周囲の空気は統一された。そして間もなく、由岐治がちょうどあげたように、「あっ」と、思考からの解放の声がどこかであがった。


「そうです」


 赤城が、皆に頷いてみせた。


「相羽先輩がピーナッツバーを食べ、江那さんにキスをしたことでアナフィラキシーショックが起きたのであれば、その時すでに、ショックが起こっているはずなのです」


 周囲が、息をもらした。得心の息だった。

 理紗の友人たちは目をあわせる。つまり、それが意味することを、はかりかねていた。


「あの、だったら、ショックはその……キスで起こったのではない、ということでしょうか?」

「アレルギーの反応はすぐに起こらない時もありますし……」


 そして、おずおずと赤城に尋ねる。そういうことを言っているのではないのに、話を混ぜっ返されたな、と由岐治は少々面倒に思った。

 周囲もそれで少し思案げになる。やはりこれは、事故だったのだろうか? だから、赤城を見つめた。皆はすでに、赤城を頼みにしだしていた。期待をこめて、彼女の言葉を待つ。


「どっちにしても、ピーナッツバーを食べていたのは変わらないじゃないか。江那ちゃんへの裏切りだよ」

「違う! 俺は食べてない!」


 滝口が冷めた声で言った。軽蔑の眼で、相羽を見下ろす。相羽は否定した。先よりも、声に力がこもっていた。


「いい加減に――」

「いいえ」


 赤城が、手を上げ、滝口を遮った。周囲の注目は、また赤城に戻る。滝口は、その様にも顔をしかめて、黙り込んだ。


「確かに、そう考えることもできるでしょう」


 赤城は静かに、理紗の友人たちがあげた仮説に頷く。周囲がどよめく。やはり相羽が悪いのか?

 由岐治は、じっと赤城の言葉を待った。赤城がヘタな言い方をしたら、自分がこの話を引き受けるためにだ。


「ですがその説では、この「事件」は解決しません」

「え?」

「今、私の手にピーナッツバーがあります。これは、相羽先輩のパンツのポケットから取り出されたもの。彼はこれを食べ、江那さんにキスをした。ですが、相羽先輩はピーナッツバーは食べていないと言っています」

「あっ」

「相羽先輩が嘘をついているか、いないか――この「事件」の争点はそこなのです」


 赤城は、平素通り、とことんまで落ち着いた様子だった。由岐治は前に向き直る。赤城は相羽を振り返る。相羽は、不安ながらも、どこかすがるように赤城を見上げた。


「そして私は、相羽先輩が嘘をついていないと思っています」


 周囲がどよめく。その言葉は強く彼らに響いた。


「ピーナッツバーを見たとき、相羽先輩は大変ショックを受けていらっしゃいました。そしてその後のうちひしがれよう。とても、恋人に隠れてピーナッツバーを食べていた方の反応に思えません」

「……赤城さん」


 相羽はその顔を子供のようにゆがませた。孤立無援の中、ようやく援護がきたのだ。相羽の頬に、涙が伝う。


「私が話したいのは、相羽先輩の言葉が真実であるとき起こる仮説です」


 赤城は、はっきりと宣言した。その言葉に、あたりが、いよいよだとざわめく。彼らは、完全に高揚していた。滝口は皆をにらみつけた。相羽のすすり泣く声が、ざわめきの中にとけ込んでいく。


「あっと! 先に申しておきますが、相羽先輩がチョコレートバーとピーナッツバーを買い間違えた、という話ではありませんからね。先に言ったとおり、それならショックはもっと前に起こっているはずですから!」


 食い気味に、由岐治は言った。これ以上混ぜっ返されると面倒くさい、その気持ちでの言葉だった。他意は一切なかったのだが、ちょっと言ってやったという心地だった。そして、滝口たちは皮肉ととったようだ。滝口とその友人たちは由岐治に、やや不快げな視線を送る。


「碓井君、別にそれだって起こりうる仮説じゃないか? 症状はすぐに出るわけでもないんだから」


 滝口の刺のある言葉に、由岐治はうろたえる。こんな冷たい物言いをされるとは思わなかったのだ。だから、ついかっとなる。


「うるさいな! ごちゃごちゃと、さっきからあんたは何がしたいんだよ!? そこまで友達を悪く言いたいのか? 無実を信じたくないのか! こっちはそれをわざわざ証明してやってんだぞ!」

「なんだと――」


 由岐治は怒鳴った。顔にかっかと熱が集まるのがわかる。肩を怒らせ、息をついていると、隣からぽんぽんと手が降ってきた。


「落ち着いてください、坊ちゃん」

「滝口も落ち着こう。赤城さん、続けてくれ」

「はい」


 由岐治と滝口、双方待ったをかけられ、にらみあったが、黙り込んだ。由岐治は荒い息で、赤城にうながした。


「私が話す仮説には、前提があります。まず、相羽先輩のキスにより、江那さんがアナフィラキシーを起こしたこと」


 赤城はよどみなく話し出す。


「そして相羽先輩の言葉が真実であることです。なので、さっきの議論はこの仮説を検証してからにしましょう」


 周囲は、ふたたび話に入りこんだ。脱線により焦れていた心が赤城により正位置に戻されたのがわかる。赤城の言葉を咀嚼する。由岐治は、いくぶん凪いだ気持ちを胸に、赤城に合いの手を入れた。


「つまり、それはどういうことになる?」

「相羽先輩が最初食べていたのは、チョコレートバーだったということです」


 幾度目かのどよめきが起こった。皆、赤城から目が離せない。相羽が目を見開き、食い入るように赤城を見つめた。

 

「だから、庭園でのキスでは、ショックは起こりませんでした」

「なるほど。けど、今ここにあるのはピーナッツバーだ」

「はい、つまり――」


 由岐治が、もったいぶって赤城の手の中のピーナッツバーをのぞき込む。皆の視線が、ピーナッツバーに集中した。

 もうおわかりだろう、由岐治は顎をあげて皆を見渡した。そして高みの見物で、赤城がそれを口にするのを待った。


「バーが途中で、すり替えられたのです」


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