第19話


「滝口先輩。おっしゃるとおり、私の推測には穴があります」


 赤城は、滝口を見据えた。


「ですがあなたが私の推測通り、チョコレートバーをすり替えたなら、動かぬ証拠が残っているのです」


 赤城の言葉に、波のようなざわめきが起こる。由岐治は、のどの奥で息をつき、発声が危うくないか確かめる。そして大丈夫そうと見ると、声を上げた。


「どういうことだ」

「滝口先輩は、相羽先輩のジャケットから、チョコレートバーを取り出すふりをして、ピーナッツバーにすり替えたのです」


 由岐治は、その光景を想像した。そして「あっ」と小さく声をあげる。


「そうか、つまり――」

「このホールにゴミ箱はありません。そして、あれだけの騒ぎでした。おそらくまだ持っているはずです」


 赤城が頷いたのをしり目に、由岐治は、強い目を滝口たちに向ける。その視線には先の恨みも十分こもっていた。しかし半分ほどの正義の心を胸にはり、由岐治は手を差し出した。


「ポケットを全部ひっくり返してください」

「なっ……」

「自分で、大きな動きでしてくださいね。『あなたに仕組まれる』のも、『誰かに仕組まれたと言われる』のも、こりごりですから!」

「そんな言い方……」


 滝口の友人が、あからさまに顔をしかめた。由岐治は恨みの目で、相手をにらみつける。相当腹が立っているので、怖くなかった。


「何です!? 無実ならできるはずですよ、ポケットの中、見せるくらい。むしろあなたたちは、彼に『見せてやれ!』と言うのが筋じゃありませんかね!」

「この――」


 言いながら、由岐治はふと不安になってきた。これでもし、見つからなかったらどうしよう? 相当なこと言っちゃったぞ。今度はおなかに冷たい汗が伝うのを感じた。赤城に、尋ねるように視線をよこすが、やはり気づかれなかった。

 滝口はずっと無言だった。うつむいて、押し黙っている。


「滝口!」

「滝口先輩、悔しくないんですか!」


 友人たちが涙ながらに怒る中、滝口は、微動だにしない。

 その時、赤城を見た者たちは、はっと目を見開いた。赤城が、静かに目を伏せている。彼女はいつも伏し目がちだが、本当に目を閉じてみせるのは、珍しかった。ただそれだけのことだが、雰囲気がまろくなり、仏のようにいっそう穏やかな顔となる。皆、思わず目をひかれた。

 それは一瞬の、永い猶予だった。

 気がつけば、彼女はいつもの顔をしていた。先のことは幻のようだった。


「タキ……」


 相羽が、すがるように滝口を呼んだ。以降は音にならなかったが、嘘だよな、そう目が必死に問いかけていた。

 その瞬間だった。滝口は目をかたく強張らせる。そして、パンツの右ポケットに手を突っ込むと、ずいとそれを差し出した。


「あっ……」


 上がった声は、誰のものか。

 食べかけのチョコレートバーが、滝口の手に握られていた。滝口は、やるせない顔を浮かべ、それからふうと天を仰いだ。バカバカしい――そんな冷笑だった。


「これで満足?」


 赤城を見て、小さく笑いを漏らす。脱力した姿勢で、ぶらりと体を揺らした。朝礼で、長話にうんざりしている生徒みたいな様子だった。滝口は、うなじに手をやり、頭を揺らし、また大きく息をついた。あまりに現実と乖離したその様子に、皆ついていけなかった。


「捨ててもよかったけど、急いでたからなあ。運が良かったね、赤城ちゃん」

「いいえ」


 赤城が、指をさした。その先にはポケットの裏地がある。


「あなたがチョコレートバーをすり替えたとするなら、あなたはその時まで、ピーナッツバーを食べかけの状態にして、ポケットに忍ばせておく必要があります」


 由岐治は、ポケットの裏地を注視した。なるほどな、と頷く。


「また、すり替えた後も、すぐには捨てられないでしょう。ですから、ひとまずポケットに入れるはず。食べかけのチョコレートバーをです」


 ポケットの裏地に、注目があつまる。そこには、何かを塗ったような。茶色い痕がのこっていた。


「たとえチョコレートバーがなくとも、その痕跡は残っているだろうと思っていました」


 どこからか感心の声があがる。滝口は、「ふうん」と頷くと、手をたたいた。


「お見事」


 チョコレートバーを挟んでの、鈍い拍手が赤城に送られる。それを変わらぬ様子で、赤城は受け止めた。由岐治はと言うと、いらだちより、妙な居心地の悪さを感じていた。なんでこいつ、こんな軟派な対応なんだろう。自分が悪いって思わないのか?

 現実感のない調子は、皆を不安にさせた。


「はい、そうです。犯人は俺でした。皆、おつかれ様!」

「ま、待てよ!」


 解散、と言う風に滝口が笑う。皆、心の行き場を失ったようだ。まだぼんやりしている。そこでようやく、相羽が立ち上がり、滝口に詰め寄った。


「なあ、タキ。嘘だろ?」


 必死に笑みを繕いながら、相羽が尋ねた。その笑いは、へらへらと卑屈に映る。しかし、その目の奥に、切実な必死さがうかがえた。

 滝口は沈黙していた。相羽は、しびれを切らしたように、もう一度叫ぶ。


「嘘だっていってくれよ! お前は、そんなやつじゃな――」

「そんな奴だよ!」


 滝口は叫んだ。相羽の笑みが強ばる。滝口は、相羽を大きく見開いた目で見据えると、嘲笑した。


「そんな奴だよ俺は。残念だったな」


 滝口は、唾を吐きかけるように、相羽に言葉をはきつけた。相羽は、目を見開いて――絶叫しながら、滝口に飛びかかった。


「相羽!」

「滝口先輩!」


 周囲の制止がかかる頃には、すでに相羽は滝口の襟首をひっつかんでいた。彼らの友人たちが、後ろからひきはがそうとするが、びくともしない。


「ふざけるな! 何で……」


 相羽は必死の形相で言い募った。はじめて見せる怒りだった。恐ろしい悲憤の形相で、滝口を揺さぶる。


「なんでエナを……! ふざけるな! 自分のしたこと、わかってるのか!?」


 相羽の悲痛な絶叫が、鼓膜をふるわせた。耳の奥から、ぞっとするような叫びだった。由岐治は、思わず顔をそむけた。悲惨な話だ。冤罪が晴れても、自分が引き金を引いたことは変わりないのだから。とんでもないことしたものだ――由岐治は、軽蔑でもって滝口を見つめた。

 しかしそこで、されるがままだった滝口が、かっと大きく目をむいた。


「お前のせいだろ!」


 怒号――まさしくその形容がふさわしい声だった。理屈ではなく本能で、誰しもすくみ上がるような、そんな吠え声だった。

 友人の、友人ともつかない声に、相羽は動揺し動きを止めた。滝口は、その腹を膝で蹴り上げ、思い切り突き飛ばした。相羽はしたたかに尻もちをつく。理紗の友人たちの悲鳴が、あたりに響きわたる。

 滝口は首から顔を紅潮させ、歯をくいしばり、すさまじい目で、相羽を見下ろしていた。首の筋が、千切れそうなほどぐっきりと浮かび上がり、上半身を怒りで上下させていた。


「自分のしたこと? ふざけるな、全部、お前がしたことだろうが!」

 

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