第14話

 赤城は、静かに話し出す。


「皆さんの認識を、いちど整理させてください」


 赤城の落ち着いた声が、とんと響く。それは緊張した空間にじんわりとしみこみ、優しく弛緩させた。


「まず、江那さんにはピーナッツアレルギーがあった」


 赤城が言葉を紡ぎだす。滝口は赤城の言葉に眉をひそめたが、口を開こうとしたときには、すでに赤城は言葉をついでいた。


「にもかかわらず、相羽先輩がピーナッツバーを食べ、江那さんにキスをした」


 赤城の声に非難の意図はなく、どこまでも平坦だった。それでも、相羽は沈痛に、うなだれた。


「おい――」

「そして、それが原因で江那さんは、アナフィラキシーショックを起こした」


 由岐治が焦ったようにわって入るが、赤城は意に介さず、言葉を続けた。周囲の人々は、赤城の言葉に、少なからず頷いた。自らの意識を、おおらかにまとめあげられたような心地がしていた。


「――そう、滝口先輩をはじめ皆さんは思っている。そうですね?」


 しかし、赤城の話の結び方に、皆、困惑した。すくいあげられた自分たちの意思を、彼女に放された――そんな心許なさを覚えたからだ。どういうことだ、彼女の意思は、自分たちとは違うのか? と。

 滝口は、うろんな表情を浮かべた。


「引っかかる言い方だね。赤城ちゃん」

「違いますか」

「そうだよ」

「そうですか」


 先輩である滝口の険のある視線に、由岐治は、今すぐ謝ってとって返したい心地になった。しかし、「おい、やめろ」と体を揺らしても、赤城は微動だにしない。他人からの好悪の剣を、全く受けないかのようだった。


「でしたら、そのお考えに対し、私は疑問があります」


 周囲がざわめく。あちこちから、「まさか」と高揚の声があがった。それはまぎれもなく、期待だった。理紗の友人、滝口の友人たちも、皆、顔を見合わせていた。滝口は、息をついた。


「あのさ、赤城ちゃん」

「はい」

「今、そんな余裕ないんだ。探偵ごっこはよそでやってくれないかな」


 冷たい声音は、不快さに満ちていた。周囲も冷や水を浴びせられたように黙り込む。

 由岐治は、すくみ上がる心地になり、赤城の前に出た。赤城の頭もならわせようとしたが、まったく動かなかった。くそぼけ、思いながら由岐治は頭を下げる。


「すみません、先輩!」


 由岐治に、赤城は、不思議そうな顔をした。


「坊っちゃんが謝る必要はございませんよ。私の問題ですから」

 

 バカったれが、火に油を注ぐんじゃない。赤城の物言いに、いっさい毒がないので、緊張に飽きた者から小さな笑いさえもれた。滝口は、余計に気分を害したと見えて、ふたりに冷たい視線を送った。


「こっちは真剣なんだ。友人の間でこんなことになったんだから」

「はい」

「愉快犯で、他人に踏み荒らされたくない」

「ごもっともです」


 由岐治は赤城に黙ってろと願いながら、平身低頭、謝った。腹の底が冷たい。しかし、同時に滝口の物言いに、すさまじく引っかかっていた。要するに不快だった。周囲も少々、早々に矛を収めた由岐治に対し落胆の息をついたのがわかった。彼らの言葉としては、「せっかく赤城さんが口火を切ってくれたのに」というところだろうか。無責任な奴らめ。由岐治は毒づいた。まあいい、これでとっとと引き下がろう。由岐治は思い直した。


「愉快犯のつもりはありません」


 しかし赤城は、あっさりと由岐治の思惑を打ち砕いた。あたりがまた期待の声をあげる。バカ野郎、由岐治は赤城の首をしめあげたくなった。赤城は場にそぐわない、おっとりとした調子で続ける。


「そして私も、今回の出来事の当事者です。言いたいことは言わせてもらいます」


 おおと歓声があがる。赤城に、一切のゆらぎはなかった。彼女特有の不思議な目つきで、滝口を見上げている。そして彼女が見ているのは、滝口だけではなく、この場にいるすべての人だった。彼女に背を向けた人まで、彼女にとらえられている、守られている――そんな不思議な感覚が走った。


「だから、赤城ちゃん」

「あなたが始めたことですよ、滝口先輩」

「え?」


 いらだった滝口に、赤城は等間隔に言葉を投げかける。赤城の言葉の意図をはかりかね、滝口が頬をぴくりと動かした。


「本来この件は、痛ましい事故で終わるはずでした」


 赤城の言葉を待ち、周囲に沈黙が広がる。由岐治も思わず頭を上げて、赤城の顔を見つめる。


「ですが、あなたが相羽さんを犯人に指名し、事件に変えたのです」


 周囲が、どよめいた。赤城の――または自分の背後で、相羽がぴくりと動いたのが、由岐治にはわかった。滝口は、虚を突かれた顔をしたが、なおさら不快そうに顔をゆがめた。

 

「何でそんなうがった見方するかな。俺は友人として、怒っただけだ。何でも物々しくするのは、探偵のくせかな?」

「そうですか」

「俺は友人、君たちはデバガメだよ」

「――お言葉ですが!」


 由岐治は、思わず叫んでいた。さっきから、ちくちくと人格否定された痛みが、由岐治に口を開かせた。頭が燃えるように熱い。考えなどない。ただ、ここで反撃せねばならない。というより反撃したかった。


「友人としてなら、なおさら、僕たちの言葉を聞きたいのでは?」

「なに?」

「滝口先輩は、無二の親友が悲劇を引き起こしたと信じたいのですか? 僕だったらイヤですね」


 とりあえず相手の痛いところをついてやろう。その意識で、由岐治はつらつらと針を構え、言葉を並べた。


「なるほど、あなたの友が引き起こした可能性はかなり高い。悲しいことに。しかし、この赤城は、その推測に疑問をていそうとしている。なるほど、あなたにとって僕らは愉快犯かも。ですが、僕があなただったら聞きますね! だって友の無実を信じたいですから」


 どうだ、由岐治は思った。口先でお綺麗なことばっか言って僕らを下衆扱いしやがって。そっちだって友達を疑ってるくせに――由岐治は、自分の苛立ちを言語化できたことにいたく満足した。

 ひと息ついたところで、われに返った。あたりは打って変わって、しんとしていた。皆が自分を見つめているのがわかる。由岐治は腹の底から寒さが這い上がってきた。滝口は表情を変えない。しかし、目の奥ですさまじく自分をにらんでいるのがわかった。

 やってしまった、由岐治は泣きたくなった。しかし同時に怒りと快感を覚えていた。だって本当のことだろ――赤城が、すっと腕をのべ、由岐治をかばった。


「滝口、聞こう」


 滝口の友人たちが、滝口を制した。滝口は、彼らを見る。


「碓井君の言うとおりだよ。相羽のせいだなんて、思いたくない。お前だって、本当はそうだろ?」

「理紗もそうにちがいありません! 妹の恋人が、こんな……碓井君、赤城さん――教えてください!」


 理紗の友人たちも、決死の面もちで、由岐治と赤城につめよる。

 

「そうだよな」

「もうやめよう、こういうの」

 

 周囲からも、同様の声が上がった。由岐治は一瞬ぽかんとしたが、自分の勝利を感じ、あたたかく呆然とした。少し、申し訳なくなるほどに。


「では、僕の使用人からお話しさせていただきます」


 なので、きわめて丁寧に、赤城へと話をついだのだった。

 

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