第11話


 滝口に誘導され、皆はホールの中心に集まった。滝口は人数を半分にわけ、四メートルほどの間隔をあけて、対面に向き合う形に並ばせた。由岐治と赤城は左側の前列で、ちょうど、右側の最前列の理紗と向き合う位置にいた。理紗の隣には江那がおり、目が合うと気恥ずかしげにそらされた。

 これから何が始まるんだろう。

 ろくでもないものだとわかるが、気にはなった。庭園に続く窓が大きく開け放されており、そこから風が吹き込んできた。庭園の向こうで、滝口たちが率いていた少年たちが、なにやら運んでいる。庭園からなにかするつもりらしい。

 次に由岐治の目に入ったのは、小さなガラステーブルだった。由岐治らと同じ左側、ホールの中心よりもやや庭園への窓よりに置かれたそれには、青いガラスの花瓶が置かれている。何だろう? その疑問を抱いたのは由岐治だけではなく、皆期待に満ちた疑問符を浮かべていた。

 次の瞬間、ホールの照明が落ちる。皆、驚きの声を上げた。しかし、暗さは一瞬だった。そのテーブルが輝いたのだ。LEDを取り付けていたらしい。下から照らされた花瓶が、青く照らされていた。その演出に、皆の期待は、より高まった。


「これからサプライズイベントを始めます」


 テーブルの後ろに立った滝口が、口上を述べる。マイクの音が、暗闇にろうろうと響く。皆が、一斉にはやし立てた。


「素敵なパーティーを開いてくれた、俺たちの一等星の為に、俺たちからプレゼントを贈りたいと思います」


 ひとりの少年が、カートをおして滝口の横につける。そこにのせられたものを、滝口は一本手に取った。それはテーブルの光に照らされ、正体をあらわした。それは匂い立つような、赤いバラだった。


「バラの花を贈る意味はわかるよな?」


 滝口の意味深な物言いに、皆が盛り上がる。大はしゃぎかよ。由岐治は暗がりなのをいいことに、表情を消した。


「このバラを花束にして、俺たちは贈りたい――でも、ただ贈るんじゃあ、さみしくないか? 皆こんなに理紗を好きなのに!」

「そうだ!」


 あちこちから声があがる。滝口はそれに満足そうに笑うと、続けた。


「そこで!」


 滝口が、左腕をさっと横に流した。誘導されるがままに皆の視線がそちら――庭園に続く窓のほうをむく。すると、いつの間にそこにあったものが、ぱあっと光り輝いた。また声があがる。

 由岐治は光り輝くものの正体が、すぐにわかった。

 バスケットゴールだ。

 どこから運んできたのか、テーブルと同じくLEDが取り付けられたそれが、まばゆいばかりに輝いていた。そして、少年たちにより、ゴールから一直線上にいっせいに、カーペットが転がすようにして引かれる。LEDが端にとりつけられたカーペットは光り輝きながら、ちょうど皆のあけた間隔にしかれていく。あっという間に、ゴールから向こうの壁まで輝く花道が作られた。

 由岐治は、目を天井に向けた。ああそれで、この間隔をあけたのかとか、そういえばそもそもテーブルが真ん中にないように最初から配置されてたなとか、いろんなことが浮かんだが、すべてどうでもいい。ただ、何となくこのイベントの趣旨が見えたので、薄ら寒い予感を覚えだしていた。赤城は静かに拍手をしていた。


「この男に代表して、示してもらおう。――亮丞!」


 滝口が、くっきりと言いのけるのを待ちかまえたように、相羽が向こうから、ボールを脇に抱えて花道を歩いてきた。腕まくりをし、完全に臨戦態勢だ。周囲の熱狂も最高潮だ。相羽は周りに適度に目を配り、強気な笑みを浮かべていた。理紗の前までやってくると、ばんと足を開いて仁王立ちになる。


「まかせろ!」


 不敵に顎をあげて、笑って見せた。理紗の隣で、江那が「きゃあ」と興奮しきった声を上げた。由岐治は鳥肌が止まらなかった。


「ルールは簡単。これから、亮丞にシュートを打ってもらう。ゴールまでの距離は三つ。五メートル、八メートル、十メートルの三地点。五メートルから挑戦し、距離に応じた数のバラの花を、理紗にプレゼントする!」


 意図のつかめてきた周囲が、興味津々で相羽を見つめていた。その視線をほしいままに、相羽は堂々と立っていた。ときおり手まで振る余裕を見せていた。


「つまり、理紗に十本の花束を贈れるかは、お前の手にかかっている! 亮丞!」


 理紗の姿が見える。理紗は微笑しながら、相羽や周囲の様子を見ていた。ケーキとチョコプレートののったお皿と、銀色のフォークを持っている手が見えた。由岐治はいたたまれず、とにかくその手を見ることで、気をそらしていた。赤城は、白のチョコプレートを、じっと見ていた。

 相羽は、右手をかかげて、周りをあおった。


「打てるシュートの数は、一地点につき、三本まで! 亮丞、気ばれよ!」


 そう滝口が、叫んだのを皮切りに、ホールに激しい洋楽が流れ出した。意味もなく皆が叫び出す。がんばれ、という声があちこちから飛ぶ。由岐治はくらくらしながらも、早くこの時の終幕を願った。


「がんばって、リョウ君! お姉さまに、大きな花束をあげてー!」

「まかせろ! ちゃんとそこで見てろよ」


 江那の大きな声援を受け、相羽がくるくるとボールを体の周りで回す。そうして、わざとらしいほど、大きな息をつき、集中に入っていくのがわかった。理紗は相羽と、江那、そしてゴールを見ている。手はじっとケーキのもとで固定されていた。熱気がつらいので、由岐治は穏やかな理紗やとんとした赤城を視界にいれておくことにした。


「GO!」


 くるくると相羽の中でボールが回る。まずは五メートル。相羽は、とことん落ち着いた様子で膝を曲げると、シュートを打った。

 ボールはきれいな放物線を描き、ゴールに入る。なんのストレスもない、きわめて美しい入り方だった。


「OK!」


 歓声があがる。カートから、バラが五本、青の花瓶に移された。「次は八本!」と誰かが叫んだ。当然という顔で相羽はボールを受け取ると、八メートル地点まで下がる。鼓舞するようなかけ声や拍手が、リズムを刻む。


「三本もいらないぜ!」


 そう叫ぶと、シュートを放った。これもまた、危なげなくゴールに吸い込まれた。大きなかけ声があがる。バラが三本、追加される。

 もうどうでもいいから早く終わってくれ。演出のためか、打つまでの間が長いのだ。上級生のランチキに耐えられず、由岐治は気絶しそうだった。

 赤城が、ボールを見て、それからまた、対面へ視線をやるのが気配でわかった。そしてまた、後ろへ下がる相羽を見る。理紗も皆も、相羽を見送った。

 十メートル地点まで来ると、さすがに少し遠いな、と由岐治は思った。相羽もそれは感じているのかわからないが、集中を深めているようだ。くるくると両手の中で、ボールが回転している。その時間がいつもより長い。


「行くぜ!」


 相羽は叫ぶと、伸び上がり、シュートを打った。ボールが飛ぶ、皆がそれを目で追った。理紗、江那、滝口――多くの目に追いかけられ、ボールは――


「ああ!」


 ポストに当たり、はずれる。皆から落胆の声があがる。

 相羽は、わずかに悔しさをにじませたが、すぐに「まだまだ!」とおおらかな笑顔を浮かべ、周囲を鼓舞した。


「頼むぞ!」

「まかせとけ!」


 滝口の鼓舞に、相羽は強気の様子で答えた。皆も押されるようにして、また声援を送る。

 しかし、二投目。これもはずれた。それも、最初よりそれている。周囲がにわかに緊迫してくる。滝口が「おっと亮丞!」と叫んだ。相羽は前髪をかきあげる。額には、汗がにじんでいた。「リョウ君!」と江那が懇願するように、祈っていた。理紗は微笑を崩さないまま、ゴールと相羽を、交互に見ている。

 追い込まれたな、由岐治は思った。ダメだったときのイメージを浮かべて、気持ちをやり過ごしていた。相羽は、ふうと大きく息をついて、ボールをもてあそんだ。


「タキ! チョコバー!」

「は?」

「ジャケットにあるから取ってきてくれ!」

「どこだよ!」

「向こうの椅子だ!」


 相羽が、やけを起こしたように首を振って叫んだ。しかしそこには、どこか演技があった。すくなくとも、由岐治にはそう見えた。滝口も一瞬、困惑した様子を見せたが、心得ていたように、椅子へと走った。周囲は、その様に笑いつつ「大丈夫か?」という空気が浮かび出していた。


「ほら!」


 滝口が、椅子にかけてあるジャケットを取る。ポケットを探ると、目当てのチョコバーを投げた。


「サンキュ!」


 相羽はそれを受け取ると、小さくかじって見せた。まるで、映画のヒーローさながらの表情だった。思わず周囲から笑いが漏れる。


「よし、行くぜ!」


 パンツのポケットにチョコバーを突っ込むと、相羽はボールを取り直した。理紗が、「先輩、頑張って」と声をかけた。相羽は目でうなずく。「リョウ君!」江那の声に、手をあげて見せた。早く投げろ、由岐治は死んだ目で見ていた。

 静寂が広がる。頭が割れそうに、音楽がかかっているのに、一瞬の静寂だった。皆が、固唾をのんで、相羽のシュートを見守った。相羽はゴールを見据え、そして、膝を曲げ――シュートを放った!


「おお……!」


 叫んだのは、誰か、それとも皆か。口を開けて、その放物線の先を見送った。誰かが「いけ!」と叫んだ。

 ザン! 音を立てて、ボールはゴールをに吸い込まれた。息をのみ、誰もが黙った。次の瞬間。


「やったぜ!」


 相羽が両腕をかかげ、大きくガッツポーズをした。そうして駆けだして、江那のもとへ向かうと、抱きしめて激しくキスをした。

 皆、その光景に息をのみ――次の瞬間、緊張の糸が切れたように、一斉に叫び出した!


「嘘だろ!」

「ダメかと思った!」

「すごい!」


 皆、手をとりあい、歓声をあげた。滝口が、拍手を送る。それに皆も応えるように、拍手を送った。あたりは大きな拍手と歓声に包まれた。相羽は江那と抱き合い、賛辞を受けた。江那は顔を相羽の胸にうずめ、しがみついている。


「おめでとう! 見事、十メートル成功!」


 滝口がテーブルまで走り、カートからバラを二本、追加した。

 ホールの電気がついて、音楽が激しいものから、穏やかなものへと変わった。その分、皆の拍手がよく聞こえる。


「十本の花束、完成です!」


 わあ……! 皆が祝福する中、それは包まれて、赤いリボンに結ばれた。相羽が、駆け寄ってきた滝口から、花束を受け取る。そして皆に掲げて見せた。われんばかりの拍手があたりに響いていた。

 相羽は、理紗に歩み寄ろうとした。しかし一度、動きを止める。


「エナ」


 腕の中の恋人へ、苦笑を向けた。江那はもたれかかるように相羽にしがみつき、しゃくりあげている。周囲が困惑する中、相羽は江那をあやした。


「すねるなよ。お前にもちゃんと花束をやるから」

「――待って!」


 理紗が、相羽と江那に駆け寄る。ケーキの残ったお皿が、乱暴に床に置かれる。落ち着いた理紗らしからぬその振る舞いに、周囲も「何だ?」とさすがに不安げな顔になる。


「リサ」

「様子が変よ。江那」


 理紗は、泣き続ける江那の肩を抱いて、そっと顔をのぞきこんだ。そうして、激しく息を飲む。


「江那!」


 理紗が悲痛な声を上げた。相羽もまた、血相を変える。相羽の動揺が伝わったのか、重心がずれた江那の体が、ぐなりと後ろにそった。その顔は、真っ赤に腫れ上がっていた。由岐治は小さくうめいた。彼女は泣いていたのではない。


「エナ!」

「誰か! 救急車を……!」


 あたりは騒然となった。

 ひゅーっ、ひゅーっ……江那の喉から鳴る音が、あたりに冷たくこだましていた。

 

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