第9話

 由岐治が庭へと飛び出していった。赤城はその背を、静かに見送った。今はそっとしておいた方がいいだろう。お茶のおかわりをもらいに行こうとすると、ちょうど滝口に行き合った。


「どうも」

「君の主は?」


 会釈をしてすぎようとすると、滝口は赤城に尋ねてきた。赤城は足を止め、振り返る。滝口はグラスを手に、ゆったりと答えを待ち構えていた。


「夜風に当たりに行ってます」

「そっか。具合悪そうだったもんな」


 平気かと、案じた声で滝口は重ねた。赤城はその繊細に張り巡らされた気遣いの顔を、フラットに見つめた。


「よく見てますね」

「はは。悪い癖なんだよね」

「悪い癖ですか」

「お節介でさ。それに、みみっちいでしょ」

「そうですか」


 滝口は、おどけて言う。しかしその笑顔には、かすかな自嘲が含まれていた。赤城はただ、不思議そうに見つめた。


「滝口先輩は、おいやなんですか」

「ん?」

「その癖」


 滝口は、虚を突かれたように、その笑顔を停止させた。それからまた、「どうかな」と、笑みを流れさせる。それはたしかに苦笑だった。赤城の静かな伏し目は、その瞼の奥にじっと滝口を映している。


「わりに突っ込んでくるなあ」

「そうですか」

「いや、いいよ。ところで、ご主人様のところにいかなくていいの?」

「はい」

「即答?」

「坊ちゃんも、ひとりになりたい時はあるかと」

「そっか。そう思う?」


 滝口は、また笑った。さっきの苦笑と混じった寂しそうな笑みだった。


「大人だね。赤城ちゃん」

「大人ですか」

「俺はそういうの無理だな。絶対にかまっちゃう」


 そう言って、視線を流した。友人に囲まれ、理紗が相羽や江那と談笑している。ふいに理紗が、チョコのプレートを可憐にかじって見せた。友人たちと、何か共有するように、目配せし、幸せそうにほほえむ。友人たちもまた、嬉しそうに理紗を見つめた。

 滝口はその様子を、まぶしげに眺めていた。

 一方、赤城は凝ったチョコプレートだなと思った。ホワイトのチョコの中に、抹茶が入っている。やけに分厚いと思ったら、そんな趣向が凝らされていたとは。

 理紗が、こちらに気づき、目を和らげて見せた。滝口は手を振り、赤城は会釈を返す。滝口は嘆息するように言葉をつむいだ。


「優しいんだよな、理紗は」

「そうですか」

「今回もな、江那ちゃんの為に、直前に、料理差しかえてさ」

「そうなんですか」

「江那ちゃんも、亮丞のことも大事にしてるんだ。心配になるくらい」


 滝口の声は、語尾に近づくにつれ切なく細くなった。赤城はその声と視線の向かう方へ、じっと視線を向けた。


「赤城ちゃんって、変だね」


 突然、目が覚めたように滝口は赤城を見た。からりと笑う滝口は、すでに平素の空気をまとっていた。


「そうですか」

「なんか話しやすいっていうかさ。お地蔵さんみたいで」


 滝口は「それも失礼か」と、もう一度、苦笑した。その言葉に対する苦笑で、重い空気はなかった。


「だから、なんか話しすぎたかも」


 ごめんね、そう言って笑った。赤城は「はい」とそれを受け止めた。そして、ふたりはこの話を打ち切ったのだった。


「滝口先輩、赤城さん」


 理紗が笑って、こちらにやってきていた。その後ろに友人たち、肩を組んだ相羽と江那も続いてやってくる。滝口は、理紗を迎えると「こりゃ大所帯で」と鷹揚に応えた。理紗は、ゆったりと微笑む。


「だって楽しそうなんですもの」

「俺と赤城さんが? そうかな」

「なに話してらしたの?」


 理紗の友人が、滝口に問う。


「主に理紗さんのことを」

「あっこら!」


 滝口が言いよどむより早く、赤城が答えていた。滝口は、あわてて声を上げたが、肝心のところはもう伝わってしまっていた。理紗は目を見開いて、それから、にっこりと笑った。


「まあ、先輩。私のこと、赤城さんにちゃんと素敵に伝えてくださいました?」

「ああ、まあうん。精一杯の努力はしたつもり」

「本当に? 信じますから」


 滝口は、「どうぞ」と答えた。友人たちはその様子に、花が咲くように笑い出した。江那もまた、高くはしゃいだ声を上げ、相羽の肩に顔を寄せた。相羽も愉快そうに笑う。一瞬、友人のひとりがそんな江那と相羽の様子に目を向けた。しかしすぐに笑みを戻し、理紗の傍らに寄り添った。


「赤城さん、楽しんでらして?」


 ひとしきりの笑いがすんだあと、理紗は赤城に尋ねた。


「楽しいです」

「よかった。碓井君は……」

「今、トイレだって」

「あら、そうでしたの」


 赤城が答えるより早く、滝口が答えた。赤城が目をやると、訳知り顔で目配せした。赤城は頷き目線を戻す。


「あなたたちのお話が聞きたいわ」

「そう思って、俺がつれてきた」

「また何でも、自分の手柄になさるんですから」


 理紗の友人たちが、胸をそらす相羽をからかう。相羽は気にした風もなく、得意げな様子を崩さなかった。この会場の男子、皆がジャケット姿の中で、相羽のシャツにサスペンダー姿は目だつ。しかし相羽は、それを逆に華にしていた。

 赤城は、そっと相羽のジャケットを目で探った。すると、あの時の椅子に、きちんとたたみかけてあるのが見えたので、すっきりして目線を戻した。


「遅いな。ちょっと見てくるか」

「よせよ、無粋だろ」

「そうですわ」

「相羽先輩はせっかちなんですから」


 洗面所に向かおうとする相羽を、滝口が引き留める。友人たちも口々に止めた。


「でも、たくさん話したいだろ?」


 そう言って、時間を確認した。滝口が、「まあまあ」と押さえる。


「でも、たしかにちょっと、遅くない? 碓井君、具合とか悪いんじゃない?」


 江那が、目線を下げたまま高く甘い語尾で、入ってくる。語尾は遠慮がちにかすれていた。理紗は、「たしかにそうね」と眉を下げた。皆、思案げにする。相羽は闊達に笑い飛ばした。


「おいおい。大の男に、そんな気にするなよ」

「いや、お前がせかしたからだからな」


 突っ込みながら、滝口は赤城を見て肩をすくめた。作戦失敗、そんな風である。

 となると、話は決まったもので、赤城はその場を後にしたのであった。

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