第6話


 由岐治が硬直し、激しく息を飲んだのと、赤城が「わお」と声を上げたのは同時だった。


「ばばば馬鹿! 静かにしろ」


 由岐治は静かに叫ぶと、赤城の肩をひっつかんだ。そして、大慌てで来た道を引き返す。樹の陰に隠れて、どうにか一息つく。汗がどっとわき出ていた。由岐治の首から上は真っ赤に上気し、脈が速くなっていた。


「坊ちゃん、大丈夫ですか」

「う、うるさい!」


 赤城はポケットからハンカチを取り出すと、由岐治の首を拭いた。由岐治は、体をよじり逃れると、ハンカチをひったくった。ハンカチに顔を埋めて、平素の顔色を取り戻そうと由岐治が躍起になる間、赤城は変わらぬ調子でそこに立っていた。


「なんだあんなところで」

「おつき合いしてるなら、そういうこともあるでしょう」

「女の方は、まだ一年だぞ。乱れてる」

「そうですか」


 目を閉じて、由岐治は長い息をつく。先に見た衝撃を心から掃き出そうと努め、どうにかそれに成功した。


「坊ちゃん、パーティー始まりそうですね」

「どんな顔して戻れってんだよ」

「いつも通りでよいでしょう」

「くそ、あんなところで、くそ」


 顔を合わせるのが、しこたま気まずい。どうにか気づかれなかったのが幸いだ、と由岐治は憤りを込めて思った。もう一度長く、長くため息をつく。


「行きますか」

「行きたくない」


 言いつつ由岐治は、扉までの道を戻っていった。ハンカチは道中で赤城が回収した。


 ◇◇

 

「みなさん、今日は私のために集まってくれてありがとう」


 理紗が、朗らかにスピーチをする。涼やかな声が、あたりに心地よく響いていた。親しいものたちの集まり――ないしパーティー好きのものたちの集まり――らしく、皆砕けた調子で、理紗のスピーチの合間に拍手や、かけ声を入れていた。


「――今日は、めいっぱい楽しみましょう!」


 理紗が高らかに言い切ると、わあっと皆が歓声を上げた。パーティーの開始――要するに騒ぎ放題の始まりだった。理紗にかけより、祝いの言葉を騒ぐもの、各軽食に向かうもの――皆、少年のエネルギーを存分に放出しだす。


「盛り上がってますね」

「ふん」


 サンドイッチののった皿を片手に、赤城は由岐治に声をかける。開始前から疲労困憊だった由岐治だが、皆の熱気がばらけたので、いいかんじに気が抜けたらしい。先のような、ぴりぴりした空気がないでいた。


「あら、赤城さんではありません?」


 ふいに後ろから声がかかる。振り返れば、赤城にとって見覚えのある顔だった。テラス席で、無花果に困り顔だった彼女たちだ。


「無花果のみなさん」

「あら、素敵な覚えかた」

「碓井君もこんばんは」


 赤城の脇から、そっと身を乗り出して彼女たちはお辞儀をした。由岐治は、ややぎこちなく会釈した。


「お二人がいらっしゃってるなんて、知りませんでした」

「相羽先輩にお呼びいただいたんです」

「まあ、素敵」


 由岐治からすると、なにが素敵なんだか、ちっともわかりはしないが、彼女たちは色めき立った。彼女たちはうっとりと視線を流し、パーティーの中心にいる、相羽を見つめた。相羽は、江那を肩に抱きながら、理紗や理紗の友人と談笑している。


「素敵ですわね」

「ええ、でも、理紗さんは複雑でしょうね」


 少し遠慮がちにささやかれた最後の言葉に、由岐治が眉をぴくりと動かした。


「何故ですか?」


 由岐治の疑問を読んだように、赤城が彼女たちに尋ねた。彼女たちは目を見開いた。


「えっ? 赤城さんご存じないの?」

「おそらく知りません」

「そうでしたの。あのね、ここだけの話ですけど……」

「なに話してるの?」


 彼女たちの後ろから、にゅっと手が伸びてきた。彼女たちは、自身の肩に置かれた手の持ち主を見つめ、それから「きゃあ」と先より肉迫した黄色い声を上げた。由岐治は赤城とふたり、彼女たちと対面で立っており、彼が近づいてきたのに気づいていた。だから、驚かなかった。そして、由岐治はそれが誰かもわかっていた。ちなみに赤城は知らなかった。


「もうしわけありません、滝口先輩」

「なるほど、聞けない話してたわけだ?」

「め、めっそうもないです」


 彼――滝口は、腕組みをしてあわてる彼女たちを見て、切れ長の目を細めた。明らかにからかっている、そんな目つきだった。スーツの趣味も悪くない。由岐治は前生徒会、副会長だった男を、それとわからぬよう観察した。


「相羽先輩のお話をしていたんですわ」

「あの、理紗さんのことで、お聞きになられたので……」


 あっ、こいつら僕を売りやがった――そう感じたが時すでに遅し、滝口の愉しげな目線は、彼女たちから由岐治に移っていた。滝口の目の奥には、警戒の光がともっていた


「へえ? 探偵君、何かいりようかな?」

「いえ、そのう、不思議な雰囲気だなと思いまして。僕は恋愛ごとは全くわからないもので」

「そうなの? 意外にピュアなんだな」


 滝口は、からかうように笑った。意外とはなんだ、悪かったな――由岐治は屈辱の念をかみ殺した。しかし一方で、滝口の目の奥からはあの光が消えているので、力が抜けた。「あのな」そう言って、滝口は、ずいと身を乗り出してきた。由岐治は、ばれぬように一歩退く。


「ちょっとしたロマンスがあるんだよ」

「ロマンスですか」

「亮丞と理紗――あの二人、つきあってたんだ」

 

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