洋子の死
旭は車で来ていたので、その車に九曜と雪上も乗車させてもらい、斎場へ向かう。
途中、近くにあったコンビニに寄って、旭は香典袋とペンを購入していた。
運転席に旭が、助手席に昌也が座り、九曜と雪上は必然的に後部座席に座る。
九曜はその間、不思議なくらい何も言葉を発しなかった。
時刻は午後九時半。
通夜も終わり、泊まる人以外の親戚はそろそろ帰ったぐらいの時間だろうか。
ちらりと旭が電話してる際に耳に入った、葬儀場の名前と場所は雪上にも聞き覚えがあった。
建物の中に入ったことはないが、その前の道を何度も通ったことがある。むしろ、今、車が走るこの道だって、幼いころから雪上がよく知っている幹線道路だった。にも関わらず、今はまるで、初めてこの道を通るかの様に感じられる。
ネオンや街灯の様子が変わったわけではない。
雪上自身も夜中にこの道を車で運転したこともある。しかもそれは割と最近のこと――あれは確か、この前の冬。遠縁の親戚が亡くなった時だった。雪の寒い日。通夜を終え、急遽、両親も葬儀場に泊まることとなった。雪上は次の日、九曜とのフィールドワークを予定していた。先方にもアポを取っていたので、一人で家に帰ることとなった。
故人とは幼い頃に何度か会ったことがあるくらい。物心ついてから会う事はほとんどなかった。それはその人が病気を患って、入退院を繰り返していたからかもしれないし、雪上がその人とは全く向き合ってこなかったからかもしれない。薄情だけど、命のともしびが消えゆく親戚よりも、今の自分の生活の方がなによりもかけがえのないものに思われた。はたから見たら雪上の人生などどうしようもないものだと思われるかもしれないけど。
確かに高校生までの生活は雪上自身もその自覚があった。しかし、そんな日々でも今思えば、楽しくてそれなりに満足していた。
不意に訪れた、親戚の死――体調が悪く、この先長くないだろうという話も実は両親からうすうす聞いていた。しかし、雪上はそれを二つ返事で終わらせた。だから、それはその結果であって、自分自身がそう望んだのだろうと言われれば、それはそれで。
両親の話した通り、亡くなった親戚の通夜が終わり、斎場から一人家に帰る車の中で、雪上は今と同じ気持ちを味わっていた。
この感情を何と言うのかはわからない。いや、わかりたくないのだと思う。言葉にしてしまえば、自分自身もっと強く自覚しなければならないから。
車は目的地である葬儀場に到着した。『月澄家』の文字を見て、より一層気持ちが重くなる半面、しっかりしなければとも強く思う。
近代的な新しいその建物は、月澄洋子と初めてあった、あの美術館を彷彿させた。暗いから余計にそう思ったのかもしれない。
一階の駐車場は割と空いており、何台か車が停まっているくらいだった。
九曜が、旭に礼を述べながら、いち早く車を降りたので、それに続いた。
入り口はどこかと探している間に、すたすたと旭は迷いなく歩きだすので、三人はそれに続く。なかなかわかりにくい場所にあった、建物の中に入るための鉄製の重たい扉を見つけ両手で押し開ける。中からこうこうとあかりが漏れて来た。ちょど警備服を着た老年の男性がいたので、
「すみません、月澄さんの葬儀会場はどちらですか?」
そう尋ねると、警備の男性は親切に三階であることと、向こう側にエレベーターがあるからそれを使ったらいいと教えてくれた。
「ご親切に」
旭は一礼し、雪上達の方に視線を向けたので頷く。
割と大きな斎場で、いくつかの葬儀を同時に建物の中で行えるほど会場が何箇所があるようだが、今日行われているのは、月澄家のみだと案内表を見て知った。
エレベータに乗り込んだとき、数時間前にここに来ていただろう古藤のことが思い出される。
三階のホールにエレベーターが到着し扉が開いた。
電気はついているが薄暗い。すぐ正面に受付があるのだが、通夜が終わってから時間が経っていることもあって、今は誰もいない。隣には扉がありその向こうに、祭壇があるのだろう。扉は観音開きのもので、片側がすでに開け放たられていた。
誰も何とも言わないが、四人はまっすぐにそこに向かう。
線香と強く花の香りが混ざり合っている。
葬式なんだと、強く実感され、今更ながら、ブルーのシャツで来たことを後悔する。
普段は全くそんなこと気にならないが、特に隣を歩く九曜は予想していた様に、黒いシャツに黒いチノパンツ。いつもよりもかっちりとした服装をしており、山内兄弟も、旭は黒っぽいスーツだし、昌也もグレーを基調とした服装をしていた。自分だけが色付きの服である自分がより一層恨めしく、どうしても気になるが、誰もそれについては指摘しないので、ともかく中に進む。
白い花に囲まれ、月澄の顔が浮かぶ。
悲しいとか泣きたいとかそんな感情は不思議と浮かばない。ただ、”死”と言う事実が、どしりと雪上の胸に叩きつけられた。
祭壇の前に黒の礼服を来た一人の男性がぽつねんと立ちつくし遺影を見上げている。
「圭祐」
旭の言葉に振り返った男の顔を見て、雪上ははっと息をのむ。
白皙の面立ちに黒い髪がはらりと顔にかかる、すらっとした体形。年齢不詳で、その容姿は人目をひいた。旭と同じ年齢なのだろうが、タイプが全く反対だった。顔にかかった前髪を払いのけ、こちらへ向き直る。
「大変だったな」
「本当にわざわざ、来てくれたんだな」
色のない顔に憂いともつかない表情が浮かぶ。
「焼香させてもらっても?」
返って来る言葉はなかったが、通路を開け、どうぞと手でジェスチャーで示した。
旭に続いて、ぞろぞろと焼香をすませる。
月澄圭祐は、全くの他人である九曜や雪上には興味がないと言わんばかりにこちらを見ようともせず、ただ、遺影の自分の母親の顔をじっと見つめていた。
「良い顔をしているでしょう」
雪上がちょうど圭祐の隣を通った時に、彼は雪上の方を見ずにそう言った。
「……お悔み申し上げます」
いきなりの事でなんと返したらいいのかわからなかったが、辛うじてその言葉を吐いたあとに礼をした。
雪上はもう一度遺影の月澄洋子を見る。生前に会った時よりも穏やかな表情をしていた。多分、家族にだけ見せる、そんな表情なのかもしれない。
息を吐いて、振り返ると旭と圭祐がちょうど向き合い、包んできた香典袋を渡した所だった。
「久しぶりの再開がこんな形になるとはね。前に会ったのはいつだったか……」
圭祐は自身の感情を隠すためか気丈に、明るく振舞っている。そんな風に雪上の目に映った。
「司の葬式だ」
しかし、旭の言葉に、表情はしぼみ、また当初の無表情に戻った。
「ああ、そうだったな」
相槌を打つ、その声に温度は感じられない。
沈黙が訪れる。
流石の九曜も何も言葉を発しなかった。それは雪上も一緒だ。この空間の中で九曜と雪上は明らかに異質で、この時ばかりは、”部外者”と言う言葉が自分たちにしっくりとなじむ。
「俺になにかあって来たんだろう?」
圭祐はそう言って、旭を含めた雪上達を見回す。
「えっと……」
急に話を振られた旭が口ごもっていいるのを、無視して圭祐は、
「さすがにこの状況からその位はわかる。でもここじゃあちょっと……向こうの控室に親族がいるから。二階のロビーは今日空いているみたいだから、そっちに行こう」
二階のロビーは人の気配がなくしんとしずまり返っていた。明かりはついていたが、三階に比べてさらに薄暗い。
圭祐はあたりを見回して、思い出した様に、
「悪い。ちょっと待っていて。そのソファーにでも座っていてくれたらいいから」
ソファーを指して、自身は階段を駆け上がって行くのを見送った、旭は何も言わず、そのままソファーに座ると足を組み、自身のスマホを取り出した。
九曜は窓の外にを眺めている。昌也は立ったまま、圭祐が行ってしまった後ろ姿を見送っていたが、気が付いた様に振り返ると、自身の兄にならって、隣に座ると同じようにスマホを取り出していた。
雪上はぶらぶらとホールを徘徊しなが、圭祐が帰って来るのを待っていたが、途中であきらめてソファーに座り、大きく息を吐いて目を閉じる。
何だか不思議な気持ちだ。
冷静に考えて、今、なぜここにいるのだろう、と。
九曜と雪上はただ富本司の画家としての人生、そして絵に込められた謎について追って来た。ただそれだけのことなのに。
不意に旭のスマホが鳴って、いきなり通話を始めたのではっと目を開いた。
話の内容から察するに、ご家族からの様だった。結婚して家庭をもっていると先ほど話を聞いた。旭は今、弟と弟の友人達と、自身の友人の葬儀会場に来ていると事情を説明した。
そう言えば、圭祐は結婚しているのだろうか。見た目だけみると、いてもおかしくないと雪上は思うが、なんとなく違うのだろうと思う。
階段から足音が近づき、圭祐が戻って来た。
「お待たせ。せっかく来ていただいたのに、なんのおもてなしもないというのはどうかと思ったのでね」
圭祐はポットと紙コップをトレイにのせて、それを机に置くと、自ら紙コップにポットの中身を注ぐ。砂糖のスティックとポーションミルクを机にばらっと置いた。
「珈琲? ありがとう」
一番最初に紙コップを受け取った旭はそう言った。
「ああ、酒だと思った? まだ飲んでいる人もいるし、飲みたいなら持ってくるけど、……俺はどうもそんな気分にはなれなくてね」
薄暗かったこともあって、実際に圭祐がどんな表情をしていたのかは分かりにくかった。ただ、その声の感じから、疲れた笑みを浮かべているのだと思った。
いつの間にか、九曜は雪上の隣で珈琲を受け取っている。
「それで話って?」
旭は九曜と雪上を指して二人を紹介した。
圭祐は気軽に二人の存在を認め、話を促したので、旭に代わって今度は九曜が口を開く。
「僕らは生前、美術館で月澄さんから絵について色々と教えてもらったことがあって。ちょうどそれがほんの一週間前のことでした。まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。本当に心からお悔やみ申し上げます」
九曜は座ったままだったが、深々とお辞儀をする。
「いえ」
圭祐は小さく会釈をした。
「僕らは、月澄さんの同僚である古藤さんと言う人から、今回の不幸を聞きまして、それで……月澄さんはマンションから飛び降り自殺を図ったということも」
「そうです。本当に……」
圭祐の言葉にならないといった感情がひしひしと伝わって来た。
「ご自宅ではないマンションだと伺いましたが、なぜそんな所に居たのでしょうか?」
「わかりません、全くわかりません。ただ、今は母が亡くなった事実だけが、ある状況で」
圭祐は、何度も首を横に振った。
「こんな事をお話するのは不躾だと存じております。すみませんが、それでも伺いたいと思ったんですが、実は一週間前にお母様にお会いした際、富本司氏の。ご存知かと思いますが、画家の。その方のお話を伺いまして、今回のお母様の死が彼と同じ死に方、しかも、同じ場所でと言うのがとても気になったのです。本当になにもご存知ありませんか?」
圭祐はじっと微動だにせず、九曜を見つめていた。彼が今何を思っているのかは、わからない。ただ、五人の間に重苦しい空気がながれ、雪上は一人、頭の中に様々な映像が思い浮かんでは消える。それを繰り返していた。
「母が自殺を図ったのは、今俺が所有しているマンションでの事だった」
「司と、そう言えば同居していた、そのマンション?」
旭の言葉に圭祐はこくりと頷く。
雪上はその話は聞いていたが、知らない様なふりをして、
「今もそのマンションに住んでいるのですか?」
そう聞いてみる。圭祐はほんの少しだけ首を傾げ、
「いや、住んではいないけど、部屋は持ってる。以前、その富本司と同居をしていたんだ。彼は駆けだしの画家だったから、当時お金がいないと言っていて。僕もその当時の仕事は出張が多くて、家を空けることが多かったし。彼と家をシェアしたきっかけは、亡くなったうちの母親と、あいつの母親が仲がよかったから。その関係もあってね」
富本司が亡くなった後、彼の死を悼む様に彼の母親がマンションの部屋を管理していたが、その母親も亡くなってからは月澄家で管理をしていたのだと話す。一通りは知っていることだったが、やはり、改めて本人の言葉で話を聞くことが大切なのだと思い、そのまま話を質問を続ける。
「じゃあ、富本司氏が亡くなった時も?」
圭祐は表情をさらにしかめる。
「ああ。その時俺は、ちょうど出張に出てて、帰って来たら彼はもうこの世の人ではなかった。――少し、誇張表現になるかもしれないが、もともと彼自身の存在が、違いすぎる世界の住民だと感じていた。惜しい人が亡くなったものだと、その時の事は、そうだな。今でもなぜ、あんなことになったのかと今でも信じられない気持ちがある」
圭祐の言葉に同調するように、旭もそう相槌を打った。
雪上は二人の言葉を聞き、月澄洋子が抱いていた、富本司の自殺に関わる疑惑は彼と近しくしていた人であれば、皆同じように抱いていた見解なのだと思った。九曜もそれを感じたのか、しばし考えこんだ後、
「じゃあ、月澄さんのお母様の死について。マンションの部屋に行ったのはご自身の意志だったのでしょうか?」
そう話を切り出しす。
「恐らく。俺が何か母親に頼み事をしたとかそんなことは全くなかった。母も部屋の鍵を持っていたから、自分の意思で行きたいときに行こうと思えばあの部屋にはいつでも行けたんだ」
「では、月澄洋子さん本人の意思で、あのマンションの部屋に行き、自殺をされた……と言うことでしょうか」
九曜の言葉に、圭祐は顔をこわばらせ、こくりと頷く。
「母が自身の意志であの部屋に行ったのは間違いないと思います。時々、あのマンションに行って掃除などをしているらしいので。それに、部屋の中かあら、母がいつも持ち歩いていたバッグや財布、スマホなどの一式がありましたから」
「部屋の鍵はかかっていましたか?」
「はい。騒ぎを聞いて、部屋の鍵は俺が開けて中を確認したので」
「となると、月澄さんのお母様はマンションの部屋を訪れ、荷物一式は部屋に残し、部屋の鍵を閉め、マンション最上階の廊下から……自殺を図ったということですね」
「ええ」
圭祐は頷いたものの視線を彷徨わせていた。
「でも、古藤さん――あ、月澄さんのお母様の同僚の方なんですけれど、その方から聞いた話では、遺書はご自身の家の部屋、ゴミ箱から見つかったと聞きましたが。そのマンションにはそういった書置きは一切なかったのですか?」
「そうですね。探しましたが、そういったものはなにも。あの部屋の中でなにがあったかまでは推し量れません。こう言ってはなんですが、もしかしたら第三者の可能性も否定できないのかなと、考えています」
「殺人の可能性ですか?」
圭祐本人のからそんな言葉を聞く事になると思わず、驚いて雪上はそう聞いた。
「警察の捜査では恐らくないだろうと言われています。母のスマホから履歴も確認しました。直前にやりとりとしていた、不審な点はありませんでした。だけど……こんな前触れもなく、母が死ぬなんて」
ここで初めて、圭祐は自身の母親の死に対する感情を目に見える形で、現した。雪上は彼に対して、かける言葉が見当たらない。
「母親、本人が消去している可能性は? 例えば、息子のお前には見せたくない様な誰かとか」
旭は聞きにくそうに、控え目にそうたずねる。つまり、秘密恋愛。友人に自身の母親が不倫の可能性はないかと聞いているのだ。圭祐はその質問の意図に気が付くとふっと笑う。先ほどまで示していた悲しみなどもう消え去っていた。
「まあ、その可能性が絶対にないとはいわないけれど、今の所はその影も見当たりません」
圭祐は息を吐いて、珈琲に口をつける。
「まあ、でも同じ場所で知っている人が亡くなるというのは、やはり……」
今まで押し黙っていた、昌也がそう口にした。
「そう。だから、最初はいわくつきの場所だからとそっちの観点から調べていたんだけど」
昌也の言葉に軽く雪上がそう返すと、圭祐と旭が『いわく? まさか』と、揃えて口にした。
「すみません。挨拶が遅くなりましたが、僕と雪上くんはS大の民俗学を専攻しておりまして、その時に伝わる伝承や民話について研究をしているんです。それで、あのマンション如月があったあたりに、過去に処刑場があったのではないかという情報を得て。そこから調べていくと、あのマンションでは、よく自殺者の方がでると。もしかして、何かの因果関係があるのではないかと思って調べていたのです。月澄さんとも、先ほども言いましたが、美術館で生前お話しを伺ったときに、富本氏の死について、やはり納得ができない部分があるとお話しされていましたので。もしかしたら、科学では解明できない何かがあるのではと思ったので」
九曜の説明に、圭佑と旭は納得したようで「なるほど」と、何度かコクリコクリと頷き、圭佑は、
「その話は聞いたことがある。処刑場があったと。昔は、晒し首なんかもあったらしい」
興味深に頷きながら、そう言葉を付け足していた。
赤い文字について口に出してみようかと思ったが、この話の流れからして、なんとなく言わない方がいい気がした。話の流れがいい方向に向かっているので、もし雪上がそれを行って、圭祐が知らなかった場合、また話が暗礁にのりあげるかもしれないと思ったから。
「やはり、あの辺りが過去に処刑場だった可能性は高いのですね」
九曜は、監獄があったことなども合わせて説明した。九曜のこの発言で旭は、「なるほど」と打って変わり、頷き、圭佑は監獄があったことについて、
「かなり昔、小学校の頃に住んでいる地域について調べて発表するっていう授業があって、それで八重本町にあった監獄についてかなり調べたことがあったから知っている。八重本町という町は、昔は監獄が、今では名前が変わっているが刑務所があって、囚人さん達の力で発展した珍しい町だと知って、正直驚いた記憶がありますね。街はずれに当時の監獄の現存する建物を利用した博物館があるんですよ」
「そうなんですね」
雪上は頷いた。
「でも、地元の方々はそこまで大きくPRをしていると言う感じではなさそうですね」
九曜の言葉に圭佑は、
「まあ、大腕を振って言えることかどうかと言われると……ね」
「あのマンション近くまで。見に行ったことがあるのですが、近くの古書店を営むご主人に話を聞くことができたのですが、処刑場については全く知らないと言われました。監獄はあったことはご存知でしたけどね。でも富本司氏が亡くなった時のことは覚えていらっしゃって、……そう言えば彼が亡くなった少し前に若い女性が亡くなったという話もしていましたが、ご存知ですか?」
雪上はふと圭祐をみると明らかに様子がオカシイ。
「いや、知らないな」
嘘をつくのが下手な人だ。年下の雪上にも今の圭祐の発言から、何かがあることは容易にわかる。
九曜も恐らくそれを察した様子だったが、それ以上追及することはなかった。ただ、おもむろにスマホを取りだし、画像を表示させ、圭祐の前に見せるように差し出した。
「この絵に見覚えは?」
「……」
「ではこの絵に描かれた女性に見覚えは?」
矢継ぎ早に繰り出される九曜の質問についに圭祐は陥落する。
「恐らく……だが、見覚えがある」
次の圭祐の言葉を待つ静寂があり、雪上自然と体を前に乗り出す。
「その人かどうかはわからない。ただ……多分、少しだけ昔、交際期間があった恋人と似ている。当時、そのマンションに住んでいた時」
旭は”お前”とでも言いたげに、ぎっと圭祐を睨む。昔のことだと言いたげに、へへっと圭祐は笑った。
「まあ、昔は色々と……今は流石にそんなことはないのだけれど」
言い訳じみた、含みのある言い方に色々とあまり言葉にしがたい何かが含まれている。
「しかし、月澄さんと付き合いがあっても、富本さんとは関係があるのですか? 友人の恋人であれば顔を合わせることは無いとも言いませんが」
九曜はくっきりはっきり、つまりその女性と富本司と関係があったのかを聞いた。
「それについては、正直、よくわかりません。ただ、当時住んでいた同じマンションに住んでいたから、面識はあっただろうとは思う程度で」
「先ほども話した、マンション如月の近くの古書店の店主から、富本司氏が亡くなる一か月ほど前に若い女性が自殺を図ったという話を聞きました。興味深いのは、話を伺った際にこの絵を見せたのですが、店主は絵を見て恐らく自殺された女性と同一人物ではないかと証言されました。そもそも亡くなった女性がいたのかと思って、過去の新聞記事を調べたのですが、確かにありまして……その女性の名前は”白根ゆりさん”違いますか?」
「その白根ゆりと言う女性は、司が亡くなった一か月前に亡くなった女性だと。それは間違いないのか?」
旭は髪の毛をがしがしと掻きむしり、なかばなげやりにそう聞いた。圭祐は視線を彷徨わせた後、ふうと息を吐いて頷く。
「ああ。確かに、そうだ。でも、彼女が亡くなった時はすでに別れて……多分、一か月は経っていた。遺書も無かった聞くし、だから、実際に彼女に何が起こったかはわからないんだ」
本当にそうだろうか。
圭祐の話を聞いて。雪上は真っ先にそう思い浮かんだのは疑問の感情。
彼の言葉に嘘は無いのだろう。つまり、別れたのは事実なのだろう。と思う。ただ、何かを隠している、言いたくないことがある。そんな様な気がしてならない。もちろん証拠がある訳ではないので、雪上の思い違いだと言われてしまえばそれまでなのだけど。
「同じマンションに住んでいたのなら、別れた後も顔ぐらいは合わせることがあったでしょう? 彼女の様子に変わったことはありませんでしたか?」
九曜は更に鋭く切り込む様な質問を投げかけた。圭祐は腕を組んで唸り声を上げる。
「うーん、そうですね。俺が見る限りはそんなことはなかったと。つまり、先程も言いましたが、当時は仕事が忙しくてずっとマンションに住んでいると言う感じでも無かったので、あまりよくわからなかったというのが本音です」
「別れた原因はなんだったのですか? すみません、立ち入った事を聞く様で申し訳ないですが、僕にはどうもその女性と富本司氏。それとお母様の月澄洋子さんの死につながりがある様に思われてならないのです。お話を伺う限り、三人とも死の予兆を感じさせずに急に亡くなっているので、やはり何かマンションのその土地に伝わる何か別の力が働いていたのではないかと」
九曜はあくまでも、その話で押し切るつもりらしい。雪上は九曜の言葉に更に信憑性を持たせるため、
「富本氏のお母様も自殺されたと。それは違うのですか?」
そう言葉を挟んだ。
しかし、目論みは外れ、雪上自身の言葉を否定したのは九曜だった。
「違うと思ってる。なぜなら、亡くなった時にしっかりとした遺書があったと月澄さんから美術館で聞いた。そこが他の三人と違っている点だ。他の三人(白根ゆり、富本司、月澄洋子)は遺書らしきものあったのかもしれないが、しっかりと死を覚悟して書いたと思われる遺書は見つかっていない。だから、月澄さん。貴方も、お母様の死が自殺ではないと感じていると先ほど話されていた」
白根ゆりの死にについては、新聞記事を思い出し、『遺書などがなかったため、事故や事件を視野に入れ捜査を進めている』と書かれていたことを思い出す。
「では、三人が殺人で亡くなったとそう仰りたいのですか? それは違うと警察の調べではっきりと結論づいています。確かに、遺書とは言い難いかもしれまんせんが、母の死にも遺書はありました。まさか、今回の母親の死も含めて三人の死について俺自身が関わていると、貴方はそう言いたいのですか?」
なよなよとした見た目とは想像もつかない程の怒りと敵意をむき出しにした圭祐の物言いに雪上は座っているのだが、足がすくむ様な感覚を覚える。先ほどの話とは、若干の矛盾が生じていることも気が付かぬまま。
雪上の頭の中には、当たり前だが、圭祐を怒らせてしまったという感覚が強くあった。隣の九曜をおそるおそる見たが、彼は全く気にとめていない様子で口を開く。
「いえ、そうではなく、あの場所はもともと処刑場があったと先ほど話ましたが。もしかしたら、自殺された方は死者に引きずられたというか、赤い文字を見ることによって死に至ったのではないかと、考えているのです」
「は?」
大きな話の変わりように圭祐は一気に怒りの感情が消えあんぐりと口を開く。
「別に死者を冒涜しているとか、そんなつもりは一切ありません。ただ、”死”を全く意識、感じさせなかった人が急に死に気持ちが傾いて、自殺を図る――そこには、何か死に至る大きな要因があったと思うのです。それが事故でもない限り。でも、まあ、事故だったとしても、それだけ身近な人の死が続けば不審に思ってもおかしくないとますが――話がそれました。月澄さんに会った時、僕らはその話も伝えていたのです。その話を聞いた時、何か月澄さんは思い当たることがあるような表情を浮かべていたのが気になって」
「はあ、それで、一体俺に何を言いたいんだ?」
圭祐は読めない九曜の言い方に首を傾げながらそう聞いた。
「後学のためにもそのマンションの部屋を見せてもらえないでしょうか?」
そう言葉を続けた九曜に。圭祐は一瞬、苦い表情をしたが、すぐにからからと笑い声を立てた。
「なるほど。ええ、いいですよ。ですが、現在は俺もここから動けない身ですので――」
それは遠まわしな断りの文句だったのだと雪上は思ったのだが、九曜にはそう聞こえなかった様で、
「鍵だけお預かり出来れば、さっと見て、すぐに鍵をお返しいたします。私のことが心配でしたら、旭さんにも一緒に行ってもらうよにすればどうでしょう?」
「見張りと言ういことか?」
旭は面白そうに口角を上げた。
「そうです。それなら安心でしょうし」
圭祐は言葉に困っている様だった。つまり、自分の意図が全く伝わらない相手で、しかも自分で自分の首をしめたような状況に追い込まれてしまっている。しかし、九曜はこの後、どんな言葉を言われても、言い返してしまうのだろうという気概が感じられ、圭祐はよろめいてしまい、自身のポケットをまさぐり鍵を見つけると、おそるおそる九曜に手渡す。
「ありがとうございます。では、皆さん。そう言うことなので、もう少しお付き合いいただけないでしょうか」
まるで舞台での口上を読み上げた、九曜の言葉に反対する声はない。旭は乗りかかった船だからと、席を立ち、雪上と昌也もそれに続く。
後から、この時にことを九曜に聞くと、まともに聞いても鍵を貸してくれることに対して圭祐は首を横に振らないだろうから、怪談めいた話を加えることで面白がって首を縦に振ってくれるかと思ったのだと。確かに九曜の考えた通りになったのだが、見ている雪上としてみると、はらはらとしてどうなることか思っていた。
「月澄さんは事件の後、マンションには?」
九曜が出る前に振り返って、圭祐にたずねると。
「いいえ。事件の時も警察官の任意同行みたいな感じてちらっと入ったぐらいです。その前を含めても、特に用事もない限りは行くことはあまりありませんでした。昔は住んでいた家でしたが、最近はほとんど足を踏み入れることはありませんでした」
首を横に振って項垂れていた。
雪上はそれを聞きながら、しかし、洋子はあのマンションは圭祐が持っているとそういった言い方をしていたと思うが、その当人がこう曖昧な返事をするのはなぜかと疑問が浮かぶ。
エレベーターに乗った時、九曜はこう話していた。
「月澄さんのお母様がが亡くなる直前にここに来たのは間違いないことです。死を考えている人ではなかったと思うのであのマンションの部屋で、彼女を死に駆り立てた何かがあるのだろうと。そう思うのですが」
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