友人

「鍵となるのは、富本氏の遺作に描かれていた女性なのだが」

 九曜の言葉で、真っ逆さまに芹と共に落下する女性の姿が思い出された。

「まさか、あれは月澄さんで、まさか今回のことを予言してあの絵を描いた――なんてことはないですよね?」

 冗談めいた言葉に、九曜は一笑する。雪上も流石に本気ではない。そもそも月澄洋子はショートカットだし、

「古書店に行った時のことを覚えているか?」

「もちろんです。あの時、店主にあの絵の画像を見せました。その画像を見て、しらねゆりさんだと……」

「あれ、雪上? こんな所でなにしているんだ?」

 背後から聞き覚えのある声に振り返る。

「珍しいな」

 そこに居たのは山内昌也だった。先日電話で話して以来、久しぶりにばったりと会った。

「サークルが忙しいと言ってなかったか?」

 嫌味交じりな声色でそう言うと、

「ちょうど、フットサルの試合があって大学に来ていたんだ。そのついで、春休みに出されたゼミの課題用に資料を借りようと思って――もしかして、貴方が九曜さん? はじめまして。お噂はかねがね」

 昌也はぺこりと愛想よく挨拶をした。

「九曜三之助です。えっと……」

「山内昌也です。ところで、お二人はなにを……ん、監獄?」

 二人が広げていた資料に視線をやって、すぐに眉間に皺を寄せる。

「監獄がメインと言う訳ではないのだが、その付近に伝わる色々……調べていて」

 九曜は説明したが、昌也の関心は監獄にあるらしく、

「八重本町の辺りに昔、監獄があったって、ばあちゃんに聞いたことがあったな」

 と、独り言を呟きながら、まじまじと資料に顔を寄せ、話を続ける。

「知っているか? 八重本町の中心部に流れる幸川は人口河川だって」

「え? そうなのか?」

 先日、八重本町を訪れた時、目にした町を横断するように流れる穏やかな川をそう言えばと思い出しながら、雪上はそう聞き返す。

 聞けば、川が人口河川だと言うことは昌也の祖母から昔、聞いた話らしい。

「今はもっと整備されていて、土手には桜並木があって、歩行者用の遊歩道がある。犬の散歩をする人や、ジョギングをする住民もある場所だ。最近は近くに大きな公園が整備されてグランピングが出来る施設が出来たって。そんな話も聞くな。でも、あの河川はやけに真直ぐだと思わないか? 普通、川って、自然なものは紆余曲折しているはずなんだ。だけどあの川は定規で引いたかの様に真直ぐだ。つまり、人が定規で引いてそこに川を造成したという訳。らしいよ」

「確かに」

 雪上はあの土手には木は桜並木だったのかと思う。

「なるほど、参考までに山内君はおばあ様から他に八重本町について聞いた話はあったりするだろうか?」

 九曜の言葉に昌也はくすぐったそうに笑った。

「山内で。呼び捨てで、いいですから。年齢で言えば俺の方がずっと年下ですし。――それで、さっきの河川の話はまだ続きがあって、その整備工事は八重本町にもともといた囚人さんが工事をやっていたって。そんな話も聞きました。

 物心ついた頃に、ばあちゃんの言ってたことって本当なんだろうかって思って、俺も昔、八重本町の監獄について調べたことがあったんです。でも、ばあちゃんが言った様に工事をやった記録は残ってなかった。でも、ばあちゃんがわざわざそんな嘘をつく必要があるだろうかとも考えて、それで、八重本町に住む住民たちでつくった”今昔話”だったかな? 郷土資料をみつけて、それには住民の人達が、昔こんなことがあったと、そう書き記したものを集めた資料で、そこにばあちゃんと同じことを言っている人があって。ああ、やっぱりあの話は本当だったんだなって思いましたね」

「へえ」

 雪上は意外だなと思った。

 クラブにサークルに、遊ぶのが人生と言う看板をしょっている昌也にそんな一面があったとは。

「その言い方は心外だな」

 昌也は雪上に対して不満を口にした。

「話を聞くと、はやりこの辺りには監獄があって多くの囚人たちがいた。それだけ多くの囚人を抱えていれば色々あったのだろう」

 九曜はたまたま開いていた資料にある地図を指して、八重本町の駅を中心に円を描いた。

 昌也はこくりこくりと頷きながら、今度は雪上のノートを後ろから覗き込む。図々しいやつだと手で払いのける仕草をしてみせた。まあ、昌也に見られて不味い事柄は何もないのだけれど。

「これもしかして、先日言っていた富本司の?」

「ああ、そう言えば知っているって言ってたっけ?」

 振り向くと昌也は雪上のノートの一点で目をとめていた。

 昌也と芸術家はなんとなく遠い存在と思っていたが、彼の表情を見て、そんな冗談を言える様な雰囲気じゃなかった。

「知っているもなにも、兄貴の友人だ」

「え? おまっ……そんなことは一言も?」

「この前、電話した時言わなかった? ああ、言う前に俺が切ったのか」

 あっけらかんとそう言う昌也に流石の雪上も脱力した。

「本人に会った事は?」

 九曜は横から冷静な声で聞いた。昌也は息を吐いて、ゆっくりと頷く。

「一度……まあ、かなり昔の話ですけど、家に来ていたことがあって、その時に。妙に印象に残る人だなって思って、それでその人が帰った後に、兄貴に聞いたら、友人の画家の卵だって。そんな風に言うので、尚更覚えていまして」

「なるほど」

 久しぶりに聞いた山内の”兄貴”と言う言葉に雪上は記憶の糸をたぐり寄せる。今まで会った事はなかったが、昔、昌也から兄貴について聞いたことがあった。確か、だいぶ年齢が昌也と離れているとか。

「そのお兄さんから直接話を聞くことは出来ないだろうか。実は、その画家について調べていて」

「なにかあったんですか? 確か、大分前に亡くなったと兄から聞いたと思ってました。その、二人が調べている監獄の事と何か関りがあるのですか?」

 珍しく真面目な声と表情の昌也にこれ以上はぐらかすことも難しいと判断し、雪上はちらりと九曜を見ると、こくりと頷いた。

「実は、ちょっと……話が込み入っているのだけど」

 雪上はそう話を切り出し、九曜と二人でこれまでの因縁めいた経緯を昌也に説明した。古藤のことから、富本司を絵を研究している学芸員の月澄洋子のこと。彼の死と彼が最後に残した遺作について。不可解に思われる点があると話を聞いたことも。

 説明が終わった所で雪上は、

「月澄さんと言う人は聞いたことない? 息子さんが富本司氏と同い年で、幼いころから親交があったみたいなんだけど」

 そう聞いてみた。昌也の兄が富本司を知っているというなら、月澄の息子である圭祐の事も知っているのではと単純にそう思ったから。

「いや、流石にそこまではわからないな。兄貴の交友関係について首をつっこんで聞いたことはないし、その富本司と言う画家も、さっき話したように妙に印象に残っていたから聞いただけのことだし」

「まあ、そうだよな」

 家族と入っても、なんでもかんでもパーソナルな情報を共有している訳ではない。子供でもないのだし。全く関係ない話だがそう言えば、九曜と知り合って一年ほど経つが、彼の家族やプライベートな話をほとんど知らないと言うことのはたと気がつく。知っているのは、結婚をしていないということぐらいだろうか。雪上も彼にそこまで何も聞かなかった。もしくは聞こうとしなかったという理由もあるけれど。

 ふっと現実に思考を戻す。

 目の前の昌也は、スマホを取り出し誰かと連絡を取っている様子だ。相手から返事が来たのだろう。一人でこくこくと頷き、顔を上げた。

「まあ……もしよければなんだけど、実はその、兄貴が今出張でこっちに帰ってきていて、今日一緒に夕飯を食べようって話をしてて――今、兄貴に友達を連れて行ってもいいかって聞いてみたらOKだって。二人とも来ます?」

 昌也の誘いに断る理由なんてどこにもなかった。

 

 

 昌也に連れられて来たのは、知る人ぞ知るとでも言う様な、細い路地の奥の道をさらに曲がったところにある、看板もない店だ。地元の人でも 分かりにくいところにあるため、その店の存在を知らなければ辿りつけないだろう。

 雪上は店を見て、そう言えば高校生の頃に昌也に連れられて一度来たことがあるなと思い出した。

 その時は昼だった。高級店ではない。むしろ、食事の料金はリーズナブルで、そこら辺にあるチェーン店のレストランとそれほど変わらない。学生でも払える料金で満足に食べて帰って来ることが出来た。

「へえ、こんな店があるなんて」

 九曜は驚嘆の声を上げる。

「九曜さんって、出身はこの辺りじゃないんですか?」

 昌也が不意にそんなことを聞いた。

「ああ、実はここよりもっと北の方なんだ」

「へえ」

 驚いたのは雪上の方だ。作務衣なんかを好んで着ているし、九曜の雰囲気からどちらかと言うと南の方の出身だと勝手に思っていた。

「じゃあ、雪国ですか?」

「まあ、そうだな」

「へえ、俺、”雪”はもちろんみた事があるんですけど、あんまり馴染みがないというか」

 昌也は軽い口調でそう言いながら、店の扉を開ける。

「いらっしゃいませ」

 ぱたぱたとカウンターから、こちらへ向かってくるのは昌也や雪上達よりも年下の女性。

「こんばんは。兄貴が先に来てると思うんだけど」

 昌也は見知った顔らしく、気さくな態度でそう話かける。女性のスタッフも心得ている様で、

「はい、いらしていますよ。奥のお席です。皆さまご一緒でございますか?」

 昌也に対して向けられる視線と九曜や雪上に向けられるものとは若干の温度差がある。致し方無い事なのだろうけれど。

「ああ、大学の友人なんだ」

「あ、そうなんですね。どうぞ」

 スタッフの後に続いて席に移動するとき、昌也や雪上に前を歩くスタッフの女性はここの店主の娘なんだと耳打ちする。カウンターの横を通る時に、調理白衣に身を包んだ小太りの男性を横顔を見た。

「この店にはよく来ているのか?」

 昌也は頷き、

「ん? まあね。お前ともいつか、結構前に一度来た事あったよな?」

「ああ、そういえば、何年か前のことだったか」

 小声で話していると、カウンターとテーブル席の向こうの掘りごたつの部屋へ案内される。

 スーツ姿の男性が先に席にいた。昌也を見ると手をあげ、雪上と九曜を見て会釈をする。

「兄貴お待たせ」

 昌也は滑り込む様に席についた。

「はじめまして。九曜と言います。せっかくのご家族の歓談の中にすみません」

 九曜がそう丁寧に挨拶を返すと、

「こちらこそ。昌也の兄、旭と言います。友達が来るとは聞いていたが、まさか先生が来るとは聞いていなかった」

 そう言って旭は昌也を見るので、九曜は珍しく言葉につまっていた。昌也は笑いまじりに、

「あ、ごめんごめん。二人には色々と日ごろから良くしてもらっていて、ちょうど二人が兄貴に尋ねたいことがあるって言うから」

 昌也は九曜のことを訂正する気はないらしい。多分訂正するのが面倒だと思ったのだろう。九曜は少々不本意な表情を見せるも、旭が二人を席に促すので、そのまま席についた。

「まあ、ともかく、こっちは昼も食べずに仕事でやっとここにたどり着いたんだ。まず、何か食べよう。このまま注文しても?」

 スタッフの女性がちょうどおしぼりと水を持って来た所だったので、旭は「注文」と言って引き留める。

「何にしましょう?」

「久しぶりに寿司を食べたいな」

「じゃあ俺も」

 旭に続いて昌也もそう言った。

「皆さんはどうします?」

 旭は九曜と雪上を見た。

「お寿司がオススメなのですか?」

 九曜の言葉に雪上も同意するように頷いた。

「にぎりではなくって、ちらしずしなんだけど、うまいんだ」

 昌也がそう言い、

「確かに、皆さんが想像する寿司とはちょっと違うかもしれません」

 旭が苦笑する。

「じゃあ、ぜひそれを」

「まあ、それも知る人ぞ知るかもね。雪上もそれで? 了解。じゃあ、兄貴と俺たち三人同じもので」

 昌也の言葉にうら若きウエイトレスの女性は、

「かしこまりました」

 手慣れた様子で、カウンターの方に小走りに駆けて行った。

 雪上は横に置かれたおしぼりを手に取る。旭の隣に昌也が座っており、その真向いに九曜と雪上が座っている。

「早速だけど、二人が聞きたいことって?」

 旭はよく声の通るはっきりとした口調でそう聞いた。

 雪上はちらりと昌也をみると、彼は頷き、九曜と雪上に話を促す。

「富本司という画家についてなのですが」

 彼の名前を聞いたところで、旭は先ほどまで浮かべていた笑みがなくなり表情が硬直する。雪上は流石にハッとして、

「すみません、挨拶が遅くなりましたが、雪上理来といいます。山内君とは昔から……」

 そう話を切り返すと、旭は笑顔を少しだけ取り戻し、

「ああ、君が。昌也からいつも話を聞いているよ」

「はじめまして。九曜と言います。山内君と同じS大二通っていますが、僕と雪上くんの専攻が民族学で……」

 昌也に話したような経緯をかいつまんで話した。

 昌也にはさっきも話した内容だったのだが、彼は真新しく聞いた話の様に興味深そうに聞いていた。

 雪上も一言、二言、九曜の説明に付け加えるように話した。また、九曜が話を切り出す。

「それで、いつもの研究とは少し異なるのですが、ひょんなことから展覧会のお誘いを受けまして、それで富本司氏の絵を拝見しました。雪上くんはその前に動画で知ったと言っていたね」

 雪上は頷くも、旭は”富本”と画家の苗字を言った所でぴくりとやはり、眉間に細い皺をよせた。だが、今回はそれだけですぐにゆったりとした微笑みをつくる。

「お二人が何を言わんとしてるのか何となくわかりました。弟が、僕と司との友人関係だったことを話したのでしょう。お役に立ちたいのは山々ですが、故人の事について今更何も言いたくないので」

 小さい謝罪の言葉と、悲しそうな表情を見せる。そう言われてしまえば、何も言えない。九曜と雪上は口をつぐんだ。しかし、そこで口を開いたのは昌也だった。

「兄貴、月澄さんは知ってる?」

「月澄――ああ」

 声色が先ほどとは明らかに変わりどきりとした。なにかあるなと、瞬間的にそう思った。

「月澄さん富本さんは生前、親交があったって聞いたけど……兄貴はそれについて知ってる?」

 昌也の容赦のない質問に「ああ」と、頷いた。

 頭の回転が早そうな人なので、普段なら適当に嘘をついて答えるのかもしれないが、身内にはその張り詰めた気が少し抜けるらしい。

「その月澄さんのお母さんが亡くなったんだって」

「亡くなった?」

 その展開は予想していなかったのか、乾いた声に、表情をなくす。

「はい。今日がお通夜だと知り合いから聞いておりまして」

 九曜は旭の様子を伺いならがも、言葉を続ける。

「その知り合いと言うのが、月澄さんのお母さんの仕事仲間の方なんです。今日のお通夜にも参列されていました。その方と僕は連絡をとっているんですけど、どうも葬式で見かけた息子さんの様子がちょっとなにかおかしかったと言っていました。実は、僕らは先日、八重本町の美術館で開かれていた展覧会の会場で月澄さんお母様とお会いして、お母様は美術館で仕事をされているのです。その時に色々と富本氏の絵のことも含めて話を伺ったのですが、そんな矢先。まさか月澄さんのお母様が自殺をはかるなんて思いもよらず」

「……自殺?」

「僕らから見た一週間前の月澄さんのお母様は健康そのもので、快活な様子でした。ご家庭でどんな様子だったのかと言うことまではわからないのですが、飛び降り自殺をされたと聞きました。ただ、気になっているのが、その自殺を図ったのがマンション如月――過去に富本氏が自殺を図ったのが同じマンションだったのです。そう思うと、何か二つの死が関連があるのではと。僕らは死者を冒涜するつもりは全くありません。ただ、月澄さんお母様は富本氏がなぜ自殺をしたのか。その動機を非常に疑問視されていて、それについても僕らに調べてみてなにか新しい事実がわかれば教えてほしいと仰っていたのです。ですから……」

 旭は手で九曜の話を制した。

 何か心に思い当たることでもあるのか、難しい表情を浮かべる。

 四人の間に短い静寂があった。

「お待たせ。山内さんの所のお兄さん。お久ぶりだね」

 この難しい空気を飛ばしたのが、店主である。ウエイトレスの女性(昌也が言うには店主の娘)と一緒に重箱を抱えて。店主には四人の間に漂っていた暗鬱とした空気を吹き飛ばす明るさがあった。

「お久しぶりです。転勤やら出張やらで、一年ぶりぐらいになりますかね。ようやくちょっとですが戻って来まして」

「ご家族もいらっしゃればよかったのに」

 店主は重箱をテーブルに並べながらそう言った。

「両親はちょうど温泉旅行に行っているんだ」

 昌也が旭の代わりにそう答える。

「ああ、じゃなくて。結婚したんだろう? おめでとう」

 店主の言葉に雪上は旭を見た。どこか誇らしく照れ臭そうな表情を見せる。

「ありがとうございます。向こうも仕事してるんでね。そうはなかなか」

「そうだよな。でも、今度は一緒に来てくれよ」

「はい。ぜひ」

 ウエイトレスの女性が微笑みを湛えながら、真ん中に唐揚げや枝前がのったオードブルをのせた。

「これはほんの気持ちだ。是非皆さんで」

 店主はそう言って小さく会釈をする。

「ありがとうございます」

 店主の心遣いに場の雰囲気はずいぶんと明るくなった。

 それぞれが、お礼と合わせていただきますと言って箸をつける。

 重箱の中のちらし寿司は山内兄弟が勧めるだけあって、見た目の華やかさと共に味も美味しかった。それはサービスだと言って出されたオードブルも、どの品も満足できる味だ。

 そんな料理を前にしても、誰も言葉を発することなく黙々と口に食事を運び、淡々と進む。第三者からみれば、異様な食事会の光景だと雪上は思った。

 途中、顔を上げると昌也と目があったがどうも気まずい。

 ようやく汁椀を飲み干した、旭が口を開く。

「司とは、高校の時にクラスが一緒で話をしたのがきっかけで仲良くなったんだ。あいつ――今で言う引きこもりで、ほとんど学校にも姿を見せなかった。陰気な雰囲気で、クラスメイトからも遠巻きされていた。まあ、と言うよりも自分から他者に対して壁と距離を作っている。俺にはそんな奴に見えた」

 ぽつりぽつりと旭は懐かしむ様に、時折苦しい表情を見せながら話を続ける。

「俺自身も正直なところ司とはほとんど接点はなかった。たまに移動教室で席やグループが一緒になった時、最低限の会話をするくらい。でもそこからお互いの名前を覚えて、時折挨拶をかわすくらいには仲良くなった。そもそも彼は自分のことを話すタイプではなかったし。社会人になってからは疎遠になってしまったが、それでも学生の頃は他のクラスメイトよりは彼と一緒にいた時間は長いと思う」

「いじめを受けていた訳では?」

 昌也は流石に身内だからか、聞きにくいことをさらりと聞いた。

「そんなことはなかったと思うな。もしかしたら、俺の知らない所で嫌味の一つや二つ、言われていた可能性があるかもしれないが、表立ってはなかったと思う。何と言うか、人を寄せ付けないオーラみたいのを持っていた。だからと言うのもあるけど、彼は根っからの芸術家体質なんだと思っていた」

 彼の絵から感じられたあのオーラは彼自身が放っていたものだったのかもしれないと雪上は思う。

「彼は――富本司氏は精神的に不安定だったとか自殺を図りそうな素振りは昔からあったのですか?」

 九曜はやんわりとそうたずねた。

「自殺――少なくとも高校生のころの彼にはそういった兆候があったとは俺にはわからなかったな。人生を諦めていると言うか、若干アウトローな雰囲気をまとっていた感じはあったけど、”死”の雰囲気を纏っていたかどうかと言われると、否かな。ただ、高校を卒業してからの様子はさっきも言った様にわからないけれど」

「なるほど。あと、彼が想いを寄せていた女性についてどなたか心辺りはありませんでしょうか?」

 九曜の言葉に、今度こそ旭は首を傾げた。

「少なくとも、高校時代で彼に意中の人がいたという話は聞いたことがないな。まあ、心の中で密に想っていたというのならこちらも知りようがないけれど。でも珍しいね。司の異性関係について聞かれたのは初めてだ。逆になにかそこに問題を見つけたのか?」

 興味を持った口調で、少しだけ口元に少年じみた笑みを浮かべる。

「兄貴から見て、その司さんは女性関係には硬派なタイプだったのか?」

「硬派と言うか、むしろあまり興味がない様に思ったな」

 雪上と九曜は目を合わせどちらともなく頷いた。

「これを見ていただきたいのです」

 雪上は箸を置いて、スマホに画像を表示させると二人の山内の前に差し出す。

 旭は画面を見て、眉間にしわを寄せる。

「これは? ――友人だった事もあって、彼の画集なんかには一通り目を通していたけれど、この絵は見たことがなかったな。それに彼の画風とは全く違っている様にも見えるけれど……本当に、”富本司”の本人の絵なのか? 画集に載っていない作品を、高校生の頃から彼が描いた絵なんかもみたことがあるが、この絵は見たことがない」

 聞けば高校生のころから、彼の描く絵は非現実的な雰囲気を漂わせていたのだという。

「富本司氏の絵で間違いありません」

 雪上は間違いないと頷き、九曜が説明を続ける。

「そう思うのも無理はないでしょう。ですが、本物です。美術館のスタッフとして勤められていた、亡くなった月澄さんお母様からの富本司氏の遺作だとわざわざ、見せてもらった絵ですから。その時に僕らも、同じことを聞いたのですが、亡くなられた富本司氏のお母様が大切に保管されていた作品なので間違いないと確認しています」

「僕も、最初に美術館でこの絵を見た時は同じ反応でした。富本司氏はこんなにはっきりと人物像を描いた作品があるのかと驚いたものです」

 雪上はそう言葉を続ける。

「そこまで事実が揃っているなら本物で間違いないね」

 旭はスマホの画面を見つめながら神妙に頷いた。

「どうも、富本司氏のお母様が作品を秘匿されていたようで。この作品は彼の遺作の一つなのですが、僕らが調べているのはこの描かれている女性が一体誰なのかという事でして」

 描かれた女性について話題にすると時、旭の表情が途端に険しくなる。九曜はそれに気づいた様で、口をつぐんだ。とても話を続けられる様子ではなかった。

「兄貴は友人の月澄さん? とは最近連絡を取ったりはしているの?」

 昌也は絶妙なタイミングで、話を切り替えた。

「最近は、仕事が忙しかったこともあってあまり」

「こんな事があった直後でぶしつけなお願いだとは重々わかっております。月澄さんからお母様の死について直接聞いてみたいのです。彼と話をするきっかけをもらうこと難しいでしょうか?」

 九曜は直球の質問で斬り込んだ。旭は恐らく、そう言われることはどこかわかっていたのだと思う。だからそれほど驚いた様子はなかったが、ただ実際にそう言われて少々たじろいでしまう。

「二人は誠実に様々な課題や研究に取り組んでいるから、信頼できる。それに俺も司さんの事は――兄貴は覚えているかどうかわからないけど、前に家に来たことが、多分何回かあっただろう? その時の印象があって妙に覚えているんだ。だから、二人が動くことで何か晴れる画家さんの想いがあるならと思って、それで兄貴に」

 昌也の不器用ながらも誠実な物言いが旭に伝わったらしく、

「はあ」

 と、旭は箸をおいて、両手に顔をうずめる。

 しばしして、スマホを取り出すと、素早い動作で電話をかけた。

 雪上がふっと店内を見渡すと、先ほどまではカウンターに二人座っていたくらいだったのに、ほぼ満席状態となっている。各々の食事や会話に夢中になっているので、雪上達の方を向く視線はない。普通、赤の他人とはそんなものだとわかっているのに、なぜか自分たちだけ阻害されている、そんな感じがした。

 心に富本司の暗鬱な絵が浮かぶ。

 もしかしたら、彼はずっと周囲に対して、こんな感情をずっと抱いて生きていたのかもしれない。

 悲しいとは思わない。ただ、つらいのと痛いという気持ちが折り重なり、抱えられなくなったその気持ちを”絵”として表現していたのだろう。でもそう思うと尚更あの女性は一体何を思って描いたのか、そんな疑問が膨らむ。

「圭祐か?」

 旭の言葉に一気に現実に引き戻される。その名前から月澄洋子の息子に電話をかけているのだと知って、隣の九曜を見ると、心なしか緊張感を漂わせている。

「不幸があったって聞いて――うん、うん。大丈夫か?」

 旭の声のトーン一瞬、低くなり、ドキリとした、相手の言葉はわからないが、月澄洋子の死について話しているのだろうと推測される。それから、電話口の相手の気持が非常に重たい様子であることも感じられた。

「この後、できれば焼香に行きたいと思っているのだが――ちょうど、こっちに帰って来てるんだ」

 雪上はその話を聞きながら、自身の前に重箱にまだ残っていたちらし寿司を食べ進める。隣の九曜も同じように箸を進めていた。本当に味は申し分ない。本当はもっと落ち着いた気持ちでゆっくりと食べることができていたらと思う。

 旭は鞄から手帳を取り出し、電話口の相手から斎場の場所を聞いて書きとめている。

「わかった。これから向かおうと思っている。じゃあ、後で」

 そう言ってスマホをテーブルに置いた。

「なんとなく察してくれていると思うけれど、この後、葬儀会場に向かう。その時に君たちも」

「ぜひご一緒させてください」

 旭が言い終わる前に九曜ははっきりと、明瞭に答えた。

 ふうと息を吐いて、旭は立ち上がる。

「じゃあ、行こうか。――お勘定お願いします」

 カウンターの方から、明るい声で返事が聞こえる。

「もっとゆっくりしていってくれていいのに」

 店主がわざわざ席まで伝票を持ってやって来た。

「この後、予定があるんだ。またぜひ寄らせてもらうから」

 旭は気さくに答える。

「ご馳走様でした。美味しかったです」

 雪上は店主に笑顔で伝えたが、ちゃんと笑えていただろうかと不安を覚えながらも、席を立った。

 

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