月澄圭祐

 翌日の通夜には古藤と谷川の他に数人の同僚が参加するのだと聞いた。

 雪上と九曜は行かない。雪上は行った方がと提案したが、九曜が行かないと判断したので、雪上はそれに従った。ただ九曜は、いくつか気になることがあるので、可能であれば通夜で見聞きした印象を教えて欲しいと、古藤に頼んでいた。

 今、ちょうど通夜がいとなまれている時間帯であるが、九曜が調べたいことがあると言ったので、雪上と九曜は二人、S大の図書館に来ていた。

 九曜が一体何について調べているのかは特に聞かず、雪上は八重本町にかつてあった監獄についてもう少し調べてみたいと思い、資料をめくっている。

 土地や地域の歴史を書き示した、資料だけでなく、監獄について詳しく書き記した資料などを中心に。そちらの記録を辿ればもしかしたら、処刑場につながるヒントがあるかもしれないと思ったから。

 雪上は最初に見た動画の印象があまりにも強く残っていたためか、処刑場に対しての強い関心が消えない。九曜が調べた“おそらくあった”という証言が書かれた資料は見たが、実際にどこにあったのかなど、もっと具体的な情報を知りたいと思っていた。それがマンションのあの場所にあったのだとしたら、それこそあの赤い文字を見て死を迎えると言われるいわくの解決の糸口になるのではないかと雪上は考えてみる。

 目ぼしそうな資料をみているのだが、そう簡単に雪上が欲しい糸口は見つからない。

 九曜は自分の調べ物がひと段落ついたらしく、雪上の方をみると、何を調べているのか一目でわかったようで一緒になって、机に積まれた書籍を一緒に調べてくれたが、彼も手ごたえを感じられてない様子で、ため息をつく。

 目を通していた資料を机に置いて、ペットボトルの水を口に含む。

「難しいな。大戦前の記録も洗ってみたいが、しかし、そもそも資料が残っているか、あるのかどうかも」

「確かにそうですね」

 先日、マンション如月で話を聞いた高齢女性から、戦前の資料はほとんど残っていないと話を聞いたばかりだった。

「だが、遡ったところで、どこまで事実が書かれた情報が手に入るかどうかが問題だ」

「それはどう言う意味ですか?」

「例えばだが――」

 九曜は古めかしい、厚手の本を二つ雪上の前に差し出す。

 一つは八重本町の二つ隣の〇〇村の資料だ。そこにはかつて八重本町にあった監獄の出張所があったらしい。その監獄の出張所に重点を置いて書かれた行政がまとめた資料と、もう一方は、同じ○○村の歴史と書かれた資料だが、地域住民たちの”声”が集められ、一つの冊子となった本。言わば、住民たちの手で完成させたものだろうと思われた。

「例えばこっちの〇〇村の歴史と書かれた本には近くにある河川の治水工事が囚人たちの手で行われている様子を見た当時の住民の話が書かれているが、こっちの資料には治水工事を行ったという記録は全くない」

 九曜は指示したページの箇所を目で追った。

 一方は地域住民が、九曜の話の通り、囚人達が作業をしてる様子をみたと証言がある。それから、監獄についての歴史が書かれた本の年表のページを開く。実際にどんな事業を行ったかなどが年月でまとめられており、年代順に探してみるが、治水工事の文字は出てこない。

「本当ですね」

 つまり、住民の話では残っているものが、当時の行政の記録では残されていない。

「隠蔽されたことなのか、それとも、この治水工事自体が、上の許可を取らずに独断でやっていたことなのか」

「隠蔽と言っても近くに住む住民からすれば、十分にわかる話な訳ですけれどね」

 じゃないと、証言として冊子にならないだろう。わざわざ虚偽の話をのせるなんてことは無いだろうし。

「うーん。それかあまりにも軽微なことだから記載しなかったのか、なにか裏があるのか」

「つまり、今僕らが調べている斬首場についても裏があって、あえて公式の文書ではのせていない。そう言うことでしょうか?」

 これだけ調べてもはっきりとした場所な記録がなにもかも内のは、あえて隠されているからなのだろうか。

「断言はできないし。マンションであったあの女性から聞いた裁判所についても調べてみたが、八重本町の隣町(場所的にはかなり近く)にあったという記録を見つけることは出来たが、その詳細については資料が全く見当たらないのでわからない。処刑場についても同様だ。もしかしたら処刑場があったのは、江戸時代よりもっと、歴史をさかのぼって古い時代だったのかもしれないし。そう思ってその辺りも大まかには調べてみたが、目ぼしい資料はなかった、となると、もしかしたら現存しない可能性もあるかと」

「九曜さんの話もわからなくはありません。そう言ったことはあまり公にはしたくないことかもしれませんからね」

 まさか自身の住んでいる土地がかつて処刑場だったとは大腕を振ってなかなか言えることではないだろう。

「だが事実を記録として残しておく必要はあるとは思わないか? そこで人の命を奪っているのだから。もちろん過去のことで現行法とは異なることだとは十分わかっていはいるが。現在なら法務大臣のサインがない限り死刑は執行されない。じゃあ、過去はなんのためらいもなく、誰かを処刑していたのか。その証拠を隠すために全て残さなかったのか。そんなことは流石にないだろうと思うけれど」

「……」

 雪上は何も言えなかった。

 最近、とある裁判の再審が決まったというニュースを見た。警察による証拠の捏造があると示唆されたためだ。戦後でもそうなのである。戦前の日本で一体何がどう行われていたかなど……。

「まあ、秘匿されていたとしてもそこにあったのだから。当時のその状況を見聞きしている住民はいる訳で。そういった方々の小さな証言が実像に繋がることもあるかと」

「じゃあやはり、あのマンション如月のあたりがよくない場所だったとしてもおかしくはありませんね。隠蔽された可能性が全く無いとは逆に言いきれませんし」

 九曜はうなり声をあげながら頷く。

「まあ、例えば行政にそれを問い合わせた所で、『わからない。もしかしたら~』などと言う曖昧な回答をされて終わるのだろうし。ただ、一つだけ処刑場についてかかれた証言を見つけた」

「本当ですか?」

 雪上は思わず身を乗り出す。

 九曜は別の本を持つと、パラパラとページをめくった。

「ここだ。過去に処刑場があったと証言が記録されている」

 九曜が指示した箇所にはこう書かれていた。

 

『昔、じいさまから聞いた話だと、十六夜川の近く。今で言う楡の一本木があるあたりに処刑場があったと。○○町 佐藤六助 八十六歳』


「ふーん。川の辺りですか。川と刑場は近しいイメージがあるので、なんとなくその証言には信憑性があると感じますね」

 十六夜川は八重本町を流れる川だ。ただかなり大きな川なので八重本町以外の市町村にも流れている。手掛かりになる楡の一本木が正直どこにあるか見当もつかない。

「まあそうだ」

「ですが、あのマンション如月とは別の場所のことですよね?」

 マンション如月のあたりに川など流れていない。雪上はがっくりと肩を落とす。

「でもこうも考えられないか、処刑場はどちらにもあったと」

「二か所あったということですか?」

 雪上は眉間にしわを寄せ、そんなことがあるかという意味をこめて九曜を見上げた。

「と言うよりも、移転したと考えると自然ではないか? 最初はこちらにあって、何等かの理由で移転したと」

「なるほど」

 何故場所を変える必要があったのかとは聞かなかったが、なにか不都合が生じ移転したのかもしれない。例えば、そこに監獄の獄舎を造る必要があったから、とか。

 腕を組んだところで、机に置いた九曜のスマホが震える。

「古藤さんだ」

 雪上が時計を確認すると十九時。ちょうど通夜が終わったころなのだろう。

 九曜はさっと文面を読んで、返信の文章を打っている。

「古藤さんはなんと言っているのです?」

 先述した、九曜が可能であればと前置きをして教えて欲しい事項の回答が返ってきたのだと思った。

「ほら」

 九曜は口で伝えるより、雪上にが自分で読んだ方が早いと判断したのだろう。スマホをひょいと差し出す。


『お待たせしました。

 今、通夜の会場から出てタクシーに乗車した所なので連絡しました。

 まず、遺書についてですが、白い紙に赤インキで書かれたものでした。その遺書は洋子さんのお部屋のくずかごから見つかったようです。

 それから、ご家族が言うには洋子さんが自殺を図る兆候は見られなかったと。

 息子さんも成人されていて、もう三十代ぐらいになるのでしょうか。結婚はされていなくって、ご実家とご自身で持っている住居を行き来しながら生活されていると聞きました。お仕事は自営業だと言っていましたが、どんな仕事かははぐらかされてしまいました。おしゃべりが上手で、私から見ると好青年に見えましたね。まあ、その様な年齢ですから、家族そろって密に過ごす時間があったかと聞かれるとそうでなはなかったと思います。ですから、洋子さんとコミュニケーションを頻繁にとれているかと聞かれると、そうではない可能性もあるかと。でも、一緒に過ごしている時間もあったようなので、そこで気が付くこともあるでしょう。

 まあ、洋子さんも出来た人だから、あまり悩んだ一面をご家族に見せていなかった可能性もあるかもしれません』

 

 古藤からの文面はそこで終わっていた。

 御年七十いくつの人が書いているので、多少誤字がみられるものの、丁寧に文章を作成し送信してくるポテンシャルに正直雪上は驚いていた。

 画面を下にスクロールすると、九曜が返信した文面がある。

 

『ありがとうございます。こんな質問は不躾かと思いますが……他に何か、その息子さんのことで気になることはありませんでしたか?』


 遺書の”赤インキ”が気になっていたが、それを九曜に問いかける前に、再度スマホが震える。

「九曜さん。古藤さんから返信です」

「ああ、先に読んで」

 九曜は雪上がスマホを見ている間、文献や資料に目を通していた。


『そうね、その洋子さんのご家族の息子さん。月澄圭祐と言うのだけど、話の折に富本司と言う名前を出したの。だって、美術館では、彼の絵について洋子さんからいろいろレクチャーしてもらったしね。だけど、彼の名前を出した時に少しだけ違和感を感じたというか、様子がオカシイ気がしたの』


「もし富本氏と月澄圭祐さんは同じ年齢だと月澄洋子さんは仰っていましたね」

 九曜は呼んでいた文献を脇に置いて、古藤からの返事を確認していた。

「月澄さんは幼いころから、富本氏のことを知っていたそうですし。月澄圭祐さんと富本司氏が顔見知りだったと言っていましたから、その名前を聞いた時に反応があるのはおかしなことではないと思うのですけど」

 九曜は腕を組んで、「うーん」と声を上げる。

「富本氏の名前を聞いた時、自身の母親の死と重ね合わせて、妙な雰囲気になったとするなら、それは考えられることだと思う。その前に、自身の母親が亡くなって通常とは違う様子であることは誰もが当たり前だと思うのだが、それでもあえてその状況で”様子がおかしい”と表現している古藤さんの意図が気になるね」

 尚更、何かがあったのではないかと変に勘ぐってしまう。

「ちょっと古藤さんに電話してみようかな」

 九曜は立ち上がる。流石に図書館の館内で電話をする訳にはいかないので、一旦外に出るという事なのだろう。

 外はもう薄暗くひんやりとしていた。

 生徒はほんとんどなく、しんとしており、九曜がかけた電話の音が雪上の耳にも聞こえて来た。

『もしもし』

 慌てた様子の古藤の声がして、九曜は誰もいない事を確認しスピーカーに切り替える。周囲には誰もいないので、雪上にが聞こえやすいように配慮してくれたのだろう。

「すみません、やはり直接お話を伺いたいと思って。今、電話、大丈夫ですか?」

『ええ、ちょうど今、家に着いたところ。ちょっとだけ――よいっしょ。大丈夫。今ソファーに座ったから』

 安堵した様な古藤の声色を聞いて雪上ふっと息を吐いた。

 古藤は話したかったことがあった様子で、九曜の言葉を待たず、話を始める。

『他に気になることはあったかと聞いたでしょう? ちょっと文面にするのが憚られて、さっきは書けなかったけど、電話ならお話できるわね――亡くなって、こんなことになってからあまり言いたくないのだけれど、どうも洋子さんのお家はお金に困っていたみたい』

「え?」

 古藤の声が響く。それに呼応する九曜の声は低く奥まって聞こえた。

『どうも息子さんがね。いろいろ。まあ、一言で言うとだらしないと言うか。そんな感じで、その後始末を洋子さんがしていたみたいなの。彼女からそんな話は聞いたことがなかったからちょっと驚いたのも事実で』

「なぜそれを?」

 言葉にはしなかったが、つまり古藤がなぜそこまでの事情を知る得たのかと聞いてる。まさか古藤が根掘り葉掘り聞きだしたという訳でもなさそうだし。

『喪主は息子さんでしょう? 実は葬儀会場にガラの悪い連中なんかも来てて『母親が亡くなったことについてはお悔み申し上げるが、よくこんな葬式が開けたな』なんて、祭壇の向こうの奥の控え室の方でそんな話をしているのよ。怒鳴っている声もあったから会話はこちらからすぐに聞こえてきたの。それで死亡保険がどうだかとかも色々言ってて』

「はあ」

 重くなる話の内容に九曜はため息に近い声で相槌を打つ。

『多分洋子さんはきっちりとした堅実な方だから、自分のお葬式分ぐらいのお金は用意されていたんじゃないかしら』

「でも前、確か富本司氏のマンションについて、月澄さんの息子さんが引き継いだって。マンションの一室を持っているくらいだからある程度の収入は」

『それについても洋子さんの言葉だけだったでしょう? だとすると、ほとんどの経費が洋子さんの方で持っていたのかもしれないし』

「……」

 雪上は口をつぐむ。

 九曜は、

「なるほど」

 そうは言うものの、どこか疑念を抱いている様にも雪上には見えた。

 古藤に丁重に礼を言って、電話を切る。九曜は雪上の方に向き直り、

「あと、富本氏が亡くなる、一ヶ月前。直近に亡くなった女性とそういえば、近くの古本屋の店主が言っていたな」

「ええ。一度、マンションに行った時に出会った高齢の女性も答えてはくれませんでした。しかし、明らかに何か知っているのではと思ったのですが」

 コンクリートの中庭のベンチで話を聞いた名も知らぬ高齢女性を思い出す。自殺した女性の名前を出すとふいっと行ってしまったが、あの態度からするに、そう言った女性がいたのだろうと見てとれた。

 九曜は図書館の中に戻り、席に戻らず直接、司書のいるカウンターの方へ向かった。振り返って、「席に戻っていて」と言うので、先ほどまでいた席に戻る。目の前の机には本が先ほどのままに残っている。なぜか資料を読み進める気にならず、席につくとスマホを見た。先ほどの古藤の言葉が頭のなかに残って消えない。

 少しして、九曜は席に戻ってくるとどんと机の上に資料を置いた。ふと横を見ると、過去どれくらい分だろうかと思われるほどの量の新聞だった。

「……」

 その量にあっけに取られ、声が出なかった。

 一緒にやりましょうかと言おうかと思ったが、その前にもう九曜は片っ端から新聞記事を見ては、閉じて。見ては、閉じる。その動作を繰り返しているので、声をかける暇もなかった。二人は基本的に、それぞれが思ったことをやるスタイルで今まで一年来たのだ。何か手が必要になれば必然と声をかけてくるだろうと思いスマホに目を視線を戻す。

「これかな……雪上くん、これ見てもらっていいだろうか?」

 九曜の言葉にふっと視線をそちらにやると、お悔やみ欄を指していた。


八重本町

 白根ゆりさん(25)

 XX町=十八日死去

 喪主・母節子さん(葬儀終了)


「白根ゆりと、言う女性が亡くなったとは間違いなさそうだ」

 雪上はまじまじとその文面を見る。

「彼女があのマンション如月で亡くなったことは、何か記事にありましたか?」

「ああ」

 九曜は別の新聞の記事を開いて、雪上に見せた。



【自殺か?事故か? 女性がマンションから転落。】

十八日の午後。マンションに住む女性(25歳)がマンションから転落し死亡しているのが、住民によって発見された。

遺書などがなかったため、警察は事故や事件を視野に入れ捜査を進めている。



 雪上はその記事を読み、重たい気持ちになる。

「多分、そうなのだと思いますが……でもこれだけでは、絶対にこの人だと、そこまでは言い切れませんよね?」

 情報は疑ってかかる。それを実践して言ってはみたものの、十中八九間違いないだろうという確信がどこかにあった。

「まあ、確かに。これだけでは判断材料として不十分だ。しかし伝説ではなく、実際にその名前の女性が、八重本町に存在したという事実は変わらないだろう」


(ああ、………………そうだ、しらねゆりさんだ)


 古書店の店主の言葉がふっと思い出された。

 新聞に掲載されているそれが、彼女の死と言うまぎれもない事実を示しているのは間違いないようだ。


 

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