かつての斬首場

 一週間後。

 雪上は九曜と待ち合わせをしたカフェに居た。

 時刻は午前九時。

 今日は八重本町の駅前にあるチェーン店のカフェが待ち合わせの場所だ。雪上が店に到着し、店内を見回したが、九曜はまだ来ていない。

 いつもなら雪上よりも、いや雪上どころか人一番早く行動をするタイプなので珍しいなと思う。

 逆にいつもぎりぎりになる雪上は今日に限っては逆に珍しく早く店についた。たまにはそんな事もあるのだろう。

 飲みものを注文し、店内の隅の席に座る。

 九曜が来る前にこの一週間に調べたことをまとめようと資料を開く。

 雪上は八重本町の図書館の他に家から離れた少し大きめの図書館にも行って、富本司自身のことについて調べていた。

 精神の病気について、いつからどんな症状があったなどの詳しいことはわからなかった。ただ、大学を卒業したあたりから、精神的な病状が顕著に出始めたと、とある資料に書かれていたのをみつけた。亡くなる直前もそう言った症状が出てたのか、そこまでは流石に書かれていなかったが。

 先日見た、あの赤い文字についてのいわく話は一旦わきに置いて、彼が自殺をした原因を現実的に考えると、何より考えられる一番の理由のは、精神疾患の延長線上の死であろうか。

 死を全く考えていなかったのにもかかわらず、ふとしたきっかけ、例えば気持ちの落ち込み具合で死にたいと思ってしまうとか。そんな症状があって急に死を決意したのと言うこともありえるかもしれない。しかし、彼が精神について自殺未遂をなんども図ったり、薬を濫用していたと言う記述は特に見当たらない。これは推測であるが、病状の程度はそこまで重くなったのではないかと雪上は考えてみたり。

 別に精神疾患を患っていなくとも、急に思い立って、死に急ぐ可能性は誰にでもあるかもしれない。そういえば、雪上が高校生の時に同じ学年の生徒で飛び降り自殺を図って、亡くなった男子学生がいた。その男子学生とは、ほとんど面識もなかったので、遺書があったのか、彼がなぜ死を選んだのかはわからない。でも実は、亡くなった前日、廊下で彼の姿を見かけた。その時は彼が明日には死ぬ運命なんて、つゆほども思わなかった。だから、死を決めた人は誰にも何も言わず、自分の意思をただ貫き通すのだと、なんとなくそう思った記憶がある。

 精神疾患が原因ではないかというの言うのはあくまでも雪上の憶測だ。でももし、精神疾患も原因ではないとしたら、逆に富本司を自殺まで追い詰めた“何か”の正体がさっぱり見当もつかない。極めつけは、月澄洋子に見せてもらったあの絵だが、全くもって解決の糸口は見つからない。

「待たせた。遅れて申し訳ない」

 頭を悩ませていた雪上の頭上から声がふりそそぐ。顔を上げると、九曜が息を切らせながら、雪上の正面の椅子に手をかけた所だった。

「おはようございます。さっき来たばかりですし、ちょうど資料の整理もしていたところなんで、大丈夫ですよ」

 珍しく、息をはずませた九曜はバツが悪そうに、がたんと小さな音を立てて椅子に座る。かなり急いで来たのだろう。

「悪い。実は家から出る時にちょうど古藤さんから電話をもらって。家に富本司氏が残して言った資料とかがたまたま残っているのを発見したから見に来ないかと教えてくれて」

「本当ですか? 行きましょう」

「うん。今日の午後に立ち寄る約束をした。まずは、ここで情報を整理してから」

 九曜は荷物を席に置いて、珈琲を買ってくると立ち上がり、カウンターの方へ向かう。

 雪上はスマホを取り出すと、月澄洋子が見せてくれた富本司の遺作の画像を開く。許可をもらって写真を撮影し、画像として保存していた。

 落ちて行く髪の長い女性。

 散らされた芹の葉。

 

「なにか謎が解けた?」

 九曜が珈琲片手に戻って来ると、雪上のスマホをちらりと見た。

「調べれば調べるほどわかりませんね。自殺……と考えるのがやっぱり自然じゃないでしょうか。自殺じゃないとすると、事故とか殺人になる訳ですけど。事故だったら当時警察の方でそう判断したでしょうがそうじゃなかった。あとは殺人ですが、本人に会ったことも話したこともありませんが、残された資料から察するに富本司氏はあまり他人と付き合うのを好まない人だったようですし。人と関わらなければ恨まれることだってありませんよね。だからその線もほとんどないかと思うのです」

 雪上はふうと息を吐いて、スマホを画面から目を離す。

「確かにそうとも言える」

 九曜は座ると、自身もノートなどを取り出した。

「九曜さんはなにかつかめたことはありました?」

「その処刑場と言う記述についてそれらしき情報を発見できた」

「本当ですか? あれから、色々探してみたんですけど全く見当たりませんでしたよ」

 雪上は自虐めいた笑みと一緒にそう言った。わざわざ八重本町の図書館まで行ったのに、そんな記述は見つけることが出来なかった。そう言えば九曜にそのことを連絡したら、『監獄が出来るより前のことだったかもしれない。こっちでも調べてみる』と返事が返ってきていたことを思い出す。雪上は思わず、身を乗り出して九曜の言葉を待った。

「ああ。はっきりとした場所までは突き止めることは出来なかったが」

 そう言って、調べた文献のコピーだと雪上に見せた。

 ”かつてあった処刑場”と言う見出しから始まった、本の一部をコピーしたものだった。

「八重本町の隣町の町長の証言なんですね」

「まあ、実際にどこにあったと言う確証が持てる記述はないのだが」

 その資料を読んでもらえればわかると思う、と九曜は言葉を付け足す。

 

【今でもふっと当時のことを思い出すことがある。まだ監獄の出来る前に、じいさんが、かつてあそこに処刑場があって近くの岩に晒し首にしてのせているのを見たことがあると話していた。それ以来、まあ今までは一度も誰かに話したことはなかったが、あの付近を通る度にちょっと背筋が会向くなる気がした】


 元町長が、そう過去を振り返り証言した内容が書かれていた。その元町長が描いた地図も載っていた。地図はかなり昔のものなので恐らくの解釈だが、確かにあのマンションがある辺りだと思う。

「本当にあったのですね」

 東京の鈴ヶ森や小塚原は言わずもがな。もちろん現代にはその場所に処刑場はすでになり存在しない。しかしかつては存在した。九曜の資料を読み、感慨深い感情が湧き上がる。

「ただ、処刑場と言うのは一般的に刑罰として処される場所だ。むやみやたらに人殺しをしたと言うのとはまた違うからな」

 九曜の言う通りである。多くの人が生活する社会では、ルールと言うものが必要で、そのルールを逸脱してしまった者に対して、なんらかのペナルティ(刑でもお金でも)が科せられるというのは現代社会でも同じである。

 死刑制度は今も存在するが、身近に感じられるかと言われるとそうでもなく。法務大臣が執行したとかしないとか、ニュースで目にするくらい。しかし、過去にさかのぼると民衆の目につくところに処刑場があって、”さらし首”も実在した。雪上は言葉も意味はわかるが、もちろん実際に見たことはない。

 過去の日本では、誰かの”死”と言うのは、道端に落ちている石ころの様にどこにでもあったのものなのかもしれない。

「しかし、処刑場が確かにあったと言うだけなら、富本司氏の自殺との因果関係があるのか、現時点ではなんとも言えないな」

「彼のお母様も亡くなっていますよ」

「まあ、そうだが」

 雪上はそうは言ったもの、九曜の言う通りだ。土地にいわくがあるとか、心霊現象があるからと、それが人の死に直結するかどうかなんて、科学的に立証されている訳ではない。迷信めいた話だと言えばそれまで。まあ、例えるなら、お風呂でひとり目をつむっている時に怖いと感じた場合は背後に幽霊がいるとか、そんな小学生の頃に聞いて今までにそう思ったことは幾度となくあるが、だからと言って幽霊を見たことがあるかと聞かれると、そんなことはない。目に見えないものの存在について否定するつもりはないが、盲目的に信じている訳でもない。

 他にも宇宙人がいるかどうかについて。この広い宇宙の中で恐らくいるだろうと思う。現代の科学では解明できない事柄は様々あるのだから。そう思う反面、宇宙人と交信したとか写真を撮影したとか、そういった事例に対して本当にそうなのだろうかと懐疑的な視線を向ける。それと同じ様なことである。それでも、

「九曜さんが非現実的だと仰られるのをわかった上で、さらに話を進めるのですが、あの八重本町の辺りの古い迷信話だと思うのですが、赤い文字を目にして、その言葉を口にすると死に至るという怪談話をようやく、八重本町の図書館にあった資料から見つけました」

「赤い文字? 動画制作者の作り話かと思ったが、本当にあるとは」

「詳しいことはわかりませんが、その文字の正体は人知れず処刑された人の霊魂だと、もしかしたら、亡くなった富本司氏や彼の母親も、亡くなる前にもしかして、そんな文字を見たのではないかと思ってみたり」

 九曜は腕を組んだ。

「どちらにしろ、それについて因果関係を調べるというのはまず無理だろうな。ただ、富本司氏がその迷信を知っていたかどうか、それを調べられれば、その事実によって別の糸口がみつかるかもしれない」

「それはどういった?」

 九曜が何を言わんとしているのか、雪上には理解できなかった。

「全くわからん。あくまでも俺の勘でしかないと言っておく」

「そうですか」

 雪上は頷いた。どちらにしろ”富本司”と言う人物についてもう少し、知る必要があるとは思っていた。ただ、それには富本司本人の日記(そもそもあるのか?)や、友人や家族証言が欲しいところだが、そこがかなりの難題である。

「確かに富本司氏を知って、その死に疑問を抱いたとっかかりも、その土地が過去に処刑場があったと言うことからだったのですが」

 雪上は一度そこで言葉を切った。その先の言葉を続けてもよかったが、それ以上話しても結局話が堂々めぐりになって終わるだけだったかと思ったからだ。

「雪上くんは、それ以外に気になることは?」

「そうですね、あと今、一番気になったのは、あの先日見せてもらった遺作ですが、あの描かれた女性と共に芹が散りばめて描かれていることですかね」

「確かに。芹といわれて一番思い浮かべるのは七草粥であるが」

 雪上は苦笑する、同時に九曜もふっと笑みを浮かべた。

「しかし、あの絵が七草粥に関連しているとは考えにくいですよね」

「そうだな。まあ、今のままじゃ、あまりにも情報が少なすぎる。もう少し本人に繋がる情報を手に入れることができれば」

 芹が彼の死とつながっているとは思えないが、もしかしたら何かがあるのかもしれないと思った。

「あと、気になったのは雪上君が教えてくれた、あの動画の配信者なんだが」

「あの動画みました?」

 雪上の問いにこくりと頷き、九曜は話を続ける。

「他にどんな動画を配信しているのか、見てみたのだが、都市伝説と言うのか、そういったジャンルの動画はあれだけなんだな」

「そうなんですか?」

 雪上は動画だけを見て満足してしまっていたから、他にどんな動画を上げてるのかなんて全く知ろうとしていなかった。

「うん。正直、あまり興味をそそられないものだった――例えば、お菓子の食べ比べをするとか、ドライブの動画を上げるとか。そんな動画もあって、ぼんやりと見ていて気がついたんだがな。なんとなくだが、八重本町近くに住んでいる人なのではないかと思った」

「どうしてそう思ったんです?」

「いや、“近くの公園に散歩しに来た”という。タイトルも内容も対して身も何もないような動画何だが、見てみるとその景色は見覚えがあって……恐らく、あの美術館の前の公園なのだと」

「池のある?」

 九曜はこくりと頷いた。

「でもまあ、だから、詳しくあんな動画を作成できたのかもしれないですね」

 動画の中で、赤い文字について触れられていた。つまり、動画の作成者は赤い文字のいわれについて元々知っていたのだろうと。

「うーん。まあ、どこまでが本当でどこまでがそうじゃないのか。それを判断する術はないからなんともいえないけれど。ただ、それが偶然なのか。色々と思うことはあるね」

 そう言って九曜は珈琲を飲んだ。

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