悲劇の画家 

 美術館からの帰り道。

 九曜と雪上は駅に向かって二人で歩いていた。

「ああは言ったが、富本司氏が自殺を図った理由について、あの絵だけではなく他に手がかりはないのだろうか」

 不意にそうぽつりとつぶやく。

 つまり、あの描かれた遺作を謎を解くことができれば、富本司の死について何かわかるのかと思ったが、他に何か手がかりを探すことはできないだろうかと、そう考えたたのだろう。

「わかりません。遺書も無かったと聞きましたので、現時点で見せてもらったあの絵以外の手がかりは何も」

 雪上としても実は若干、がっかりしていた。実際に話を聞けば、富本司の死に対するもやもやは多少晴れるのではないかと思っていたが、結果はむしろもやもやが濃くなるばかりだ。

 彼がどうして死を急いだのか。その理由について、残された絵以外にも、彼の当時の心境を知る何か手がかりがあるのかもしれないが、この時の雪上にはそんなモノを知る術もない。

 今、浮かんできたで来たのは、あの動画発信者である、NAMIHANAはどうしてあそこまで知っていたのだろうと言うこと。雪上が調べても見つけることができなかった赤い文字についても、どうしてそこまで詳しく知っていたのだろうか。

「何か気になることでも?」

 九曜の言葉に現実に引き戻される。

「えっと、ああ、大したことではありません」

 雪上が曖昧な返事をすると九曜は立ち止まった。

「確か、富本司氏の事については、動画を見て知ったと言っていたね」

「はい」

 雪上の考えが、読み取られているのかと少々驚きながらもそう答える。

「それで、その動画では、富本司氏の自殺については、その土地に昔、処刑場があって、もしかしたらその怨念――土地柄によるものではないかと言っていた」

 雪上はこくりと頷く。

「怨念は赤い文字を利用して、生きている人を死の世界へ引きずる。彼はそのために思っても見なかった死を遂げた。動画の締めくくりとしては面白いかもしれない。しかし、現実問題として本当にそんなことがあると思うか?」

 先日、八重本町出身で友人の昌也に『赤い文字という民話や言い伝えを聞いたことがあるか?』と連絡した返信が今朝やっと届いていた。返ってきた文面は『知らん』の一言。

 九曜の意見はごもっともだ。だからこそ雪上は息が詰まったように言葉が出てこない。

 冷めた表情でふっと笑い、歩みをゆっくりと再開する。ちょうど公園の真ん中の池の橋を渡っているところだ。水面を伝わって、風が通り抜ける。陽がもう落ちかけているので、ひんやりとした。

「現実的に考えて、あり得ないだろうな。だけど、こうなった以上全ての可能性を検証してみる必要があると思う。逆に本当に怨念に引きずられ亡くなったのが事実だとしたなら、それが全ての答えになるだろうし。まあ逆に言うとそれ以外に手がかりらしいものがないとも言えて」

 雪上はちょっと意外だった。九曜は確かに民話や伝承という、つかみどころのないあやふやなものを好んで研究しているが、彼と行動して気がついたのは、九曜と言う男は非常にリアリストであるという点。研究対象であるにも関わらず、お化けや妖怪の類は一切信じないという、不思議な矛盾があるのだ。本人は全く気がついていないでのだが。

「でもどうやって可能性を検証するのですか?」

「亡くなった人に直接聞きに行くというのは現実的に不可能だ。だからやり方としては、いつもみたいに資料を探したり、実際に住んでいる方に話を聞くとか、そういった方法しかないけれどね。八重本町には誰かの死の直前、何かサインみたいなものが訪れる、そんな民話があるのだろうか。そのあたりを調べてみて……ああ、でもそれについては雪上くんがもう調べているのか」

「え?」

「ほら、赤い文字がどうのって言っていただろう?」

「でも、赤い文字については探してみましたが何も。でももしかして八重本町図書館になら……」

「何事もやってみないとわからないからな」

 確かにそうだ。そういえば、先日は休館日で行けなかったが、もしかしたら八重本町の図書館に行けば、何か手掛かりが見つかるかもしれない。今日は時間的に難しいので日を改めてもう一度行ってみよう。そう思うと雪上はようやくやる気を取り戻してきた。

「九曜さんにもさっき話した動画のURLを送るので、実際に見てください」

「わかった」

 その言葉をきっかけに、ゆっくりとした歩調は、足早になり二人は駅を目指す。

 次は一週間後に約束をして、別れた。

 お互いに調べられることがあれば調べてみると言葉を付け加えて。



 

 翌日。

 雪上はひとりで八重本町に来ていた。地元の図書館ではなく、八重本町の図書館を訪れるためだ。もしかしたら、この図書館にしかない文献があるかもしれないと思ったから。九曜と話していた、赤い文字についても詳しい情報があれば。もしくは、赤い文字にこだわらずとも、何かを発見したいその一心である。

 正直、八重本町の図書館は雪上が想像していたものとは随分と様子が異なった。

 二階建ての長方形をしたコンクリート造りの建物に、見逃してしまいそうなほど小さな看板に『八重本町図書館』と書かれている。

 建物に車が十台ほど停まれる駐車スペースがあるが、停車しているのは一台のみ。

 エントランスの両開きのガラスで出来たスライドドアを開けると、左手に靴箱があった。靴を脱いで入るシステムのようだ。靴箱を見る限り、利用者は誰もいない。脱いだ靴を揃えて、隅のほうにしまう。

 更に、ガラスの引き戸がもう一枚あり、その向こう側が図書室だが、ちょうど扉の正面がカウンターになっているため、目の前に司書の女性が見える。ガラガラと扉を開けると、もちろん目があった。

 ここに住んでる住民ではないのだが、入ってのいいでしょうか――などと、聞くべきかと思ったが、別に本を借りるわけではない。

 そもそも返しにくるのが大変であるし、郷土資料を少しばかり見せてもらいたいだけなのだと、気持ちを切り替え、

「こんにちは」

 小さく会釈し一歩、踏み出す。司書の女性は、何かの作業をしているらしく、雪上の方を一瞬見て、挨拶をしただけで、すぐに自身の仕事に戻った。

 図書室はそれほど広くはない。キョロキョロとして、お目当ての資料がどのあたりにあるか探すと、左手に“レファレンス室”の表示が目に入り、そちらの部屋に向かう。

 当たりだった。

 部屋の真ん中に閲覧様のテーブルと椅子があり、壁にはずらっと一面書籍が並んでいる。辞書や百科事典に並んで、八重本町史などの郷土資料があった。

 まず町史を手に取る。かなり分厚い布ばりの本だ。最後の方のページを見ると千ページを超えている。全てをまともに読んでいる暇はないので、目次から目当ての部分だけを読もうと、目次に並ぶ項目を目で追った。

「あった」

 最初の方に“監獄”の文字が目に入り、該当ページを開く。八重本町に監獄ができた経緯などが一通り丁寧に書かれている。やはり、八重本町と監獄は切っても切れない関係にあるようだった。

 処刑場について何か書かれていないかと、探してみたが、それについては載っていない。

 町史には監獄の経緯や、監獄に収容されていた、特異な囚人が紹介されているページが会った。囚人は様々な人があったようで、中には芸術とも呼べる作品を残した人もあると書かれている。

 そもそもこの八重本町に監獄があったなんて、今回のことがなければ全く知らずにいただろう。

 処刑場についての記述が見つからなかったのは、残念だが、八重本町の新たな一面を知れたという意味では大きな発見だ。

 町史を閉じて、本棚に戻す。他にも、いくつか手に取ってページをめくって見たが、これと言った情報を得ることはできなかった。

 リファレンス室を出ると次は、一般書が置いてあるコーナーに向かう。

 本棚の一角には、わかりやすく監獄にまつわる本や監獄をモチーフとした小説を集めた棚があり、そこには名前を知っている有名作家の本も並んでいた。

 どんな本なのだろう手に取り、ページをめくってみると、どうも監獄に収監されていた囚人に冤罪ではないかと思われる人があったらしく、その経緯について短編小説としてまとめられていた。

 またそのコーナーは監獄についてだけではなく、八重本町にゆかりのある有名人についての書籍もまとめて置かれており、そこには富本司の名前もあった。下の棚だったので、屈んで見る。

 彼の画集がいくつか並んでいたが、雪上が地元の図書館で見たものだったので特に手に取ることはしなかった。他に何かないかと思って、立ちあがろうとしたところ、気になるタイトルを見つけて、慌ててそれを取った。

 

 《八重本町小話》

  

 本を手に取り、ぱらりとページをめくる。

 

 ――八重本町には監獄がある。

 現在では監獄という名前を改め、刑務所となっている。

 小さな町だが、意外と大きなマンションがあったり、飲食店が立ち並んでいるのは、その施設に付随して、業者や人の出入りがそれなりにあるからだ。


 

 そんな前書きから本は始まっている。

 どんな内容が書かれているのだろうとページをさらにめくると、八重本町で起きた過去の事件や、八重本町出身の著名人などが載っていた。

 正直、著名人と言ってもほとんどが知らない名前だった。なかには歌手として大きな功績を残したと書かれている人もあったが、昭和の時代に活躍された方のようで雪上は流石に知らない。

 目次から探すと、富本司の名前を見つけた。

 富本について書かれているページを開くと、彼の顔写真付きで《悲劇の画家》と見出しがついている。


 ――生きる力を全て画業に込め、ほんの数十年で儚くも命を散らした画家――


 その書き出しには胸を打つものがあったが、書いている内容は、他の資料で見たものと大差なかったので、さらっと目を通し、もう一度目次に戻る。

 本の最後の方に、怪談話の見出しから“赤い文字”について書かれているページを見つけた。

 ドキドキして、目次で見た該当ページまでパラパラと本をめくる。

 

 ――何もない場所に急に今書かれたかのような赤い文字が浮かび上がることがある。その文字を口にだして読んだ者は死に至ると言われる。

 赤い文字の正体は、命をおとした囚人たちの霊魂である。――

 

 雪上は大きく目を見開いた。

 もしかしたら、彼らは亡くなる直前に、この文字を見たのではないかしらと。


 


 図書館を出ると、不意に雪上のスマホが鳴った。

 誰かと思ってか画面を見ると山内昌也からだ。

 昌也とは昔からの腐れ縁で、別に示し合わせた訳ではないのだが、気が付けば二人揃ってS大に入学していた。

 通話をタップする。

『雪上か?』

 こちらが応答する前に、せっかちにそう話す彼は昔からなにも変わらないなと、肩の力が抜ける様な安堵感を覚える。

「ああって。俺に電話してきてるんだから、聞くまでもないだろう?」

『まあ、そうだな』

 スマホの向こうからからからと笑い声が聞こえる。

「それで、一体何の用だ?」

 雪上は少々煙たがる態度を取った。今は昌也とどうでもいい話をするよりもやらなければ、考えなければいけないことが山ほどあった。

『冷たくないか? せっかくお前が春休みだっていうのに暇そうにしているから声かけてやったのに』

 表情は見えないが、ずいぶんとむくれた言い方をしている。だが、昌也と雪上はこんなやりとりが通常運転なので、顔が見えなくとも、相手が全く怒ってないことを知っている。

 そう言えば、九曜から春休みはフィールドワークをやらないと聞いた時に、何気なく昌也に連絡したことを思いだした。でも、その時返って来たのは、『サークル活動で忙しい』と言うそっけない返事だったはず。

『で、今度は何について調べているんだ? そう言えば、赤い文字だっけ? なんか連絡してきたよな。残念ながら俺はそんなの聞いたことがないが』

「ああ」

 雪上は昌也にどこまで話すべきかためらった。相手が九曜であれば荒唐無稽な話であっても、シリアスに話せるのだが。

『で?』

 昌也はそんな雪上の心は知らず、勝手知ったる感じでずかずかと距離をつめてくる。

「ちょっと、八重本町にいわくつきの土地があって。今はそこにマンションが建っているのだけど、そのマンションから飛び降りをはかって亡くなった画家がいるんだ。その画家について興味をひかれて」

 雪上そう言って気が付いた。今回のこの件については、九曜に言われたからとか誰かに言われてやっているのではなく、自分の意志で調べているのだと。

『へえ、その画家って言うのは?』

 昌也の声は不思議そうだった。

「富本司。恐らく知らないだろうけど」

 雪上はどうせと言う気持ちでそう言った。その後、昌也からちゃらけた返事が返ってくるものだと思っていたが、そんな返事は待っても一向に来ない。

 背中がむずがゆくなる。

 少なくとも昌也との間柄で感じたことのない緊張感だった。こちらから、何か言った方がいいだろうかと、思案していると、

『知っているよ』

 昌也は静かにそう答えた。

「知ってる?」

 雪上は逆に驚いて、聞き返す。まさか、昌也が富本司について知っているとは思いもよらなかった。富本司はそれほど有名な画家と言う訳ではないと思うのだが……。

『ああ、うちの――ごめん、電車が来たから。またな』

 ぷつりと切れた画面を呆然と見つめる。

 彼が言いかけた言葉の後に解決の糸口があったとは、雪上はこの時、思ってもみなかった。

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