展覧会
「久しぶりだな」
雪上を見つけた、九曜は大きく手をあげる。ほんの数週間合わなかっただけなのだが、なぜだかもう数年も会っていなかったかの様な気分になるから不思議だ。
「お久しぶりです。と言っても、ほんの数週間ぶりだと思うのですけど。九曜さんはお元気でしたか?」
九曜は珍しくシャツにチノパンツと言う普通の格好をしている。いつも大学には選ぶのが面倒だとの理由で、作務衣を着てくることが多い。作務衣を着て、坊主頭の九曜はなおさら本職の人に間違われることもあった……と、そんなことはさておき、今日は普通の服を着てきたのだと感心する。
「悪いな。せっかくの休みのところ」
「いえ」
雪上も特に予定もなくだらだらと過ごしているだけだったので、両親に美術館に行くと伝えたら手放しで喜ばれたというエピソードは特に言わずにいた。
美術館は八重本町の中心街からは少し外れた大きな公園の一角にある。公園の名称は桜公園。九曜と一緒に公園を歩ているのだが、人はほとんどない。園内にはたくさんの桜の木があるが、桜の季節には早いからかもしれない。
春らしいあたたかく、肌寒い風に混じって植物の香りがした。
どこからだろうと思って回りをみると、小さな青い花が足元で群生して咲いている。見たことのない花だ。
何と言う花だろう。
”薬草”があるなら、こんな香りだろうと雪上はふと思った。
公園の真ん中には大きな池があり、鏡池と言うほどではないが、波風一つない。
耳元でなにか音がして、鳥の声かと思ったが、なぜか念仏にも聞こえた。
「美術館はあの橋を渡った向こうだ」
九曜は自身のスマホを見ながら池の向こう側を指す。
池の左側に木製の橋があるのが見えた。
展覧会のタイトルは【画家たちの歩んだ軌跡】富本司の様に、若くして夭折した作家の作品を集めて展示していると、紹介文が添えられている。
美術館の入り口に向いながら、
「手元にチケットはあるのですか?」
九曜にそう問いかけた。
「いや、美術館についたら事務所の方に顔を出して欲しいと言われている」
チケットを買い求め、並ぶ列を横目に雪上と九曜は建物の奥の【事務室】と書かれた部屋に向かう。
事務室の方にトイレがあるためか若干混みあっている人波を抜けて、扉をノックした。
「こんにちは」
九曜の言葉に幾人かのスタッフが反応する。
換気のためか窓が開けられており、肌寒い風が通り抜けた。
事務室の中を見渡し、壁際で別のスタッフと会話をしていた古藤を見つける。彼女は話していたスタッフにぺこりと会釈をした後、こちらを振り向くと表情を明るくし、駆け寄って来た。
「お久しぶりです古藤さん。お招きありがとうございます」
雪上も九曜の言葉に続いて、小さく会釈をする。
「先日は大変お世話になりました。遠いところわざわざ来ていただいてありがとう」
「いえいえ、こちらこそ先日は貴重な資料を見せていただきありがとうございます」
深々と頭を下げながら九曜が言っているのは、きつねの嫁入りの掛け軸のことだろう。
古藤はしゃんとして、いつも以上に身なりに気を配っている様だった。掛け軸を見せてもらうのに会った時よりも一層若々しく見える。
「あ、そうだ」
古藤は「チケット」と、言葉を続けながら自身のデスクに舞い戻り、いそいそと茶封筒を持ってくる。
「これで足りるでしょうか?」
雪上と九曜が財布を取り出そうとした矢先、古藤が言葉でそれを制した。
「ごめんね。ちょうど招待券が余っていたから、それで用意したの。だからお金は受け取れないわ」
「しかし……」
九曜はもう一押ししたが、古藤が頑なにそれを断ったので、九曜はしぶしぶ財布を出そうとした手を引っ込め、差し出された招待券を受け取り礼を言う。
「ありがとうございます」
雪上も頭を下げる。
「その代わりといってはなんだけれど、今後の展示会の参考にしたいから、アンケートを書いてもらってもいいかしら? そんなに難しいものではないから」
「もちろんです。見終わったらもう一度、こちらへ伺います」
展示室への入り口は数名の列になっており、後ろに並んだが、それほど待つこともなくすぐに入場出来た。
中の展示室は明かりがトーンダウンされ、薄暗い。
今回展覧会を開いた経緯について、主催者のあいさつの言葉とともに古藤の名前も載っていた。
古藤は幼馴染の芸術家の言葉を受け継いで、若い芸術家の育成に微力ながら力を注いでいる。
その言葉だけとればとても素敵なことだが、理想と現実はやはりなかなか上手く融合しない。飼い犬に手を噛まれた――ではないかもしれないが、その以前雪上と九曜が古藤の家を訪れた時に、活動の一環で、お金がないから美術学校に通うのが難しと屋敷に住まわせていた一人の若い学生と古藤の血縁筋の女性とで、ちょっとした事件があったことを思い出す。それで、古藤がもうこりごりして、そういった活動を辞めてしまったのだろうかと思っていたが、逆にそれで火がつき、以前にもまして精力的に活動をしている様にも思えたので少しほっとした。
あいさつ文は短い人生を生きた画家たちの魂の叫び、作品を見てそれを感じてもらいたいと言う言葉で締めくくられている。
作品の前にごとにちょっとした列があって、受付でもらった作品リストのパンフレットを見ながら、列に沿って進む。
どこか消えそうな儚い作品。
命を爆発させた様な色をふんだんに使った作品。
絵だけにとどまらず、彫刻などの作品もあった。
中でも雪上が一際印象を受けたのは、図書館で見た画集そのままの絵が眼前に現れた時。
この絵の前だけが重苦しい空気に包まれていた。
「すごいな」
九曜がぽつりつぶやいた。
雪上は言葉がでない。九曜の言葉にどう返していいのか。自分自身の語彙力が追い付かない程の衝撃を受けていた。
ただ、ただ絵の持つ威力に圧倒される。
それと同時にもうこの作者が描く新しい作品を見ることが出来ないことに虚無感を覚える。人の死という空っぽのなにか。
「作者は――富本司と、言うのか」
九曜の言葉にそっと頷く。
富本の作品は他にも何点か展示されており、彼の遺作と題された色調の明るい作品もあった。しかし、雪上として一番最初に見た作品に心惹かれる。
芸術とは美しいものと言うイメージが強くあったが、彼の作品は一般的な美しさとは異なっていた。美しい女性や風景が描かれている訳ではない。その絵は男性とも女性ともつかない一人の人物がうつむき気味に書かれている。
その背後、影の様に異形の人物が絵が描かれる。怖いと思うが、その怖いという感情は恐怖と言うよりも畏れという言葉の方がしっくりくる感じがした。
作家ごとにいくつかの作品が集めて展示されていたため、富本司の作品も何点かあった。その中には遺作とタイトルにある作品も展示されていた。それは、画集で見た以上に本当に富本司の遺作なのかと思われるほど、他の作品に比べて色彩の明るいものだった。
ひととおり作品を見て回り、九曜と雪上は古藤がいる事務所に戻る。先ほど、言われたアンケートのためである。
事務所に戻って来ると、数名いたスタッフは皆、どこか仕事に呼ばれて言ってしまったのか今は古藤が一人、コピー機の前でたどたどしく作業をしているところだ。
「失礼します」
九曜の大きな呼びかけに、こちらを見て笑顔になる。
「ちょっとだけ待っててもらえないかしら」
悪戦苦闘しながらも、作業手順を明記したメモを片手に一生懸命に操作をしている。手伝った方がいいのかとも思ったが、九曜は何もせずただ、その様子を見守っているので、雪上も何もせずただ黙ってそこに居た。
十分ほど経ち、無事に作業が終わった様子で、書類を机の上に置くと、
「ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ、お仕事中に色々とすみません」
「とんでもない。向こうの部屋に用意しているから。さあ、どうぞ」
事務所を抜けて、廊下に出た古藤は振り向いて、ついてくるようにと手を挙げる。
「ごめんなさいね。仕事が遅くって。皆さんが親切に教えて下さったことを、メモをしながらやってはみているのだけど」
「そんなことはありませんよ。美術館でのお仕事には大分慣れてきましたか?」
九曜の質問にくるりこちらを振り向いて、こくり頷く。
「そうね。――少しずつ、以前の生活を取り戻してきているこの日常で、ただ家に漫然としているのもよくないと思ったの。それでこちらに。それでも、短時間で週に数日だけ。まだ慣れないことも沢山あるけれど」
古藤は謙遜してそう言うが、その表情は生き生きとしている。
その年齢で働こうと外に出て行く姿に雪上は単純にすごいなと思った。
「今回の展示会で、”伊藤藍”氏の作品は展示されていないのですね」
雪上は古藤の屋敷で見た、きつねの嫁入りの掛け軸が思い出された。
「彼の作品も展示出来ればと思ったのですけど、作品を集めるのが大変で……人気もあるから、彼の絵だけにお客様の目が集中してしまうと思ったの。伊藤藍はきっと彼だけの作品を集めた展覧会を開くのが正解ね。今回の展覧会はそうじゃなくって、たくさんの素晴らしい作品を残した芸術家たちに注目してほしいと思って」
雪上は頷きながら階段をのぼる。
二階、廊下の先に【研修室A】とかかれた部屋に古藤は入って行くのでそれに続いた。
パチリと電気が付く。
部屋の中はがらんとしており、椅子とテーブルがならべられ、その内の二席に用紙とペンがすでに用意されていた。
「これを書いたらいいのでしょうか?」
「簡単でいいの。若い方の意見も聞きたくって。今後の参考のために」
古藤はふふっと笑う。
雪上は席に着き、置かれた用紙をぺらりと表にめくる。
アンケートは特に変哲のない質問が並ぶ。今回の展示作品を見てどう思ったか、印象に残った作品はどれか、展示会の改善点をあげよ、等。
さらさらと思いついたことを素直にそのまま文字にする。印象に残った作品についてはもちろん富本司の作品と書いた。
一通り書きあがると、もう一度内容を見直す。立ち上がって古藤にアンケート用紙を手渡した。
「これで大丈夫ですか? あまり実になるような内容は書けなかったのですが」
「ううん。大丈夫よ。ありがとう」
古藤は雪上の文面を見ながら何度か頷いてくれたので雪上はほっとした。
「印象に残った作品は――富本司? ああ、あの」
古藤がその名前を出した時、なんだかやるせない表情を見せる。その理由はわからなかったが雪上は、
「実は、最近その画家について知る機会がありまして。今回、実際の作品を見て非常に感銘を受けたといいますか」
そう感想を続けた。
まだ、アンケートを書いている最中だった九曜は顔を上げる。その表情はまるで、芸術に興味があるなんて全く知らなかったとでも言っているようにも思え、少し小馬鹿にされた感じがしたので、雪上はふんっと視線を反らした。
「彼は悲劇の画家だわね。そう言えば、ここの美術館の学芸員さんに彼について詳しい人がいるのよ。よかったら呼んでこようかな。お二人さん、お時間は?」
「大丈夫です。ぜひお願いします」
願ってもいないことだ。すぐにそう答える。九曜も特に反対する様子はなかったので、振り返って確認する事はしなかった。
「じゃあ、ちょっと呼んでくるわね。多分、事務所に戻っていると思うから」
古藤は軽い足取りで部屋を出て行った。すかさず、九曜が口を開く。
「雪上君がこうった絵画に興味があるとは思わなかった」
言い方はちょっと気に障るが、九曜は純粋に驚いた表情を浮かべている。
「まあ、正直詳しくはありませんが、きれいなモノを見るのは好きです。それと、富本司と言う画家について最近知ったのは嘘ではありませんから」
「富本司氏どう言ったところに興味を持ったんだい? ああ、もちろん聞いても大丈夫なら」
九曜はアンケートを書き終わったのか、持っていたペンを用紙の上に置くと、頬杖をついて雪上を見上げる。
「富本司の描く絵が、幻想的で、空想的で……どこか痛々しくて、生々しい。妙に惹かれるなと思ったのがきっかけです。そして、彼は画家としてこれからだというときに、マンションから飛び降り自殺を図って亡くなりました。そして、そのマンションのあった場所が、八重本町の駅の近くにあるマンションの様で」
九曜はぎょっとした表情になる。
「この町の出身なのか」
「そのようです」
「なるほどね。でもどうして雪上君はどう言った経緯でその事実を?」
「実は………………」
雪上はWEBの動画で見た内容と、その動画で言われていた赤い文字のことについても合わせて九曜に説明する。
「フーン」
あまり興味がないような気乗りしない返事をするが、その目はらんらんと輝いている。
「ですから、富本司氏が住んでいたマンションと言うのは、何かいわくがあるのではないかと思ったりして」
「いわく?」
「動画ではマンションのあったあたりに、処刑場があったと説明されていました」
「処刑場?」
思ってもみなかったのだろう。九曜は目を丸くしていた。
「ええ。僕もそんな場所だったとは全く知らなくって。それで本当に処刑場があったのかどうか調べて見たのですが、それについては資料が見当たらなくてはっきりとした証拠を見つけることはできませんでした。かわりに、八重本町は、昔々、監獄があったようでして。その監獄の恩恵を受けて、この街が発展したと。そんな歴史しりました。そんな経緯のある土地ですから、芸術家気質の富本司氏はその住んでいるマンション、もしくは土地から何かを感じて、生から死へ転落していったのではないかと。そう思ったりしまして」
「つまり、雪上君は富本司氏の氏に対して、疑問をいただいているということだね?」
九曜の質問は雪上が感じていた漠然としたわだかまりについて的確に指摘していた。
そう言われて、改めて気がつく。
今、一番雪上が感じているのは疑問は、マンションの場所がいわくがあるとか、まあそういった事も多少は興味があるけれど、なぜ富本司氏が自殺を図らなければならなかったのか。その理由。
富本司という人物について調べたなら、その疑問は解消するかと思ったのだが、逆に、調べて行くにつれて疑問は深まってゆく。
「彼がちょうど自殺を図った時期と言うには、仕事が軌道にのりはじめたいい時期だったようなのです。個展の開催などがとんとん拍子に決まり、画家としてこれからと言う時でした。だからそんな矢先にどうして死を彼が選んだのか」
「しかし、彼の絵を見た感じだと、非常に心に重苦しい闇を抱えているようにも感じられた。だから、その闇に押しつぶされて、死を選んだ。そうは考えられないか?」
「そう考えて、結論付けたこともありました。裏付けが欲しくて、富本司氏に関する、画集や資料を図書館で見つけて読んでいたのですけど、どの資料にも彼の自殺の理由について明確な理由は書かれていませんでした。そして、今日。実際に彼の絵を見て――九曜さん、彼の遺作を見ました?」
「ああ、確か、妙に明るい感じの」
「そうです。あの絵を見た時、まあ自分が感じたことなので、それが正しいかどうかはわかりませんが、他の絵にはない希望が描かれているような気がしたのです。だから、彼が亡くなる直前というのはそれほど精神的に悪い状況ではなかったのかと」
「なるほど。画家としての仕事が軌道にのり、自身の新たな可能性を模索していた。つまり、前向きに活動をしていた。そんな矢先に、本当に死を選ぶのか。雪上くんは、そこに疑問を持っていると。そう言うことだね?」
「はい。なぜ、急に自らの命を絶ったのか……」
その理由が、雪上にはわからない。
「だから、もしかしたら人ならざる力に引っ張られ彼は死んだのかもしれないと、そう考えた訳だね」
こくりと頷き、
「まあ、それが……」
雪上はそう言いかけた時、古藤が一人の女性を連れて、部屋に戻って来た。
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