富本司と言う画家
雪上理来はS大に通う学生で、民俗学を専攻している。なぜ、民俗学を選んだかと言うと、比較的容易に卒業しやすいと話に聞いていたからだ。
一回生の最終期末のテストとレポートの提出を乗り越え、現在春休みを迎えた。入学した当初からの大学生活を振り返ってみたが、この一年間は怒涛の一年だった思う。
『大学生は人生の夏休みだ』
なんて言葉を間に受けて、のらりくらり学生生活を過ごそうと考えていたのに、蓋を開けてみると、待っていたのは、ひたすら研究生活に明け暮れる毎日だった。
入学して振り分けられたゼミの教室で九曜三之助と言う生徒に遭遇したのが運の尽きだったのだろう。
九曜は四十一歳。社会人経験を経て、再度大学に入学した特異な学生だった。社会情勢の大きな変動で、退職を迫られ、その後転職活動をするも、なかなか仕事が決まらず、それならいっそうのことと再度大学に入学することを決断したらしい。
なぜ大学かと言うと、彼が幼い頃に祖母から聞いた民話が今でも心に残っており、いつか自身の足で集めた民話を編纂し論文――書籍を作るという壮大な目標があるのだと言う。
その壮大な目標をゼミの自己紹介で語った九曜は教授から一目おかれ、なぜか、あれよあれよと言うままに雪上は九曜と一緒のその研究をする一員に選ばれてしまった。
資料を集め、フィールドワークに行っては論文の執筆。合間に授業。
その繰り返しで、季節はあっと言う間に巡っていった。
雪上もはじめの頃はいつ、『やめます』と、切り出そうかと考えていたが、やってみると意外にも一年という月日が経ち、驚いているのは雪上自身である。
この春休みもフィールドワークに行くかと思って、ため息をつきながら用意を進めていたのだが、九曜が『時には学生らしく遊ぶことも必要だ』などと、謎の持論を持ち出したため、予定は一気になくなった。
何をしよう。
気が付けば、他の友人たちは学業もそこそこにバイトやサークル活動に明け暮れている。
雪上自身の生活とは全く反対で、たまに連絡を取ってみたものの、『バイトで忙しい』『実家に帰る』『サークルのみんなで旅行に行く』そんな様子なので、予定が合わない。
じゃあ、何をしようか。
考えて見たが、妙案は思いつかず、それでどうしたかと言うと、家でだらだらと過ごしていた。逆にそれしか選択肢はなかった。
昼ごろにのそのそと起きて、ごはんを食べて、WEB上で動画を見て。
たまに、気が向いた時に、単発のアルバイトをした。そのバイト先からは、長く働かないかと誘われたが、二回生になればまたフィールドワークが始まり、忙しい日々になるのは目に見えてわかっていたので断るほかない。
最近好きで見ている動画は、雪上自身のブラッシュアップも兼ねた英語などの語学に関するものや、都市伝説や怪談を取り扱った分野の動画だ。普段から民話などをよく調べているので、自然とそういった分野に興味が向いた。
雪上が見ている動画サイトには投稿者は多数いて、各々が動画を制作してアップしている。だから、例えば語学とひとくくりにしても投稿者によって内容は様々。自分に合うものと合わないものがあるが、なんとなく自分と合う投稿者に出会うと、不思議と時間を忘れてずっと動画を見て居られるから不思議である。
今日も目覚めたベッドの中。
スマホを取り上げて、画面の見ると、土曜日の午前十一時。
カーテンをした薄暗い昼間の自室で、スマホ片手に動画を見ていた。ぼんやりとした頭の中に入って来る情報は自殺者が多い土地のいわくについて紹介されている動画だ。
『いろいろ差し障りがあるので……Y町と言います。これだけでわかっちゃう人もいるかもしれませんが、居住されている方も多数いますので、コメント欄に色々書くのはお控えいただきますようお願いいたします。それで、このY町の駅近くに建っているとあるマンションについてなのですが…………』
BGM感覚で流し見していたのだが、その景色は明らかに見覚えがある。Y町というのは雪上の住んでいる街から車で一時間程の場所にある、八重本町と言う場所ではないだろうかと考えに至る。
動画には駅からの駅前通りの様子が映し出される。見覚えのある景色だ。やはり八重本町の駅前だと確信する。小さな街だが、駅前だけはにぎやかな繁華街となっており、飲食店が並ぶ。カメラはその道を一本、わきに逸れた通り沿いをすすみ、正面にマンションが映し出された。
特定されないためにか、看板や住所が表記される部分に対して、モザイクがかかっているがわかる人にはわかるものだ。
動画には撮影者は映らない。配信者のアカウントの名前はNAMIHANAとなっている。見たことのない名前だ。
なんというか、わりと雪上は好みにあった投稿者の動画だけをずっと見ていくタイプなのだが、たまたま今回のがレコメンドされ、タップしてみた。
この動画がレコメンドされたのは雪上の居住地の近くだとAI等の機能に認識されたのだろうか。しかし、雪上は”八重本町”とは一度も検索したことはない。もちろん、雪上の住所を入力している訳でもない。特定しようがないと思うけれど。……面白くなければ次の動画に変えようと思っていたが、俄然この動画に興味が湧き、目も冴えてきた。
日当たりがよくなく薄気味の悪いマンションの映像のテロップの文字と機会じみた音声で、このマンションに起こる経緯が紹介される。
『このマンションXXは何度か改修、建て替えがされているものの、殺人事件や自殺者が出ると有名です。中には犯人がわからずお蔵入りになってしまった事件も多数あるとか』
その当時の新聞記事と思われる文面がモザイクをかけられながらも映し出され信憑性が高まる。
『視聴者さんで、物知りな方はある画家が若くしてこのマンションから飛び降り自殺を図った事件をご存知かもしれません』
今から十年程前にとある有名な画家が若くして自殺を図ったのだと動画で説明される。
画家は三十歳の若さで亡くなった。
芸術系の大学を卒業し、なかなか作家として芽が出ない日々だったが、ようやく自身の個展を開催し、これからだ。と言う時だった。遺書は発見されなかった。
『亡くなった画家の名は、富本司と言いました』
彼は人間の心のさざめきを絵で体現する、幻想的な作風を得意としており、動画内で彼の作品が紹介されていた。雪上はその絵を見てかなり目を引く作品だと思った。
『彼の場合は自殺に至る原因は生きながらに苦しみを抱えていたからかもしれません。その苦悩が絵の世界によく現れていますから』
彼自身の生い立ちの複雑さから、生きながらに苦しみを抱えていたのだと動画では画家について説明する。そんな彼が描く世界は湖の様に静かだが、暗鬱な空気が漂っている。
富本の絵は何枚か画面上で紹介され、時折明るい色彩の作風もあったが、画風が変わることなく次には真っ黒な色彩になる。その繰り返し。彼には熱狂的な一部ファンがいて、今でも彼の絵を大切に美術館や一部の収集家が彼の絵を大切に保管されていると説明があった。
『ですが、死場所にこのマンションXXを選んだのは偶然ではないでしょう。芸術家の繊細な感性が、何かに惹かれたのかもしれません』
『このマンションで死者が出る原因について、色々といわれがあるようです』
マンションでは今でも忘れた頃に自殺者があり、配信者は建物よりも土地そのものになにかいわくがあるのではと考察していた。またそれについて調べたと機械的な声でコメントし、
『どことは言えませが、この辺りには昔処刑場があったようです』
『この辺りの土地では、赤い文字を見ると死に至ると言う言われもあり、処刑で亡くなった方の怨念が赤い文字を媒介として自殺者をだしているのではないか』
そう話をまとめ動画を締めくくっていた。
ネットユーザーからのコメントでは、
(怖っ)
(建物があると過去にそこがどんな場所だったかなんて知ろうともしないし、わからんもんな)
と、様々なコメントが書き込まれれている。
雪上も昔から八重本町と言う町があるのは知っていたが、そこに過去、処刑場があったとは今まで知らなかった。
妙に心惹かれ、WEB上で情報を検索してみたが、雪上が知りたい情報は出てこない。そこで、ベッドから脱出し、家の近くに図書館に出かけてみることにする。どうせ、今日も予定は特にない。
外出するのはいつぶりだろうと思いながら、顔を洗って、寝ぐせを整え、久しぶりにスウェットではない服を着て家を出る。
「さむ」
思わず声が出た。そう言えば今年の冬はかなり寒いとテレビのニュースでやっていたことを思い出しながら、家の前に停車している車に乗り込む。雪上家は父と母がそれぞれ一台ずつ車を所有しており、父は仕事の時、車は使わないのでたまに雪上が拝借している。車の免許は大学に入学する前、高校生の春休みに教習所に通い取得した。
九曜とフィールドワークの調査であっちこっちと行くことが多く、その度にレンタカーを借りるので、運転する機会も割とあるのだ。ほとんどは九曜がしてくれるのだけど。
車を走らせること十分程。
自宅、最寄りの図書館の駐車場には、それなりに車が停まっていた。
雪上が左折で入り、係の人から【駐車時間 一時間】と入庫時間を手書きで書いた用紙をもらう。
大学の図書館には割と通っているが、地元の図書館に来るのはいつぶりだろうか。
中に入り【郷土資料】と書かれた棚を見つけ、八重本町の資料があるか目を皿にして本の背表紙から探す。
該当しそうな書籍を片っ端からめくってみたが、雪上が見たい情報が書かれたものはなかった。その土地に処刑場があったと言う事史実はあまり残したくないものだからだろうか。代わりに、八重本町はもともと監獄があったという史実を知った。監獄とは今でいう刑務所のことである。
監獄があったのであれば、その付近に処刑場があったと考えてもおかしくはないと思う。
視点を変えて、八重本町の周辺の古地図があるかどうか探して、ようやく見つけたのは明治時代のもの。
「本当だ」
現在の八重本町の駅の辺りに監獄とかかれ四角く広い枠で囲まれている。だが、処刑場と言う文字はやはり見当たらない。
他に八重本町にかつてあった、その監獄について書かれている資料に処刑場が記述されている文書がないかどうか探してみたが、見つからない。
カウンターにいる司書にも聞いてみたが、当館にはなさそうとの返答。
「中央の大きな図書館に行かれるか、もしくは八重本町の町営の図書館に行った方があるかもしれません」
「ありがとうございます」
無いものは仕方がないので、その古地図だけコピーし、図書館を後にした。
車に戻って時計を見ると、午後一時。
これから、八重本町に行って帰って来るだけの時間はまだ十分にあった。
思いついた様に車を走らせること一時間。
天気もよく、道もそれほど混んでいなかったので、運転を苦に思うことはなかった。
途中、コンビニの駐車場に車を止め、八重本町の図書館の場所をスマホで検索する。
「まじか」
ここまで来て、今日は図書館は書庫整理に伴う臨時休館の日だとWEBで知った。しかも開館しているのは平日の朝九時から夕方の四時まで。
「はあ」
先に調べておけばよかったかと思ったが、全て後の祭り。
しかし、せっかくここまで来たことだし、件のマンションに行ってみることにした。
駅の近くの、動画に映し出されたていた、マンションはすぐにわかった。車を停めて実際にその辺りを歩いてみようかと思ったのだが、道が狭く、車を停めておけるような場所がなかったので、ただゆっくりと車を走行させ、マンションを横目に見る。
最初に感じたのは、動画の中だけの世界かと思っていた景色が実際にあるのだと言う衝撃。
白い壁なのだが、雰囲気は薄暗い。
窓やベランダの感じから、人の住んでいる気配がある。現役で、まだマンションとしての役目をはたしているのだ。
そう言えば、最近この近くで事件があっただろうかと考えてみたが、特に思い出せなかった。
マンションから少し離れ、国道の向こう側に河川敷があったので、その辺りに少し車を寄せて停車した。川は幸川と言って、八重本町の中心部から真直ぐに海の方に流れる。
先ほど、図書館でコピーした古地図をひらき、昔監獄があったとされる場所を確認しようとしたのだが、なかなか地図が読めなくてよくわからない。雪上が今居る場所である幸川を目印にと思ってみたが、幸川が載っていないのだ。何故だろうと思ったが、ともかく何か目印になるものはないかと探し、駅を見つけた。この八重本町の駅を中心として考えた時に、やっとどのあたりに監獄があったの目星をつけることができたのと同時に、かなり広い範囲が監獄の跡地と記されているのを知る。
「へえ」
何か取材してみようかとも思ったが、急に思いついてここに来たので、何をどう取材したらいいのかわからない。
仕方がないので、車をゆっくりと町の中を一回りさせて、帰り道に戻った。
途中、博物館の看板があるのだけ目に留まったが、目的もなしに立ち寄るのも、と思いそのままアクセルを踏み込む。
ゆっくりと車を走らせながら、町の様子を眺める。普段は目的地までの通り道としか見ていなかったので、こうやって改めて八重本町の街並みを見るのは初めてだ。
驚いたのは“八重本町刑務所”という看板と整備された立派な建物があったこと。現在もここに刑務所があるなんて知らなかった。それと相反してあったのは、八重本町神社の存在である。雪上も車で通っただけなので、仔細はわからないが、本殿には青いビニールシートで覆われていた。見間違いかと思い、車を停車させ、スマホの地図アプリで確認する。地図上でその場所は神社と表記されているのは間違いないが、もう一度現地を見てみるが、やはり神社とは認識出来なかった。つまり、神社よりも刑務所の方が立派なのである。なんとも不思議な感覚。
せっかくの久しぶりの外出だったので、家へ戻る帰り道に他にも細々と用事や買い物を済ませて、帰路につく。
スマホを確認すると九曜から連絡が来ていた。
メッセージの内容を要約するとこうだ。
先日、【きつねの嫁入り】を描いた著名な画家の掛け軸を見せてくれた、古藤と言う人が企画した、展覧会を美術館でやるから一緒に行かないかと言う内容だった。
雪上は特に断る理由も無かったので、二つ返事で了承する。
どこの美術館ですか? と、聞くと、八重本町にある美術館だと九曜は言った。
その返事と一緒にどんな作品が展示される画家の名前が文面に書かれ、先ほど雪上が見たマンションから飛び降り亡くなった画家――富本司の名前が含まれてたので驚いた。
何の因果関係かはわからない。
雪上はごくりとつばを飲み込む。
何かが起こる。そんな予感がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます