WEST未定人生物語
冴島。
あの夏を忘れないために、ここに書き綴っておこう。
制服と肌の隙間を縫って潜るそよ風は、
この8月の暑さをも
刹那の間、忘れさせてくれる。
2023年。私の夏
「なぁ芹沢!
俺が死んだら、お前は、
ロウみたいになった頬、
撫でてくれるんけ。」
___________
20' 中学三年生 絶望
「コロナ禍で増えているんですよ、」
起立性調節障害なる病。
中高生に頻発する、
自律神経系の病気である。
死に至ることはないが、
日常生活には大きく支障が出る。
「朝、全く起き上がれないんですよね?」
「芹沢 フユノ」
名の書かれた学生証を床に叩きつけ、
踠き、項垂れた。
「なんで私が、
私だけがこんな
しんどい思いしなならんのけ!!」
行き場の無い怒りを、
ただただ自分や家族へとぶつけた。
告げられた病名。
見通しのない「健常者」への復帰。
もう、学校にも碌に通えていない。
枯れるほど泣き、呆然と天を仰ぐ日が
何日続いていたのだろうか。
私には、その記憶は雑多にしか無い。
幾度となく大人を軽蔑した。
いつか治るのに、何も死ぬことはないのに、
これだから子供は、などと言う大人は
大抵感性やらが死んでいるような者だと
自分の中で決めつけていた。
「健康」になりたかった。
誰かを殺して手に入れられるものなら、
誰かに跪いて手に入れられるものなら、
誰かに成り代わってでも、なれるなら、
何度もそこらの紙に綴った。
自分は何の為に、生きているのだろうと。
私は、ただ唯一
ピアノと向き合う時だけが
正気を保っていられた。
指の腹の先から打鍵すると弓に繋がり、
幾星霜と繰り返すような絡繰の先に、
Eの音が鳴る。
これが、秒の世界よりも先にあるのだ。
先人が考えた音楽の真髄。
5本の指ともう5本の指を駆使し、
私は色んな曲を奏でた。
何にもとらわれない私だけの音楽。
その時だけは、なんだか
普通の中学生のような気がしていた。
病人でもなんでもない、
ただのどこにでもいる中学生だと。
___________
「wowaka…?」
スマートフォンから流れてきた音楽は、
衝動と衝撃、頭上で落雷でもしたのか。
「ワールズエンド・ダンスホール」
エレクトリカルな、疾走感。
ポップスながらも、強いギターサウンド。
感情のないロボットに唄わせる
いかにもヒトらしい歌詞。
転調なしの一本勝負。
「天才の音楽。」
出逢ったのが遅すぎた。
彼はもう、この世には居なかった。
2019年の春だった。
「急性心不全にて、急逝。」
こんな天才が居ない世界で、
クソみたいな大人共は
人生の先輩ヅラして
病人の見るレンズに居座り続けやがる。
ただ弾き続けた。打鍵し続けた。
wowakaさんの歌を、聴いた通りに。
何度も泣きじゃくった。
逢ったこともないくせに。
この世の不条理に、理不尽な命の尊さに。
楽譜なんてものは持ってはいない。
そんなことどうでも良いくらい、
ではどうやって弾いたのかと
そんな事をわざわざ聞くやつを
跳ね除けるくらいのユリーカ。
指が赤くなる程、
手首の関節が擦れる音がする程、
ただただ打鍵した。
彼は、ボーカロイドの世界から離れた
バンドという形で、
ある曲をリリースしている。
『フユノ』
___________
「フユノちゃん、可愛いよね」
「フユノちゃんその服どこで買いよん?」
「フユノちゃん、最近私な、」
自分の話だけをして、
何処かに行く女子の群れ。
心の底に溜まるのは、
うるせえ。という言葉のみ。
私は、女子の輪に、
拒絶反応を起こす程の嫌悪を抱いていた。
19' 中学二年生。
凄絶ないじめ。
女性不信になった、集団いじめ。
面白がられた果ての人間が、
限界まで追い詰められたのが、
世の言ういじめというものだ。
限界まで追い詰められなければ、
大人は動かない。
この時wowakaさんに出逢っていたら、
何か、変わっていたのだろうか。
意地でも負けるものかと登校し続けたのに、
結局は病人になり不登校人間扱い。
この世の全てを憎む私の気持ちなど、
誰が理解できようか。
___________
21' 夏が終わる少し前。
「芹沢、って言うんか。
ワールズエンド・ダンスホール
アンノウン・マザーグース
裏表ラバーズ
…ええよなぁ、
俺も、wowakaさん好きじゃけえ。」
私は死ぬほど抵抗したが、
いわゆる「普通科」には行けなかった。
同じ病を抱える人間が集う高校へ、
仕方なく、仕方なく、行くことになった。
この上ない、
「屈辱。」
「wowakaさん、
私も好きやけ、
知るのが遅かったんよね。」
目を合わせるのが苦手な私は、
ぼーっとどこかを見ていた。
「ほう。残念やったのう。」
彼は窓の向こうの空の青を見ていた。
死ぬほど人嫌いだった私には、
友達が出来た。
___________
「おはよ〜芹沢。」
霧椰 リツキ
そいつは、テリトリー無視男だった。
いつでもどこでも喋りかけてくる饒舌人間だ。
最初こそ互いによそよそしくしていたものの、
今ではもうずっと話している。
リツキは話が面白くてずっと聴いていられた。
ずっと聴いているのが、とても楽しかった。
須く偏見なく。
「お前の事フユノ〜呼ぶんは、
はっきり言って、嫌やけ。」
「何でそんなん言いよんよ。」
「お前は芹沢や。」
しかし彼はどうしても
私をフユノとは呼んでくれなかった。
すこし、寂しかった。
___________
今日リツキは、俺が帰るまで待っておけ、と
私に伝えていた。
ずっと校門前で待ち続けていると、
リツキがこちらへ走ってくる。
「おう芹沢。」
彼は手をひらひらさせこちらに歩いてくる。
「…リツキ。」
私も、軽く会釈した。
「今日はな、
お前に紹介したいやつがおるんや。」
「…え…?」
リツキの後ろにいたのだろうか、
リツキよりも背の低めの
青年がこちらに目を合わせる。
「芹沢さん、ですよね、
こんにちは。
リツキから、話は結構聞いてたんです。
改めて、
僕、北斗 春樹です。」
よろしく、とこちらに手を振る仕草をした。
「ど、どうも、芹沢 フユノです。」
こういうものに慣れていない私は、
少し緊張しながら、挨拶する。
「芹沢さんのお噂はかねがね。」
何を言うことがあるんだ、とリツキを睨んだが、リツキは知らんフリしていた。
「フユノさん、
連絡先、交換しません?」
春樹は、私に微笑んだ。
___________
リツキと春樹は
小学校からの幼馴染だという。
私は2人の昔の話を聞くのが好きだ。
間に溶け込むかのように、
私は春樹とも打ち解けあっていった。
リツキと私と春樹。
3人でたむろして話している時は、
自分の絶望的な境遇を
ダクトに逃しているようで、楽だった。
幸せだったのだと思う。
皆が長袖へと衣替えしだす秋口。
ラムネのビー玉を眺める私。
ガラスに透過する2人の肌が水色にみえる。
夏が終わり、いよいよ冬がまた来る。
家で1人、空のラムネ瓶を飾る。
「起立性調節障害の子は、
一般的には冬は調子が良くなるんですよ、
寒いから血管が締まるでしょ?」
くどくどと語る医師の名刺を
ゴミ箱へと投げ捨てた。
___________
リツキ達と一緒に居ると、
高校生の女子の群れは
次第にじわじわと私を無視するようになり
もう、話しかけられる事も無くなった。
女とはこんなものだ。
自分は多分女の子とは上手くやれず、
なんとなく忌み嫌われる存在なのだ。
もう何故なのかを考える気力さえ、
女性不信の今は、もう無くなっていた。
___________
皆がコートを羽織らないといけないくらい
寒くなった頃。
「芹沢さぁん。」
昔一度話しかけられたか、
その程度の高校女子の群れが
こちらに向かって話しかけてくる。
馴れ馴れしくしていたときは、
軽々しくフユノと呼んでいただろうに。
会釈すると、引っ叩かれた。
「調子乗んなカス。」
___________
「…は?」
叩かれた左頬を押さえる。
「男の子大好きなんよね?気持ち悪ーい。」
「芹沢さんオタクやもん、しんどいよね」
「私なんて何回も会釈されて、キツすぎる」
…あー、
あー。
始まったなぁ。やっかみ暴論争。
「帰っていいですか…」
直ちに逃げ帰りたかった。
逃げて、リツキと春樹の元へと
帰りたかった。
「本当嫌いやけん、消えて。」
「見てて不快」
「関わりづらいんよね」
「だるいんよ」
数多の言葉の手榴弾。
今にも破裂しそうな胸を抑えて、
その場から離れようとした時だった。
「芹沢ぁ〜」
…咄嗟に振り向いた。
「リツキ…!」
「お前こんなめちゃくちゃ言われて
悔しないんけ。なっさけないのお〜」
女子の群れは、リツキが来てから
必死に言い訳を考えていた。
そして声を合わせて、常套句。
「わたしら、別になんもしてないから!」
___________
「ぜーんぶ見とったわい。
なんなら録ったぞ。
ぶっ殺されたくなかったら散れ。
…散れ言うとるやろ、散らんかい。」
リツキは、私を助けてくれたのだった。
女子の群れは蜘蛛の子を散らすように
逃げ帰る。
リツキはこちらへ振り向いた。
「大丈夫け?帰るぞ。」
「…リツキ…!」
私は咄嗟に、リツキに抱きついた。
「何すんねん。」
「ありがとう…助けてくれて…」
「当然や、俺が嫌やったけ、
大事な人間のことあんな言われとったら
助けんのは当然のことや。」
溢れた涙はリツキの服へと溶けて染みた。
「泣くな。落ち着けフユノ」
小声で囁かれた私の名前は
何度も何度も、私の心の中で繰り返された。
___________
持ち手が凍りそうな公園のブランコ。
リツキは、
コーンポタージュ缶を買ってくれた。
温かい。
手の温度が上昇するのが分かる。
私はリツキへと問う。
「春樹は?」
「それなりに元気みたいやぞ。」
「そうか。」
良かった。
刺すような空気の冷たさが
頬の泣き跡を、攫ってゆく。
「お前、好きな人でもおんのか。」
「はぁ!?」
私はポタージュを吹きそうになった。
「なんやおんのけ。」
「な、なんで言わなあかんのや!」
「なんやねんな、しょーもないのう。」
「し、しょーもなくてわるかったのぉ!」
なんだか、ずっと
取り乱している自分がいた。
少し息をつき、リツキへと問う。
「…何でそんなん聞くんや。」
「春樹は、コンポタとか、そもそも
こういうの苦手やから、覚えといたれよ。」
「なんでここで春樹が出てくるんや…!」
「芹沢。」
「なんや…!」
「自分に正直に生きろよ。」
私はずっと冷静でなかった。
そして、リツキの言った言葉の意図が
その時は分かっていなかった。
リツキはさらさらとした髪を
鋭い冬の針のような風にゆらめかせていた。
「俺の好きな曲。聴く?」
リツキは、おもむろにスマートフォンを開き、イヤホンの片耳を渡してくる。
今すぐそう 今すぐそう
舞台に立って 笑って泣いて
踊っていいよ 踊っていいよ
止まることなど出来ないわ
…流れてきたのはwowakaさんの声。
この曲は、
「トーキーダンス…」
「せや。なんや知ってたか〜
めちゃめちゃ好きやけん、
トーキーダンス。
俺が好きなんはよ、
『好きも嫌いも認めるよ』
って歌詞。」
サビに繋がる歌詞。
『好きも嫌いも認めるよ』
リツキが、この歌詞を好きな真髄を知りたい。
単に好きというだけでも良い。
深い意味があっても良い。
とにかくそんな話をずっとしていたい。
そんな事を思いながら聴き続ける。
リツキは今、何を考えているのだろう。
思考を巡らせて、思いを馳せる中、
wowakaさんはずっと、歌い続けていた。
___________
22' 高校二年生 春と夏の狭間
桜が足元を染め、新緑の淡い光が
人間を包む。
私達は2年生になった。
進級しても、みんな同じクラスで、
本当に安堵した。
「またお前らと一緒やけー!」
進級した新たな名簿をリツキと春樹が見る前に、
私は大声で向かってくる2人へと告げた。
「また一年、よろしくなー!!」
大きく、手を振った。
___________
「フユノさん、今日空いてるでしょ、
遊ぼうよ。」
春樹は私にそう声を掛けた。
少し驚く。今までは、
どこに行くにも3人が多かったから。
「ええけど、…リツキは?」
「ええ、ええ、
俺はええから、遊んでこい。」
リツキは手をひらひらさせて、
どこかへと歩いていった。
___________
「はじめて2人で遊ぶなぁ。」
私の胸は、少し高鳴る。
「うん、実はね、
フユノさんと僕と、2人だけで、
どこかへ行ってみたかったんだ。」
春樹からの言葉に、私はたじろいだ。
「…えっ?そうやったの?」
「うん。フユノさんの話、
いっぱい聞きたいなぁって思ってたよ。」
「…春樹…。」
何かが、動き出したような気がした。
「僕は昔関東の方に住んでて、
小学生の時にこっちに来たんだ。
今となれば、この片田舎が
本当に肌に合ってるように思うよ。
リツキとフユノが
訛りのある喋り方をしていると、
少し羨ましいけどね。」
「そっか〜」
羨ましい…かぁ。
「あのさ、僕の家の近くに、
星がよく見えるところがあるんだけどさ、
着いてきてくれる?」
___________
春樹は夜空に指差した。
「あれがおとめ座。」
9月産まれの私は、おとめ座である。
「実際は春の星座なんだよ。」と、
春樹は私に教えてくれた。
「あのさフユノさん、」
春樹は、私を見つめる。
心臓が、わからない。
高く脈打つものの正体は、なんなのか。
「春とはいえ夜は寒いね…!
そろそろ帰…」
「好きだよ。フユノさん。」
突然の事に、動揺を隠せなかった。
「え…っ
いや、あの、冗談は、」
「本当だよ。」
春樹は、立ち上がった私の手を取った。
「本当だよ。」
私はきっと、
赤面どころではなかっただろう。
「えっと…私も好きやってん、
春樹の事。」
___________
「んで、カップル成立って訳か」
「…せや。」
リツキと2人。
購買で買ったパンやらを持って、
普段は上がってはいけないR階へとゆく。
「ええんとちゃうか、
おめでとさん。」
リツキはコーヒー牛乳を飲んでいる。
コンポタ…
…!
「しきりに春樹の話してたんって
そういう事やったん…!」
「覚えとらんなぁ。」
リツキはやけに、怠そうに話す。
「なんや冷たいな。どないかしたん?」
「さぁな。」
なんだか嫌な空気が背を伝う。
「べ、別にさ春樹と恋人なったから言うて、
これからもいつも通りでさ、」
リツキは私を睨む。
「お前はよ、
春樹が他の女と
メシ食ってて嫌ちゃうんけ。」
私は言葉を遮られ、狼狽えてしまった。
「…い、…いや、かもなぁ。」
「お前は今それをしてんねやぞ。」
「で、でもリツキやけ、春樹も許して…」
「俺が春樹なら嫌じゃ。」
「今日はwowakaさんの話を」
「俺、帰るわ。」
「待ってやリツキ!!」
リツキは、階段を降りていってしまった。
___________
高校2年生の中期。
彼氏となった春樹とは、
ずっと電話するのが楽しい。
それに、色んなところにいったり、
お揃いのキーホルダーを買ったり、
デートに行ったり。
いかにも『らしい』ことをしたり。
幸せの最中の私であったが、
そんな中でも、消えない疑問をぶつけた。
「私がリツキと一緒におったら、
春樹は嫌なん?」
「ん?別にリツキと居てもいいよ〜?」
電話越しの春樹の声。優しい声。
「やんね!だって友達やし、大事やし!」
少し、私は安堵していた。
「でもさ、その『大事』と
僕に向ける『大事』のベクトルは
違うでしょ?
リツキは、それをフユノに
教えたいんじゃないかな。」
はっとした。
その通りだと思ったからだ。
「そっか…
あのさ!春樹。
私とリツキがお昼2人で食べてたら
嫌なん?」
恐る恐る聞いたが、即答された。
「それはすごく嫌だよ。」
___________
22' 肌に刺す寒さが街をすり抜ける。
春樹との思い出はみるみる増え、
思い出の品は綺麗に保管して、
もらった指輪はいつも付けていた。
相変わらず体調は凄まじく悪いが、
春樹の応援とアドバイスで、
気持ちまで落ち込む日は、
少なくなっていった。
だが。
春樹との時間を大切にする中で、
リツキとの時間は
次第に少なくなっていくのは確かで、
そして、仕方のないことではあった。
1番大切にしたい人が出来たからだ。
"リツキは今、どう思っているのだろうか。"
リツキに、電話をかける。
「すまん、寝てたわ。」
リツキの声がした。
「ごめんな。」
「どうした。喧嘩でもしたか。
仲裁ならするぞ。」
少し私は笑ってしまった。
「しとらんよ。」
息を整え、伝える。
「あのさ、私は、リツキも大切やけん。」
「おう。さんきゅー。」
「リツキ、私の事、嫌いなった?」
「いいや?いつ誰がいいよってん。」
「いや、自分の中で杞憂しただけやけ、
気にせんで。」
「おうよ。」
「リツキさ、
『男女の友情』って、あると思う?」
あるならば、私達は友情で結ばれた関係値。
ないならば、私達は、一体なんなのだ。
「あるんとちゃう。」
リツキのふんわりした回答。
「ほんまにあるって言える?」
「んー、じゃあ、ないんとちゃう。
おやすみ。」
電話は切られた。
そのままベッドに投げた。
枕に向かって叫ぶ。
「なんやねん、こいつーッ!」
___________
23' 桜が咲く頃。
「春樹。」
「フユノ。」
手を繋ぐ。結ぶ。ハグする。
そんな、『らしい』こと。
春樹と、なんどもなんども、
思い出を創って創って。
私の中で、リツキとの『あの頃』が、
過去の思い出になって消えてしまっていた。
___________
「なかなか治りませんね、
安全を考慮して、検査を中止します。」
まさかの定期検査にまでドクターストップが掛かるほど自分の病気、起立性調節障害は
悪化に拍車に掛かり、
『重度認定』とされてしまった。
私は、このままでは学生LIFEすら
ままならない、
なんなら一般社会にも適さないとし、
病気適用の残留制度を使い、
「19歳の高校三年生」
として、高3生を二巡することとした。
これから独りぼっちになる、選択を採った。
___________
23' 梅雨
雨がずっと降っていた。
リツキが、学校から帰ろうとしていた。
「リツキ!!!!」
大声で叫ぶ。
必死に呼び止めた。
___________
傘が邪魔だなとか思いつつ、
2人で帰り道を歩いた。
「私さ、
検査中にドクターストップかかりよんよ、
だからな、私、高校19なってもおんねん。」
「そんなことあんのんけ」
リツキが笑っている。なんだか懐かしい。
「昔聞いたけどさ、
なんでフユノって呼んでくれんのよ。」
リツキは遠くを眺めていた。
「お前のこと、フユノって呼んだら、
お前が特別な存在になってまうやろ、
俺はそれが嫌やったんじゃけえ。」
胸が締め付けられる。
「私はリツキにとって、特別ちゃうん?
私はリツキが特別やと思ってずっと…」
「男と女の特別言うんは、
お前と春樹みたいな事言うんや。」
リツキの声は低く冷たかった。
続けてリツキは呟いた。
「俺らはちゃうやろ、良い加減気づかんか。」
「でも、私はリツキが!」
「またな、芹沢。」
雨の中、リツキは雑踏に消えていった。
___________
『だいきらいさ、だいきらいさ』
『こじらせたあたしの
劣等、劣等、劣等症!』
『アンチテーゼ・ジャンクガール』
wowakaさんは歌う、歌う。
男と女である自分の関係値のラインが
分からずにこじらせている私は、
ジャンクガールなのだろうか。
いざ自分に置き換えれば嫌なくせに、
女性不信が尽きないが故にリツキに縋って、
春樹を不安にさせて。
この世を恨んでいた頃もあった。
今は自分をひたすらに恨んでいる。
春樹という自分の「特別」に
他の人間が寄り集っていたら嫌だろうが。
だけれど、
リツキは、あの時、
理不尽に引っ叩かれた私を助けてくれて、
地獄を見た中学の頃を救ってくれた
wowakaさんについて語り合って、
音楽を分かち合って、
笑い合って、貶しあって、
貶し合いさえ面白くて、
今は、 笑い合うのさえ虚しい。
簡単に、離れたくない。
どうしても、大切な人なのに。
…だからこそ、離れたくないけど、
もう長々と2人で話すのは、
御法度になった関係性となってしまった。
「だいきらいさ、」
だいきらいさ。
高温多湿な部屋の隅で、呟くように歌った。
世を恨んだアンチテーゼ・ジャンクガール。
自分を恨んだ病人女子高生。
待て、アンチテーゼ・ジャンクガールは、
自らを本当に恨んでいなかったのだろうか。
久々に地獄の底に居る実感がする。
少し、嫌な悪寒がした。
まさかな、とは思った。でも、
あぁ、
「だいきらいでしょうがないな」
___________
23' 真夏。
今日は、春樹と海へ行く。
制服と肌の隙間を縫って潜るそよ風は、
この8月の暑さをも
刹那の間、忘れさせてくれる。
「春樹ー。」
「んー?」
「私のこと、好き?」
小っ恥ずかしいがどうしても聞きたかった。
「大好きだよ。」
二人乗りした自転車、春樹の小柄な背中に
優しく抱きついた。
堤防沿いに、二輪を走らせる。
テトラポッドに、誰かの影。
その瞬間は、止まっていただろう。
「芹沢ぁぁぁ!!」
___________
テトラポッドの影は、
やがて大きくなり私のもとへ降り立つ。
「リツキ…!」
両者、声を張らないと
何を言っているのか伝わらないだろう。
10mほどの距離。
目が潤む。泣きたくない。
見下ろすリツキ、見上げる私。
リツキに突き刺す後光が
あのときの悪寒を、
嫌なthinkを、加速させていく。
「なぁ芹沢!
俺が死んだら、お前は、
ロウみたいになった頬、
撫でてくれるんけ?」
リツキから発された言葉は、
ただつらく、深く、青かった。
もう何となく、分かってしまった。
「おうよ!!!!」
必死に泣くのを止めようとした声で叫ぶ。
「お前はよ!俺の特別じゃ!
大事じゃ、大好きじゃ!!」
泣くなよ。泣くな。泣くんじゃない。
「私もや!!」
「だから、
死ぬなよ!!
生きて、生きて、
誰も居らん明日を行け!!
誰も居らん道を行け!!!」
wowakaさんのバンド、
「フユノ」をリリースしている
「ヒトリエ」の歌、
「ポラリス」の歌詞。
誰も居ない明日へ行け
誰も居ない道へ行ける
『あなたはとても強いから』
叫ぶ。
「私にできることは、
もう、ほんまになんもないんけ?
何でもする!私にできることなら!
だからさ…!」
春樹は少し自転車を漕いだ。
「ない」
「ならせめて、もう一回…」
もう一回。
私は…今日も…
転がりますと…
少女は言う、少女は言う、
言葉に笑みを重ねながら……。
「ローリンガールか。懐かしいな。」
リツキが笑いながら下を向いてつぶやくのが
はっきりと聞こえた。
リツキは春樹へと告げる。
「春樹、芹沢のこと、
幸せにしてやれよ!!!」
「当たり前だよ。」
涙を含む声を発した。
春樹は前方だけを見ていた。
「リツキ!!わたしは…」
叫ぶ。叫ぶ。声を枯らし、息を継ぎ。
「死にたいなんて言うなよ!!
生きろよ!!!」
泣いてしまうよ。
リツキの最後の姿が見えなくなるまで、
春樹にもたれながら折れるほど手を振った。
___________
23' 真冬。
嫌な予感というものは、
的中してしまうものだ。
冷たく、まさにロウだった。
リツキは、息を引き取った。
泣き崩れた。
春樹には少し会わない期間を設けた。
春樹は私の精神を心配し嫌がってくれたが、
私自身の核の部分が、それを拒んだ。
リツキは、私たちに黙っていた。
「同じ病を抱える人間が集う高校へ、
仕方なく、仕方なく、行くことになった。」
と言ったが、
リツキは起立性調節障害に加え、
別の病気も抱えていたのだ。
それは、
「死に至る病」であった。
私は、薄々感じ取ってしまっていた。
春樹も、かもしれない。
リツキは「あえて」
ゆっくりと春樹と私から距離を取り、
フェードアウトしようとしたのだ。
私は、それを止めていた…
止めたかった。
止められていたならば。
何としても、止められていたなら。
なにもかも、やめられていたならば。
___________
生きていないんだな。
この身体は。
ロウか…。
火をつけたら、
リツキは起きてくれるだろうか。
罵詈雑言を吐けば、
飛び起きてくれるだろうか。
褒めちぎったら、
やめろと言って笑ってくれるだろうか。
私が死んだら、会えるのだろうか。
「死ぬなよ!!!」
あの夏の太陽に照らされた、
あの声が谺する。
「お前が…死ぬなよ…」
泣き崩れる。
葬式の、棺の中の、美しい顔。
「リツキ…起きろよ。
燃やされてまうで。」
リツキは美しく眠っていた。
春樹と久々に対峙する。
黒を纏う、私と春樹であった。
「大丈夫?」
「私は、大丈夫やけん。」
泣き腫らした瞳を潤わせた。
春樹は、私を抱きしめる。
「生きてて、欲しかったなぁ。」
「生きてて…欲しかった…!」
鬱陶しくなるほど綺麗な白。
装束も然り、肌も雪のような白だった。
「春樹、後向いといてくれる?」
私は、春樹へと目を合わせた。
「分かったよ。」
___________
時が止まっているようだった。
周りと一緒に、リツキも止まっていた。
涙を拭い、頬を撫で、
優しく口付けをした。
「いかないで」
『フユノ』の歌詞を口ずさんだ。
ただ、それだけだ。
深い意味はない。ただ、歌っただけだ。
___________
冬の青空に一筋、煙が上がる。
ずっと、手を合わせていた。
震わせながら。
「芹沢 フユノさん。」
優しく重厚な声が、後方からした。
「はい。」
振り向いた私だったが、
今は
それはそれは醜い顔をしているだろうなぁ。
初めて会う人にも、
碌に顔向け出来ないなんてな。
「たくさん泣いてくれてありがとう。」
「あなたは…?」
「リツキの母です。」
「お母様…でしたか。」
「これが、
病室の、枕の下から見つかったの。」
遺書、と書かれていた。
「頂戴して、よろしいのでしょうか。」
「あなた宛てのものだから、
リツキが遺した言葉、
受け取ってあげてほしいの。」
___________
「フユノへ。」
フユノ…か。
「フユノへ。
俺はよ、何のために産まれてきたんか、
最後までよう分からなんだ。
でもよ、
春樹に出逢えて、
そんで、芹沢に出逢えて、
ほんまに良かった思っとる。
多分俺はもうすぐ終わる。
というか、今読んでんよな、芹沢は。
じゃあ俺はもう居らんな。
俺は、お前のことが、好きやったんやけ、
最期になっても、俺は伝えることを拒んだ。
今はもう、好きじゃなくなったからよ、
言う意味が、無くなったんや。
ピアノについて、wowakaさんについて
目を輝かせて語るお前が、
大好きやったんや。
春樹に、ちゃんと守ってもらえよ。
時にはぶつかっても、大喧嘩はすんなよ。
何があっても、大事にしてもらえ。
お前は、傷付いたらあかんのや。
フユノよりひと足先に、
wowakaさんに、逢うてくるな。
『フユノ』って奴が現世に居るんですよ。
ほんとにwowakaさんのバンド、
ヒトリエの『フユノ』にでてくる、
『わたし』みたいな奴でね、
どこかね、孤独なんすよ。いつも。
俺らが居るのに。
本当に孤独にならないように、
守ってやらんといけん位、
本当に、大事な奴なんですわ、って伝えて、
ツーショット撮ってもらいに行ってくる。
行ってくるって言っても、
二度と、帰られんけどな。
最後に。
初めての呼吸をいつだって探してんだろう
気づいてもいないうち
世界を旅して回る君に出会うでしょう
憂鬱な感情の雨に
押し流されそうになるまで
口をキュッと結んで
こらえ続けるあなたを見てきたよ
その雨に流した涙も、
未だ枯れぬ美しい弱さも、
一つ残らず連れていこうか
この声
何処までも行け
第六感の向こう側で光る感情に触れて
手を離せはしないのだから
君の泣き声が、僕の心臓を動かしているの
もう止めることなど出来やしないよ
愛を込めて。
生きろよ。死ぬな。
俺がついてる。
リツキ。」
新たな、『生命』が誕生し、
この世をもがき、生きる歌。
『リトルクライベイビー』の歌詞だ。
死者からの、生命の歌の手紙に、
私は声をあげて泣いた。
ずっとリツキの母が、
私の肩を撫でてくれていた。
___________
24' 春手前の、吹雪の日。
私は、ただ唯一
ピアノと向き合う時だけが
正気を保っていられた。
指の腹の先から打鍵すると弓に繋がり、
幾星霜と繰り返すような絡繰の先に、
F♯の音が鳴る。
これが、秒の世界よりも先にあるのだ。
先人が考えた音楽の真髄。
5本の指ともう5本の指を駆使し、
私は色んな曲を奏でた。
何にもとらわれない私だけの音楽。
その時だけは、なんだか
普通の人間のような気がしていた。
病人でもなんでもない、
ただのどこにでもいる人間だと。
エアコンをつけた密室。
東の方角から、エアコンの温風。
「芹沢。」
呼ばれた気がして、西の方角を見た。
西に急ぐ、とは
死に向かうという意味がある。
西から、線香の匂いがして、
冷たい空気が、体を纏った。
「遊びに来てくれたんか?」
「おう。」
___________
天才が居ない世界で、
クソみたいな大人共は
人生の先輩ヅラして
病人の見るレンズに居座り続けやがる。
ただ弾き続けた。打鍵し続けた。
wowakaさんの歌を、聴いた通りに。
何度も泣きじゃくった。
逢ったこともないくせに。
この世の不条理に、理不尽な命の尊さに。
楽譜なんてものは持ってはいない。
そんなことどうでも良いくらい、
ではどうやって弾いたのかと
そんな事をわざわざ聞くやつを
跳ね除けるくらいのユリーカ。
指が赤くなる程、
手首の関節が擦れる音がする程、
ただただ打鍵したのは、
『アンノウン・マザーグース』
ねえ、あいをさけぶのなら
あたしはここにいるよ
ことばがありあまれどなお、
このゆめはつづいてく
あたしがあいをかたるのなら
そのすべてはこのうただ
だれもしらないこのものがたり
またくちずさんでしまったみたいだ
「ありがとう。またな。」
第六感の向こう側で目の前が輝いてみえた。
声がしたんだ、したんだよ。
リツキは、去った。
私のもとへ降り立ち、私の元を去った。
___________
37' 夏が終わる少し前。
今日は、出産予定日。
春樹との、第一子だ。
「大丈夫だよ。」
春樹は、温かな声を掛けてくれた。
___________
元気な男の子ですよ、と助産師さん。
産声があがる。
その命は、必死に生きていた。
私も、必死に生きてきた。
あぁ、リトルクライベイビーだな。
この子も、必死に生きて、
もがいて、泣くんだろう。
泣き崩れて、つらくて、
なにもかもに絶望するんだろう。
でも、それ以上に、希望を抱いて、
この世を歩いてゆくのだろう。
君は1人じゃないよ、
私達が、導くからね。
春樹と、目を合わせ微笑んだ。
赤子は私の指を、
5本の指でしっかりと握った。
___________
42' 夕暮れ。
「この人は、しらないなまえだね。」
墓石を指差す息子を抱え上げる。
「この人はな、
私とパパのお友達やけん。」
「なんでいなくなっちゃったの?」
「実は、ママもな、知らんねん。」
墓石を眺める。
「この人、ママとパパが
だいすきだったんだねぇ。」
息子のいたいけな言葉に、
涙が頬を伝った。
「そうだよ。」
春樹は、息子に、笑いかけた。
「大っきなったのう。」
声が聞こえた気がした。
沈む太陽の方へ振り向いた。
「ママ、どうしたの?」
「ううん、気のせいやよ〜」
私は、手を合わせ、花を手向けた。
「またな芹沢。」
「またな、元気でな。」
終
___________
引用:
ワールズエンド・ダンスホール
アンノウン・マザーグース
裏表ラバーズ
ローリンガール
(wowakaより)
トーキーダンス
アンチテーゼ・ジャンクガール
ポラリス
リトルクライベイビー
フユノ
(ヒトリエより)
WEST未定人生物語 冴島。 @saejima
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