高原あと二分

帆多 丁

高原あと二分

 高原が初めて女子に好きだと言ったのは小学校三年生のときで、ちょうどそのころクラスは「誰が誰を好きか」「お前の好きな女子は、男子は」といった話題の出始めでもあった。よって高原も子供ながらに、誰が好きなのだろうと考えた。

 それで、一番近くにいた、つまり席が隣だった女子をしばらく見ていたらどうもドキドキするような心持ちがしたので「僕は河西さんが好き」と無邪気に言ってのけたのだった。


 二時間目と三時間目の間、二十分の中休みでのことだった。


 当の河西さんは顔を真っ赤にして悲鳴をあげ、男子たちはおおむね大騒ぎして「ほんとかよー」「お前何言ってんだよー」「河西のどの辺が好きなんだよー」と質問攻め遊びを開始し、高原は大いに承認欲求を満たした。

 その日の帰り、河西さんは高原なんか大っ嫌いである旨を今井さん、井上さん、坂本さんの女子三名からトゲトゲしく告げられたものの、高原の関心は帰って64ロクヨンでカービィの続きをやることに向けられていた。河西さんとは席が隣であるだけで、普段から会話があるわけではなく、本当に嫌われていようがそうでなかろうが、高原の学校生活には特に変化はなかった。

 少年がこの件で学習したのは「好きな人を話題にすると場が盛り上がる」という一点のみであり、だいたい一年に一度、ないしは二度、似たような事を繰り返した。

 男子コミュニティーに話題を提供でき、喜ばれる。居場所ができる。高原は女子にほのかな恋情を覚えるたびに、この快感を思い出さずにいられなかった。 

 五年生となり、高原は自己内省を覚えた。その結果、隣の席の女子を好きになる傾向を自覚した。同時に、友人杉内による「毎年コクるマン」というキャラ付けによって告白のショー化は加速し、席替えのたびに似たような事を繰り返した。

 結果、告白のための告白はネタとして消費し尽くされ、女子からは反感を買い、自らの恋心も陳腐化し、高原は消えていったテレビの一発屋に思いを馳せながら小学校を卒業した。


 地元の公立校に進学した初日、小学校からの友人たる杉内から今年は誰にコクるのかとからかわれ、その話題に興味を持ったクラスメートらの注目もあって「毎年コクるマン」継続かとなったが、高原は言葉をにごし、そのままハンドボール部と言う居場所を得たため事態は回避された。

 ところで中学の席順は、小学時代と異なり、男女を市松模様のように配置する形であったの。これにより高原は自らの新たな側面を知る。

 前の席の女子が気になるのだ。

 しかし隣の女子にもあいかわらずドキドキする。

 後ろはどうかと思ってしばらく振り向いてみたが、ドキドキするかも、というあたりで差し込まれた「は? なに?」という漆原さんの刺すような問いかけをもって試みは終了した。

 高原は結論づける。自分はどうやら、近くにいて視界に入る女子を好きになるようだ。同時に、それってもう限りなく誰でもいいやってことじゃないかと思ったが、プリントの受け渡しで振り返る南さんに、長谷川さんに、鴨田さんにドキドキする気持ちの、右隣あるいは左隣でスカートを捌いて席に着く佐川さんに、江原さんに、工藤さんにドギマギする気持ちの、そのどれもが嘘ではないと思いたかった。

 席替えのたびに恋めいたものが終わって始まって、そのうち進級して二学期も終わりにさしかかった頃。

 二年生の冬休みを迎える直前、部活帰りの昇降口で鴨田さんと居合わせた。

 ふたことみこと言葉をかわしながらなんとなく正門を出たところで、「どうぶつの森」が欲しいのだと鴨田さんは言った。

 つい先月に発売されたばかりのスローライフがどうとかいうソフトで、高原もCMを見たことがあった。

 クリスマスも近いので、買ってもらえたりはしないのかと問うてみたら「サンタさんは中学生には来ないよ」とクスクス笑われたため、高原は話題を変えようと二駅離れたショッピングモールの事を話した。

 そのモールでは毎年、クリスマス特設ステージを設営する。そのステージを見に行きたいのだと打ち明けた。

 この時点で、特設ステージの出演者が誰なのかを高原は知らない。なんとなくクリスマスっぽいイベントであることだけを知っており、そういうところに行ってみたいという漫然とした憧れを口にしたに過ぎなかった。鴨田さんの反応がどうなるのか、何ひとつ予想していなかったし、想像もしていなかった。


「いいよね。わたしも好き」


 と鴨田さんは言った。たとえばリンゴが好き、犬が好き、花火が好きというのと何ら変わりのない調子であったかもしれない。しかし、高原は稲妻に打たれた。のちに「稲妻に打たれたような」と目にするたび、高原はこの日を思い出す。稲妻に打たれた高原は、自分でも信じられないような事を口走った。

 すなわち「一緒に行かない?」

 言ってしまってから高原は怖れた。それは例えば河西さんの悲鳴であり、「毎年コクるマン」に向けられた冷ややかな女子の視線であった。

「あーーーーっ!」

 鴨田さんは叫んだ。高原は怯んだ。

「信号が変わっちゃう、渡らなきゃ! わたしこっちだから! じゃあね!」

 鴨田さんの家は少なくともそっちではないはずと高原は思った。だが、走っていく後ろ姿へツッコむこともできずに取り残された。

 十二月の暗い道を帰り、家のテレビから「真っ青な空の下には、どうぶつの森があります」などと聞こえてきて「ああ」と思ったり、CMの女優が鴨田さんにちょっと似てるなと思ったりしつつ、どこかどんよりした気分で夕食をとった。


 翌日。

 高原が登校してクラスに入ったときには、鴨田さんは前の席で置物のように佇んでおり、高原は所在なく席についた。昨日のことには触れない方が親切なのだろうと自嘲気味に思い、それでしっかり傷つくなどした。

 鴨田さんの細い肩は強張っているように思え、昨日の言動がそんなに嫌だったのだかと半ば憤りながら教科書を机の中にしまった時、見慣れないパステルイエローの紙片が入っているのに気が付いた。

 手紙だ、と思わず声に出て、鴨田さんの肩が縮こまるのが視界に入った。

 折り紙のように丁寧にたたまれた紙片には〝こっそり読んで〟とあった。


 高原は「こっそり」するためには「しずかに」すればいいのだと思っていたので、指示通りに、なるべく音をたてないように紙片を開いた。

 手紙にはこうあった。


 昨日はごめんね。わたしも行きたい。

 かもた


 高原は反射的に紙を裏返した。これは見られてはいけないものだ、と高原は感じた。もし見られてしまったら「毎年コクるマン」ショーが再び幕を開けてしまうような気がした。あの一連の、結末ありきの陳腐なワイドショーごっこの中心に鴨田さんが巻き込まれた所を想像して、高原はどっぷりと自己嫌悪に陥った。

 ともかく、この手紙は見られてはならず、失くしてはならない。裏返した紙を元通りに畳もうと考えたが、折り目から判別するのが難しかったため、なるべく丁寧に四つ折りにしてブレザーの胸ポケットにしまった。

 隣席の工藤さんや後席の漆原さん、他男子数名にこの様子は目撃されていたが、高原はそれどころではなかった。

 どのように何を返事すればよいのか。

 家のパソコンのヤフーで調べればいいのか。

 それでは明日になってしまうが、そんなに待たせていいのか。


 二時間目の終わりまで高原は悩み、ふと思った。

 そもそも、自分なんかで本当にいいのか?

 中学での高原は特段嫌われている訳ではなかったし、部活もそこそこ真面目にやっていて、時々は活躍の場があった。しかしクラスの中での立ち位置を俯瞰して考えて、自分がそういう「モテ」のポジションにいる自信はなかった。

 クリスマスに女子と二人で出かけるというのは、そういう男子がやることで、自分にそれは、あり得るのだろうか。

 との疑念が頭をもたげた。

 隣の席や前の席の女子にもれなくドキドキする自分が、自分なんかが勢いと思いつきで口にした、中身があるんだかないんだかわからないような「一緒に行かない?」がこんなふうにうまく行くストーリーなんて、読んだ事もプレイした事もないのに。

 これはきっと、なにか裏があるのだ。そうでなければおかしい。小学校で自分がやっていたような、自家製ワイドショーみたいなやつの女子版で――と、高原は再び胸ポケットの手紙を取り出した。

 こっそりと開いた手紙の、丸みを帯びたネオンピンクの文字に高原は打ちのめされた。


 そんなことがあるものか。


 たった二言と「かもた」というシンプルな内容に指が震え、高原は産まれて初めて恥じた。恥ずべき考えを持ったと打ちひしがれた。鴨田さんは、一晩考えて、ちゃんと返事をくれたのではないか。自分なんかの思いつきに、ちゃんと向き合ってくれたじゃないか。

 それに対して、今のはなんだ。なんて残念な考えだ。切腹するほど残念だ。

 ちゃんと返事をしよう。

 ちゃんと返事をしたい。

 考えるから明日まで待ってと伝えよう。できれば、手紙じゃなくて、今日も一緒に帰りたい。この授業が終わったら声をかけよう。声をかける。どうしたら周りに怪しまれずに話しかけられるだろうか。いや、そんなものはいまさらだ。

 手紙を丁寧に、こっそり折って胸にしまう。

 高原の首の後ろからざわざわと、肌が静電気を帯びたように粟立つ。

 時計を見る。長針がと音をたてて進む。


 チャイムが鳴るまで、あと二分。

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