File3_きいて
7月23日。日曜日。15時7分。
「あなたー、ただいまー」
ドアの開閉音がして、ばたばたと足音が近づいてくる。
足音が止むと空を切る音。結構な勢いで持ち上げられたらしい。
「えへへ。見て見て」
何を見せたいのかは分からないが、声を聞くだけで楽し気なことは伝わってくる。
「ふふ。分かる? 髪切ってきたの!! どう? 似合う?」
うきうきと返答を求めてくるが、当然のことながらそれに応える声は無い。それを分かっているのか、たとえ相手がいたとしても返事ができないくらい短い間をおいて口を開く。
「似合ってる。首筋がなまめかしくてドキドキした」
ペット撫でまわしてからアテレコするような声で勝手にこちらの返事を偽造する。
「もう! あなたったらエッチなんだから!!」
全く責めていないかのような口調で批難してくる。
「でも良かった。気に入ってくれたってことだよね。思い切ってバッサリ切った甲斐があったよ」
一転して噛みしめるような口調。きゅっと優しく抱き寄せられる。
「これまで肩甲骨くらいまであったでしょ。だから、すごく勇気が必要だったよ」
「けど、あなたとの時間を大事にしたかったから決心したんだ。首がスース―して変なかんじだけど、重りが取れたようなかんじがしてなんだかいい気分。……うん。あなたがいなかったら、こんな思い切ったこと出来なかったよ。ありがとね」
ぼふっと顔をうずめるような音がして、綿の間を通り抜ける重い呼吸音。
「ふぅ。帰ってきてあなたとお話ししてたらなんだか気が抜けちゃった。服がしわになっちゃうけど、ちょっと休憩」
ぼふっという腰を下ろす音の後にベッドのきしむ音。
「あー。横になったら一気に疲れたー。なんだかんだ気を張ってたんだねー」
「ここまで髪を短くしたのって何年ぶりかな。高校の頃以来だっけ。……うーん。もう思い出せないや。けど、すっごく久しぶりだから、街を歩いててドキドキしちゃった」
ささやくような穏やかな声。
「私、変じゃないかなって。近くを歩いてる人が似合ってないって思ってるんじゃないかって疑心暗鬼になっちゃった。……考えすぎだよね。えへへ」
自嘲するように笑う。
「けど、風が首に当たってゾクッてなって、そっちに神経を奪われて、そんな考え吹き飛んじゃった」
「いったんなくなったら、そんなことで悩んでたのが馬鹿らしくなっちゃったよ。えへへ」
恥ずかし気に笑うと、衣擦れの音とベッドのきしむ音。恥ずかしくなって身じろぎしたらしい。
「でも、髪切ってみて分かったけど、髪ってすごいんだねー」
誰に言うでも無いようなぼんやりとした声。
「お日様の光がダイレクトに当たって、すごく熱かったよ」
ぎゅっと軽く抱き寄せる音。思い出しているのか、無意識に力が入ってしまったらしい。
「これまで全然意識してなかったけど、髪の毛がカーテンみたいになってくれてたんだね。今は夏で暑いけど、冬になったら凍えちゃいそうだよ」
想像したのか情けない声をあげる。今度は少し力をこめて抱き寄せられる音。
「あっ、そうだ!」
いいことを思いついたとばかりに、突然大きな声をあげる。
「冬になったらあなたを首に巻いて出かければ良いんだよ。そしたら寒くないし、一緒に居られるから一石二鳥だね! えへへ」
嬉しそうな笑い。
「あっ、でも……」
そんな笑いがすぐに消えて、尻すぼみな声。
「あなたって結構大きいから、ちょっと変に思われちゃうかも。うーーん」
想像しているのか、唸り声を上げる。
「うん。やっぱり。最初は襟巻みたいになって可愛いかなって思ったけど、大きすぎるね。周りから見たらアルゼンチン・バックブリーカーかけてるみたいに見えちゃうよ。良いアイディアかと思ったけど、これじゃだめだね」
残念そうにつぶやく。
「あっ、違うんだよ」
ハッとして、焦って取り繕おうとする声。
「あなたが小さかったらよかったってことじゃないんだよ。むしろ、今くらいの方が私も抱いてて安心するっていうかなんていうか……」
弁明する様な声が尻すぼみになっていく。
「うん。やっぱりあなたはこうやって一緒にいるのが一番だね」
ギュッと力強く抱きしめられる。そのままゆっくりした呼吸が五回。
「……ふあーぁ」
気持ちよさそうなあくびの声。
「ぃへへ。こうやってお話ししてたら、なんだか眠くなってきちゃった。あなたといると、ついゆったりしちゃうね」
「うん。このままちょっとだけ寝ちゃおっかな。服、しわになっちゃうけど、いっか」
もぞもぞと体を動かす音。
「おやすみ、あなた」
きゅっと抱き寄せられて呼吸音が遠のく。その代わりにトクントクンと心臓の音が聞こえるようになる。
「……せんぱいも気に入ってくれるかな」
再生が終了する直前、かすかにそんな声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます