第4話:或いは虚空に夢を視る

 しかし、魔族の侵攻は止まらなかった。いくらアピスさんが素晴らしい歌唱で敵を倒しても、相手の数は圧倒的だ。もちろんこの町の冒険者も少しずつ集まっては来ているようだが、まだ押し返すには程遠い。さすがの彼女も疲労感が見えたが、もう一曲、とばかりにバンドメンバーに目配せをした、その時。


「――アピス、ライブ最高じゃん。私達も混ぜてよ」


「ねー。今の歌めっちゃよかった!」


 ステージに二人の人影。あれは――確か。


「シェオル、ミスティ、来てたの!?」


 驚いたような、アピスさんの声。彼女に声をかけたのは……あの時、魔物に襲われた私を助けてくれた、二人。銀髪と黒髪の、少女たち。


「あったりまえじゃん。さて、時間もないし、一曲いっときますか、ミスティ!」


「おっけーシェオル。ぶちかますよー! 『RISE』よろしく!」


 バンドメンバーは曲を知っているのか、タイトルを聞いただけで頷きあい、演奏が始まった。


 いきなり二人の歌唱からスタートする激しいロックナンバー。アピスさんの唄ったものより、さらに激しく、切り裂くような、歌声。そして――。


 サビに差し掛かると、彼女たちは跳んだ。いや――


 銀髪のシェオルさんは青い軌跡。黒髪のミスティさんは橙の軌跡。それぞれ夜空を切り裂きながら、曲名のとおり、空へと。その間も空中で歌い続けているのだろう、スピーカーからは世界を揺らすかのような声が響いていた。


 敵陣に突っ込むと二人は舞うように飛び回り、接近した魔導兵をすべて斬り裂いているようだ。その手に持つマイクからはそれぞれ青と橙の巨大な刃が生み出されている。


 曲の緩急に合わせるような飛翔。凄まじい迫力のロックナンバーが終わるころには、空を飛んでいた魔導兵の大半は地に落とされていた。


「……はは、すごすぎ……」


 思わず笑ってしまう。あれが、歌手?


「あの二人――Vespersっていうユニットなんだけど。彼女たちはね、歌唱で自身を強化するだけでなく、その魔力で空まで飛んじゃうんだ。そして、歌いながら相手を斬り裂く。私が知る、最強の歌手の一角だよ」


 いつの間にか、アピスさんが私の隣に来ていた。空を見上げながら、讃えるような笑みを浮かべている。


 彼女たちの歌が終わるころ、海岸に冒険者たちも集まってきていた。残った魔導兵を退治していく。――これで、ひと段落したかな。


 アピスさんはお客さんの誘導を手伝っている。Vesperの二人はまだ魔導兵の処理をしているようだ。さすがにもう歌は止めているが、飛びながらマイクで戦っているのが見える。……歌がなくても戦えるんだな……。


 私は、今日聞いた歌を反芻しながら、ステージ前でぼんやりと空を眺めていた。ステージに屋根はないから、星がきれいに見える。今、私の中に強くある思いは、素晴らしいものを見た感動や、襲われるかもしれなかった恐怖、そして――それらを上回る、歌唱欲求だった。


 ――歌いたい。


 あれだけ素晴らしいライブを聞いて。最高の歌手たちの歌を感じて。自分もそこに立ちたい、と思うのは自然なことだろう。


 もらった日から肌身離さず持っていた、マイクを右手に握ってみる。


 ――ああ、遠いなぁ。


 ここから見るステージは、それこそ地面と大空くらいの距離を感じた。これじゃ、まだ、ダメだ。もっと、もっと、うまく、強く、ならないと――。


 マイクを強く握りしめ、強く決意した、その時――。


「――え?」


 気づかなかったけど、私の近くに一人、お客さんが残っていた。銀髪赤目の、少年。……なんだろう。違和感がある。ライブのせいで過敏になっているのだろうか? いや、アレは、ここにいていい生き物じゃ、ないような……?


 手に持ったマイクの影響か、周囲の魔力の流れを強く感じるようになっていた。――だから、わかる。考えてみれば、魔族の侵攻だというのに、それはつまり――。


「……あれ? おっかしいな。普通だったら気づかれないはずなんだけど……君、何者?」


 張り付いたような笑み。その後、挑発するような表情を浮かべる。口元には、牙。


「……あなた、何」


「……僕はね、吸血鬼」


 ――吸血鬼。確か……魔族、だ。まずい。このままだと、ちらほら残っているお客さんやスタッフさんが危ない。大声を上げる? いや、下手に刺激してはまずそうだ。暴れられたら、周りに被害が及びかねない。冒険者の人や、アピスさんたちが、気づいてくれるかもしれない。ひとまず、時間を稼ぐ。


「あなたは、何のために、ここに?」


「魔導兵を囮に街中に紛れ込んで、色々とやらなくちゃいけないことがあってね。つまり……ここでバレると、まずいわけだ」


 気配が変わる。実力行使に出るつもりか。――なにか、私にできることは。


「荒事は目立つからね、暗示をかけさせてもらう。大丈夫、何も見なかったことになるだけだ」


 少年の赤い瞳が、輝く。見てはいけない、けど、目が離せない。――意識が遠のく。でも。


 音が、響いている。先ほど聞いた、アピスさんと、Vespersの二人の歌が、聞こえる。


 右手を強く握りしめた。――そこには、マイクがある。なら、私にできることは。


 もちろん、バンドの演奏はない。マイクの音を増幅する音響設備もない。――それでも、歌うしかない。


『――響け、星空の歌――』


 あの時、私を魔物から救ってくれた唄。


 突然歌い始めた私に、吸血鬼は戸惑っていた。ただの歌であれば、何も変わらない。もしかしたら私は殺されるかもしれない。周りにいる人たちも、無事では済まないかもしれない。でも、これは――希望の歌だ。だから、届く。


 私の声が、客席に響く。マイクを通さず、演奏もなく。それを聞いた吸血鬼は、少しの間動きを止める。でも、足りない。この程度の声量では、魔族を追い払うには至らない。――そのはずだったのに、マイクを通して放たれた魔力こえは、どういうわけか、音響機器に訴えたらしい。


『――もっと、大きな音が、必要だ』と。


 私の周囲にしか届かなかった声は、いつの間にか会場の音響機器と接続され、何倍にも増幅されていた。


 届いた歌は、演奏を導く。バンドが、曲名を認識し、音を出す。言葉はいらない。ただ音を、大きく響かせと。


「なんだ、なんだよ、なんだこれえええええー!!!」


 吸血鬼が、頭を押さえて苦しむ。希望に満ちたこの歌が、絶望を導く彼に苦しみを与えている。


『――希望の旗を、掲げたまま――生きてゆくよ』


 自然と、駆け出していた。演奏によって、音によって、歌によって、満たされた身体からだが、迷うことなく、マイクを持った右手を、突き出させた。


 人を殴ったことなどなかったけれど、我ながら会心といえるその拳は、吸血鬼の右頬に当たり、その体を思い切り吹き飛ばした。


 歌を聞き集まってきていた冒険者たちが、殴り飛ばされた吸血鬼を取り囲み、捕獲する。


 ――こうして、私の初めての実践は、まさかの右ストレートが決まり手となった。


◆◇◆◇◆◇


「大丈夫!? カネレちゃん!」


 駆けつけてきたアピスさんに両肩を揺さぶられた。おえ。


「だ、大丈夫です、ちょっと、ストップ」


「ああ、ごめんごめん。だってさ、さっきのアレ、魔族でしょ? よく無事だったね。ていうか歌……」


「あ……ごめんなさい勝手に歌って。あの、なんでか音響機器に繋がっちゃったみたいで」


「ああ、あれはたぶん、私が前にライブで使ってた設定が残ってたんだね。ここの機材使って歌ったことあったから」


「そういうことですか……でも、助かりました。あれがなかったら、たぶん逃げられてたか、殺されてた」


 生歌ではさすがに、魔族に対して影響を与えることは難しかっただろうから。


「そう。カネレちゃん、歌。……よかったよ。最高」


 ニコリと笑って、アピスさんは親指を立て、ほめてくれた。――ああ、嬉しいな。本当にとっさだったから、何も覚えてないけれど。


「アピス、何この子! すごいじゃん! てか、私たちの歌知ってくれててありがとー!」


「うたじょーずだったよ! いいね! ……あれ、シェオルこの子見たことない?」


 空からVespersの二人が降りてきた。おお、近い。さすがに緊張する。


「あの、前に魔物に襲われていた時に助けてもらって……ありがとうございます! あの時からずっと、私あなた達みたいな歌手になりたいなと思ってて――」


 私が力説すると、三人のシンガーはそれぞれ顔を見合わせて、笑った。


「あなたはもう、立派な歌手だよ。――私たちの世界へようこそ」


 その言葉は、涙が出るほど嬉しかった。


◆◇◆◇◆◇


 ――それから。


 私はアピスさんやVespersさんたちに歌や魔術を教わりながら、日々を過ごしている。小さな会場だが、今度は初めてのライブがある。


 目まぐるしい日々だけど、夢に向かって一つずつ進んでいる。


 魔物に襲われたときに聞いた曲は、ずっと心に響いている。


 あの時――虚空に視た夢は、今も変わらず、私の中に。

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或いは虚空に夢を視る 里予木一 @shitosama

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