第3話:涙することは疎か、息もできない

 翌日は、目まぐるしかった。起きてホテルの部屋で朝食を取り、身支度をする。少し蜂蜜入りの紅茶で落ち着いたら、もう昼前だ。少し街中を案内してもらいながら、スタッフの人と一緒に海岸に設置された会場へ向かった。


「これが……ステージ」


 海辺に建てられた大きなライブステージは、大きな船を連想させた。浜辺に立つと、大体胸のあたりにステージがある。大きなスピーカー。様々な機材。ここにあるのはすべて魔道具らしい。とんでもない金額になるから下手に触るなという注意を受け、私は砂浜に置かれた休憩用の椅子からステージを眺める。昼食はスタッフ用のお弁当で、パンにチーズやハムを挟んだものをいただいた。食べながら、客席を歩き回り、段取りを確認し、時に歌ったりするアピスさんを眺める。お客さんは、千人くらい来るらしい。正直、それだけの人が集まっている様子というのは見たことがないので、全く想像がつかなかった。


「すごいなぁ……」


 今までは、基本的に生歌しか聞いたことがなかった。だが、音楽に乗せ、マイクを通した彼女の歌は、びっくりするくらい美しく、力強い。その憧れに、胸が苦しくなる。――本当に、私もあそこに行けるのだろうか? あんなに、高く、遠いところに、いつかたどり着けるのだろうか。そんな不安が、よぎってしまった。思わず頬を叩く。――いけない、今は、勉強と、何より楽しむ時間だ。


 気が付けば、日が少しずつ落ち、開場の時間が近づいていた。野外のライブには基本的に決められた座席はないらしい。私はステージの周りを歩きながら、その大きさ、規模に圧倒されていた。リハーサルはひと段落したようで、今は最終確認の時間らしい。私に気づいたアピスさんがステージ上から駆け寄ってきた。


「カネレちゃん、大丈夫? 疲れてない?」


「全然、大丈夫です。色々興味深いなーと思ってみてました。村では見たことないような魔道具がたくさんあって……違う世界みたいです」


「あぁ、私にはよくわからないんだけど、この辺の魔導具って、普通の国の技術じゃまだ全然作れないんだって。コペルフェリアっていう最先端の魔導技術を持つ国が全面的にバックアップしてくれてるから、こういう施設があるらしいよ。スタッフの人も、そこの国の人が何人もいるんだってさ」


「そうなんですね……でも、納得です。私が知っている歌手とか、ライブのイメージとは全然違ったから。これは、言ってしまうと、未来の技術みたいなものなんですね」


「うん。そうだね。実際、こういう形でライブできるようになったのって本当にここ数年らしいから。Mシンガーも新しい職業だし。だからこそ、未来を担う若者には、近くで見てもらいたかったんだよね」


 ニコリ、と笑みを浮かべて、アピスは私に手を差し伸べた。


「え?」


「ちょっとさ、ステージからの景色、見てみなよ。残念ながらお客さんはいないけど……それでも、最高だから」


 アピスさんの、柔らかな手を握り、私はステージの上に立った。


「――すごい」


 背丈にも満たない高さを上っただけなのに、何もかも違う、と思った。遠くに見える、海へ向かっていく太陽。それを背景として、ライブを作り上げる人々が、その設備が、空気が、見える。ここがもしお客さんで埋め尽くされたとしたら――私がもしそこにいたら、意識を失ってしまうかもしれない。それくらい、刺激的で、非日常で、奇跡のような光景だった。


「私もさ、そんなに何回も経験したわけじゃないし、しかも野外なんて実は初めてなんだけどさ。なんか、泣きそうになっちゃうよね。まだお客さん入ってもいないのに」


「……そうですね……」


 ――そうか。この人は、これからここで、みんなの前で歌うんだ。いいなぁ。羨ましい。


「楽しみにしててよ」


「はい。楽しみます。それと――私も、いつかここに来ますね。必ず」


 肌身離さぬよう、鞄に入れてあるマイクを手に、もう一度、自分の力で。


「――うん、楽しみにしてる」


◆◇◆◇◆◇


 海へと向かう夕焼けを背に、アピスさんのライブは始まった。高揚した表情の観客たち、明るく照らされたステージ、曲を紡ぐバックバンド、そして、それらすべてを包み込むような、凄まじい歌声。


 決して激しい曲たちではない。どちらかといえば繊細な、心に優しく染みるような歌声だ。なのに――歌に触れた心が、震える。感情が、揺さぶられる。耳ではなく全身で聴いているような感覚。もちろん、技術的にも素晴らしい。ただそれ以上に、込められた想いが伝わってくる。開始早々に涙が出そうだった。これが――ライブ。これが、シンガー、なのだ。


 曲で揺さぶられた後、優しい口調でのMCが挟まれる。その落差にめまいを覚えながら、私はライブを心から楽しんでいた。――まだ、羨ましがる領域には行けていない。それより今はこの貴重な時間を、楽しもう。


 ――そう、思った時だった。


 後方、海のほうから、何か、気配が。


 振り返ると、空を、埋め尽くすような、何か、が。


「魔導兵だ……」


 隣にいた観客の、絶望的な声が響く。魔導兵。確か――魔族の、手下。


 このタイミングで、魔族の侵攻が、始まったのだ。


◆◇◆◇◆◇


 ――魔族。魔界に住む、異種族。人型のものが多く、知性もある。私たちの住む大陸を侵略しようと、攻めて来ている。少し前にはこのメルトで結構な戦争があったらしいが、ここしばらくは落ち着いていたらしい、のだけど。よりによって今……。私を含むお客さんもパニックになりかけている。そこへ。


「みんな、落ち着いて!」


 アピスさんが大きな声で呼びかけた。


「残念だけど、危険なのでみんな避難してください! スタッフが誘導するので、落ち着いて。警備の方もいるし、冒険者の人たちもすぐに駆け付けてくれるはずだから、大丈夫。とりあえず海岸を離れて、町のほうへ!」


 みんなが慌てつつも冷静に、動き出した。海の向こうから、羽の生えた化け物が無数に飛んでくる。思った以上に速く、あと数分もかからずこのステージに到着しそうだ。――これ、避難、間に合う……?


 そんな疑問を持った時、アピスさんが、バンドメンバーと何かを話し合っている。……すぐに避難をするのかと思っていたけど、彼女たちはまだステージにいた。


「――チケットなしでの入場は、ご遠慮いただいてるんだけどな」


 ぽつり、と呟いたアピスさんの表情は――不敵な笑みを浮かべていた。


「ライブの邪魔をしてくれちゃって。そんなに聴きたいなら仕方ない。存分に聞いていってよ。――お代は、あなた達の命かな」


 アピスさんは――いや、一人の、歌唱魔術士は、左手を大きく振り、魔導兵たちの方向を指した。


「さあ――第二部、開始だ!」


 流れ出すロックナンバー。響き渡る歌声。先ほど以上に感情の込められたその音が、お客さんのいなくなった――否、招かれざる客が押し寄せた、海に響き渡る。


 鳴り響く演奏が、叫ぶような歌が、新たな観客に文字通り襲い掛かる。そして――。


『――涙することは疎か、息もできない。』


 歌のサビ、おそらく曲のタイトルであろう鮮烈な言葉が紡がれると同時、無数の光線が、アピスさんの周囲から放たれた。


これが――Mシンガー。紡がれた声を魔術と化す、戦う歌手の本領なのだろう。


光線は飛来する魔導兵に突き刺さり、先頭にいた集団を撃墜した。


だが、その中でも無事だった一体がステージ上のアピスさんに襲い掛かる。それを避けるでも、怯えるでもなく、笑みさえ浮かべて彼女は唄い続けた。彼女の目の前で、魔導兵が爆散し、頬を浅く傷つける。――こんなもの、演奏には何の影響もないというように、彼女は指で流れた血をぬぐった。


 曲が終わり、私も含めた避難中の観客たちは、呆然とステージを見つめていた。全身が泡立っている。すごい。――なんて、美しい戦いライブだろう。不謹慎かもしれないが、この曲を今聞けたことに、私は深く感謝をした。

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