サクラチル。

あい

あなたに微笑む

 部活からの帰り道。この道を君と一緒に歩くのは、今日で最後になる。君の歩幅に合わせて歩きながら、最後の時間になることを寂しく感じる。君はいつも通りに笑って、木々の枝や花の隙間から見える青空の光に手をかざし、目を輝かせながら俺に話しかける。その微笑みは満開の桜に良く似合う。君の見せる横顔がいつも眩しかった。

「あ〜、今日で部活も終わりか〜!中学校なんてあっという間だったな〜!引退式楽しかった!」

「それな。てか、二年生みんな泣いてたし。」

「ね!死ぬほど泣いてた!あんなに泣くことないのに。でも、可愛かったな〜!」

「いやいや、七瀬がギャン泣きしてたから皆も泣いてたんだよ。その言葉、そっくりそのままお返しします。」

すると君は早口になって、声を大きくしながら俺に反論してくる。

「ここまで来ると、色々と込み上げてくるもんがあるのよ!いっつも泣いてばっかなあたしに比べて、律が泣いてるところは一ミリも見たことないし。今日くらいは泣くかなって思ってたのにさ 〜!」

「まあまあ。部長、三年間お疲れ様でした。」

俺、君が泣いてるところなんて、今日まで一回も見たことなかったけどな。

 

 君と初めて出会ったのは幼稚園の入学式だった。君は割と人見知りで、落ち着いたタイプだった。それでも、たまに皆と遊んでいた時の楽しそうな顔は覚えている。小学校は別々になって、中学校の部活の仮入部で偶然再開した。君は懐かしい笑顔で俺に話しかけてきてくれた。

「ねぇねぇ、立花 律くんだよね?」

一瞬戸惑ったけど、三日月の形になって笑う目を見てすぐわかった。七年ぶりに会う君は、髪が伸びて高めの一つ結びになっていて、少しだけ大人っぽくなっていた。まだ身長は俺より少し低いくらいだった。

「えっ、もしかして、七瀬 胡桃?!」

君はさらに嬉しそうな表情を見せた。

「そう!そうだよ!久しぶりだね!」

「うわ、なっつ!マジで久しぶりじゃん。」

自分でもびっくりする程の大声を出してしまった。周囲の視線がチラッと俺達に向いた。俺は完全に赤くなっていたと思うが、君は何も気にせず話を進めた。

「あの頃と変わらないね!もしかして、律くんも陸上部入るの?」

「いや、陸上競技とかは体育でしかやったことなくて。普通に運動してみたいなと思って。」

「そうなんだ!あたしは小学生の時は地域の陸上クラブに入っててさぁ。でも中学で陸部入るからって言ってやめたんだぁ。」

運動が好きそうなイメージはなかったから、意外だった。

「そうなんだ。やっぱり高校から陸上始めるって大変かな。」

「そんなことないよ!勿論大変なことも沢山あるけど、その分得られるものは大きいから!」首を必死に横に振りながら俺に訴えた。結んだ髪がゆらゆらと揺れていて、愛らしく思えた。

「そういえば、律くん一人?」

まだ友達ができていないことがバレないように、俺は言い訳した。

「あー。一応友達誘ったんだけど、皆キツイ運動部は嫌だって言ってさ。」

「あ〜確かにここの陸部は強いけど、厳しいって聞くもんね〜。そしたら今日一緒に帰らない?あたしも一人だし。ソロ帰りは寂しいしね。」

突然の提案で驚いたし、何より女子と一緒に帰るって...。恥ずかしかったけど、満開の桜みたいな笑顔にはかなわなかった。

「確かに。じゃあそうしよう。」

「じゃあ、これからよろしくね、律くん。」

俺は頷いた。

「よろしく。七瀬さん。」

そういうと、君は面白おかしそうにクスッと笑って言った。

「胡桃でいいよ。」

お互い仮入部の練習場へと向かう。

「ちょっと、律くん!もうちょっとゆっくり歩いてよー!」

「えっ、これくらいが普通じゃね?」

 

 桜の花びらが絶えることなく降りそそぐ。君は足もとへと目線を落とす。

「律は高校で陸上続けなくて本当にいいの?」

続けようと思っていた時期もあった。でも、三年間やっても大して上達しなかったし、君に比べたら努力も全然足りなかったんだと思う。それに、君がいないんじゃ頑張れる気がしないよ。でも、そんなことを言うのは恥ずかしすぎて、君の前ではつい格好つけてしまう。

「うん。他にやりたい事が見つかる気がする。」

君はさらに残念そうな顔をしたけど、すぐにまた口角を上げて俺に笑顔を向けた。ずっと横目で見ていたから、秒で目が合ってしまった。不意打ちにこういう事をされると驚いてしまう。目線を逸らそうとしたけど、俺の目はずっと、君に釘づけだった。

「そっか。律はなんでも出来るから、羨ましいな〜!あたしにはもう陸上しかないからさ。」

「引越し、明後日だっけ。ほんと、大変だな。」俺は暗い顔をしないように気をつけて言った。七瀬は四月から京都の私立高校に進学する。陸上の超強豪校で、オマケに偏差値も七十近い進学校。そこを七瀬は推薦を使うことなく受験し、合格した。

「でも、京都は楽しみだな!埼玉より美味しいものいっぱいあるもん!」

「食べ物かよ。俺の分まで陸上頑張ってくださいね。」

すると君はどこかやるせない表情を見せて、また目線を足もとへと逸らしてしまった。陸上の猛者達が集まる中で走って結果を出さなきゃいけないからな。''頑張れ"の言葉ですらプレッシャーに感じるのかもしれない。でも君はきっと大丈夫。君には味方が沢山いる。俺はその一人として、君を信じるだけなんだ。

 

 陸部に入部してからわかったことは、君はめちゃくちゃ足が速いということ。大会を勝ち抜いていくつもの賞状やトロフィーを獲得し、ついには高校生日本一に輝いた。陸上のことが少しずつわかってきた頃には、君の走るフォームや練習方法の工夫にも圧倒された。ついでに勉強もできる優等生。初めての定期テストで学年一位だったと聞いた時は度肝を抜かれた。一体いつ勉強しているんだろう。

 君はとんでもない努力家だった。毎日のように居残って、下校時刻ギリギリまで練習していた。集中力がとてつもなく高く、走っている時の普段は見せない熱い真剣な眼差しは、息をのむほど綺麗だった。そんな真面目で一生懸命な性格だから部長に推薦されたんだと思う。受験や部長を務めることのプレッシャーも、俺には想像もつかない程だったと思う。それでも君は笑顔で乗り越えた。素敵な先輩だった。君の眩しい笑顔の裏には大きな努力があった。君はずっと俺の憧れなんだ。君に少しでも近づきたくて努力した。今までの俺ならすぐに諦めていたはずなのに。それでも、努力の量も質もやっぱり君には敵わない。こんな俺には釣り合わないんだ。言葉では全てを言い表せない。君は俺の大切な人。


 俺は俯いた君に言う。

「七瀬なら大丈夫だよ。俺はいつでも応援してるから。」

「本当にありがとう。」

俺に目線を合わせて言った。君は少しだけ涙目に見えた。七瀬の家が近づいてきた。俺の帰路はいくつかあるけど、少しでも君と話をしていたい。君はしんみりした空気が嫌だったのか、話題を変えてきた。

「そういえば、律ってあたしのこと結局最後まで"七瀬"って呼んでたよね。なんで?」  

いや、察しろよ。

「あー。いや、七瀬は七瀬だなって思って。」

「えー何それ!あたし的には名前、呼んで欲しかったなー。仮入部の時から言ってたのに。幼稚園の頃は、"胡桃ちゃん"と"律くん"って呼び合ってたんだよ?」

君は冗談交じりに笑った。そういう話は反則だろ。恥ずいわ。でも俺は格好つけて、余裕を持って冷静でいようとする。

「あー。懐いわー。てか、仮入部の頃から言ってることといえば、お前ずっと歩くの遅いよな。会った初日からずっと言ってる気がするけど。走るのは死ぬほど速いくせに、歩くのは遅いよな。」

まずい、恥ずかしさのあまり早口になっている。きっと顔も赤い。でも君は気づいていないらしい。君は俺の目を見て、想像もしていなかったような言葉を放った。

「速く歩いちゃったら、すぐ家に着いちゃってお別れになっちゃうでしょ?あたしがゆっくり歩いている時は、この時間がずっと続いて欲しいって思ってる時だから。最近は陸上があたしの本当にやりたいことなのか分からなくて。なんの為にあたし陸上やってるんだろうって。親も先生も褒めてくれるのは結果だけだから。結局あたしは、一緒に頑張ってくれる大切な人がいないと、努力すらできないの。」

君は俺から目を逸らして前を向いた。

 君の家の前に着いた。やっとお互いが向き合って、最後の別れの挨拶をする。君の目が三日月の形になる。

「三年間お疲れ様!それと今まで本当にありがとう。お互い高校でも頑張ろうね。」

「おう。こちらこそありがとう。お前のおかげで俺、ここまで続けられた。」

あぁ。この時間がずっと、ずっと続いたらいいのに。一緒にいられるだけで、どんなに幸せだったか。俺がそうだったように、俺も君にとっての憧れになりたかった。満開の桜のような笑顔をずっとみていたかった。熱い真剣なその眼差しを独り占めしたかった。君にもっと寄り添いたかった。だけど、俺は君のことを知ったつもりになっていたのかもしれない。君の隣にいるべき人は、こんな自分の思いすら伝えられないような弱虫なやつじゃない。

「あたし、律に出会えて良かった。」

今まで見たこともなかった、優しくて、寂しい散りかけの桜のような微笑みだった。

「じゃあね、律。」

「おう。元気でな。」

君に背を向け歩き出す。いいんだ、これで。俺の短かった陸上人生は、君との別れと共に幕を閉じた。

「律!」

五、六歩進んだところで、まだ家の前に立っていた君に呼び止められた。振り返ると、目にいっぱいの涙を溜め込んだ君がいる。今日は珍しく、君は泣いてばっかりだ。

「律も、元気でね!」

涙がこぼれ落ちるのを必死に我慢している君。桜の花びらが、絶えることなく降りそそぐ。俺は中途半端な位置に挙げた手を振り、全ての思いを込めて今、君へ伝える。

「おう。またな、胡桃!」

君が見せた微笑みを、俺はきっと、これからもずっと忘れられない。そんな気がする。

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サクラチル。 あい @ohmknhmassh11

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