龍の伴侶

爽月柳史

龍の伴侶

龍を飼育している。

 ウミヘビに似ていて、ウミヘビではないから「龍」と呼ばれている。

 俺はその飼育員だ。

 龍の飼育は他の海洋生物とあまり変わらない。餌を与える、健康状態を見る、水槽を磨く……

 「調餌終わったぞ」

 「うん、ありがとう。いつもやってもらってごめん」

 俺が掲げるバケツの中身を見て、仕事仲間の辰野は眉を下げた。

 「いいって。龍の観察はお前の方が得意だから」

 「得意、不得意の問題なのかな」

 「そういう問題だ」

 急拵えの龍飼育チームは、俺と辰野の二人だけなので、効率よく仕事をするために作業の分担をしている。というより、俺は龍を見分けるのに難儀して、辰野は手先が絶望的という事情が大きい。

 「オトヒメは調子が戻ったみたい。もう大丈夫。他の子達も問題ないよ。でもちょっとワダツミの泳ぎが弱いかな?しばらく要注意だ」

 俺にはどれも同じに見える。けれど辰野が言うのだからそうなのだろう。

 「りょーかい、上からばらまくから食い付きを見といてくれ」

 俺は大水槽に渡された細い足場へ上る。気配を感じた龍たちは水面へと舞い上がる。

 ばしゃばしゃばしゃっ

 ばらまいた餌を我先にと取り合う姿は、鯉に似ている。「龍」だなんて大層な名前をつけられているが、所詮はただの生き物だ。ウミヘビか魚かは議論の途中だが。

 水音が止み、もう一度ばらまこうとしたところでギクリとする。

 龍が一尾、水中から顔を出していた。

 顔の作りはウミヘビというよりはトカゲに似ていて、まぶたのない目はヤモリやヘビを思い起こさせる。

 「……っ」

 身体の芯が揺さぶられたような目眩がした。視線は龍から、龍の目からはずすことができない。

 龍の目、まぶたのない目がじっと俺を見据えている。ガラスのような目。瞳孔はアーモンドの形をしていて虹彩には輝く筋が散っている。この距離でそこまで見えるわけがないのに、見える。焦点が引き絞られる。もっと奥まで拡大していく。深く深く、美しく賢い……かみさまの…………

 「危ないよ」

 囁きと共に視界が塞がれた。いつの間にか辰野が後ろにいて手で俺の目を塞いでいる。

 ずるずると俺はその場に崩れ落ちた。頭の芯が重く、車酔いに似た気持ちの悪さに吐き気がする。辰野は俺に目を合わせるようにしてしゃがみこんだ。

 「水槽にいるけど彼らはまだ野生だ。気をつけて」

 観察が得意な澄みきった目は龍に似ている。

 「…………悪い」

 「龍」はウミヘビに似ていて、ウミヘビではない。ウミヘビモドキと呼ばれずに、何故「龍」と呼ばれるのか。龍はウミヘビよりも大きい頭を持ち、角を持つ。頭の付け根から尾にかけて背鰭が続き、鱗は構造色を持ち煌めく。モドキと呼ぶには荘厳すぎるのだ。

 「龍の目だけは見ちゃいけない。忘れちゃダメだ」

 そう、龍は獲物を目で捕らえる。龍が発見されたのは、入水自殺の名所と呼ばれる海域だ。龍の目は見た者に暗示をかける。それは龍を誤認させ、畏怖や崇敬の感情を植え付け、身を捧げたいという強い欲求をもたらす。生け贄を求める神のように、龍は獲物を食べる。そんな生態を持つ海洋生物だ。

 死骸は分解が早く解剖もDNA解析もままならない。そしてそんな生態のおかげで研究は遅々として進まず、独立した種なのか何かの近縁種なのかも定まらない。魚類なのか爬虫類なのか、もっと別のナニかなのか。

 だから俺たちは、そのウミヘビに似た生き物を「龍」と呼ぶ。

ーーー

 「先輩、調餌終わりました」

 後輩がバケツを提げて戻ってくる。軽薄そうな様子は辰野とは似ても似つかない。

 「龍の調子はどッスか?」

 「いつも通り、異常なしだ」

 「そりゃ何より」

 俺は後輩からバケツを取る。

 「あーっボクがやりますよ」

 「お前はまだ見てるだけだ。少なくとも個体が識別できるようになるまではな」

 「ボクは、"龍の伴侶"とは違いますから無理ッスよー」

 後輩の一言が神経を逆撫でた。

 「…………俺だってそうだったよ」

 辰野は死んだ。龍の生息する海で。俺と辰野の他にもスタッフを入れたチームで龍の調査に行った時の事だ。調査地についた日、休憩時間のあと浮かんでいるところが発見された。誰よりも龍を見て、その危険性を知っていた男が。遺体を発見したとき、辰野は無数の龍に包まれていた。

 その情景と辰野が龍の担当だった事からあいつは「龍の伴侶」と呼ばれるようになった。神格化でもするようにだ。

 俺はそれが気にくわない。奴等はただの生物だし、辰野はただ油断して食われた大馬鹿野郎だ。

 大水槽に渡された細い足場へ上る。気配を感じた龍たちは水面へと舞い上がる。

 ばしゃばしゃばしゃっ

 ばらまいた餌を我先にと取り合う姿は、鯉に似ている。

 俺がここで龍に心を奪われても引き戻してくれる相棒はもういない。

 「そのことは、たまに寂しいよ。辰野」

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龍の伴侶 爽月柳史 @ryu_shi_so

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