第11話 疾患的オブリビオン
人の記憶は想像以上に曖昧だ.詳細に思い出せるのもせいぜい数年前まで,それ以前の記憶は断片的な一枚絵として脳のどこかにばら撒かれている.どんなに強烈な記憶であってもせいぜい三秒程度の動画に圧縮されていて,たいていはその断片を見て覚えているつもりになり気がつけば思い出すこともしなくなっている.こうやって知らぬ間に少しずつ断片の数が減っていき,そこに新しい断片を撒く.あれだけ長い時間過ごした施設の思い出すら百枚足らずの断片になっている気がする.最期に見たあいつの顔はめでたくそのうちの一枚だった.五感の刺激が特定の記憶を想起させるというが,そんなトリガーは文明ごと消されてしまっている──はずだった.
「ここが村だ.天使様に話を通してくるから,そこで待っていてくれ」
石造りの小屋が並ぶ村に着くと,レオは奥の比較的大きな建物へと入っていった.小屋はどれも年季が入っており,お世辞にも手入れが行き届いているようには見えない.見渡すと数十人が世間話をしている.誰かは作業するもんじゃないのか? とはいえ,こんなに沢山の人間を見たのは久しぶりだ.みんなが幸せそうにしている姿を見ると,なんだか胸が締め付けられる気がした.まだ戦争が始まる前はどこで暮らしてたっけ……
「お兄ちゃんあんた,ここら辺の者じゃないね? 随分と遠くから来たんでしょうに,こっちに来て一緒に話さんかい?」
「ありがとうございます」
気さくに話しかけてきた年配の女性の隣に座る.女性の前にある水の溜まった
「あんたも天使様に救いを求めに来たのかい? 何かつらいことがあったのなら話してみなさい」
「私は長い間ある場所で仕事をしていたのですが,そこの唯一の仲間がおかしくなってしまった末に,なんやかんや全部破壊されて一人になってしまいました.自分で何言ってるのか分からなくなってきましたけど,つまり生きてきた理由がなくなって途方に暮れているんです」
「大変だったのね.その仲間の子は大切な人なのね」
「はい,私にとって大切な……」
あれ? あいつは俺にとって何だったんだっけ? 消したつもりはなかった.
「きっと天使様はあなたにとって一番いい選択をしてくださるよ.」
一番いいかなんて俺にはもう分からない.記憶を引き継ぎながら数億年生きてきてきたが,何億年生きてきたかなんて覚えていない.全部を引き継いでいたら人間の頭は耐えられない.いや,人間でなくとも無限でない以上は必ず記憶に限界はある.
俺は脳の過剰負荷で狂わないように過去の記憶を切り捨て続け,必要最低限の記憶だけ引き継がせることで他の奴らより圧倒的な年数を生きてこれた.自分の生にしがみついて,出会いも思い出もすべて葬り続けてきたんだ.
一度忘れたことは思い出せない.
「お前が悪魔か」
レオの案内で通された部屋の中では,リーユという名の少女が座って待っていた.ボサボサの赤い長髪に毛皮の腰巻きとマントという,周りと同じ原始的な出で立ちは,天使と呼ばれているようには見えない風貌だ.彼女はその茶色の瞳で見透かしたように俺を悪魔と呼んだのだった.
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