単なる人手でなく、パートナーになる
開発工程における品質管理の位置は末端だ。プロジェクト内での力関係は、強くはない。どちらかといえば弱い立場にある。
品質管理の作業が始まってもいないのに製品の発売日が決まり、絶対のしめきりが否応なしに突き付けられる。販売元の意思決定や開発の作業が遅れれば、そのぶんの時間的しわ寄せは品質管理が一手に引き受ける。
厳しいスケジュールに陥れば、どれほど人手を増やそうとも突貫作業にかわりはない。時間を買うことは誰にもできないのだ。開発予算はプロジェクトの上層が掌握していて、品質管理の一存で好きには増やせない。当然、高い品質の維持は困難を極める。ひと晩寝かせた翌日、「昨日はなぜこのクオリティでよいと思ったのだ。なおせるところがこんなにあるのに」といった経験がないだろうか。品質管理の仕事をしていると、ひと晩寝かせたあと、が製品発売後になる場面がある。一夜漬けに近しい作業では、製品の品質はどうやっても上がらないのだ。そのあとに待つのは、『なぜこんな不具合が製品に残っているのだ』の責任追及である。疲労困憊の中、「始末書を書く」が必須タスクとして上乗せされる。
だが、損な役割を引き受けるかどうかを決定づけるまでには、過程がある。品質管理は黙って損を引き受ける、などという不文律は存在しない。ではどうすればよいのか。答えはシンプルだ。単なる人手・労働力ではなく、パートナーとして認められればいい。
思考せず、質問ばかりで、誤っていることでもイエスを返すようでは、いいパートナーにはなれない。あなた自身が、ひとりの人間、ひとりのお客さま、そしてひとりの品質管理のプロフェッショナルとして、プライドをもって思考してほしい。人は誰だって間違う。製品を売ることに長けた販売元も、高い技術力を持つ開発者も、誤るときが必ずある。そんなとき、発言を求められていなくとも、「横から失礼する」「こうしてはどうか」「間違っている」と口にするのだ。それを繰り返していると、やがて品質管理は単なる人手でなく、よりより品質を求める協力者であると認知されるようになる。品質管理がパートナーになった瞬間だ。パートナーの発言には力がある。パートナーを無下に扱う者はいない。自分の位置は、自分の行動によって変えられるのだ。
わたしの記憶には、開発者からの最高の賛辞が今も刻まれている。
『あなたの行動からは、ホスピタリティを感じた』
単なる労働力ではなく、サービスでもない。それらを超えて仕事をしたと認められたのだ。このとき、わたしの辞書には「ホスピタリティ」という単語は存在しなかった。無知で恥ずかしいのだが、そういわれて言葉の意味を調べたくらいだ。だが、それでよかったのかもしれない。開発陣へ提供するホスピタリティは、品質管理の目指す到達点ではないのだから。
開発陣を思いやり、品質管理が負うべき問題を引き受け、お客さまを想って行動する。ホスピタリティとは、品質管理が職責をまっとうする過程で生じる副産物にすぎない。
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