第32話 シャトゥカナルの危機

 もう夜もとっくに更け、普段ならば眠っている者も多い時間帯だったが、村長宅には全ての村人が集まっていた。詳しい事情は知らされていないのだろう。村人は皆不安そうな面持ちで、ニーナの言葉を待っていた。


「皆、こんな時間にすまないね」

「一体何があったんだ? ロジオンからは、シャトゥカナルが危ないとしか聞かされていないぞ」

 ニーナは苦い顔をして、腕を組んでいる。広いテーブルをぐるりと取り囲むようにして、村人たちはお互いの顔が見える位置に立っていた。椅子を並べる余裕はなかったらしく、ニーナ村長を含めて皆立ちっぱなしだ。


 ニーナはテーブルの上に何かを広げる。書状のようだ。右下に誰かのサインと印が押されていた。ライサはそれに見覚えがあって、目を見開く。

 嫁入りの命を受けたときに、これと同じものが押されていた。これは、国王陛下の書状だ。


「実は今日、シャトゥカナルの国王陛下に呼び出されたんだ」

 国王陛下という言葉に、周囲がざわつく。なんでも、スノダールの村長は、魔法具作りの代表者として直接お呼び出しを受けることもあるそうである。

「そこで、秘密裏に知らされた。どうやら、シャトゥカナルの結界が弱まってきているらしい」

 一瞬凍りついたような沈黙があって、ライサは思わず唇を震わせた。


「え――まさか……そんな⁉」

「シャトゥカナルの結界なんて、ワシらがガキの頃からあったぞ? それが弱まっているだって」

「いくら伝説の炎龍の魔核だってね、永遠じゃないよ。ましてや、このシャトゥカナルを中心とした一帯全てを、寒さや魔物から守護してきたんだ。シャトゥカナルに今の魔核が置かれたとされるのは国が出来た頃、もう何百年も前だよ。そろそろ異常が出てもおかしくはない」


 それはそうかもしれないが、と一同は俯き青ざめている。皆どこか、炎龍の魔核の恩恵は永遠であると思い込んでいたのだろう。ライサもその一人だ。

 ライサは思わず隣のザックを見上げる。彼は珍しく無表情で、何かを考え込むように前を向いていた。


「国王陛下は、国民に気づかれない内に、なんとかしてくれないかとのお達しだよ。なんともまぁ、雑なご命令だねぇ。けど、シャトゥカナルの結界の恩恵は、スノダールも受けている。それが無くなるとなると、今より生活は厳しくなるし魔物による脅威も増すだろうね」

「それにしたって、なんとかって言われても……」

 皆の視線が頼りなく泳ぐ。国王様、丸投げも良いところだ。

 ライサは見たこともない王様に対して、次第に腹が立ってくる。


「普段暖炉の素材として使っていると言えば、『炎牙熊ホムラガユウ』、『紅火鹿角ベニビロクカク』や『熱岩針鼠ネツガンハリネズミ』なんかの素材だが、今からかき集めたとしても気休めにしかならんだろうな。そもそも、魔物を遠ざけていたのは、炎龍の魔核が放つ権威のおかげと言われている。他の魔物じゃ、今までのように都市国家を守護することなど……」


「じゃあ、やはり炎龍を探して魔核をとってくるか?」

「馬鹿言え! あんな伝説級の存在、今まで何の目撃情報もないだろうに」

「そもそも、シャトゥカナルを守護するあれが、炎龍の魔核だと言うのもただの言い伝えだろう?」

「では、他にあれだけの魔核を持つ存在がいると言うことか」


 村人たちは表情を引き締め、口々に意見を言い合っている。切り替えが早いのは、長年トラブルに対処してきた経験だろうか。


「――炎龍は実在するよ。だから、シャトゥカナルの魔核は炎龍のもので間違いないだろうね」

「村長、そうなのか?」

 皆の視線がニーナに集中する。彼女は声を出す代わりに深々と頷いた。


「だけど、相手は伝説の存在だ。万が一運よく出会えたとしても、炎龍から魔核を譲ってもらうことができるかどうかは怪しいだろうね。だから、見つけ出すより別の方法を考えることが最善だよ」

 ニーナはそう言うと、眉をひそめて少し苦しげにこちらへ視線を向けた。何故見られたのかが分からず、ライサは身を固くしてしまう。


「ライサ。すまないね。せっかくお前の嫁入り道具を作ろうって、皆ではりきってたのに。しばらく嫁入り道具の制作は延期せざる負えないんだ」

「え、そんな、気にしないでください。こんな事態ですし、それどころじゃないでしょうから」

 恐縮してライサは首を横に振る。いつの間にか村人全員がライサを見つめ、申し訳なさそうに俯いていた。


「さぁ皆! ライサの為にも、ここは踏ん張りどころだよ! 幸い、完全に魔核が機能を停止するには一月ひとつき、いや一年以上猶予があるとも言われている。急ぎの仕事ではあるけど、焦ることなく改善策を考えることとしよう」

 ニーナ村長の言葉に、村人たちは力強く頷く。


「ライサちゃん。ごめんな。早くこの仕事を片付けて、ライサちゃんの嫁入り道具を作ってやるからな」

「ワシも、ライサの嫁入り道具を作るのを楽しみにしてたんだ! 早急に片付けてやるよ」

「私もライサちゃんのために色々と作ってたのよ~。やっぱり女の子はレースよね~。とりあえず、お仕事お仕事」


 村人たちは、各々ライサに声をかけながら、村長の家を後にしていく。動揺しているように見えたのはほんの一時で、今彼らの背中は熟練の職人らしい頼もしさが感じられる。

 いつの間にか、村長の家にいるのはニーナと夫であるロジオン、ザックとライサの四人だけになっていた。


「二人とも、そういう訳なんだ。必要以上に焦ることはないからね。何かいい案があったらすぐに教えておくれ」

「――皆さんは、本当に大丈夫なんですか?」

 ライサの声は震えていた。シャトゥカナルにいた頃に聞いたスノダールの悪評を思い出す。


「いつもシャトゥカナルの人たちには誤解されて、都市の外に追いやられて……! それなのに、自分たちが危険になった時にだけ、『すぐになんとかしろ』だなんて。そんなの」

「ライサ」

 唇に温かい何かが触れると同時に、ザックがライサを呼んだ。見上げると、彼は眉を下げてゆるく笑っている。彼の人差し指が自分の唇に触れていることに気づいて、ライサは羞恥と緊張で身を固くした。


「ありがとな。俺たちのために怒ってくれたんだろ? でも、大丈夫」

「そうだね。ありがとうライサ。でも、国王陛下の言い方は悪いけど、ちゃんとスノダールのことを認めて下さっているんだよ。だからこそ、この重大な『仕事』を私たちに一任してくれたのさ」

 好き勝手言っているやつも一部にはいるけどね。

 そう、ニーナは少し俯いて悲しげに微笑む。


「それにね、スノダールの職人たちが、シャトゥカナルから離れて暮らしているのは理由があるんだよ。先々代のスノダールの村長がシャトゥカナルを――魔物のから守るためにそう決めたのさ」

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