第28話 それぞれの幸せ
狙いを定めて両腕を振り下ろす。音と粒子を振り撒いて、魔核が二つに割れた。
今日もライサは家の作業場で魔核を割っている。村人たちに頼まれたものも含め、もう少しで作業は終わりだ。
汗で貼り付いた前髪を直していると、窓ガラスをコンコンと叩く音に気づく。ガラスは白く曇っていて、外に何がいるのかは分からない。
しかし、もしかしてという予感がして、ライサは迷わず窓を開いた。
「ひゃっ!?」
バサバサと音を立て、雪のように真っ白な鳥が部屋の中に飛び込んでくる。
くちばしは温かなピンク色をしており、背中には煉瓦色をした小さな皮の鞄を背負っている。この子は
お礼代わりの小さな木の実を差し出すと、鳩は机の上で早速それをついばみ始める。その間に、ライサは少し緊張しながら鞄を開けた。
中には、何かの本だろうかと思うほど分厚い封筒が入っていて、彼女は苦笑を浮かべる。
「やっぱり……」
一ヶ月前に友人となった、タチアナからの手紙であった。
『ごきげんよう。ライサも旦那様もお元気かしら?
「相変わらず元気そう」
ライサは賑やかな文面を見て、呆れつつも微笑んだ。
不安だらけのタチアナの婚姻であったが、いざ婚礼の日を迎えてみれば、全て杞憂だったことが判明した。
タチアナのお相手は、婚約が決まったその日、タチアナの肖像画を見て彼女に一目惚れをしたらしい。ところが、恋愛経験の浅い彼は、タチアナと顔を合わせると緊張のあまりどうにかなってしまいそうだと、わざと仕事をたくさん入れて忙しくしていたのだそうだ。
婚礼当日、自分の都合でタチアナを不安にさせて大変申し訳なかったと謝罪し、これから一生をかけて幸せにすると誓ってくれたそうである。
タチアナはタチアナで、彼の初なところと自分を大切にしようとしてくれる気持ちに心を貫かれ、彼にすっかり惚れ込んでしまった。
そこで連日、ライサのところに近況報告という名の旦那様自慢が届くようになったのである。
次回ルースダリンの豊穣祭が行われる際には、旦那様と一緒に里帰りをするそうである。
タチアナが幸せそうで本当に良かった。ライサは読んでも読んでも終わらない手紙に辟易しつつも、口元に笑みを浮かべた。
「ただいま、ライサ! あれ? もしかして、またタチアナからの手紙か?」
扉が開くなり、ザックから疑問の声が上がる。まだ暗くなる時間帯ではないので、今日は帰りが早いようだ。
「おかえりなさい。そう、いつものタチアナからの手紙なの」
「そっかマメだよなー。おれ、そんなにしょっちゅう手紙なんて書けないや」
ザックはコートを脱いで壁にかけると、ライサの元へ近づいてきた。
そして、明るい笑顔でライサに笑いかける。
「でも、本当に幸せそうで良かったよな」
心の底から「良かった」と思っていることが伝わる笑みに、ライサの心臓が跳ねる。
ふとタチアナと友人になった日に、彼女と交わした会話を思い出した。
「お待ちになって!」
友人として交わす和やかな雑談中に、タチアナが突然声を上げた。
「そう言えば、赤い髪の彼が、ライサの結婚のお相手ということでよろしいですわよね? さっきライサは愛情を上手く返せていないと反省していた、いうことは、まさか彼と何もしていないなんてことはないですわよね……?」
「えっ……」
顔に熱が集まり、ライサは思わず俯く。妖精のささやきのような小さな声で、何もしてないですと呟いた。
一呼吸以上間を空けて、タチアナは村中に響き渡るような声で叫んだ。
「ななななな、なんですって⁉︎ 仮にも夫婦になっていながら、何もしていないんですの⁉︎ ええ、ありえませんわ!!」
「こ、声が大きいわ、タチアナ。夫婦と言っても、これはお互いに目的を達成するための契約みたいなものだったし、ザックは別に私でなくたって」
タチアナは懐から扇子を取り出して広げると、それで顔を隠して深くため息を吐いた。
「なんてことかしら……これは確かに問題ですわ。私が苛立ったのも強ち間違いではありませんでしたのね。さすがに、ライサの旦那様に同情してしまいますわ……」
「た、タチアナ? どうしたの?」
ライサが恐る恐る近づいて声をかけると、タチアナは急に顔を上げ、キラキラした表情でライサを見上げた。
「――そうよ! どうしても自分に自信のないライサに、友人の私がとっても良いことを教えてさしあげますわ」
手招きをされて近づくと、タチアナは扇で口元を隠しながら、ライサの耳にその良いことを囁いた。
「貴女の旦那様、ライサを見る目がでろでろの甘々でしたわ。
そう言って、タチアナは片目をつぶってみせた。
「ライサ、どうした? 顔が赤いぞ」
ザックが気遣わしげに顔を覗き込んでくる。ライサは何も言わず、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
私が、それをしたいと思うかどうか。
ライサはザックを見上げ、彼と視線を合わせる。
優しくて温かくて、自分のことを大切にしてくれる彼が「ただいま」を言ってくれる。自分の下に帰ってきてくれる。そして「おかえりなさい」が言える。そのことが、たまらなく嬉しいから。
ライサは両手を広げると、勢いよくザックに抱きついた。
「お、おかえりなさい……!」
触れた温かな体温と彼の香りに、一気に鼓動が早くなる。彼は今コートを脱いでいるので、たくましい体格が直に感じられて顔から火が出そうだった。
恥ずかしいけれど、どこか離れがたくて。ライサは僅かに腕の力を込める。
そこで、ザックから何の言葉も反応も返ってこないことに気づいた。
どうしたのかしらと不安になって、ライサは恐る恐る顔を上げた。
「…………ザック。どうしたの?」
ザックは片手で顔を覆って、天井を見上げていた。指の隙間から見える彼の耳は、炎のように真っ赤である。
「ごめん。おれ今、夢が一つ叶った感動を噛み締めてるから」
「どういうこと!?」
思わず叫んでしまったが、彼が喜んでくれているのは確かなようだ。
ライサはくすぐったそうに笑うと、彼の胸に顔を埋めてそっと目を閉じた。
第二章 完
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