第27話 ごめんなさいとよろしく

 タチアナたちを見送ろうと、ライサたちがスノダールの村の入り口までやってきた時だった。前を歩いていたタチアナが、突然ライサの方を振り返った。彼女はそのまま、難しい顔をして勢い良く近づいてくる。

 何だろう、不安でライサの心臓がはね上がった。


「貴女、ちょっと……お付きあいいただいてもよろしいかしら? ――ローズマリー!」

「承知いたしました」

 タチアナはライサの手首をつかむと、ローズマリーに声をかける。全て分かっているかのように、彼女は深々と頭を下げた。


「ちょ、おーい。ライサに何のようが」

「申し訳ございませんが、ここはお嬢様とライサ様のお二人だけでお話を」

「え?」

 ローズマリーが素早くザックを制止している。

 次第に遠ざかる彼の戸惑う顔を見ながら、ライサはタチアナに引きずられるようにして村の奥へと連れていかれた。






 やってきたのは村の外れ、ライサたちの家の近くだった。他の村人の住む小屋とは距離が離れているため、周囲はとても静かである。ここからだと村を取り囲む森林がよく見えた。

 木の枝や幹は真っ白な雪と氷に覆われ、雪出てきた彫刻のようである。純白の背景は、タチアナのブロンドの髪の毛を鮮やかに浮かび上がらせていた。

 彼女の後頭部を眺めながら、ライサは落ち着かない気持ちで彼女の言葉を待つ。

 やがて、タチアナはひとりごとのように呟いた。


「ずっと、謝罪をしなければと思っていたのですわ」

 タチアナは顔を伏せたまま振り返った。上目遣いでライサの顔色を伺うようにしながら、彼女は言葉を発する。


「その……貴女のことをよく知りもせず失礼な態度をとってしまって、『大嫌い』だなんて言ってしまって本当に申し訳なかったですわ。貴女は初めて会った時から、村の人々から認められて、とても愛されているのが分かりましたの。それなのに、いつも困ったように微笑むばかりで、笑顔を返そうともしない。それが、どうしても憎らしく思えてしまいましたの。わたくしの境遇と比べて、貴女に嫉妬していたのですわね。謝罪の言葉もございませんわ」


 タチアナはライサに向き直って背筋を伸ばすと、腰を折って深々と頭を下げた。思わず見惚れてしまうほどの、凛とした美しい動作である。

 ライサはハッと息を呑むと、慌てて両手を顔の前で振った。

「いいえ! もう良いんです。だって、タチアナ様のあのお言葉はむしろ――私も反省しなきゃいけないところがあるって、気づくきっかけになったと言うか」


『私は貴女の――自分が恵まれていることに鈍感で甘えた態度をとっている所が、大っ嫌いですわ‼︎』

 タチアナからあの言葉を浴びせられた時、最初は本当にショックだった。

 しかし、後になって今までの自分を省みると、確かに甘えていたのかもしれないと、そう思ったのである。

 怪訝そうな顔をするタチアナに向かって、ライサは口を開いた。


「私、幼い頃に叔父の家に預けられたんです。いいえ、母は私を叔父たちに押しつけていったんです。叔父夫婦にはきちんと育ててもらいましたが、いつもいつも『私の居場所はここじゃない』って、寂しく思う気持ちが消えませんでした。スノダールに来たのだって、初めはシャトゥカナルの宰相様の命令で『嫁入りしろ』って、強制されたことだったんです」

 タチアナは言葉を失い目を丸くしている。

 ライサは自嘲気味に笑い、俯いた。


「私、スノダールへ来てから、皆さんに本当に良くしていただいて、幸せだなって思ってます。けど、恵まれ過ぎていて怖いというか、一体私のどこにそれだけの価値があるのか、私が思うまま皆さんに好意を返しても良いのかが、今一つ分からなかったんです。でも、タチアナ様の言葉で思いました。私、慣れてないことを言い訳にして『ゆっくりで良い』と言う言葉に甘えて、皆さんからもらった愛情に対して、嬉しさとか感謝とかを十分伝えられてなかったんじゃないかって。それが、タチアナ様に嫌われてしまう原因にもなっていたんですよね」


 ライサの頭に、優しいザックの眼差しが浮かぶ。彼は当たり前のように、自分に好意を向けてくれたけれど、一方的に気持ちを送り続けるのはとても辛いことだ。

 私は彼に、そんな寂しい思いをさせてしまっていたのではないか、と。


「そんな風に、反省しちゃいました。急には変われないと思いますけど、これからはもっと素直になれたらいいなってーー」

 気づかせてくださって、ありがとうございます。ライサは姿勢を正すと、彼女に負けじと深く頭を下げた。


 顔を上げると、タチアナは眉を顰めて難しそうな表情をしている。どうしたのだろうと、ライサは何度か瞬きを繰り返す。

 数秒間の沈黙の後、タチアナは眉を吊り上げて叫んだ。


「もう、貴女って方は……そんな事情があるなら、もっと早くおっしゃいなさい!! つまりわたくしたちは、似た者同士という訳ですのね!? なるほど、道理で余計に腹が立ったわけですわ。全くもう、羨ましい! 私も嫁入り先でに愛されてみたいですわー! いいえそれよりも、それをもっと早く知っていましたら、同じ境遇の者にしか分からない悩みを共有できたのではなくって!?」


「え、ええ……? そ、そうなんでしょうか?」

 ライサは戸惑った声を上げ、首をかしげる。

 そんな言い方しなくても。それよりも、でろでろとはどういうことだろう。

「しかし、そうですわよね。その方の人生も愛情表現も人それぞれ。わたくしとしたことが、失念しておりましたわ」

 タチアナは一人でうんうんと頷くと、ライサの肩に勢い良く手を置いた。 


「まぁ、何にせよ。自分の至らぬ点を省みるお手伝いができたのであれば、わたくしに感謝してくださってもよくってよ! ライサ」

 胸を大きく張ったタチアナに、ライサは呆れつつも返事をしようとして、ふとあることに気づく。


「タチアナ様、今、私の名前」

「『タチアナ』ですわ」

「え……」

「タチアナ様ではなく、タチアナで良いですわよ! 堅苦しいのも全部ナシですわ!」

 片足を踏み鳴らし、タチアナはムキになったように叫ぶ。子どもっぽい動作に唖然としていたライサは、次第に状況を察して顔色を変える。


「そ、そんな! 呼び捨てなんて、ご令嬢に向かって失礼なこと」

 察しが悪い方ですわね。

 タチアナは吐き捨てるように言って、恥ずかしさを誤魔化すように叫んだ。


わたくし『タチアナ』が! 貴女と! お友達になってあげるって言ってるんですのよ! ご令嬢ではなく私が。お分かりでしょう!?」

 突然の友達宣言に、ライサは目を丸くして立ち尽くす。

 友達、友達か。

 次第に顔が熱くなり、両手を頬に当てた。一瞬浮かんだ、私なんかがという言葉をライサは慌てて振り払う。


「お友達……今までそう呼べる人なんていなかったから、とても嬉しいです。よろしくお願いしま――よろしくね、タチアナ」

 口調を少しだけ崩して、ライサは口元をほころばせた。なんだかむず痒い。ザックの時とは、また違った嬉しさと恥ずかしさで、心がそわそわ浮き足立つ。

 タチアナは満足げに大きく胸を張り、口の端を釣り上げた。


「ええ、わたくしも友人ができたのは始めてですわ! よろしくてよ!」

「何故そんなに自慢気なの!」

 タチアナのいっそ清々しい態度がおかしくて、ライサはつい声を上げて笑ってしまった。

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