第26話 どうか幸せに
「貴女まで何をおっしゃるの……っ」
タチアナが奥歯を噛み締めて、吐き捨てるように呟く。
ライサは慌てて、トランクから残りの贈り物の魔法具を取り出した。蓋のついた、手のひらサイズの小さな木箱である。
「その――タチアナ様に、私からもこちらを」
開けてみてください。ライサは、タチアナに小箱を半ば強引に押しつける。
小箱は小麦色の柔らかい色合いで作られていた。蓋の部分にはエメラルド色をした石が埋め込まれており、タチアナの瞳に負けないくらい強い輝きを放っている。
眉を顰めながらも、タチアナは慎重な指先で小箱の蓋を開いた。溢れ出た柔らかい光に照らされて、彼女の小鼻と頬が明るく輝く。
箱の中から現れたのは、金色の光を反射して咲き誇る一輪の花だ。
一呼吸おいて、花弁の中心から音が溢れ出す。胸を震わせる弦楽器、リズミカルな打楽器の音、吹き鳴らされる管楽器、人々の喧騒、賑やかな手拍子と足踏み。まるで、目の前で演奏が行われているような、色鮮やかな光景すら想像させる音楽だ。
それが、何であるかが分かったのだろう。タチアナは、目を大きく見開いた。
「豊穣祭の、音……?」
「そちらは、事前に録音した音を箱を開けると同時に流す魔法具です。
『ルースダリンに行って、豊穣祭の音楽を演奏して欲しいって事情を話したら、たまたまお嬢様の家に仕えている人と出会ってさ。お嬢様のためなら是非協力させてくれって言うんだよ。そこから、お嬢様を知ってる町の人なんかも次々集まってきて、なんか一足先に豊穣祭がやってきたみたいな大騒ぎになっちゃてさ』
やっぱりあのお嬢様、ちゃんと愛されてたよ。ルースダリンから帰ってきたザックが、そう言って表情を緩ませていたのを思い出す。
「申し訳ありません。私、タチアナ様の事情を聞きました。ですから、何故タチアナ様が私を嫌いだと言ったのか、その理由も分かりました。使用人の方々は、タチアナ様に寂しい思いをさせて本当に申し訳ないって仰っていたそうです。せめて一緒に、タチアナ様の幸せを願わせてほしいと」
スカロヴィナ侯爵自身や、他の娘たち目を意識すると、どうしても表立ってタチアナの味方をすることができなかったそうだ。
そもそも一介の侍女や執事では、タチアナに接している時間も短い。何故、タチアナの味方であってくれなかったのかと、一方的に責めることはできないだろう。
タチアナもそれを分かっているのか、彼女の表情に憎しみの色は見えなかった。
ライサは拳を強く握る。
「今回のことで確信しました。やっぱりタチアナ様は素敵な方です。一部の分からずやなんて放っておいてください。貴女は愛される方です。だから、きっと――いいえ、絶対に幸せになれます」
だから敢えて、この言葉を贈らせて欲しい。ライサは深々と頭を下げた。
「この度はご結婚おめでとうございます」
顔を上げると、タチアナが目を大きく見開いて自分の顔を見つめていた。大きな瞳が水面のように潤んで、彼女はそれを隠すように慌てて顔を逸らす。彼女の耳は赤く染まっていた。
釣られてライサもパッと頬を赤く染める。
しばらく沈黙が流れた後、口を開いたのはローズマリーであった。
「お嬢様と
ローズマリーは、真っ直ぐタチアナに向き直る。浮かべているのは、とても柔らかな笑みだ。
まるで、子どもを見つめる母親のような慈愛に満ちた瞳だった。
「紅茶の茶葉もこの魔法具の音楽も、永遠ではありません。けれど
ローズマリーは自嘲のように力なく微笑むと、腰を深く折り曲げて一礼する。
「
タチアナは唇を震わせて、何かに堪えるようにぐっと引き結んだ。
やがて息を深く吐き出すと、形の良い唇が不敵な弧を描いていく。
「おほほほほっ! そうですわね、本当はちゃあんと分かっておりましたわ!」
懐から扇子を取り出し、背を逸らせてタチアナは高らかに笑う。
初めてライサの家を訪れた時と同じ、キラキラと輝く強烈な存在感を放っていた。
「この身も心も美しい
そう言い放ったタチアナの声は、ほんの少しだけ泣いているように震えていた。
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